四度目の
柴田千晶
金原まさ子さんが金雀枝舎で句集を作りたいとおっしゃっていると、小久保佳世子さんを通じて知った。
前年に作った小久保さんの『アングル』を見て、金雀枝舎で作りたいと思って下さったようだ。
さっそくお電話でお話しを伺い、もうみんな任せます。という言葉をいただいて、句集作りが始まった。
小久保さんにもお手伝いいただいて、金原さんと3人で句集を作っていたあの日々は、ただただ楽しかった。
数日して、手書き原稿のコピーが届き、さっそく入力に取りかかった。原稿は春夏秋冬に分かれ、
梅咲いて腐乱はじまる遊戯の家
が一句目にあった。腐乱から始まる世界は素敵だ。
もうなんだか金原さんが古い家の庭に埋まっているみたいだ。金原さんの体から、虫や花やケモノやおばけたちが俳句になってわさわさと生まれてくるようだ。
春暁の母たち乳をふるまうよ
二句目にこの句があった。この句も凄い。
確か、小久保さんとの電話で「巻頭はこの句がいいよね」と二人とも思ったのだ。金原さんも賛成してくれた。
手紙やメールで相談しながら作業を進めてゆき、句集の構成ができあがった頃に、直接お目にかかって打合せをすることになった。
7月のある日、金原さんのお宅から近い金沢園に、小久保さんと二人で出かけた。金沢園は大正5年創業の古い日本家屋の料亭で、長い廊下の硝子戸から眺める庭も美しい。与謝野晶子や高浜虚子も訪れたという。街の句会で金原さんと最後にご一緒したのもこの金沢園だった。あれはいつのことだったか。金原さんは90歳くらいだったと思う。
久しぶりに会う金原さんは、その頃とほとんど変わらない姿で現れ、少しはにかんだような笑顔がとても可愛らしかった。
句集の構成を確認していただき、新たに追加する句を受け取り、打合せの後は美味しいお料理とお喋りを楽しんだ。脱がせ上手の小久保さんと、脱がされ上手の金原さんが早口で語るナイショのお話はほんとに面白くて。
ほんと、春暁の母たちに乳をふるまわれているような気分だった。
その日、金原さんから本をいただいた。
河野多惠子の『半所有者』だった。金原さんは、私にはもう必要ないから。あなたが持っているのがいいかと思って。と、おっしゃった。
『半所有者』は、死んだ妻の肉体を、夫がもう一度所有するという背徳的な短編。
妻の遺体との性交が細やかに描かれている。妻の遺体に侵入し、鮮烈な冷たさに突き上げられて、女体が受ける快感とはこういうものか。まるで女体に成り変わったようだ。と、感じる夫の感覚が面白い。
妻に侵入した夫が、<おい、悪女。嬉しいか。嬉しくてたまらぬのだな>と、言い放つシーンがなんとも切ない。
単行本の帯に「究極の<愛の行為>を描く、戦慄の傑作短編」とある。けれど、たぶん金原さんが興味を抱いたのは倒錯した愛とか、究極の愛とかではなく、純粋な肉体の快楽だったのだと思う。
『半所有者』は、金原さんの形見となった。性をテーマに俳句を作っていると、同性からはほぼ嫌われる。生々しい行為を想像させるような表現の句は拒絶される。
この本を開くと、屍姦もありよ。あなた、もうなんでもありよ。と、金原さんに言われているようで嬉しい。
金原さんんは肉食系が好きだ。
北大路翼のことはほんとうに大好きだ。
金原さんの「エロスと狂気」。
木を接ぐならば脳天に椿の木 『冬の花』
石榴つひにおのが身を食ふ一粒づつ 『弾語り』
妄想のところどころに舌平目 『遊戯の家』
別々の夢見て貝柱と貝は 『カルナヴァル』
脳天に接がれた椿は、今、満開だろう。
しばらくしたら天国に退屈して、きっと金原さんは帰ってると思うな。
春風が耳打ち「ヒトハイキカエル」 『遊戯の家』
この句、ときどき呪文のように唱えてしまう。
火あぶりの火の匂いして盆踊り 『冬の花』
春の月むかし湯灌の辱め 『弾語り』
焼却炉より鱶のかたちが立ち上る 『遊戯の家』
白藤はもう腕である半分は 『カルナヴァル』
金原さんは、転生を繰り返している。
火刑にあった記憶が、盆踊りの輪の中でふいに蘇る。
鱶になったり、白藤になったり。そして、
転生三度目の脂百合ですよ
脂百合になったり。
この辞世の句もかっこいい。肉食系だ。
金原まさ子さん、楽しい時間をありがとうございました。
またどこかで会えますように。
2017-08-06
四度目の 柴田千晶
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『カルナヴァル』『あら、もう102歳』の頃 西原天気
『カルナヴァル』『あら、もう102歳』の頃
西原天気
会話の反射神経・運動神経がいい人がいる。多弁とか雄弁というのではなくて、ことばや表情の反応がよい人。金原まさ子さんは、まさにそういう人で、いっしょにいると、40歳以上も年長ということを忘れ、100歳を超えるご高齢であることも忘れ、「自分よりすこし年上の、話が面白くて魅力的な女性」のような錯覚に陥り、いま考えればずいぶんと失礼な軽口も叩いてしまった。
2012年頃から、金原さんのお宅にずいぶんと通った。句集『カルナヴァル』とエッセイ本『あら、もう102歳』の制作をお手伝いするためだ。版元担当編集の吉田さん、小久保佳世子さん、上田信治さん、私。この4人チームでお宅にお邪魔し、お話を聞いた。
話の細部はかなり忘れてしまった。記憶も記録も弱い。うろ覚えで思い出をお話することになる(いろいろなことを言い過ぎないよう注意しながら)。
●
『あら、もう102歳』は、金原さんの暮らしぶりと思い出話が主要な成分。金原さんの多彩な魅力を味わってもらえる本になっていると思うので、未読の方はぜひ手にとっていただきたい。
が、しかし、じつは、ボツネタに面白い話がたくさんあった。なぜボツになったかといえば、著者・金原さんからOKが出なかったからだ。なぜOKが出なかったかといえば……と、こう書けば、察していただけると思う。「お恥ずかしくて、他人様には話せません」といったエピソードを、その場の勢いなのか雰囲気なのかひとくちのワインのせいなのか、インタビュアーには話してしまったということで、これは、まあ、私たちの役得だ。
話してみたものの、活字になり本になるのは憚れる、というわけで、昭和平成の享楽的悪徳的知性たる金原まさ子も、はたと戦前女性の恥じらいを思い出す瞬間があるということだろう。
ボツネタをここで紹介するとなると、金原さんから叱られそうだが、ひとつくらいは許されると思う。思い出しつつ、私の言い方で伝えるので、要領を得ないものにはなるが、私の一等好きなエピソード。
目加田男爵邸で催されるダンスパーティーで知り合った慶応ボーイと結婚。新婚旅行は関西方面。ふうつなら名所旧跡に足を運びそうなところを、おふたりは毎夜のように宝塚ダンスホールへ。
そのくだりは本にもあるかもしれないが、ボツになったのは、旅行先からご両親に宛てたハガキの内容だった。
手元にそのハガキの現物が残されていたので、拝読したが、これがもう、昔の映画か小説のようなのだ。夫君の文面のあと、まさ子さんが書いていたりする。宿に到着したときのちょっとした事件などが報告されているのだが、その筆致! 「世界が自分たち二人を中心に廻っている」感に溢れている。群舞の中心で、新婚の二人が軽やかに晴れやかに踊っているかのような筆致だ。
ぜひ、そのまま本に載せたい。ところが、金原さんからは「ダメ」。一度ならずお願いしたが、首を縦に振ってもらえなかった。
金原さんが、その葉書を、当時の自分たちを、恥ずかしいと思うのは理解できた。世界が意のままになるという甘い憶測。未来は輝いているに決まっているという楽観。若気の至りである。老いてのち振り返れば赤面するような若気の至り。しかし、それだからこそ、あの上気するほどに興奮した、どこまでも陽気な筆致は、とても美しかった。
●
句集『遊戯の家』に続く第4句集は、選句から並べ方、書名に至るまで、また制作・販売のスタイルまで、信治さんと私に一任してくださった。こちらがそう望んだからだが、金原さんは終始「よきにはからえ」と、女王のような寛容で鷹揚な態度を崩さず、完成に近づくに従い、うれしそうにうなずき、信治さんと私に微笑みという最高のご褒美を下賜せられた。
句集を編むのは楽しかった。信治さんもそうだったと断言できる。他人の句集を編むなど、おそらくこれが最初で最後のことと思って作業に勤しんだが、とにかく、句がいい、句が面白いのだから、楽しいのは当然だ。小久保佳世子さんが管理するブログに掲載された句を中心に句を集め、信治さんと私それぞれに選句し、両名が選んだ句はまず掲載決定。そこから徐々に増やした。
句を並べたのは信治さん。季節の順序ではなかったので私はややとまどったが、結果的に、最良の並びになった。全体の構成やデザインの趣向を相談し、句集はじょじょにかたちになっていった。書名『カルナヴァル』が信治さんの口から出たときは、1秒とかからず賛意を表明した。やがてデザイナーさんが決まると、デザイン事務所にふたりで何度か足を運んだ。金原さんの第4句集『カルナヴァル』の編集部分には、信治さんのセンスと見識とひらめきが大きく貢献している。私は実務の隙間を埋めていった感じだ。
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金原さんとは、数年間の短いお付き合いでしたが、愉快な時間をたくさんいただきました。私は物忘れがひどく、人の顔を憶えません。なのに、金原さんの、ときに人なつっこく、ときにいたずらっぽい目は、いまもはっきりと思い出せる。きっと魅了されていたのですね。
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追悼 金原まさ子さん 「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」 上田信治
追悼 金原まさ子さん
「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」
上田信治
「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」と言っている俳人がいるので、その人について文章を書いていいかという連絡を、北大路翼さんから受けたのが、金原まさ子さんの名を聞いたはじめだった。
句集『遊戯の家』が出た年だ。
編集一同、異論なくOKした。いや「週刊俳句」は持ち込み歓迎で、だいたいOKなのだけれど、なにしろ翼さんの持ってくる話のスジが悪いわけはない。
『遊戯の家』を読んで、あ、これは「事件」になるかもと思った。耽美なんだけど、辛気くさくなく、ひどく楽しげで、今井聖さんのつけた「九十九歳の不良少女」という惹句もあわせて、ポップでキャッチー。この人、サイコーだなと思った。
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句集が出るタイミングで、北大路さんがもろもろ発案されたのかも知れないけれど「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」は、いかにも金原さんの言いそうなことだ。
百歳の人が、なんて俗っぽくて格好いいんだろう。あの方は、俗っぽくあることを、楽しんでいらしたように思う(毒舌家で、噂好きで、男女関係の話とお金の話が大好き)。
なにかの権利のように、そう振る舞われていた。
いくら俗なことを言われても、ご本人に人間関係についての欲がないから、いわゆる俗物にはなりえない。どころか、ますます超俗的。年の功でもあるでしょうが。
一人遊びの方でしたから。
句やご自身に関心をもたれることは、きっとお好きだったと思うけれど、きっと、それは、その日、気分が華やげば嬉しいということで。
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2012年に、小久保佳世子さんから金原さんのお誕生会にお誘いいただく、というかたちで実現したのが「101歳お誕生日インタビュー」だった。
プレゼントはお花にしようと、朝イチで地元の花屋をまわったけど、思ったようなのがなかったので、新宿で黄色い薔薇を11本買った。花屋の人に「101歳の女性に誕生日プレゼントなんですよ」と言って、驚かれたりほめられたりした。
インタビューは、びっくりするほど上手くいった。
「街」に掲載されたエッセイから、戦前に華やかな青春時代を送られたことは知っていた。「春燈」「草苑」の頃の句集を二冊お借りして読んで、はじめはまだ手堅く、晩年、奔放に素質を開花させた書き手だということは知っていた。
でも、まあ、あんなに、人生が面白くて、思想が面白い人だったとは。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/101.html
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そこから先は、句集『カルナヴァル』(あれ、著者買い取り分はあったけど、自費出版ではないのですよ)、エッセイ集『あら、もう102歳』、「徹子の部屋」出演と、あれよあれよだった。
取材の申し込み等多々あり、金原さんをだいぶ疲れさせてしまったけれど、面白がっていただけたと思う。
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エッセイ集の取材中。
金原さんが美しいと思われる男性についてうかがっていて、あのとき、金原さんは、山中伸弥教授のルックスを絶賛されていたのだけれど、その部分は原稿から削除されてしまった。
「あの神様のような素晴らしい方を、汚すことになりますから」
と。
その言われようも、金原さんらしいなあと。
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金原さんのお葬式でお経をあげていたのは、ごく普通の(ちょっと泥鰌に似た)おじさんのお坊さんだったので、金原さんは、そこだけはご不満だったかなと思った。ご不満ついでに、すごい美僧が集団でなぜか××と××しつつ読経などと、想像して楽しまれるのではないか、と思った。
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針金の輪つかの上の菊の首 『弾語り』
春暁の母たち乳をふるまうよ 『遊戯の家』
朴散るたび金貨いちまい口うつし
薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ・マルコ
猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 『カルナヴァル』
わが足のああ耐えがたき美味われは蛸
雲の峯まっしろ食われセバスチャン
金原さんはほんとうに面白い人だったけれど、たとえばこれらの句は、もう「あの面白い人が書いた」という「あの人」性を超えて、悪趣味の抽象化、バッドテイストの普遍的な美、と呼ぶべき状態に達していると思う。
これらの句を自分は記憶し、語り継ぎたいと思っています。
●
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『カルナヴァル以降』250句 金原まさ子
『カルナヴァル』以降250句
金原まさ子
「金原まさ子百歳からのブログ」抄(上田信治謹撰)
2013/1
雪女よ朱い爪皮の下駄で来たのか
大脳に火熨斗をかけてどうするのだ
狼いっぴきいま下さいかならず返す
鍵穴にちょろぎを詰める粛々と
空家ですが雪女三人躁の
ほうれん草乱入肉挽器困る
魚がうたう夜だよ黄色い洋燈だよ
書割りの森ゆく一番星刺しに
2013/2
憑く力失せて揚羽は行方不明
コルク張りのへやで黙秘のヒヤシンス
最高だチョコ持って佐助が不意に
反芻(にれか)むよ陽や風やタンポポや酢や
トヘトヘトーレ夜っぴてサンバでトヘヘロトーレ
2013/3
「おれのものだ」としゃべるインコよ春満月
躙り口からきしゃごきしゃごと出てゆけり
しゃこしゃこしゃこと蝦蛄があそべり砂まみれ
春月やきれいなめすおすだけ眠れ
初蝶を瞶たるばかりに盗汗この
共に死のうと赤貝と菜の花と
手ざわりがさかな匂いが蘭の花
2013/4
こめかみで眠らないでよ春の蛾よ
あつまって蝶を食おうよ見ず知らず
朧夜の切りたての耳ならぶ出店
めくれ春風美童ハラキリ図絵ですよ
ウェットティッシュ百箱うかぶ春の海
2013/5
連翹をかきむしりきれいな病人
藤がじぶんを白い足だと思いこむ
不眠の金魚 金魚玉の底あるく
跨ぐならしづかにすいかずらの垣は
バラ風呂に首ひとつ浮き向うむき
藤棚や身代り人形吊り下がる
2013/6
くらやみ祭へきらりきらりと蝶連れて
「ミシマー」と叫んで水飲むインコ夏あかつき
白い目のあれは花蒜のお化けよ
白桃をほうって遊ぶ父と母
芽吹きの森シャンパングラスが足りないよ
2013/7
赤唐辛子食いちぎられていたんだよ
夏のすみれは毛物のにおいしておりぬ
草蜉蝣のあらそう音や奥座敷
「類」が吹く塚のうしろで草笛を
足ふかく挿し入れ多佳子忌のタンゴ
2013/8
ぬらりひょん(滑瓢)と昵懇のはは猿酒出す
葡萄畑と思ったのに耳が生(な)っていた
童貞老い白さるすべりの家に住む
月光のアロハの老婆立ち漕ぎの
「あのね」ではじまるひとりごとふたくち女の
ずたずた熟れの無花果を舌ごとみじんぎり
かくしカメラが海月の足につけてある
ぽろりと耳が七味と葱を用意せよ
マグロのトロの裏側も診て口腔科
2013/9
ストローで臍から神を吸いあげる
百合截ってほかにもなにか切りたい日
ああ絢爛そらいちめんの桜えび
愛憎のまなこを萩へぬらりひょん
秋蝶を殺っていません白い昼
月の夜を鈴つけて男すぎゆけり
歯がまっしろ号泣のカンナの口
赤鱏のおなか見たのは偶然よ
「いいーだ」とおはぐろの歯でいちじくは
折りたたまれてららら秋の蛇抽斗へ
なまぬるいけもの道だな蛍とび
わらいたくて白曼珠沙華声を出す
2013/10
「朕惟フニ」と唱えザボン酒をのむ秋ぞ
納屋をあけるとずぶ濡れの蚊帳がいた
じんじんと秋夕焼の共喰いよ
月光が熱いあついと泥の蝶
胸の穴に刃をさし込んで虹を見に
桔梗が憑くので胸いっぱいに青い痣
相席の梟とおなじパスタ食う
月へ向きひとりあそびの金蠅は
焚火のなかで溺れているのは小指だな
2013/11
酢で食うと云えば山女は取り乱す
いちじくの木に鬼いてサイレンが鳴っている
菫挿しやすしたて長の臍なので
異母弟と海へしぐれの人力車
異母妹がころぶ玄関石蕗の花
抱擁の父子よ厚物菊の前
ずぶずぶと麦とろを食う星月夜
イエス想うとき狼の毛の代赭色
顔が変!部屋通りすぐ葱の精
片腕をはずして抱いている月夜
繃帯をひきずってゆく野菊道
2013/12
いましぬとむこうもふゆかサムゲタン
階段に蜜を垂らすな舌がくる
上体を反らすと冬の卓袱台が見える
こらえきれずに酢牡蠣を食うよストーカー
赤いバケツがなぜあちこちに茸山
烏賊の血で書くから青い誤字脱字
主の胸にヨハネはもたれ星は瞶て
来世など指鉄砲でうつ梟
冬の金魚といのちをあそぶ時間帯
雪の夜の痴れ虫となり徘徊す
絨毯にくるんで私が捨ててある
震える神口いっぱいの雪虫嘔き
あさってからわたしは二階の折鶴よ
2014/1
脳のような白いケーキとエスプレッソの店
目は水で唇は水銀で濡れる冬
鯛の海へマンジョウミリンどばどばと
お入りようす味の鳩肉の店ですよ
雪椿は木に縛られて咲くのです
冬ふかく裏二階へゆかねばならぬ
雪が来る梁に吊るされ漢の手
闇汁から眼球ひとつ煮こぼれて
見えるので葱のむこうを視てしまう
留守番のアンドロイドへ鰭酒を
2014/2
春分のああガチで雪の降ることよ
紅梅と紙のおむつをちら見かな
隣家からさびしい芹がかおを出す
お煮付のキンメは麿赤児のよう
化粧してトナカイの肉食べる会
おんなことばや菜の花和えを箸の先
金鳳花たべちらかして髑髏かな
蛇山がわらう麓がしんとする
2014/3
たとえばきみ左手呉れと云われたら
うつぶせに寝るなら春の水の上
小鳥死んだら春夕焼と入れかわれ
白鳥は皮ブルゾンと同じ香(かざ)
山羊の脳入りカリースープをイエズスと
春の月ゆらりと象の鼻ピアス
なめくじ逃亡塩ふりはらいふりはらい
酢につけてから虹を食う姉・妹
2014/4
星踏んだらし土踏まずの青痣
霊界行バス白い椿で満席よ
永き日のまだ魚でなく鳥でなく
緋桜の前で「頼もう」と云うてみよ
蜜蜂が歯痛しつうと云うてくる
牡丹園あゆむサスケと白い雲が供
2014/5
空蝉をゆさぶっている笑いかな
ボーダー着て縞馬に乗る女かな
主に瞶られ鯛の目すくう舌の匙
あれは蛍が水飲む音か又は姉が
画鋲ばらまかれ月光の通りみち
2014/6
扉のない部屋から天道虫出てきたよ
好(よ)ござんすか影ごと小鳥埋めても
蟻地獄を弄(あそ)んでおれば音楽が
心得てパセリ出てくる時と場所
舌まっくろでサクランボのせてキリンは
鎖骨のくぼにリキュール黒揚羽のため
2014/7
パン切り俎の上でかまきりの自刃
はっ!老人がHO^KEIだ関節人形展の
ほんとは人ではりがね虫ではないのです
西瓜だすいかだと泣き西瓜割るおとこ
2014/8
霧濃くて噛み切られたガラスのマドラー
ラストオーダーはモロッコインゲンと臍の炊いたん
2014/9
びいどろ屋のまひるの小火に異存ある
巫山戯るなと書いてから縞蛇を縛る
酢水雲を司祭と啜るこの世かな
夕顔にさっと血しぶきそれを活ける
おまるお通りうす黄の水に伽羅沈め
千切り食う肉切れ月下の美人たち
ノックして逃げ焼栗を買い戻る
戸袋のなかの起き伏し月光夫妻
老人がだきついている石榴の木
2014/10
風のいちじく見にゆく途中すこし変
露地ふかく秋の男の朱鼻緒
2014/11
ひとつお取りよ今夜は星をばら撒くから
おっぱいに痴れ痴れて寐る赤子かな
これは産道の黄よ公孫樹並木の黄
ハミングの男がふたり鹿になる途中
白椿落ちて腐っても着衣で
昼風呂に誘うときムササビのしずか
2014/12
エイはミタ目をあけたまま眠るから
女郎花の根元はわけがわからぬよ
白玉がのどに詰まっている月夜
2015/1
元日の花屋の小火に異論ある
きれいなうそ寒夕焼を刺したこと
鶴のこえして七草のなかぞらよ
お仕置というよろこびかあんこうは
葱提げてネクロフィリヤの姉妹かな
赤い雪降りかぶりたし裸身にて
凍蝶を洗いたいのよ寒月光
凍蝶のいまわは真赤な舌を見す
2015/2
血圧ゼロうすいむらさきクロッカス
MRI出て食う蟹の脳神と
蝶の目のきらっと熱が九度三分
2015/3
春・水銀の珠もてあそぶおんなかな
しづけさや菫が浴びる神のしと
溺れつつ顔あげる度酢牡蠣かな
桜鯛の片身をもらう夕焼も
水底で唄っていたよ鸚鵡なら
2015/4
夜桜が咥えているのは白ねずみ
少年を食べつくす群らがって蝶たち
内科クリニックへ鱏を同伴花月夜
朧夜の小部屋に忘れ耳ふたつ
月光で洗う水蜘蛛のまはだかを
2015/5
五月の夜で兄を視ている弟よ
魂で生きよ夕陽で赤い蓑虫よ
2015/6
クローゼットのほの暗さこそ百合二本
月曜日の朝ですブランコに義手が
黄揚羽の舌ひるがえる階段よ
赤い斧提げて花屋へ修司の忌
2015/7
不安なので新じゃがが煮崩れている
2015/9
はつあきの腿青猫がのせてある
片腕は黄泉へさしこみ石榴の木
かねこさんをかるくいじっている満月
2017/2
西洋葱の青い所でハルポといる
一本葱は傷だらけ二本葱は共狂い
絶版が積まれびらんびらん真赤だ
讃えよああ花魁草の風ですよ
春昼のほとけの嵩をはかるかな
2017/3
まっしろのほとけの嵩のおそろしき
指切りの指ではないか春の小川
桜の森だよピンクな浮腫の下肢百本
絵蝋燭神たちからだ汚しあう
逆流性食道炎あら指が
2017/4
月光の黄ちちくびの黄菜畑の死
蝶の筥へ三日月が忍びこむ
死にたてよ八重桜きて包みこむ
【ブログ終了】
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「らん」62号
ざくろ酒
完熟のザクロ酒姉をのみつくす
ああこれは天使魚の盗汗の香
ハッカパイプ拾う書割りの街で
牡丹割き隠れ座敷の三客人
蚕豆の莢を出入り木霊かな
月光がでで虫を抱きだきころす
ウエットティッシュ百箱うかぶ春の海
ゆく春の毛ものいちにち毛づくろい
ウォッカとくさやと津軽三味線と
豹柄の老斑湯漕に棒立ちよ
キッチンに柳の精はもういない
ひざまずき接写菫が脱ぐので
魚が歌う夜だよ赤い洋燈だよ
不味いか美味いか抽斗のするめいか
ユダ恋うとき狼の毛の代赭色
くらやみ祭この手ざわりは神か
疾走の蛇に飛び乗りとびさりぬ
「豈」56号
おためし小皿料理
紅梅と赤子のおしり見較べる
絨毯にくるんで私が捨ててある
山羊の脳入りカリーゴートをイエズスと
夜の桜裸形を洗うしごとかな
鼈にすっぽんスープ飲ませおる
舌で拭えくちびるのマスタードと韮は
藤はじぶんを白い足だと思いこむ
スパゲッティボンゴレビアンコそれできまり
翅たたまずに眠る初蝶きのう破瓜
ピュアペイスト匿すとすれば雪間かな
人のかたちに砂掘っている月夜の子
あさってからわたしは二階の折鶴よ
シナリオのはじめは麦秋の外厠
見えるので葱のむこうを視てしまう
骨色の牡蠣を酢で食い兄・弟
主従という焼リンゴと皮の部分
ウタマロのタトゥー全開斑雪野ゆく
ことんことんと海鼠が階段おりている
春陰の綴じ目綴じ目のかんぜより
月濡れの花茣蓙よおいしゃさまごっこの
朝日新聞「あるき出す言葉たち」
煌々と
煌々と爪切っており象の爪
そのドアではない嵯峨菊の寝所は
墜ちてくる秋蝶すばやくラップせよ
酢もずくのような水ぐもが皿の上
通花火父のかたちがうしろより
血が軽い赤子と虎の皮に寝て
昼月よくらげが溺れている海よ
木守柿盗人指紋消してある
星踏んだらし土ふまずの青痣
イエズスとユダを沈めて大花野
芒野にいて躁のひとといるような
チャイム鳴るまで緋烏瓜の揺れは
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俳句読者・金原まさ子さん 佐藤文香
俳句読者・金原まさ子さん
佐藤文香
ゴマ粒ほどであるが、私は金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』に協力した。 なんのことはない、P33の〈ラフレシアの奥へ奥へと「翼さん」〉という句の下にある、北大路翼の写真を提供したというだけである。
それもあってだったか、金原さんのご自宅近くで行われた『カルナヴァル』句会に参加させてもらった。今見返すと句集の奥付が2013年2月12日、句会は23日だった。ほかの方や金原さんがどんな句を出したか、それはどこかにいってしまったが、Gmailを検索したところ、私はこんな句を出していた。
白梅のスウプに垂らすみことのり
孔雀は孔雀に出逢ひてそれを鏡と思ふ
一応、どちらも金原まさ子オマージュのつもりであった。
その日の写真のアルバムが出てきたのでリンクを貼っておきます(≫こちら)。
「徹子の部屋」の観覧にも参加させてもらった。これは同じ年の8月13日(火)13:30から。六本木のテレビ朝日まで師匠池田澄子を連れていくという役目で、澄子さんとふたりで同じ丸ノ内線に乗り合わせて行った。
金原さんが徹子さんと何をしゃべったのかは思い出せないのだが、あのときの金原さんの顔ははっきりと思い出せる。私はずっと金原さんの顔を見ていたようだ。
私にとって、その人が100歳以上かどうかなどは関係なく、面白い作家だと思ったのだが、なにしろ年が離れているので、どれくらいの敬意で接していいかわからなかった。加えて、私は文学少女が苦手で、それは何も読んでいない私のような人間のことをつまらない人間だと思うだろうという勝手な思い込みからなのだが、だから金原さんに好いてもらえる気があまりしなかったというのが、本当のところである。ただそれはすべて、金原さんにはバレていたような気がする。金原さんも、私を少し怖がっていたようだった。
ともあれ、「街」会員でもないのに二度のイベントに参加させてもらえて、ラッキーだった。このときのメンバーのなかでは、私が最年少だ。金原さんは当時102歳、私は27,8歳。仕事があまりなくて平日悶々と過ごしていたころ。辛い時期だったけれど、金原さんと同じ空間に存在したという事実があることは、今となっては何にも代えがたい。
目かくしの土竜の指の花の香よ 金原まさ子『カルナヴァル』
嚙んで吐けば檸檬の皮の黄やけわし
わが足のああ堪えがたき美味われは蛸
それ以後も、金原さんからは創刊した「クプラス」へぽち袋をいただいたり、関悦史さんの出版記念パーティーの幹事をやって関さん宛のお手紙を預かったりと、ありがたく思っていた。私はいつの間にか、金原さんのことを、一級の俳句読者として信頼するようになっていた。金原さんの享受者としてのミーハーさは、俳句という詩のありようと、非常にマッチしていたと思う。
「金原まさ子百歳からのブログ」2017年4月7日に更新された「ブログ終了のお知らせ」に、「今後は皆さまの句集、ブログ、ツイッター等の読者として俳句を楽しんでゆきたいと思っております。」とあり、最高じゃんと思った。私は、金原さんに読んでほしい本をつくっていたからだ。若手の俳句アンソロジー『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)である。金原さんには、まずお送りしようと決めていた。いつものように、きれいな字でお手紙をいただく想像までしていた。でも、金原さんは、6月27日に亡くなってしまった。あと2ヶ月早く出来上がれば……。
私は俳句の外の世界へ『天の川銀河発電所』をアピールすることに決めているので、きっといま金原さんがいる世界へも、届いてくれるはずだ。そして、金原さんの作品やお人柄が開拓した俳句読者の皆さんにこそ、この本を読んでいただきたいなと思っている。
ああみんなわかものなのだ天の川 金原まさ子『カルナヴァル』
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2017-07-30
反人生的領土 小津夜景
反人生的領土
小津夜景
金原まさ子については、二回ほど文章を書いたことがある。ひとつは「ヘテロトピアとその悲しみ 金原まさ子『カルナヴァル』を読む」で、もうひとつは「バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら)」というもの。
上記の文章では言及しなかった金原作品の面白さに、煩悩の光景から〈社会性〉を連想させる事象が入念に取り除かれている、といった特徴がある。この〈社会性〉の欠如はすなわち〈義〉の不在を意味してもいるのだが、そのことによって肝心の煩悩があたかも無疵なままのきらめきを放っている様子はきわめて見事だ。
金原作品におけるひとつの達成とおぼしきこうした〈煩悩の救済〉は、本人の明るく逞しいストイシズムに支えられるところが大きい。どんな人間にも告白を憚る(或いはひとたび告白してしまえば、あまりに凡庸かつ物語的な)生々しい人生がある。そして彼女もまた、そんな有限的日常から、彼女自身の精神の広がりを示す〈反人生的領土〉を言葉によって守り抜いた禁欲的夢想家だったにちがいない。
●
ところで最近、まさ子さんの人柄を偲ぶにふさわしいと思われる出来事があった。
話は私事になるが、今年6月、ひょんなことから「夜景さんの『フラワーズ・カンフー』の出版ならびに田中裕明賞受賞を祝う会をやりましょう」と言う方々が現れた。ついては案内状の送り先を大まかに相談したいとの連絡を受け、わたしは「失礼でなければ、金原まさ子さんに」とお願いした。
返信は早かった。曰く「106歳の体調により欠席。残念。当日は花束をお届け。よろしく」うんぬん。
しかしその半月後、まさ子さんは帰らぬ人となった。
そこからさらに半月が経過した頃、「祝う会」の幹事のもとへ一枚の葉書が舞い込んだ。差出人はまさ子さんのご息女の植田住代さん。文面にはまさ子さんの逝去の報、生前のまさ子さんが日頃仰っていたという小津への過分なる称賛などが綴られ、さいごは、母にかわりまして娘の私がお花をお送りしたく存じます、と結ばれていた。
おかげさまで「祝う会」は盛況だった。会場中央のカウンターに置かれた花は皆に心から喜ばれ、またそれぞれの感慨をもって眺められたことと思う。祝宴の後日、まさ子さんのブログの管理人でいらした小久保佳世子さんからメールを頂戴したので、その一部を紹介したい(転載はご本人による了承済)。
娘さんの住代さんによると、フラ・カンのパーティのお知らせは金原さんにも届き、参加は無理でも「お祝いのお花を、お花をお贈りしたい!」と強く言われていたので、お知らせが届いたころ早くからお孫さんの佳代子さんのお友達の花アレンジを予約されていたそうです。
いかにも金原さんらしいご配慮で、パーティには金原さんがお花になって参加されていると思ったのでした。
(……)ぎりぎりまで小津さんの受賞をお祝いし、お花のプレゼントを用意される金原さんは、正に
春暁の母たち乳をふるまうよ まさ子
そのままですね。
祝宴の夜、2次会を終えて神楽坂の宿に戻ったわたしは、リビングのテーブルの上をきれいに片づけ、そこに頂戴した花籠を置いた。
まさ子さんから贈られることとなった、おそらく最後であろう祝いの花。眺めれば眺めるほどご本人の要望が伝わってくる、とてもチャーミングなアレンジメント。
さまざまな赤のひしめく、襞と闇とをたっぷり含んだその造形の素晴らしさに、わたしはあらためて目をみはった。そして、まさ子さんがわたし自身にとってかけがえのない作家であったことに、この時ようやく思い至ったのだった。
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金原さんとの文通 佐々木紺
金原さんとの文通
佐々木紺
俳句を読みはじめた最初の頃に、金原まさ子さんの「カルナヴァル」を勧められて読んだ。装丁や本文もうつくしく、読んでいると異世界に引き込まれるようで、大好きな本になった。
それから約1年後、私は仕事を辞め、晴れてフリーターとなった。たいへん暇になったので、当時ハマりはじめたBL俳句の雑誌を作ることにした。その際に大好きな「カルナヴァル」の作者に何かコメントを頂きたくて、駄目元で、幾人かの方を通じてお願いをした。
当初は別の企画を考えていたのだが、結局は、「BL俳句誌 庫内灯」1号誌上で、金原さんと文通させていただくことになった(その際に助けていただいた久留島元さん、週刊俳句の上田信治さん、本当にありがとうございました)。
憧れの人と(公開とは言え)、文通……!! 私の興奮をご想像いただきたい。たとえばアイドルにファンレターを出したらうっかり返事が来たようなものである。
文通は企画が終わってからも、ゆるやかなペースで2年近く続いた。とは言え、私たちの関係はけして双方向性のあるものではなかった。作者と読者、アイドルとファン、そういう関係を超えなかったと思う。
美しい字のお手紙が来るとその日1日、いやもう一週間くらい、とびあがるように嬉しかった。
*
金原さんの俳句を読んでいると、句が年齢を重ねるほどにどんどん自由になるのが分かる。より濃く、より色彩豊かに毒々しくひらいてゆく。「遊戯の家(2010年出版)」とそれ以前でもそうだし、「遊戯の家」から「カルナヴァル(2013年出版)」の間にも、さらに飛躍がある。
彼女の句が最後に色を変えるのは、2017年2月のブログの更新からだ。死や病を意識した句、自分に近づいた句が多くなる。しかしその書きぶりは、病に囚われそれをテーマに据えるのとはまた違う。生と死の間を軽やかにゆききしながら書かれたような色彩の句たち。
絶版が積まれびらんびらん真っ赤だ
「びらん」は絶版の書物が風にそよぐ音であり、粘膜の糜爛のただれた赤さでもあるだろう。絶版の書物はもう二度と増えることはなく、ここにあるものが全てだという閉塞感が漂う。それにしてもどの頁も真っ赤な本が積まれていて、てろてろと風に吹かれていたらと思うと、だいぶ怖い。
晩春の甘酸っぱい小指のピクルス
逆流性食道炎あら指が
桜の森よまっしろな浮腫の足百本
肉体はばらばらになり、そのうち自由に遊びはじめる。桜の木に混じって乱立する柔らかな白い脚だったり、ピクルスになりたがる小指だったり。うっかり誰かの食道にひっかかったりもする。
死にたてよ八重桜きて包みこむ
ふわりとした質感。死んだばかりの身体はすっと小さくなり、幾重ものうすいピンクの花弁に閉じ込められる。肉体がやすらかに花に戻る。
*
手紙に、リア友ひとりもいません、と書いて来られた金原さんだが、きっとたくさんの人に愛されていたのではないかと思う。お会いすることはなかったが、文面から感じられた彼女は、少女のように素直で激しやすく、愛も怒りも深いひとだった。
生と死は地続きだ。
だから私たちは必ずそこに行く。
いつかお会いしたら、たくさんお喋りしてたくさんケンカもしてみたい。
ね、金原さん。
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金原さん、そのうちどこかでお会いしましょう。 関悦史
金原さん、そのうちどこかでお会いしましょう。
関悦史
これは他にも何人かの人が同じエピソードを書くことになるのだろうが、去る7月22日に、小津夜景さんを囲む《『フラワーズ・カンフー』を祝う会》に行ったら、会の終わりに贈呈用の花束が出てきて、それがなんと金原まさ子さんからのものだったので会場から嘆声があがった。「かっこいい」との声もあった。金原さんご本人はもちろんこの会が催されるひと月近く前の6月27日に亡くなっている。その前に手配されていたわけである。
5月にあった私の出版記念会にもお祝いをいただいていたのだが、金原さんからは、こちらが句集評や鑑賞の類を書くたびに、感激もあらわな手紙や、ワイン、食品などをいただいていた。他にもそういう人は少なくなかったようだ。私が最後に送っていただいたのは冷凍の参鶏湯ではなかったか。と、思って句集を見返したら、『カルナヴァル』のなかに《参鶏湯沸々「鉄の処女」ひらく》なる一句があったので、お好きだったのかもしれない。
こちらが金原さんの娘さん宛にメールを出すと、ネットを見ることはできる金原さんから手書きの手紙が来るというかたちで、私とのやり取りは行われていて、結局、生前直接お会いすることはなかった。全然そんな気がしないのだが。私のツイートなどまで追っていてくださったようである。
電話は何かの折に一度さしあげたことがあったが、当時もう突発性難聴(普通若い人に多い病気らしい)が出ていたので、受話器ごしでも、途中からこちらの声が聴きとれなくなってしまった。
手紙が毎回面白くて、去年12月にもらった手紙では、最近書いたという略歴が同封されていた。「現在105歳10ヶ月だが、104歳までは不感だった加令現象に悩まされている」などとあって、この人の身体はどうなっているのだと吃驚したが、その「加令現象」が出始めた翌年、ついに亡くなってしまった。もう金原さんについて何を書こうが、手紙は来なくなってしまったわけである。
ご本人のキャラと存在が際立っていたゆえの人気でもあったが、今後は句を語りついで残さなければという話に、フラカンを祝う会の会場でなった。何度も何度も繰り返し引っぱりだし、語りついでいかなければ、いかなる句でも残らないのである。
取り急ぎ、『遊戯の家』と『カルナヴァル』から各10句引く。本当はもっと引きたいのだが、絞らなければ印象が拡散するばかりなのでこの程度にとどめる。
『遊戯の家』
春暁の母たち乳をふるまうよ
細螺(きしゃご)になった水やりを忘れたから
焼却炉より鱶のかたちが立ち上る
宦官がゆくよ糞ころがしが蹤くよ
金魚玉透かすとマチュ・ピチュが見える
両性具有とは蓴菜とじゅんさいの水と
永遠の愛誓いて兜虫差し出す
たあと叫ぶ尺蠖が向き変えるとき
片仮名でススキと書けばイタチ来て
薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ・マルコ
『カルナヴァル』
ああ暗い煮詰まっているぎゅうとねぎ
ひな寿司の具に初蝶がまぜてある
ヒトはケモノと菫は菫同士契れ
猿のように抱かれ干しいちじくを欲る
エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く
炎天をおいらんあるきのおとこたち
「ユリイカ臨時増刊悪趣味大全」秋の暮
わが足のああ耐えがたき美味われは蛸
別々の夢見て貝柱と貝は
蝋燭の火が近づくよ秋のくれ
私もあの世に行ったら金原さんと初対面を果たすのかもしれないが、天国に行っているのか、地獄や煉獄をも天国と思ってそちらの有象無象で遊んでいるのか、作風からすると判別しがたいので、両方探して回らなければなるまい。
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金原まさ子 週俳アーカイブ
金原まさ子
週俳アーカイブ
●金原まさ子 セロリスティック 10句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/05/10_26.html
●金原まさ子(金子彩) 十七枚の一筆箋 17句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/click-photo-to-view-bigger-one.html
●金原まさ子 千代田区麹町六丁目七番地
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/1.html
●金原まさ子断章
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/2.html
●金原まさ子写真館
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/blog-post_05.html
●金原まさ子さん 101歳お誕生日インタビュー
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/101.html
●金原まさ子さん 103歳 お誕生会
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/02/103_9.html
●小久保佳世子 金原まさ子とは
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/blog-post_3425.html
●北大路翼 指一本の遊戯 金原まさ子句集『遊戯の家』を読んで
●関悦史 悪戯の紋章学 金原まさ子句集『遊戯の家』
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/01/blog-post_27.html
●柳本々々 あとがきの冒険 第1回
太宰・入会・未来 金原まさ子『遊戯の家』のあとがき
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/1.html
●関悦史 足が美味な蛸としての私
金原まさ子句集『カルナヴァル』
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/02/blog-post_17.html
●小津夜景 へテロトピアとその悲しみ
金原まさ子『カルナヴァル』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/10/blog-post_7385.html
●小津夜景 バッド・ガールへの道のり(ミート・ローフを食べながら)
http://hw02.blogspot.jp/2016/11/500_26.html
●近恵 いくつか節穴が
金原まさ子句集『カルナヴァル』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/03/blog-post_17.html
●藤幹子 この振れ幅が催眠術の振り子となって
金原まさ子『あら、もう102歳』
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/08/102.html
●相子智恵 月曜日の一句〔金原まさ子〕
http://hw02.blogspot.jp/2013/02/blog-post_18.html
【リンク集】金原まさ子
http://hw02.blogspot.jp/2013/09/blog-post_6386.html
【評判録 on twitter】金原まさ子句集『カルナヴァル』
http://hw02.blogspot.jp/2013/03/on-twitter.html
【評判録】金原まさ子『カルナヴァル』
http://hw02.blogspot.jp/2013/04/blog-post_6.html
【評判録】金原まさ子『カルナヴァル』〔続〕
http://hw02.blogspot.jp/2013/11/blog-post_10.html
【評判録】金原まさ子句集『遊戯の家』
http://hw02.blogspot.jp/2010/11/blog-post_16.html
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金原まさ子に死は似合わない 小久保佳世子
金原まさ子に死は似合わない
小久保佳世子
電話が鳴り、「あっ!来た」とわくわくしながらファクスを受け取り新しい俳句を見ては「わー凄い!」といつも驚かされていた、あれは確かに金原まさ子(敬称略)との蜜月の日々でした。
私が何故金原まさ子にブログを勧めたのか振り返ってみたい。
99歳で上梓した『遊戯の家』(金雀枝舎)編集のお手伝いでお会いしたのが、〈ナマ金原まさ子〉との濃い年月の始まりでした。何故か急激に親しくなり、「死んでも口外してはダメよ!」とびっくりするようなヒミツを打ち明けられたり、「コクボは清く正しく、だからね~」と突き放すように言われたりすることもありました。サービス精神とユーモアと毒がミックスされた金原まさ子の話術には、人をぐっと惹きつける力があり私はすぐ虜になりました。
東日本大震災後、金原まさ子は「俳句はヤメタ」と言うようになり、今思えば私はその言葉をストレートに受け止め過ぎたようです。その後、「そんなこと言ったかしら」ととぼけたりするので。
その頃の金原まさ子は『遊戯の家』を自らの集大成の句集として捉えていて、あれ以上の句集は出来ないと言うこともありました。もしあの凄い句集『遊戯の家』の続きが無いとしたら、それは何とも残念なことでした。
反面、俳句の新しい動きに敏感で、特に「週刊俳句」や「豈ウィークリー」は、熱心に読んでいて興奮気味で話題にすることも多かったのです。
私は金原まさ子は、ネットと相性が良いと直感しました。というより高齢者で好奇心の旺盛な人こそネットは必要と思うところがありました。
と言うのも、80代の後半からネットに親しみ、一人住まいの晩年を4人の子供たちと毎日メールのやりとりをしていた知人(池田澄子の母、偶々金原まさ子と同じ女学校に在籍)が、ぎりぎりまでネットのコミュニケーションを楽しんでいたことを素敵なことだと思っていたので、そういう気持ちが強くなっていったように思います。
その知人の場合は、キーボードもこなしていたけれど、100歳からはさすが無理なことなので、私が出来る範囲でサポートすれば可能なことだと思いました。
そして2011年6月頃、「ブログに毎日一句」を提案してみました。ネットの読者から発信者になるということは、流行に敏感な金原まさ子にとって魅力的なことだったと思います。俳句熱も再燃しどんどん句が送られてくるようになりました。それを曲りなりにも2017年まで継続させた力は紛れもなく金原まさ子の若さと好奇心に違いありません。正直、開設したもののブログ始まりの頃からすぐ終了の恐れがありました。100歳から毎日一句はハードなことに違いないと危惧したからです。しかし、それは杞憂でした。
金原まさ子は例外的な100歳だったのです。
送られてきた句の差し替えは数え切れず、それは金原まさ子が一句一句に決して手を抜くことがなかった証であり、私もだんだんブログ継続を当然のことと思うようになり、その更新作業はただただ楽しいものとなっていきました。
その後、ブログに載せた句を中心にした句集『カルナヴァル』(草思社)、エッセイ集『あら、もう102歳』(同)が誕生し、『カルナヴァル』は現代俳句協会賞特別賞を受賞します。
マスコミ出演、「豈」や「庫内灯」からも俳句依頼があるなどファンも増えてゆきました。特筆すべきなのは、これらの出来事がすべて100歳からのことだということです。
それまでにも金原まさ子ファンは居たに違いないのでブレークが遅すぎただけかもしれません。ただ、確かに金原まさ子は100歳からパワーアップしたと思っています。
棺に眠る金原まさ子は、ブログに掲載した106歳の誕生日の写真そのままでした。着物もあの着物です。「これは冗談よ!」とウインクでもしそうでした。
不謹慎なことですが不意に「金原まさ子に死は似合わない」と思いました。100歳から色んなことが始まったように、死から始まる金原まさ子がいるに違いないと思いました。
俳句史のみならず女性史に残るべき人だったと思っています。なんて、言ったら金原まさ子は「コクボはやっぱり何にも分かっていない、私は只のミーハーよ」って笑われそうですが。
分かりました。ヒミツは守りますから。さようならは言いません。
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金原まさ子という事実 池田澄子
金原まさ子という事実
池田澄子
最も最近の「金原まさ子百歳からのブログ」等によると、金原さんは貧血が酷くなったので二度、入院して輸血をなさったそうだ。症状が落ち着き明日退院という許可が出て、そのときお見舞いにいらしていたご家族たちに、ピースをしてサヨナラをなさって、その後、急変して逝かれたそうだ。
明日に帰宅したら、夕食前に快気祝いのワインを開けて、これは私の奢りよ!なんて仰って、乾杯している写真を撮ってもらい、それを娘さんから、あの人とあの人にメール添付で送ってもらおう、と多分思いながら、その後の日々に希望をもって逝かれた、多分。
人は、死が怖いのではなくて死を意識することが怖いのではないか。どんな死に方をするのか、それは痛いのか苦しいのかと思うことが怖ろしいのではないか。彼女は、あぁ清々した、明日は何をしようか、と今までの普段の暮しに戻ることを疑わなかっただろう。なんという幸せな逝き方。
こういう死に方が出来るのは、何かに選ばれた人だ。
初めて金原さんを意識したのはいつだったのかと考えてみて思い出した。金原さんの所属誌「街」から、同人作品評をお頼まれしたことがあったのだった。それは何年頃だったのか、調べれば分かるけれど調べずに、私のPCの「散文」というところを辿ってみたら、73号~75号となっていた。2008年かもしれない、が、確かではない。今更に恥ずかしいけれど、その部分だけをコピー・ペーストしてみようか。こんなことを書いていた。
(73号用)
ずうつとクラゲ皆既月蝕以後も 金原まさ子
なんと不思議な句。本当は全くの当り前である。「皆既月蝕以後」に、クラゲがクラゲでなくなったとしたら、それは大事件だ。ところが、こう書かれた途端に、この世の状況としての当然は裏返されて、クラゲがクラゲのままであるという当然が、呆然とする程の不思議に思えてしまう。言葉は時として巨大な魔物に豹変する。
(74号用)
空蝉を抱きだるくなる松ノ木は 金原まさ子
「松ノ木は」の「は」での終わり方は危ういので私は真似ない。また、これでよいものかどうかも自信がないと一読思った。しかし「だるくなる」で切れているのだった。あぁさぞや「だるくなる」ことであろう、と思われる。「緋目高の緋の純潔を護るべし」の緋目高は目高の改良品種らしい。もともと純潔を失っている品種。だからこそ「守る」でもない大袈裟な「護るべし」は悲痛な願い、かつ無理難題。
75号も書いているけれど、3号の毎回取り上げるというのもまずいかと、バランスを考えて遠慮したのかもしれない。
「草苑」創刊同人で、「草苑しろがね賞」「草苑賞」受賞、と句集の後記にあるので、知る人は知っていらしたのだろうか。「草苑」を読んでいなかったにせよ、私が俳壇に関心が薄かったこともあったにせよ、あまり表立って知られてはいなかったのではないか。ベツに知られていなくたって構わないことだけれど、それにしても。
その後、お手紙を頂いたりしてオトモダチになった。『遊戯の家』の書評も何処かに書いた。美しい行書と言ってよい文字で、でも力を抜いた崩れのないしっかりした美しい文字、美しくあることに心を寄せている真面目な性格を見せていると感じた。そう言えば、手紙は下書きをしてから書くのだと仰っていた。
実は私は、「私が見つけた名句」「私が見つけた人」ということに心躍るタチで、自分のことでは絶対に、痩せ我慢であっても絶対に人に擦り寄らないのだが、金原さんのことでは事あるごとに吹聴した。巷の話になるけれど例えば俳句雑誌関係、例えば、偶々関係したテレビ番組、例えば新年の俳句大会など、催しものに関わる度に、こんな人が居ますよ居ますよ、と騒いだ。失礼ながら、お元気な今のうちにという気持もあって気が急いた。
金原さんを見たことの無い人には、100歳を過ぎた女性と聞けば、いくらお元気で綺麗でと説明しても、絶対に想像が追いつかないのは当然で、どうも食指が動かないらしいのだった。偶々私が関わりのあった宝生あやこという女優さんが、その頃、何歳だったか90歳は越えられた頃、でも、きりりと美しく演技力も衰えていなかった。女優として見事だが生き下手で、処世が下手で、勿体なかったのである。
その頃、百歳の柴田とよ詩集『くじけないで』が売れていた。柴田さん、金原さんのトーク(金原さんは一緒にしないで、という好みの問題はあったが)、そして宝生あやこが、その二人の詩と俳句を朗読する、という特別番組を作ったら面白そう、などと本気で考えた。敬老の日の特別番組にはバッチリだ。
あぁ本当に、そういう番組が出来ていたら面白かったのに。と思いながら、吹聴しているイケダスミコ自体が地味で無名だから、今いち効力がないのは分かってはいたが。
その後、偶々「ユリイカ」の、確か「現代俳句の新しい波」とかいう特集号があって、そこで、佐藤文香と私の対談をさせていただいたので、そこでも話題にした。書影も載せていただいた。それはちょっと効果があった気がする。さすが「ユリイカ」である。
話が飛ぶけれど金子兜太さんとご一緒した折、兜太氏が心細そうなことをふと漏らされたので、こういう人もいらっしゃるのですから、もう暫く先生はお元気で居てくださらなければいけません、と憎まれ口をきくと兜太氏、ブログで何かやってるって人かい、そんな、とんでもねえのと一緒にされても困る、と苦笑していらした。
「兜太×まさ子」で何かパーッとやったら面白いに決まっているが、お耳のことが心配だったので、それは思うだけ。
そこで例のブログである。
今日の私は自慢ばかりしますので、不愉快な折はお読みくださらないように、どうぞ。
「街」の仲間で金原さんと特に親しかった小久保佳世子さんから、「100歳からのブログ」とかいうものを始めると聞いた。毎日、フアックスで1句を受け取り、それを彼女がPC上にあげるという。
そこで又、私のお節介癖がふつふつと湧いてきた。ねえねえ、1句をアップするだけじゃなく、折角あの美しい文字だもの、それをそのまま載せたらどう? そういうことが簡単に出来るならば。
その提案は大成功! と私は内心とても自慢に思いながら愉しんだ。そのお節介な案は、結果としてホントによかった。
自筆の「1句+身近なコメント」だけでも充分なところ、小久保さんの絵心が刺激を受けて花咲いたのだった。見事に素敵なセンスで絵や写真が添えられた。あれがなかったら、あれほど素敵な刺激的な1頁にはならなかったと思う。
あれは、「金原まさ子×小久保佳世子」のブログだった。それは両者にとって、予想以上の出来栄えだったのではないか。その二人の快感、羨ましかった。
あれもこれも、みんな本当にあったことだ。信じ難い本当のあれやこれや。金原まさ子さんという人が、106歳という日々を此の世に在って、此の世を眺めながら、ちょっとふしだらなことも考え、生き飽きずに、うっすらと笑みをたたえていた、という不思議な事実。私たち、確かに見ましたよね。
先程、『あら、もう102歳』を持ち出してきたら、
「池田澄子様
おはずかしさを怺え怺え
お目にかけさせて頂きまする
四月二十五日
金原まさ子拝」
と書かれた一筆箋が挟まっていた。きっと、そのようにして皆さんに送られたのだと思う。やっぱり明治生まれは違うなあと思った。うーん、淋しい。
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