2026-05-17
【樋口由紀子・一句逍遙】 大丈夫じゃなかった 池田澄子
樋口由紀子・一句逍遙
大丈夫じゃなかった 池田澄子
(「トイ」vol.17より転載)
まぼろしじゃないだいじょうぶじゃない 樋口由紀子
と書いた樋口由紀子さんが逝かれた。
明るいエネルギッシュな人懐こいあの人が逝った。彼女からのスマホのLINEを見ると、去年の十二月十二日、「寒くて季節の移り変わりについていけない。大人しくしています」とあって、一月二四日、風邪ひかないでね、と私が送ったあと、数通が既読にならなくなった。二月一四日の私の、「由紀子さーん」が最後。その頃、あの人は、中有に漂っていらしたのだ。
一九九六年、「豈」と「未定」の催しであったか「安井浩司を囲む会」で知り合ったと、私のメモにある。私、六〇歳。愉しく充実していた時代、大井ゆみこさんもその時に友達になった。
二〇一二年九月、「川柳トランプ」創刊記念会が大阪で開かれ、記念行事として樋口×池田の対談を依頼された。私たちは綿密に話し合いを繰り返し、その結果、対談用の台本と言ってよいものが出来た。人知れず周到に用意して対談に臨んだ、その当日、私たちは初めて話し合っているという形で、笑ったり驚いたりのお喋りをした。何を話したかは忘れてしまったけれど、そういう人だった、あの人は。例えば真面目に〈ブランコとジャングルジムの相違など〉を見定め、熱く話し合わなければならない人だった。
川柳と言えば私は〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉が強烈。そのような川柳を詠まなくてよい時代の有難いこと。現代の川柳は、作者が作者本人を眺めている、と言ってよいか、社会、其処の強者への批評とはやや異なるものが多い。我という一人間への批評。我を通しての人間の内面の考察を、さらりと呟く。時実新子の出現が川柳に関心を持った切っ掛けの一つだったとも話していた。世の殆どのことが大丈夫じゃなかった。自身の肉体も亦。
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2020-10-18
【句集を読む】かさばる 池田澄子『此処』を読む 小林苑を
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2017-07-30
金原まさ子という事実 池田澄子
金原まさ子という事実
池田澄子
最も最近の「金原まさ子百歳からのブログ」等によると、金原さんは貧血が酷くなったので二度、入院して輸血をなさったそうだ。症状が落ち着き明日退院という許可が出て、そのときお見舞いにいらしていたご家族たちに、ピースをしてサヨナラをなさって、その後、急変して逝かれたそうだ。
明日に帰宅したら、夕食前に快気祝いのワインを開けて、これは私の奢りよ!なんて仰って、乾杯している写真を撮ってもらい、それを娘さんから、あの人とあの人にメール添付で送ってもらおう、と多分思いながら、その後の日々に希望をもって逝かれた、多分。
人は、死が怖いのではなくて死を意識することが怖いのではないか。どんな死に方をするのか、それは痛いのか苦しいのかと思うことが怖ろしいのではないか。彼女は、あぁ清々した、明日は何をしようか、と今までの普段の暮しに戻ることを疑わなかっただろう。なんという幸せな逝き方。
こういう死に方が出来るのは、何かに選ばれた人だ。
初めて金原さんを意識したのはいつだったのかと考えてみて思い出した。金原さんの所属誌「街」から、同人作品評をお頼まれしたことがあったのだった。それは何年頃だったのか、調べれば分かるけれど調べずに、私のPCの「散文」というところを辿ってみたら、73号~75号となっていた。2008年かもしれない、が、確かではない。今更に恥ずかしいけれど、その部分だけをコピー・ペーストしてみようか。こんなことを書いていた。
(73号用)
ずうつとクラゲ皆既月蝕以後も 金原まさ子
なんと不思議な句。本当は全くの当り前である。「皆既月蝕以後」に、クラゲがクラゲでなくなったとしたら、それは大事件だ。ところが、こう書かれた途端に、この世の状況としての当然は裏返されて、クラゲがクラゲのままであるという当然が、呆然とする程の不思議に思えてしまう。言葉は時として巨大な魔物に豹変する。
(74号用)
空蝉を抱きだるくなる松ノ木は 金原まさ子
「松ノ木は」の「は」での終わり方は危ういので私は真似ない。また、これでよいものかどうかも自信がないと一読思った。しかし「だるくなる」で切れているのだった。あぁさぞや「だるくなる」ことであろう、と思われる。「緋目高の緋の純潔を護るべし」の緋目高は目高の改良品種らしい。もともと純潔を失っている品種。だからこそ「守る」でもない大袈裟な「護るべし」は悲痛な願い、かつ無理難題。
75号も書いているけれど、3号の毎回取り上げるというのもまずいかと、バランスを考えて遠慮したのかもしれない。
「草苑」創刊同人で、「草苑しろがね賞」「草苑賞」受賞、と句集の後記にあるので、知る人は知っていらしたのだろうか。「草苑」を読んでいなかったにせよ、私が俳壇に関心が薄かったこともあったにせよ、あまり表立って知られてはいなかったのではないか。ベツに知られていなくたって構わないことだけれど、それにしても。
その後、お手紙を頂いたりしてオトモダチになった。『遊戯の家』の書評も何処かに書いた。美しい行書と言ってよい文字で、でも力を抜いた崩れのないしっかりした美しい文字、美しくあることに心を寄せている真面目な性格を見せていると感じた。そう言えば、手紙は下書きをしてから書くのだと仰っていた。
実は私は、「私が見つけた名句」「私が見つけた人」ということに心躍るタチで、自分のことでは絶対に、痩せ我慢であっても絶対に人に擦り寄らないのだが、金原さんのことでは事あるごとに吹聴した。巷の話になるけれど例えば俳句雑誌関係、例えば、偶々関係したテレビ番組、例えば新年の俳句大会など、催しものに関わる度に、こんな人が居ますよ居ますよ、と騒いだ。失礼ながら、お元気な今のうちにという気持もあって気が急いた。
金原さんを見たことの無い人には、100歳を過ぎた女性と聞けば、いくらお元気で綺麗でと説明しても、絶対に想像が追いつかないのは当然で、どうも食指が動かないらしいのだった。偶々私が関わりのあった宝生あやこという女優さんが、その頃、何歳だったか90歳は越えられた頃、でも、きりりと美しく演技力も衰えていなかった。女優として見事だが生き下手で、処世が下手で、勿体なかったのである。
その頃、百歳の柴田とよ詩集『くじけないで』が売れていた。柴田さん、金原さんのトーク(金原さんは一緒にしないで、という好みの問題はあったが)、そして宝生あやこが、その二人の詩と俳句を朗読する、という特別番組を作ったら面白そう、などと本気で考えた。敬老の日の特別番組にはバッチリだ。
あぁ本当に、そういう番組が出来ていたら面白かったのに。と思いながら、吹聴しているイケダスミコ自体が地味で無名だから、今いち効力がないのは分かってはいたが。
その後、偶々「ユリイカ」の、確か「現代俳句の新しい波」とかいう特集号があって、そこで、佐藤文香と私の対談をさせていただいたので、そこでも話題にした。書影も載せていただいた。それはちょっと効果があった気がする。さすが「ユリイカ」である。
話が飛ぶけれど金子兜太さんとご一緒した折、兜太氏が心細そうなことをふと漏らされたので、こういう人もいらっしゃるのですから、もう暫く先生はお元気で居てくださらなければいけません、と憎まれ口をきくと兜太氏、ブログで何かやってるって人かい、そんな、とんでもねえのと一緒にされても困る、と苦笑していらした。
「兜太×まさ子」で何かパーッとやったら面白いに決まっているが、お耳のことが心配だったので、それは思うだけ。
そこで例のブログである。
今日の私は自慢ばかりしますので、不愉快な折はお読みくださらないように、どうぞ。
「街」の仲間で金原さんと特に親しかった小久保佳世子さんから、「100歳からのブログ」とかいうものを始めると聞いた。毎日、フアックスで1句を受け取り、それを彼女がPC上にあげるという。
そこで又、私のお節介癖がふつふつと湧いてきた。ねえねえ、1句をアップするだけじゃなく、折角あの美しい文字だもの、それをそのまま載せたらどう? そういうことが簡単に出来るならば。
その提案は大成功! と私は内心とても自慢に思いながら愉しんだ。そのお節介な案は、結果としてホントによかった。
自筆の「1句+身近なコメント」だけでも充分なところ、小久保さんの絵心が刺激を受けて花咲いたのだった。見事に素敵なセンスで絵や写真が添えられた。あれがなかったら、あれほど素敵な刺激的な1頁にはならなかったと思う。
あれは、「金原まさ子×小久保佳世子」のブログだった。それは両者にとって、予想以上の出来栄えだったのではないか。その二人の快感、羨ましかった。
あれもこれも、みんな本当にあったことだ。信じ難い本当のあれやこれや。金原まさ子さんという人が、106歳という日々を此の世に在って、此の世を眺めながら、ちょっとふしだらなことも考え、生き飽きずに、うっすらと笑みをたたえていた、という不思議な事実。私たち、確かに見ましたよね。
先程、『あら、もう102歳』を持ち出してきたら、
「池田澄子様
おはずかしさを怺え怺え
お目にかけさせて頂きまする
四月二十五日
金原まさ子拝」
と書かれた一筆箋が挟まっていた。きっと、そのようにして皆さんに送られたのだと思う。やっぱり明治生まれは違うなあと思った。うーん、淋しい。
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2016-08-21
祝 オルガン 池田澄子
池田澄子
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Labels: オルガンまるごとプロデュース号, まるごとプロデュース, 池田澄子
2016-08-14
【句集を読む】一日の次の一日 池田澄子『思ってます』の2句 西原天気
【句集を読む】
一日の次の一日
池田澄子『思ってます』の2句
西原天気
池田澄子句集『思ってます』(2016年7月/ふらんす堂)に、いわゆる池田澄子調が数多く並ぶなか(安定の品質)、一読後のいちばんのお気に入りはこの句。
日は雲の奥を落ちつつ大晦日 池田澄子
池田澄子についてまわる「口語」調でもなく、表立って洒脱(池田澄子句における賞賛の要素)でもなく、キャッチーにキュート(同前)でもないこの句が自分にとっての「いちばん」であることは不思議だが、句を好く、のに合理性はないから、この不思議を、自分で面白がっている。美味しさを二度味わうように。
そして、次の句、
元旦でありぬ起きるかまだいいか 同
まさしく池田澄子調。これを前掲句と並べて、三度目の美味しさ。
ある一日があって、明ければ、次の日。運良く目覚めれば、次の日。このシンプルな事実を私たちは生きている。俳句は、この「シンプルさ」をうまい具合に私たちの心に響かせ、伝えてくれるシロモノ。それを再確認させてくれる句集でしたよ、『思ってます』は。
※一般論で結末してしまいましたが、「一般」を受け止められるのが池田澄子句威力であり美点(へんな理屈だなあ、おい)。その意味では、俳句プロパー向けの異常価格2,700円ではなく、一般書籍として書店の棚に並んでほしかった本。
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2014-01-12
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む エッセー 季節はずれですが 池田澄子
【句集を読む】
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む
エッセー
季節はずれですが
池田澄子
八月十五日あのとき御昼食べたつけ 桑原三郎
句集『夜夜』(現代俳句協会刊)を読むことで、私の2014年は始まった。
「よよ」と読むのではない。「よるよる」と読む。「よよ」と「よるよる」は同じ意味だけれど、重さ濃さがちょっと違う。
行く人は必ずまがりあきのくれ
春の風邪うはくちびるは舐めやすい
そうだわ、何処かで必ず曲がるんだわ。私は憑き物が落ちたように、いや、憑き物が憑いたように呆然とした。
三が日は過ぎて一応の日常に戻ったのに、『夜夜』を開いては呆然としている。時々、上唇を舐めて、次に下唇を舐めてみる。上唇のほうが舐めやすい。あんまり舐めて、唇が幾分かさかさになったような気がする。
昔、確か『俳句空間』に、桑原三郎の句集評を書いたことがあって、そのときの出だしを覚えている。「桑原三郎は変な人である」と書いたのだった。(ふらんす堂刊『休むに似たり』所収「巧みさを隠す」)
だって本当に、彼は普通の人じゃないのですよ。
普通の人は、「行く人は必ずまがる」なんて思わない。例え直線の道を真っ直ぐ歩いただけにしても、目的の家に入るには曲がらなければ入いれない、確かに。平仮名の「あきのくれ」が、どの道をも迷路につなげている風情。
あまりにも当たり前なので、普通の人間は、そんなこと気に留まらないし、それを言いはしない。ましてや一句の主題にしようなんて、とても思い付かない。
普通の人は、「うはくちびるは舐めやすい」なんて書かない。書かないだけではなく、そんなこと思わない。例え上唇の方が舐めやすいことに気が付いたにしても、そのことを言葉で反芻して、そのことを作品にしようとは思い付かない。黙って舐めていて、ひょっとしたら、それが癖になるだけだ。
この句集を読み終わるのは大変。頁を捲る度に呆然として、頬杖など付いてしまうから進まないのである。なにしろ唇を舐めてみては、なるほどー、とか、ホントだわー、なんて思っているのだから進まない。7ページから始まる俳句の、ここはまだ11ページ。19ページに、私がひどく痺れた俳句がある。けれど決心して、今夜はこのまま素通りする。
そして掲句。この句を前にして思考が止まった。まだ「Ⅰ」の項にある句だが、このところ日に何度か思い出しては、考え込んでいる。
母に聞いたら分かるかしら、などと思い、あぁ母はもう覚えていないだろうか、と、この数ヶ月前から急に衰えた母を思い出して心細くなったりしながら。
八月十五日、あの日、あの正午の様子は、昨日のことのように鮮やかに覚えていて、誰が居たのか、誰に何を言ったのかも、映像として見え、聞こえる。
正午、どうせ食事らしい食事ではないにしても、何かの用意は済んでいた筈の時刻、正午。大きいだけで美味しくないサツマイモか、食べると何故か私は頭が痛くなった饂飩か、トウモロコシか、そんなものが既に用意されていて、家族が食卓に集まる時刻。私はそのために遊びから帰ってきたのだった。
家の前に、近所の大人たちが集まってラジオを囲み聴いていた。大声を出すわけでもなく、皆がうろうろと、ただその場を離れられないという様子だった。言葉を失っていて、ひたすら暑かった真昼。
その景色を何度思い出しながら生きてきたことか。小学校低学年だった私がそうなのだから、大人達はどれほどその日を強烈に記憶し、どれほど切なく思い出してきたことか。と私は、言ったり書いたりしてきた。そして記憶も想像も、其処でぴたりと終わっている。
それなのに、小学校高学年だったのではないかと思われる桑原三郎の思考は、其処でストップしていなかったらしい。いや、そうではないのかもしれない。何年か前にふと気が付いてしまったのかもしれない。でも、どうして、そんなこと思い付くんだ?
あの玉音を聞いたあと「御昼食べたっけ」? 誰か覚えているだろうか。蒸した不味いサツマイモ、食べると頭が痛くなる饂飩は、どうなったんだろう。
本当に「あのとき御昼食べたっけ」? いくら考えても、玉音を聞いたあと何をしたのか、どういう午後を過ごしたのだったか、かすかにも思い出さないのである。
あのあと、私たち何をして一日を過ごしたのだろうか。映像はぴたりと止まったままだ。止まったままだということにさえ気付かずに、気付かないことを不思議とも思わずに生きてきた。
三郎さん、いつ、そんな疑問を持ったのですか? 何かきっかけがあって思い出したのですか? そして思い出しましたか?
思い出せないでしょうね、私たち。この一句によって私たちは一生、あぁあの日、あの昼、食事したっけ? 何か食べたっけ? と呆然とし続けなければならなくなってしまった。この一句を見てしまったから。
あの八月に生きていて、今も生きている人がこの一句を見たら、俳句に関心が無い人であっても百人が百人、あぁ あの日あの時、御昼どうしたっけ? と思うに違いない。
多分全員が、覚えていないことに気が付いて、以後、時折その覚えがないことを思い出して、すっきりしない老後を暮らすことになるのである。
桑原三郎という俳人が居なかったら、この一句がなかったら、誰も気にすることさえせずに一生を過ごすところだった。あの日に、午後はあったのだろうか。そんなことも思わずに、生きて死んでいくところだった。
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2012-09-30
ロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人 池田澄子句集『拝復』 三宅やよい
ロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人
池田澄子句集『拝復』
三宅やよい
あれ、あれという間に二〇一二年も秋である。このところ時間が経つ速さが尋常ではない。昨日も同僚とちらし寿司を食べながら、時間の無常について嘆き合った。
「今の職場に勤めだして六年になるけど、小学校一年から六年までの時間の長さと四十代後半から五十歳半ばまでの時間の長さって全然違うねぇ」
私と同年代の友は深く共感してくれたのだが、ちょっと油断をすると昨日、今日と見分け難い日々が、水のように流れ去ってしまう。
毎日のルーチンワークのさなかにもふっと心をとめる出来事が必ずあって、ほんわかしたり、苦笑いしたり、気持ちが動いているはずなのに書きとめなければ数分後に心から消えてしまう。
池田澄子の俳句を読むと、その微妙な瞬間を俳句というフレームに焼きつける手際のよさに驚く。
暖房や延期をすると老けてしまう
早く寝て普通に起きて春の雨
さて内省するか昼寝にするかソファー
多分、私もソファーをちらりと見た瞬間、犬を抱いて昼寝にするか、それとも本を読むか、なんて思ったこともあっただろう。だけどそんな微かな心の動きや一時の感情は自分も意識しないうちに通り過ぎてしまう。
誰もがふと思ったり、溜息まじりに感じたりしそうなことが、普段着の言葉で定型に息づいている。そんなふうに読み手が信じ込んでしまうぐらい彼女の使う言葉は身近で親しみやすい。
その昔「マルコビッチの穴」という映画があって、それはたまたま見つけた壁の穴がマルコビッチという俳優の頭の中に繋がるという設定の話だった。筋の大半は忘れてしまったけど、壁の穴を除く人はマルコビッチの頭を通した風景をわがことのように覗けるわけで、池田澄子の俳句がこの穴の構造に似ていると話題になったことがある。(確か「ラエティティア」というメーリングリストでのやりとりだったと思うが…)こうした句に共感を覚えるたび、その「マルコビッチの穴」説を思い出す。
だからと言って池田澄子が設定している生活の風景がそのまま日常の延長であると考えるのは、うかつすぎる。
池田澄子の俳句についてはいろんな人がその魅力を語っているので何を語っても蛇足になってしまいそうだが、私がこの人の俳句に惹かれる一番の点は、自分の直観を歪めない一途さが感じられるところだ。
ありのままを書き留めてもそれは散文にもならないメモにすぎない。直観を働かすと言ってもそれは「思い」や「感情」とは別のものだ。それは日常のあちこちで俳句になりたがっている言葉を探し当てる嗅覚のようなものかもしれない。
それが俳句になるには、言葉の再構成と飛躍が必要だが、池田澄子の俳句には何かを見て直観したことを俳句的に仕立ててしまうウソがない。
こう書くと簡単なように思えるが、俳句のような韻文と深く馴染み合うと定型の毒に侵されずにいるのは難しい。多くの俳句はどこかで俳句的包装に妥協してしまっている。
削っていけば、なんだ、この句、季語だけでいいじゃない。なんて場合も多く、自分が直観したものが言葉に突き当たるまで我慢して言葉と格闘するには辛抱強くないといけない。
独りよがりになっていないか、実感として他の人に届くものであるか、どのような言葉に乗せれば定型が働くか。池田澄子の俳句を読むと、矯めつ眇めつ言葉を確かめた形跡が感じられる。
自分の俳句を客観視するのは難しい(そのために句会があるのだ、とは良く言われることであるが)思いついた直後、これは画期的表現だと思っても時間が経てば二度と見たくない陳腐な表現!何てこともしばしば。句帳を読み返して、溜息をつくことも多い。言葉が熟成し、こなれるまである程度の時も必要なのだろう。
池田澄子は発表してからも自分の俳句を甘やかさない。人前に出すからには徹底的に練り上げて自分の満足のいくところまで仕上げてからと、言葉に対しての厳しさが感じられる。
その文体はなじみやすく、つい口調をマネしたくなるが、それは命取りである。
生の口語は発話の断片ありそのままでは俳句にならずゆるんで拡散してしまう。池田澄子の文体は文語の下支えがあってこその書き言葉としての口語文体であり、短い俳句で個性を典型にまで磨きあげるには途方もない距離がある。
花なずな雨の上を日の渡りつつ
思うたびに佳くなる昔うめもどき
雨が降っている日は憂鬱。暗く垂れこめる雲の上を渡る日を思う想像力を失って常套的な感情に塗りこめられる。何て貧しい人生。足元の花なずなにも気づかないで。
こうした句を読むとそんな自分のうかつさに気づかされる。「うめもどき」の句もそうだけど、一歩間違えば教訓や回顧になってしまいそうな述懐を季語が引き締めている。
池田澄子の俳句は他のジャンル人からも支持されている。支持を集めるのは一目見ればイケダスミコとわかる口語文体のうまさもあるが、一句の中で季語がよく働いているからだろう。その働かせかたも季語の本意からずらすことで意外な角度を生み出す。
それは季語を熟知していないとできないことだ。そしてその「ずらし」が季語の本意にむかって俳句を収斂させるとは逆に季語を梃に外の世界へ俳句の言葉を開かせてゆく。
季語や定型の良さを十分に引き立てながら、今までに見たことのない新鮮な俳句を作り続けているからこそ多くの人を引き付けるのだろう。
亀にでもなって鳴いたら撫でてやろ
よし分った君はつくつく法師である
池田澄子と同年代の俳人でこんな大胆な表現のできる人はいない。
「俳句は手強い。手強いから、やめられない。ならば、俳句形式に失礼のないように、亡師を失望させないように、そしてたとえ青臭いと笑われても、五十年後百年後でも読んでくださる人には届くように、丁寧に俳句を作っていようと思っていた。この句集が最後の句集になったら、満足できるのか、否。」
このような強い口調で「後記」を書く池田澄子は片時も自分の表現に満足していない。皮肉なことに自分の作り上げた俳句と戦うのもまた自分なのである。
『拝復』には各章のうしろに「俳句思えば」の上五で始まる句が収められている。
俳句思えば寒夜亡師に似て猫背
俳句思えば徐々に豪雨の吊忍
俳句思えば元朝の海きらめきぬ
俳句思えば稿に影おく木の葉髪
俳句思えば霞に暮れて朧月
冒頭に恩師三橋敏雄に捧げる句があり、後の四句はめぐる四季が俳句に寄せて詠われているわけで、池田澄子の俳句へのオマージュと考えられる。
本当は逢いたし拝復蝉しぐれ
『拝復』はロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人である作者が俳句への愛を俳句で返した一冊だと思う。
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池田澄子インタビュー2003 三宅やよい
池田澄子インタビュー2003
三宅やよい
【解題】週刊俳句への転載に際して
東京へ来てすぐのとき(もう十年経ってしまいましたが)池田さんの朗読の舞台を見にゆく機会に恵まれました。俳句の朗読ではなく、池田さんが長く続けておられる朗読教室(宝生あやこ主宰)十五周年記念公演でした。池田さんが朗読の名手であることは2000年東京で行われた船団「初夏の集い」で子規の『病牀六尺』を読まれた時に初めて知ったのですが、長く現代詩の朗読を続けられていたことはまったく知りませんでした。
照明の輝く舞台の上で、池田さんは気負いなく普段の池田さんでありながらも谷川俊太郎の、新川和江の世界を手渡す読み手になりきっていらっしゃいました。言葉の固さを感じさせることなく微妙なニュアンスを声で立ち上がらせてゆく池田さんの手腕は実に見事でした。
茶目っ気たっぷりに朗読された新川和江の「オーマイダーリン」。俳句同様、池田さんのみずみずしい感性に引き込まれてしまいました。
「静かな熱中」池田さんの朗読の印象にそんな言葉が浮かび上がります。池田さんはいつも沈着に自分を見つめ続けています。そんな醒めた自意識を持ちつつ言葉の世界に没入し全身で感受することができるのです。だからこそ人を魅了させることができるのでしょう。
聴く人の心に警戒心や反発を呼び起こさず詩の世界の魅力を増幅させて手渡す。そんな朗読ぶりは、自然な語り口でいつのまにか自分の作り出す世界に引き込んでしまう池田さんの俳句にも似て、つくづく俳句は人の在り方と結びついているのだなぁ。と実感しました。
日常の中でふっと行き過ぎてしまうような微妙な感覚を柔らかな言葉で表現する池田さんの俳句の魅力は多くの人が語るところです。
月刊「子規新報」第90号(平成15年2月発行)~94号(6月発行)で、私が拝見した朗読について、池田さんの俳句について電子メールでのやりとりを掲載しました。
句集『拝復』の書評を掲載するにあたって池田さんの俳句にこめられた「声」の要素を考えるうえで、このインタビューでのやりとりも一つのヒントになるのではと思い、書評と合わせての掲載を考えました。
●
三宅 朗読はいつから始められたのですか?
池田 朗読をやっていると言っても、気分転換のための遊びなんですよ。始めたばかりのつもりが、六、七年になってしまいました。でも、いつまで続けられるかも分からないです。発表会の間近に俳句関係の締め切りが重なったりするとタイヘンなんですよ。個人の舞台じゃないから。
三宅 おもに現代詩を朗読されているようですね。
池田 そうなんです。詩の朗読の教室です。 練習のために、ほんのたまには樋口一葉や宮沢賢治の「よだかの星」など読んだこともありますけど。
三宅 それまでも現代詩はいろいろ読んでおられたのですか?
池田 子供の時から好きでいろいろ読みましたが、系統だって勉強したとはとても言えませんね。朗読では、草野心平、金子光晴、宗左近の「炎える母」、八木重吉、北原白秋、茨木のり子、谷川俊太郎、新川和江をやりました
三宅 黙読するのと暗誦して朗読するのは違いますか?
池田 あー、それはぜんぜん違うことを、やってみて知りました。黙読はあくまでも他人の詩を知るという感じでしょ。暗誦して声に出す と、自分の言葉であるような錯覚を味わうことになります。
私たちの場合は、出演者は素人ですが、宝生あやこという情熱的かつ天才的な女優さんの構成と演出による舞台ですので、一人で読むのではなく、全員で一人の詩人の世界を立ち上がらせる、その詩人になってしまう…そんな感じになりますね。
三宅 いま、短歌でも、俳句でも朗読してゆく場が増えてきましたよね。そういうところではだいたい自分の作品を朗読するわけですが、池田さんの場合は自分の作品がありながらも他の作家の作品を朗読される。それはどうしてなんでしょう。
池田 私には俳句の朗読は難しく思えるんです。したことがないので分かりませんけど。それに、私の俳句は私にとっては今のところ、活字でよいのです。
それに、俳句だけに閉じこもっていないために、気分転換のために始めたことですし、一つの舞台を創ることを楽しんでいるだけなんです。それから、その宝生先生の舞台に賭ける情熱を肌で感じ、先生の女性として人間としてのパワーを感じる緊張感が、たのしく貴重なのです。
三宅 池田さんは「私の俳句は今のところ活字でよいのです」と言われましたけど、池田さんの句はふっと口をついて出てくる自然さが魅力です。
池田 そう思っていただけたら、とても嬉しいです。自分で言ってもしょうがないですが、それが私の目指しているところですから。でも本当は、自然に見えるように「作る」というのは難しいことだと、いつも思っています。
それから、活字うんぬんのことですが、私は、文字も好きなのね。耳で聞いて理解しやすく、記憶しやすいことの力を大切に思いながら、一方で文字の連なりの美しさも好きなんです。ですから、活字で読んでいただくことも捨て難いのです。
三宅 自然に見えるように「作る」のに厳しく言葉を吟味されていると思うのですが「声」は意識されてます?
池田 「声」というか、音調、調べには気を付けます。誰でもそうでしょうけどね。調べが悪いと読んで気持が悪いでしょ。作者・私も気持悪いのです。
声を出して読みはしないけれど、黙読にしろ心の中で何度でも呟いてみて、どこか気持がよくないときには、拘りますね。
ただ、故意に調べを壊すことで、躓くようにすることもありますよ。特に沢山の句を並べるときにはね。息継ぎに加えて深呼吸やお茶が欲しくなることもありますから。
それから、調べ以外にも、音の持っている雰囲気も手放したくないです。母音や子音の使い方とか、韻を踏む効果や、いろいろありますよね。たとえ黙読であっても、それは感じることができますから。
三宅 池田さんが俳句を始められたのは わりと遅かったのですね。私なんかは四十代近くに俳句を始めたころ、ああ、あと十年早く始めてたらとか、思ったのですが。そんなことってなかったです?
池田 四〇歳直前でしたから、随分遅いですね。 でも、そのことに余り後悔はしていないんです。その年齢の私が、俳句に惹かれたのですから。それまで俳句に無関心だったのは偶然ではなくて、私には必要がなかったからなのかもしれないとも思ったりします。
ずいぶん楽天的ね、私。
三宅 池田さんの俳句ってつい真似したくなる自然さがあります。それでも決して他の人のものにはならない文体の強固さがあります。四十代から俳句を始める人達は多いですが、自分の文体をものにできる人は少ないです。俳句を書くうえで文体については 意識されてきましたか?
池田 文体、あるいは思い、感じ方、大きく言えば、作者の世界を獲得したいですよね。私にそれが出来ているとしたら嬉しいのですが、まだまだ半端です。名句は昔から沢山あるのですから、ただ上手なだけでは、無いと同じでしょ?
全面的に独特な俳句なんて、とても望めませんが、何かほんの一つでも、「作者は私」というものを作れたら嬉しいですよね。
そして、それは単に奇異なものというのではなくて、万人の思いに繋がるものでありたい。文体にしても、無理に独特なものを作るのではなくて、結局それは、作者の過去に出合ったいろいろなものが結果として立ち現われるのかもしれないし、息の吸い方や吐き方によるのかもしれない。そんなふうに思っています。
ただ無意識で居ては、偶然のように現れたそれらを取り逃がすでしょうから、立ち現れてくれたものを逃がさないという緊張が必要なんでしょうね。どちらにしろ、このことが一番手強いですね、お互いに。
三宅 「作者は私」というものと「万人の思いに繋がるもの」を俳句に表現するとは自分が独自でありながらも透明になって世界との接点を見つけることのようにも思えるのですが?
池田 「作者は私」というのは華々しく目立ったことを狙うという意味ではないのよ。仁平勝さんが『俳句のモダン』で、その辺を書いて下さってますね。そして、その一句が、私という個から発しながら、個を書くことによって人間というもの、あるいは人間を含めた生物の犇くこの世を描けたら嬉しいわ。
「私」の一句を書きたいということは「私」を書きたいというのと同じではないの。「私」は私にとって主題ではなく、命あるものの内の、細部としての具象の一つです。貴女の仰る「透明に…」は、そのことね
三宅 この間の朗読を見せていただいて、池田さんの身体や声を通して詩の言葉が立ち上がってゆくのと、池田さんの文体を通じて俳句の言葉が立ち上がってゆくのとが似ているように感じました。
池田 そんなこと言ってくださると、私泣くよ。言葉って不思議ね。普通の話し言葉でも、いわゆる死語でも、所を得るとまさに「立ち上がる」と感じますね。大袈裟になりますけど、それが言霊というものなのでしょうか。これが、なかなか現れてくれないのよね。
三宅 三橋敏雄さんとの出会いの中でご自分の俳句を磨かれていったわけですが、やはり俳句を鍛えていくのに先生は必要だと思われますか?
池田 三橋敏雄を師としたことで、私の俳句が出来たと思っています。ダメな時にダメと言って下さる人が居ることで、のびのびと冒険が出来たのでした。
例えば「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」の「の」とか、「ピーマン切って中を明るくしてあげた」とか「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」などなど、先生のOKがないと怖くて迷ったでしょうね。俳句は短いので、秀句と駄句が紙一重なんですね。ある程度の良い俳句は、駄句とは遠いのです。
私はその紙一重のところに、新しい秀句の可能性が隠されているのではないかと思うのです。一字ですっかり変わってしまうのですから、ある時期、真摯に先生に鍛えられるということは決して無意味ではないと思いますよ。
それで先生の亜流に留まってはしょうがないけれど。ですけど先生を選ぶのが難しい。間違った教育ほど困るものはないですから。
なんて言うと、とても生意気に聞こえそうですけれど、生意気でなければ何も産めないかもしれないわね。
三宅 三橋敏雄さんとの出会いの中で一番 印象に残っていることは何でしょう?
池田 印象に残っていることは多すぎて一つに絞るのは大変ですけれど、先ず最初に「俳句は教わるものではなく、自己啓発あるのみ」と仰ったこと。前の話と矛盾しそうですが、本当ですね。そのことを胸に叩き込んだ上で学ぶことが大切なのではないかしらね。
これは、先人の残したものとは別の、自分の俳句に辿り着かなければ、ということなのだと受け止めています。
習うとは、一句を直していただくなどということではなくて、若し直していただいたなら、どこが違ったのかを考えることで、師を知ること。そして、いろいろな基本のところ、例えば「自己啓発あるのみ」を肝に銘じるとか、俳句の言葉の使い方の難しさを心から知る、といったようなことなのでしょう。三橋先生は、私がそう考えるように、接してくださっていたのだと思います。
(了)
≫三宅やよい:ロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人 池田澄子句集『拝復』
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2011-08-21
【週刊俳句時評第41回】 残と拝(拝の部) 生駒大祐
週刊俳句時評第41回
残と拝(拝の部)
生駒大祐
四.
「残の部」を割とかたーく書いたので、拝の部はゆるーく書いていきたいと思う。
五.
『拝復』を読んだ僕の第一印象は、「明るい句集だなあ」というものであった。以下では、たらたらとその「明るさ」の正体を考えていきたいと思う。
六.
さてさて、前著となる「自句自解ベスト100 『池田澄子』」によると、
本当は逢いたし拝復蟬時雨
第二句集『いつしか人に生まれて』を纏めているとき、タイトルを幾つか考えた。その中の一つが「拝復」だった。迷っていると三橋先生が、ちょっと地味だな、第三か第四句集ならいいけども、仰ったのだった。(中略)日々さまざまのものを拝受していて、そのあとのそれ故の「拝復」である。
とある。第二句集の刊行が1993年7月だから、実に18年越しのタイトルということになる。
「日々さまざまのものを拝受していて、そのあとのそれ故の「拝復」である。」とあるように、『拝復』の中で澄子は外の世界のものたちをたくさん嬉しがったり楽しがったりしている。
きぬかつぎ嘆いたあとのよい気持ち
風邪気味のたのしいのんべんだらりかな
切る前の西瓜を洗う掌のよろこび
指嬉し雨のピークのきぬかつぎ
嬉しからん蓮の葉裏を映す水
四季ありて汗のシャツ脱ぐ嬉しさよ
命嬉し綿虫草々私たち
しかし、それと同じくらい、いやもっとたくさん、澄子は否定的な語彙を使って外の世界のものたちを描写している。
とことわに日めぐる憂さを八重桜
春よ春見られ疲れの樹を見つめ
苦しんで刺繍の柄になる紅薔薇
湧く水の流石に飽いているらしく
行けぬ島は行かぬ島なりニセアカシア
想い見る何処も退屈扇子に紐
惜別を数えあぐれば海霧深し
第Ⅰ章から7句引いた。「憂さ」「疲れ」「苦し」etc。一句一句取り出してみれば、澄子の周りの世界はそんなに嬉しいことばかりではない。むしろ、澄子を憂えさせ、疲れさせ、苦しませるものもので満ち溢れているようだ。
ではなぜ、僕はこの句集を「明るい」と思ったのだろうか。
七.
正直に生きるということを考える。自分の感情を全て表に出し、言いたい事を全て口に出して生きる。それはおそらく、正直だと言って良い生き方だろう。
こんな生き方をしている人がいたら、周りの人は大変だろうな、と僕はまず考える。僕がそうだったら始終「疲れたー眠いー」と言ってなきゃいけないし。「君のことが嫌いだ」ということも言わなくてはならないだろう。そんな話を聞かされていたら疲れてしまう。
しかし。よく考えたらそれに近いことを僕は本当に身近な人の前では割としているな、とも思う。家族とか、親友とか、恋人とか。それで、彼らはそれを「はいはいそうだね。疲れたね。眠いね」と上手にスルーしてくれている。その対応に僕は怒るかというとそんなことはないし、むしろ癒されている。
そしてもっとも大事なことは、逆にもし家族や親友や恋人が正直に接してくれなかったら、僕はとても困ってしまうと言うことだ。もしかしたら彼らが一人で悩んで一人で辛く思っているかと思うと、僕もとても辛い。むしろ、正直に接してくれる存在だからこそ、その人を家族や親友や恋人と呼べるのではないだろうか。
長々と書いてしまったが、つまりは、そういうことではないだろうか。
「澄子は正直に俳句を作っているから、読者の心によく届く」という精神論みたいなことは別に言わない。澄子の俳句は正直というにはひどくテクニカルだし、フィクションもたくさん含まれているであろうことは表現以前の問題として、当然のことだ。
ただ、テクニカルであるということはテクニックを用いて「何か」をしたいという欲望があるのだし、フィクションを交えることは伝えたい主題の存在を暗に打ち出している。
その意味で、澄子の俳句は「何かを伝えたい」という自身の欲望に対して非常に正直な作り方をしている、と思う。つまりは澄子が正直というよりも、澄子の俳句が「正直」なのだと。
僕も人間だから、正直な俳句に対しては、心がうっかり正直に応えてしまう。
例えば
もう秋とあなたが言いぬ然うですね
とか、この句は絶対さびしがっているだろう、と感じる。それはもちろんア音の頭韻とか澄雄の句のバイアスとか言い出すと切りがないけれど、とにかくそう感じる。
そして、さびしくなる。
八.
では、澄子の「伝えたい」内容とはなんなのだろうか。『拝復』に描かれている主題を追ってみることにしよう。
まずは自身の老い・死の予感について。
いつか死ぬ必ず春が来るように
やや冷えて今日の蛍と今日の我
暖房や延期をすると老けてしまう
あっさりと晩年うぐいすが梅に
嗚呼と言うたびに舌古る桜散る
使い減りして可愛いいのち養花天
老いと死は必ずしも同一直線状にはない。老いは体感できるが、死は予感することしかできない。そんなことを思う。そして、澄子は老いを必然として受け入れるでもなく、かと言って反発するでもなく、どこか他人事のように受け止めているように感じられる。
続いて周囲にある明確な死について。
惜別を数えあぐれば海霧深し
生きていしかば年とって十三夜
敏雄忌のわが木の葉髪机の上
亀にでもなって鳴いたら撫でてやろ
亡師いずこ啞蟬いずこ蟬しぐれ
金盞花亡父は私を思っている
逆に、周囲の死に対して澄子は弱い。いや、それは誰しも同じであろう。周囲の死を通して人間は死を学び、自らのものとして予感していくことになる。他人の死は、当たり前のようにさびしい。
戦争について。
八月来る私史に正史の交わりし
戦場に永病みはなし天の川
怠るに似て頭を垂れて敗戦日
残暑光被爆者代表立ち上がり
八月十五日過分の日の光
また秋の髪伸ばしたき英霊たち
戦争は澄子俳句を語る上で欠かせないキーワードだろう。しかし、その視点はどこか高いところにある。自分の感じられる戦争を、感じられる範囲で丁寧に詠んでいこうという真摯といっていいような姿勢が読み取れる。
外の世界のものたちへの感情移入。
野に在りて小鳥ごこちや百千鳥
倒木の夢見心地も養花天
春の夜の蚊よ蚊にさぞや会いたけれ
日月や瀧は平らを志し
引く鶴の気持ちになれば胃痛し
あら君は蟻んこそれは私の靴
僭越ながらというふうに瓜の蔓
自然薯の永き我慢を摺りほぐす
擬人法というよりも、感情移入と言った方が適切であろう。それは、「会いた」いのも、「僭越ながら」と思っているのも澄子自身だから。そのまなざしは、優しいというよりも共感の色を強く持っている。
日常の発見。
この辺り山か裾野か春か夏か
皿割れて絵の花割れて春のくれ
はつなつの歩く速さで遠のく木
リラ嗅いでいると目が閉じ負けごごち
太古より安産痛し時鳥
向き合うて久しき天地ゆりかもめ
そして発見ですらないような日常風景
方向としてはこちらや苔の花
字の小さき補注は読まず秋扇
春日遅々男結びの場合は切る
日傘たたむ走ってきたことは言わず
これらの句から描かれる澄子像は、「自分の老い・周囲の死に対して、受け入れるとも拒むともなく単純に自覚的な、戦争を実体験として描けないことをどこか後ろめたく思っている、外界への感情移入が得意な(逆に言えばつい感情移入をしてしまう)、日常の小さな発見/発見すれすれの事実を好む人物」ということになるようだ。
これは、言ってしまえば、ごく普通の初老の人物の姿ではないかと思う。しかし、普通なままで新しい俳句を読むのは非常にバランス感覚の要る行為だ。俳句というものは俗に傾けば類想に落ち入りやすく、雅に偏れば人間性は出て来にくい。
このセルフプロデュースを可能にしているのは、澄子の一句一句の持つ読者へのサービス精神によるものだろう。一句一句の新しいところを読者の膝元へ明確に打ち出すことで安心感を与え、次へ次へと読者にページを繰らせる。
そして。主題を的確に届ける。
その主題たちに共通するのは、澄子が「生きている」という当たり前の事実。それは澄子が死とすれすれに接しているがゆえに、浮かび上がってきた世界だ。
九.
「明るさ」の正体はなにか。それは、澄子が時に朗々と時に切々と、「私は生きている」と語ってくれることによるのではないか。否定的な言葉も浮かぶ「生」から逃げず正直にそれを伝えようとしてくれること。
体の中の心の中の花明り
たまねぎの皮を剥くように自分を剥いてゆくと、体がはがれ、心がはがれ、最後に花明りが残る。それは季語の世界、すなわち「正史」の世界だ。後の世界の人が『拝復』を読んだとき、季語を媒介として澄子の生を読み取ることだろう。
決してまばゆくはない生の光を形容するには、花明りがとてもとてもふさわしい。
そんなことを思った。
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2009-11-15
2008-09-21
10句作品テキスト 池田澄子 よし分った
よし分った 池田澄子
美辞あれやこれや揚羽を窓越しに
星合のPCぽろろんと灯りぬ
胃がしくしくして風鈴がたまに鳴る
台風の余波なのだろう鯨幕
逃げ隠れする舟虫よ見下ろしに
命知らずね底紅の底の蟻
よし分った君はつくつく法師である
月白の蔓さまざまのゆくさきざき
前の世で頷き合うたに鶺鴒よ
わが死後の誰彼のこと合歓は実に
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2008-08-03
池田澄子インタビュー・後編
池田澄子さんインタビュー
「前ヘススメ」も「バナナジュース」も・後編

初の評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)を上梓された池田澄子さんへのインタビュー。話題は転々、「女性俳句」、語り継ぐこと、「写生」について、そして若者への叱咤激励も。(聞き手 上田信治・佐藤文香)
上田 話変りますけど『鑑賞女性俳句の世界』って、あれ「男性俳句の世界」があったら、どなたを書いてみたいですか。
池田 え?
上田 三橋先生以外で。
池田 んー、三橋先生は絶対私が書くっ、というのは内緒だけど。そーねー、興味の尽きないのは虚子だけど。んー・・・京極杞陽かな。
上田 たぶん櫂未知子さんと競合しますが(笑)。杞陽のような、ホトトギスのなかの自由な人の系譜はおもしろいですね。そういえば、杞陽は、昭和33年になってから、やっと震災忌の句を残していて・・・。
池田 川崎展宏さんもそう。空襲のことはずいぶん経ってから書かれて。
上田 簡単に書けることではないんでしょうね。
池田 でも書かずにはいられない。宗左近の『炎える母』しかりね。
けれども、詠み残さないよりは、残した方がよい、と私は思う。人間すべてに、不幸が至らないようにと祈らないよりは祈った方がよい、と私は思う。p269(『休むに似たり』以下同)
佐藤 「女性俳句」といえば〈人類の旬の土偶のおつぱいよ〉のおっぱいは、桂信子さんの〈ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき〉の乳房と、ずいぶん違いますね(笑)。
池田 あの句は、苦労したわ。何年もかかった。
佐藤 男の人だと「おっぱい」って、書ききれないかもと思いました。
上田 大好きな句です。
池田 あれは、私じゃなくて、土偶がすごいんだよ。
佐藤 でも、なんで「女性俳句」なんだろう、とは思いますよね。
上田 たとえばですけど、基本的に女性の小説家の本しか読まない女性読者って多いはずなんですよ。最近変ってきてると思うし、小説とかマンガは、メディアの性質として、感情移入が必須ということもあるんですけど。
それでもやっぱり、俳句においても、人は共感できるものをまず欲するから、女性は女性作者に思い入れしがち、ということはある。
で、さっきの話にもどると、三橋さんの句から三橋さん「本人」には、なかなか感情移入させてもらえない。
池田 私は、先生が、苦しんで俳句作ってるところ見てるから「泣ける」けど、読者としては「すごい」けど、泣けないっていうのがあるかもしれない。
上田 さっき話出た田中裕明さんも、そういうところ三橋さんに似てて、つかみどころがなくて、特に生前は、あまり読まれてなかったイメージがあって。
でも、田中さんは夭折と言っていい亡くなり方で、物語ができちゃったっていうか、そこで入り口ができた・・・まあ、あんまり、なんでも「死の予感」に結びつけないほうがいいとは思うんですけど。
池田 そう。作品ていうものは、もともと、どっかに「死の予感」はあるわけだから・・・でも、読まれるってことは、ありがたいことよね。
上田 三橋さん、なんとかしないと。
池田 ほんと、なんとかしないと。顕彰俳句大会とかすれば名前は残るけど、そういうのとも違うし。
上田 なんていうか、作家の影響っていうのは伏流水みたいに、下をとおって、思わぬところにあらわれるものなんじゃないかと思います。
佐藤 三橋さんは、自分とは違うものしか認めないから、別のやり方で継ぐ人は継いで、いったん三橋さんはいなくなってしまって、それで、いいんだと思う。影響は、これから現れないとは限らない。
池田 だいたい、同じ程度のものを作れる人はいないわね。明らかには、まだ、ない。
上田 前衛俳句の作家はみんなそうですね。近寄るとあぶない、影響力が強すぎて殺されちゃうみたいに言われて。
佐藤 でもそういう継がれ方ではなくて、あの人の作り方があったから、別のやり方で、こういうふうにできたんだっていうふうに、継がれるといいと思います。
上田 親子じゃなくて、おじいさんと孫が共闘を結ぶってこともある。隔世遺伝的に。
佐藤 孫の世代といえばわたしだ(笑)
上田 いや、そうそう。似てるんじゃない? 作り方。文香さんは、感情移入させる句も作るけど、本領は違うと思う。
池田 私はね、遅くなって俳句を知ったから、「若くして俳句作る」ということを知らなくて、ほんとうには理解できないんだけど。あなたは、もうちょっと「出してもいい」と思う。
佐藤 何を? 感情をですか?
池田 感情じゃないんだけど、自分を。なんか、出来過ぎてるかなっていう感じも、なくはない。
上田 完成度によって自分を殺そうとしてるからなあ。
池田 そう、それが殺せてしまっているから(笑)。もうちょっと殺せない部分も出ていいかなあ。
佐藤 もう句集一冊でたから、別の段階へ行くんで、見てて下さい。
池田 よし(笑)。
上田 今、俳句に、新しいものが生まれつつあると、感じることはありますか?
池田 わかんないなー・・・「この新しい流れが出てきたな」っていう気分はあんまりしてないんだけど。
上田 宗左近さんとの対談*で、三橋さんが「いったんどこかで今の俳句の実績は終るような気がしてしょうがない」と言われていて。
*『21世紀の俳句』(宗左近・1997) 所収
池田 けっこう、今、やばいところのような気が・・・いろいろ考えてね・・・いよいよだめになると、次が出てくるじゃない。あたしは、そのはざまかな、なんてね(笑)。
佐藤 がんばりましょう。
池田 なにをがんばっていいか分からない(笑)。
上田 自分は自分の作品を書き、読む。
池田 あと、いいのを残すっていうの? やっぱりそれをしないと、みんな忘れちゃうもんね。自分がいいなと思っただけでは残らないのよ、自分が死んじゃったら。言わないと。
だから悪いもの誉めちゃいけないんだね。いいものを見つけて、ちゃんといいって言わないと。だいたいのものは、なかったことになるよね。
佐藤 櫂未知子さんが、句集でも本でも、いいのが出たら言ってまわる人がいないことには、はじまらないと言われてました。
上田 あの人の言うことなら聞こう、と思える人がいることは、ありがたいことです。
池田 いま、冊数が多いでしょう、なかなかじっくり読んでもらえない。
佐藤 三橋さんの取りあげられかたは、どうなんでしょうか。
池田 前期のもののほうが良かったっていうふうに、言う人が多いかな。
佐藤 私が俳句をはじめてから、三橋敏雄さんがどう、というのを聞くことって、実はとても少ない気がする。
池田 じゃあ誰が読まれてるんだろう、たとえば、亡くなって間もない作家で。
上田 飯田龍太ってことになるんでしょうけど。本当には読まれてない気がする。むしろ、いきなり虚子と虚子周辺にもどるか、あるいは、やっぱり同時代の人か。
池田 虚子には、なんでもあるからね。
上田 分かりやすさと姿のよさということが、いま大事にされていて、それで虚子なのかなと。
池田 虚子の言うことだけが正しい、という言い方をする人については、虚子はそんなことは言ってませんよ、ということを言いたいわね。虚子にはけっこう見立ての句とか、客観写生っていいながら、写生じゃない句が多いでしょ。
上田 そういえば澄子さん「客観写生は凡人にはできない」(あさがや草紙「俳句」2006.11)と、書かれていましたけど、あれは、どういうことですか(笑)。虚子が、この道さえ信じていればと、せっかく準備した方法論を(笑)。
池田 いやいや「客観」できないわけだよ、人って。子規が「写生」って言ったのもそうでしょ。
上田 子規は、理想画に、写生を対置した。
池田 そう。だからね、写生するっていうのは、自分の中にあるいろいろを捨てちゃわないと。コレは美しいって思っちゃったらもう、客観できないんだよ。既成概念があったら、写生は出来ない。大体決まってるじゃない、コレを見たら美しいとか、コレを見たら悲しいとか。
上田 既成観念を脱するために写生をする、とも言えると思うんですけど。
池田 生まれたばっかりの人間が、コレを見たらどう思うか、っていうところまでいかないと、客観写生とは言えないんじゃないかな。なかなかそれは、できない。
もう生まれてからいろいろあったからね。それを、はじめての目で見たらどうなるか、なかなかできないけど、それをしたいよね。
上田 じゃあ「こう書いたらいい句になりますよ、こういうのがいい句ですよ」という観念も。
池田 邪魔なのよ。
上田 それ「らしい」写生句は、なぞりにすぎないかもしれない。
池田 そう。
上田 うーん。
佐藤 〈バナナジュース〉は。
池田 あれは(笑)ちょっとは、できてるといいな、くらいかな。
上田 〈はつ夏の空からお嫁さんのピアノ〉(『空の庭』)はどうですか。
池田 ああ、あれはね・・・単なる事実なのね。
上田 はつ夏と、お嫁さんという物語のある言葉が、上から事実でつらぬかれている。写生は、理念だけじゃできないですね、機会がないと。
佐藤 虚子の『俳句への道』を読んだんですけど、客観写生と花鳥諷詠ばっかりで、これを中に入って、繰り返し言われたら、信じるようになるかな、と。ちょっと宗教っぽい。
上田 ああ、花鳥諷詠に関係するんですけど、吉本隆明が、わりと最近「現代日本の若い人の詩は自然を失った」というようなことを書いて(『日本語のゆくえ』2008)、詩壇をちょっとゆるがせた、ということがあったそうなんですけど。
三橋先生は、自然というものを、どう考えていたんでしょうか。
池田 人間込みの「自然というもの」には、関心がある。単なる風景としての自然じゃなくて。風景っていうのは、自然の一部の「きれいだ」っていう切り取り方だよね。それ自体には特に関心がないのかな。草があって木があって人間もいて、それが自然だ、という意味では最大の関心事だったと思う。
上田 ご本の中の「言葉で作る真実」と題された文で、三橋さんの〈星映す海のべた凪星月夜〉と〈長濤を以て音なし夏の海〉の句を並べられて。
池田 そうそう、べた凪の夜を船で行くとき、星空の中を進んでいくようだった、っていう話を聞いたときは、本当にどきどきしたんだけど、句を見たときは、あのときのことかな、とは思ったけど感動はできなくて。
見えるはずの〈星映す海〉よりも、見えない〈長濤を以て音な〉き〈海〉のほうが迫真力を持つことの不思議が俳句形式にはある。p253上田 三橋先生は、季語を、使われないわけではないですが。
佐藤 季語のためには書いてない。
池田 そうね。季語を利用している。季語で言えるものを書きたいとは思ってない。
この「長濤」の句、お友だちで「ここは「冬の海」でしょう」っていう人がいたんだけど、もし「冬の海」だったら「冬の海」の荒々しさが「ものを言う」でしょ。それだと、違ってしまうものがある。
上田 なるほど。「夏の海」と言ったにしても、季語としての夏の海ではないかもしれない。
つまり、三橋先生は、ある種の物語や既成の情緒を背負った季語の使い方を禁欲されるほうですか。
池田 そうだろうね。そこが、だから、人の共感しにくいところかもしれない。
佐藤 若いころに俳句のハウツーを学んだ身としては、冬の海はこういう気分、夏の海はこういう気分でしょ、それが、ここに入ると素敵でしょって、教えられた。もっとも季語を効果的に使うという考えかた。
上田 本意ですね。
池田 それは三橋先生と正反対。
上田 澄子さんは、本意は、いかがですか。
池田 ほとんどはずしますね。
上田 それは、わざわざですか。
池田 それって既成概念でしょ? だから、私の句は、あんまり、読者からうけない(笑)。
上田 いや、澄子さんほど、共感させる作家はめったにいないですよ。人を、驚かせて共感させる。
季語は、どっちかというと、驚きサイドの担当かもしれないですね。〈人は人を愛したりして青菜に虫〉。どうして、そのタイミングで、そのことを思ったんだろうという驚き。〈茄子焼いて冷やしてたましいの話〉。これは、〈冷やして〉で、ぐーっと共感性が。
佐藤 冷さないと、たましいの話に行かないんじゃないですか(笑)。
池田 熱いままじゃだめか。
上田 冷やして、くたっとなった、たましいについて語る(笑)。
池田 でも、たしかに季語を主役にはしてないんだね。
上田 いい脇役(笑)。元日の句が、多いですね、そういえば。〈元日の茶筒枕になりたがる〉なんていうのもあって。
池田 どれも、めでたくないのね。色紙に書けないのよ、お正月にかざれないでしょ。
上田 でも、その元日という日が特別である「ふしぎ」が、冷蔵庫が開けば灯るっていう「ふしぎ」にちょうど釣りあってる。これは、どっちが主役ともいえません。
そういえば、三橋さんは、日常性から切れてる感じがしますね。
池田 日常生活っていうものがなかったんじゃないかな。
上田 〈表札は三橋敏雄留守の梅〉。留守なんですよ。
池田 船乗ってるからね(笑)。日常生活っていう気持ちは皆無かもしれない。
上田 〈枝豆の食ひ腹切らばこぼれ出む〉。腹切るなんて、そんな虚構をかまさないと、枝豆も食べられない。でも、そうやって日常に帰ってきたのかもしれないです。長い旅をして帰ってきたら、畳の上に団扇もあったという・・・いや、すいません、勝手なことばかり。
あ、そういえば、先生が「僕だって即吟が出来ないわけじゃない。一歩に一句作るくらいのことは出来る」(p36)って言われて、ほんとに、一歩ずつ、五七五、七五五、虚子調、アベカン調、オスミ調、って作ってみせたっていうエピソードがありましたよね。
技術って言うのは、なんでも作ればできるっていうことなんだな、と思って。でも、それを抑制されていた、と。
ふつう、ベテランの方というのは身につけた技術で「悠々とした作句ぶりで」と評されるような仕事ぶりになっていくわけですが。
池田 「喋れば五七五」みたいなことは、私は、自分では、やろうと思わない。一句ずつ「つまづきながら」作りたい。いくらでも作ろうと思えばできますよ、というのは、空しくないかしら。
上田 たくさん作って無意識を呼ぶ、という作句法もあると思いますが。
池田 早くぱぱっと作れる人っているんだよね。でも、自分でやるのは、やだな。俳句って、そういうものかなあ、みたいなさあ・・・訓練すれば作れますみたいなのって、ちょっと違うような気がするのよねえ。
上田 虚子が誰よりも早く、句帳に書きつけていったっていうのが神話になっている。まあ〈バナナの皮〉みたいな句はめったに出来ていないのですが。あと、爽波の「スポーツ説」の影響もあるでしょうか。
池田 私も実はいっぱい作るし、職人みたいな腕も必要だと思うんだけど、職人になりきっちゃうのはどうか、と。青臭い話になっちゃうんだけど、やっぱり、芸術でしょ、って。
上田 じゃ、これから、楽になろうっていう気は、あんまりないですか?
池田 だって、楽はつまんないんだもん(笑)。因果なこっちゃ(笑)。
上田 三橋先生は、ぽんぽん作らないように、自制されていた。悠々と作っているように見せて、簡単には作ってなかったってことでしょうか。
池田 かんたんに作ると、上手い句になってしまうということだと思うんだよね。
上田 それを受けつがれてる。
池田 気持ちだけね。
上田 おとぼけぶりでいえば、澄子さんも相当です。だって〈震度2くらいかしらと襖ごしに言う〉とか。
池田 そうね、そういう句は先生作らなかったわね。
『しだらでん』のあと、作って発表されなかった句も、見てるんだけどおぼえてないの。ちょっと面白くてばかげてるような句だった。でも発表しないまま、捨てて亡くなってしまって。探したのよ! いろんなところを。だけど、ほんとにない。
上田 にくらしいようなダンディズムですね。三橋さんは、まだ亡くなるつもりはなかったんでしょうか。
池田 いや、死ぬ気はあったと思う。きつかったんじゃないかな、体だけじゃなくて思うように書けないことが。
飯島晴子さんが亡くなったとき、先生に「私、なんか気質が、飯島さんタイプな気がするんですけど」って言ったら、「あっそう」って。
先生も、違うことをやってみられてもよかったのにね、しっちゃかめっちゃか、やったり。
上田 居てくださるだけでもね。
池田 そう、読む能力っていうのは持続できると思うのよ・・・でも新しいものをつくるっていうのは、できなかったらできない。自分もいつまで作れるかなあって思うもん。
上田 俳句って「そうとう死にそうでもできる」っていう・・・誤解でしょうか。
池田 死にそうじゃできないと思う(笑)。
あの辞世の句は、ってわたしが辞世の句にしちゃったんだけど(笑)、あれはいいでしょう明るくて。〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝〉。
佐藤 はい、なんか広場に出たってかんじがします。
池田 めでたいっていう気がするでしょ。みんなに、安心してろ、俺寝てるからって。
上田 〈夢は枯野をかけめぐる〉をひっくりかえして、明るくしたような。
池田 〈昼寝〉は夏だけど、亡くなったのは冬なのね(笑)。
佐藤 追悼文で「三橋敏雄、ただいま蒼天にて大昼寝中」(p49)って書かれてるのがうれしかったです。
上田 過去の俳句全体と、ご自分のつながりをどう考えてらっしゃいますか。
池田 あんまり考えてない。一句を作ってるときは何にも考えてない。選んで発表するとき、こういうことだったのか、って出てくる。
上田 三橋さんは、自分は「雑」の句をやる、とか言われたりして、新しさに対する強い意志があった。池田さんにとっては、三橋さんにむけて書くことが、伝統に向かい合うことにつながるのかな、と。
池田 先生はテーマってよく言ってらした。私は、まとめるときに、やっと出てくる。こういうテーマだったのかって。
佐藤 それって男の人っぽい、女の人っぽいっていうことかも。
池田 私もそれ言おうと思った(笑)。
上田 「俳句の新しさとは何か……それは分からない、現われてみないことには」あれは、ほんとにまいった。
池田 分かってれば、もう新しくないじゃない。分かってるような気になるから、まずい。
上田 まだ無いものにむかっての努力ですね。
池田 そんなのね、ひょいひょい書けないって。えらいことやってるわよ、私たち。
でも、三橋先生、朝日文庫の監修をやられたじゃない(『現代俳句の世界』全16巻・1984-85 虚子以降、明・大・昭の代表的俳人26人の句業を網羅した選集)。あれ全部やったあと「まだ手はある」って言われてた。
上田 すごい。なんで先生、そんなに、新しくなければと思われていたんでしょう。
池田 分からない。そういう人だったとしか。
佐藤 すでにあるものなら作れちゃうからかも。できないことは、なにかを探してて、それで、先生ができない書き方だったから、オスミ調って。
池田 「君が二十歳なら」って言われたんだから。
上田・佐藤 ひっどーい!
池田 「君が二十歳なら、売り出すんだけどなー」って(笑)。
上田 でも、じゅうぶん間に合うということが証明されたんだからいいんです。
佐藤 ほんとですよ。
池田 冗談よ。
もっと若い人は、自分のことを書いてもいいなあって思うのよ。
なんかゆとりがある、今の若者。それが歯がゆいのよ。ゆとりいらないって。ちょっとダメって言われてもいいから、ぶつけてごらんて言いたくなる。上手で、凝ってるけど、なんか物足りないのよ。凝ってる暇ないだろーって言いたくなる。
俳句はね「これは俳句じゃない」っていうのはある。でも「こうじゃなきゃだめ」っていうのはないと思う。
(2008.7.15)
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2008-07-27
池田澄子インタビュー・中編
池田澄子16000字インタビュー
「前ヘススメ」も「バナナジュース」も・中編

初の評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)を上梓された池田澄子さんのインタビュー2回目。話題は、池田さんの師・三橋敏雄の句風の変遷に。(聞き手 上田信治・佐藤文香)
95パーセントは三橋先生
池田 『真神』(三橋敏雄の代表作とされる第2句集)の次、『鷓鴣』(同第3句集)でしょ。『鷓鴣』にはすごくいい句があるんだけど、前作と同じようだから、埋もれるんだよね。
それで、以後は、その作り方から、なかなか出られなかったんだと思うの。
それで『畳の上』(第4句集)でちょっとすこし「あらい」感じに変られた。だって行き場所ないじゃない、あんなすごいの書いちゃったら。
佐藤 それで、ちょっと池田さんみたいの書かれたりして。
上田 『畳の上』の〈どこにもある冬も緑の非常口〉とか、おかしいですよね。あと『しだらでん』ですけど〈突立つてゐるおとうさんの潮干狩〉。
初期から、三橋さんの句を書き抜いていて思ったのは、あんまり完璧でね、人が書いたと思えないような句があるじゃないですか。
〈たましひのまはりの山の蒼さかな〉とか。もう、芭蕉か、というような(笑)。
池田 そう、だから、なんか親しみを持たせないところがあるねえ。
上田 言葉とイメージの関係で完璧にできあがっちゃって、言葉としてだれかが言ってる必要がない。それはある意味、俳句の理想かもしれないですけど。
池田 そうなんだねえ。完璧・・・もっと人気あっていいと思うんだけどねえ。最近になって、ある人から三橋敏雄っていいんですねーって、言われて。
上田 なんで今ごろ、と(笑)。
あの話飛びますけど、今年2008年は、ほうぼう*で田中裕明さんを読み直そうという機運があって、あれはすごくいいことだと思うんです。(*「澤」創刊8周年記念号「特集/田中裕明」、ふらんす堂HP「田中裕明全句集を読む 昼寝の国の人」など)
だからこれから、三橋敏雄を読み直そうって、言って回りますよ。微力でも、みんなでちょっとずつ言うと、物事、だんだん実現してくるから。
池田 この本の95パーセントはそれ。三橋先生。
佐藤 あと5パーセントは。
池田 できれば、将来にでも万が一、私の句を読もうと思ってくれた人に参考になってくれれば、嬉しいけど。
むしろ、気分を書きたい
上田 『休むに似たり』の後半、句集の評や紹介として書かれた文章には、お考えが凝縮された文章が、次から次へと出てきて、俳句についてのアフォリズム集のようにも読めます。
三橋先生について書かれたところも含めて、ほんの一部ですが、引用させていただきます。
想望の方法は、(三橋敏雄の※上田注)後の生涯を通じて貫かれた。目の前の事実が真実を見せているかの問い、あるいはそれ以上に、想い見たものを言葉によっていかにリアリティをもたせるか(…)P18(『休むに似たり』以下同)
経験か想望かではなく一句の結果としてのリアリティが問題だということ。(…)言語表現者として自身の想像力を恃む(…) P22
想望により見るものは、むしろ見る人の素質を露わにする。(…)心情の具象化(…)自身を普遍の景の一部をして創造する意思 P30
ある時の写生は(…)普遍の景色の提示に至る。P38
定型に束縛されねじ伏せられたと見せかけながら手玉にとる。(…)空地の面積を数倍に見せようと(…)P102
〈妙に合う〉というところが勝負所である。P160
よく視るということ、発見するということ、それは適確な言葉に辿りつくということであるらしい。P254
俳句の新しさとは何か……それは分からない、現われてみないことには。P248
上田 いくつかキーワードがあると思うんですが。非常に考えさせられたのが、想念・観念の具象化から「普遍性」に到達するということ、もうひとつ、結果としての「リアリティ」という部分です。
それって、両方「どこで一句ができあがるか」ということだと思うんですが。〈湯ざましのでる元日の魔法瓶〉どうやって、ここで湯冷ましをだしたんだろう、と(笑)。
池田 ポットから湯ざましは出たかもしれない。じゃ「いつ」あるいは「どう」湯ざましを出したもんかな、って、こしらえていくんだよね。
上田 じゃあ、ここは「元日」でリアリティが立ち上がった。
池田 元日はつくりものよね。
上田 〈元日の開くと灯る冷蔵庫〉も同じ作りだと思うんですけど、ぼくは「開くと灯る」が好きなんですよ。
佐藤 私、冷蔵庫って、ずっと光ってるものと思ってた。
池田 それ、私も確かめようとした気がする。思いついて、間違ってたらたいへんだから、冷蔵庫、確かめようとしたんだけど、開けると点いちゃうからね(笑)。
上田 (笑)それでですね、普遍性とリアリティって、場合によって両立しがたいこともあると思うんです。
たとえばそれこそ三橋さんの句が、普遍性に達するとき、その時その場限りの景っていうんじゃなくて、永遠に通用する内容の句になる。
ただ、虚子の〈川を見るバナナの皮の手より落ち〉のような、その時限りしか起らないことにも、これが現実だー、という感動がある。三橋さんの句は正に対極にあって、あれだけ永遠性のある表現ていうのは、虚子をこちらにおくと、標語にちかづく危険がある。
でも〈戦争と畳の上の団扇かな〉は、これ、その日、畳の上に団扇があった!っていう一回性を感じるんです。いや、本当は、畳も団扇もなかったかもしれませんけど、そう感じさせる。しかも永遠性も手放されず。
池田 そういう偶々のような現象の積み重なりが、この世である、という普遍性。それにしても、どうしてこんな句が書けるかと思うね。
上田 ほんとに。でも、ちょっと〈元日の開くと灯る冷蔵庫〉にも似ている。
池田 (笑)そういうふうに読む?
上田 いや、ほんとに。
池田 その団扇の句がいちばんむずかしいんだわ。
上田 泣けますよ。
池田 〈畳の上の団扇〉から、きてるのかしらね。戦争から書き始めた句じゃないような感じがするね。
上田 はい、三橋さんの他の戦争の句とは違って、戦争から演繹的に書かれてはいないような気がします。理屈じゃない。
あ、でも両方かな。たぶん、自分の今の日常の上にどう戦争がのっかってるか、っていう意識を持たれていて。一方で、ただ団扇があって、演繹と帰納がまんなかで出会ったというか。
あと、池田さんは、三橋敏雄が「自分の」恋を書かなかったことについて、書かれていて、
完璧な表現への志が、自己の気分の告白を切り捨てた。このニヒルなシラケはどこから来ているのか。それは怨念あるいは絶望に近いものであったかもしれない。p16
この本の中で、最高にかっこいいところの一つなんですが、池田さんご自身は、その「気分」ていうものを捨てないじゃないですか。
池田 捨ててないねえ。むしろ、気分を書きたいところがある。
上田 そこが、三橋さんから見て、羨ましかったところじゃないかと思うんですよ。
えーと、何の話でしたっけ、あ、そうだ、つまり、澄子さんが、気分と日常性のなかに、三橋敏雄的な普遍性を志向するのだとしたら、それはどういうことか。
佐藤 本に書かれている澄子さんの言葉で「この世やそれを包むものや自分を眺めながら」(p12)とか、「私を私とせず人間の一例として」(p245)って。
池田 うん、そう。私は単なる一つの素材なんだよね。
佐藤 自分の話をしたくてするんじゃなくて、一例なんですよね、
えっと〈有り難く我在りこぼす掻氷〉(『たましいの話』)の「我」は、澄子さんとは限らないだれでもいい「我」で、〈茄子焼いて冷やしてたましいの話〉もそうだけど、近いところから発して遠いところに行く。
上田 日常性を梃子にして遠くに行く、ってことでしょうか。ぼくは〈ゆく春の製氷皿の区切る水〉(同)みたいな、どこにも行かないのも好きだな。
池田 それも、できたとき、嬉しかった、私。みんな同じ穴のむじなだねえ、世の中たいへんなのに、こんなことで喜んでて(笑)。
(次回・後編につづく)
池田澄子さんインタビュー・前編 →読む
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2008-07-20
池田澄子インタビュー・前編
池田澄子さん16000字インタビュー「前ヘススメ」も「バナナジュース」も・前編

今月15日に、初の評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)を上梓された池田澄子さんに、お話しをうかがった。(聞き手 上田信治・佐藤文香)
三橋先生はどのへんの場所に
池田 俳句についての文章を集めてみたら多すぎちゃって、けずるのがたいへんだったの。これはいらない、これはいらないってはずしていったら、こんどは全部いらないような気がしてきちゃって(笑)。
自分がどうというんじゃなくて、三橋(敏雄)先生について書いたものをまとめておきたかった。それが人の目に触れれば、三橋敏雄がいたということが記憶される、それが主だったんだけど。
佐藤 読んでて、途中で自分が作りだしちゃいましたよ。俳句のモチベーション上がる。
池田 それだけでもいいわ、出した甲斐あった。
上田 いろいろ、前からうかがいたかったこととか、読ませていただいて考えたこととかを、うかがいたいんですけど。
池田 私は座談が苦手、理論的な話が苦手だから。今日はお二人が話してるのを聞いて、ときどき口をはさむようにするわ(笑)。
上田 あのー(笑)。じゃ、ぼくらが話しすぎるようだったら、止めてください(笑)。
先ほど言われたように、この『休むに似たり』は、池田さんが師事された三橋敏雄先生について考えられた文章が中心をなしています。
それぞれの文のタイトルからも「恋の告白ではなく」「我は海」「記憶する意志」「非安穏の俳句」「学んで、なぞらない」と、力をこめられていることが伝わります。・・・あの、ふだん、三橋先生の存在を感じるとしたら、どのへんの位置に、感じてらっしゃいますか?
池田 はい?
上田 いや、場所として。遠くのうしろのほうから見られてる感じ、とか、すぐ横とか。
池田 ああ、正面!
上田 正面? どっち向きですか? 背中をむけて?
池田 いや、もう、こっち向いて「こう」(威儀を正す)ですよ。向い合って。
佐藤 どれくらいの距離ですか。
池田 これくらい(1メートルくらい前を指す)。
上田 それじゃ、先生しか見えない(笑)。じゃあ、常にもう、まん前にいる。
池田 まだ亡くなったっていう感じがないんですよ。
それまでも、いつも、一緒にいたわけではないから。月一回か二回ですよね、お会いするのが。その他の日には、そばに居なかったわけだから。その、今日は居ない日、というのが続いている感じ。
・・・文句を言わないのが気に入らないのね。「なに、それ」とかさ。
上田 そんなに、いつも言われっ放しじゃなかったんでしょう?
池田 もともと、そんなに言われているわけじゃなかったんだけど、「なんか言いたいんじゃありません?」という気持ちが常にあるわね。
上田 以前「恒信風 第6号」(1997)のインタビューで、句を見ていただいていたころ、まずいところに三橋さんの赤線が引かれて、帰ってくる。そのうち、自分の句に赤線が見えるようになってきた、と言われてましたね。(→インタビュー全文)
池田 それは今でもそう! ここんとこ赤い線だなあ、って見える。
上田 ここはダメというふうに言われるんですか?
池田 「ここは考えどころ」って言われる。
上田 作家として認められる関係になって、先生から澄子さんへの注文ていうのは、どういうかたちに?
池田 とくになし。
上田 そうですか。先生もどんどん変っちゃいますしね。
池田 「先生これ、アタシの句が元じゃないですか」みたいのもあったりして。
上田 はい『畳の上』(1988)『しだらでん』(1996)とか。
佐藤 逆に、澄子さんの『たましいの話』(2005)には、先生の句に近いものを感じます。
池田 ああそう。先生は『たましいの話』の句は、あんまり見てらっしゃらないのよね。
佐藤 澄子さんの句は、わりと身近なところから攻めるのが多いんですけど、『たましいの話』になると、自分から遠いところ遠いところを攻める句が入ってくる。
池田 いつだったか、友だちが「澄子さんの句は、平句がうまいのよねえ」と言ったことがあって、そうしたら先生が「最近は立句が増えてるよ」って言ってくださった。
上田 狙ってるエリアが動いていってる。
池田 それは先生が、前と同じものダメだから。同じがダメはきついのよ。
これは既にあるね。先生はよく、そう仰った。先ずは今までなかった俳句、良いかどうかはその次、と仰った。p50(『休むに似たり』以下同)
上田 一度やった手はだめって、きついです。
池田 第一句集の『空の庭』のとき、年代順のはじめのほうは、何も分からないで書いてるけど、最後のほうで、他の人と違うものが出てきたみたいなのね。
上田 それは、いわゆる初期の代表句といわれるものですね。
池田 そう。そのころ「壚〓*(ローム)」という三橋先生の監修で出していた雑誌があって、7人が50句、そこに2回出して、ようやく、これが池田澄子かなというのが出て、そのすぐあと第一句集が出て。そのあとがたいへん!(*土偏に母)
上田 何かつかんで、でも、すぐ集大成しちゃった、みたいなかたちですね。
池田 つかんだその手で、第二句集に行けないわけ。でも、だいたい句集ってそういうものみたい。
上田 〈ピーマン切って中を明るくしてあげた〉あの手はもうなしね、となっちゃったんですか。
池田 いや、できないんですよ。あんなバカみたいなの、また、やってみたいんだけど、あれほど、バカっぽい、内容のない句はもうできない。
上田 ご本の中でも、虚子について、初々しさとは何だろう、ということを書かれてました。
加わるべきものが加わっていない「初々しさ」ではなく、他のものが加わっても保たれている、人間の自然な有り様としての眼差しに憧れるのだ。p79
できないというのは、やはり、狙っては作れるものではないということでしょうか?
池田 狙うんだけどできない(笑)。あれほどあっけらかんとして、頭わるそうで。でも、自分で言うとおかしいけど、真実だと思うのよ。
上田 なにか、冗談では終らないものがある。あ、そうだ、きのうピーマン切ったら虫いましたよ(笑)。ピーマン切りながら、この句を思い出す人はたくさんいるでしょうね。
池田 私がピーマン切るたんびに思い出すの(笑)。自分で思い出してどうする(笑)。
佐藤 ピーマン切る機会多いですよ。
上田 こういう俳句らしくない俳句が、あたらしい俳句としてむかえられたということはひとつのエポックですよね。座の文学っていうのは、ある意味、変えていくことに、矛盾を抱えるじゃないですか。
池田 そうなんだよね。
上田 変えることは、座の惰性に対する裏切りになるわけだから。だから、これくらい、今までのものと違う句を認めるには、よっぽどはっきりした新しさに対する意志が必要で。
池田 先生は「これがオスミ調だよ」といって、私を扇動したわけよ。先生にそそのかされて、誘い出されなかったら、そっちへは行かなかったかもしれない。
ちょっと怖いじゃない、人が思ってなかった書き方・詩材っていうのは、読者にとってむしろ不愉快?・・・あんまり「お、すばらしい」とは思われない。
上田 以前、文香さんが句会に出した句で〈シャワーと犬朝食のない朝のこと〉。新しくないですか。その場では、一同スルーというかんじだったですけど。
池田 うーーーーん。
佐藤 あったっけ、そんな句。
上田 えーと(笑)。句集と句集の間の変化で言えば、第1句集と第2句集が遠いんですか?(『鑑賞女性俳句の世界 6巻』所収・池田澄子100句抄を見ながら)あ、でも第3と第4のが、大きく変ってますか。
佐藤 私もそういう感じがします。
池田 第3句集の『ゆく船』が、おとなしいんでしょ。
上田 やんちゃじゃないんですよね。
佐藤 『ゆく船』はおとなしいんですけど、洗練されてる感じ。その前はやんちゃで『たましいの話』はまた・・・。
池田 二度童子ね(笑)。
「念力」が足りない
上田 新しい句や書き方ができる時って、どうやって、攻めていくんですか?
池田 なんか、このへんでチカチカしてる。なんかありそうって。
上田 それは、まだできてない。
池田 そう、できてないの。何を書いたらこの感じが出るのかわからないけど、なんかこのへんで「あんたのここにあるわよーっ」て、ぶらさがってるんだね。それが、なんかの偶然で、ふっと出る。
上田 けっこう推敲されると、うかがいましたが。
池田 それは、出てからね。でも、いじくってたら、電気が通じるみたいになることもある。どっちにしても、なかなかない。
上田 いいのができたら、人に見せずにとっとくんですか。
池田 句会にも出すけど、スカーッて通過されたりして。でも、いい評判もこわいのね。
上田 あ、やっぱだめかって、気がつくこともあります?
池田 あるある。違う読みされて、あー、たしかにそうも読める、だめだな、と。
上田 だいぶ前ですけど、句会に来ていただいたときに、澄子さんの読みの厳密さに、はっとさせられたことがあって。また文香さんの句ですが〈秋の海なり巻貝の巻き終り〉この〈終り〉が、名詞か動詞の連用形かわかんないじゃない、と。
あと、中村安伸さんの句で〈色鳥の南大門をくぐりけり〉その状況で〈色鳥〉と思えるかな、っておっしゃて、うーん、なるほど、と。
もひとつ君鳥さんという方の句で〈半畳の荒地野菊をかまひたる〉という句、〈半畳ほどの〉じゃないかな、と。
池田 ああ、ぜんぶおぼえてるわ。その読み方は三橋先生のね。
上田 やっぱり、そうですか。赤線が見えるという(笑)。そのとき「俳句は言葉で書くものだから」とも言われて。
ご本のほうでは、俳句は技が恃みということを書かれてますよね。
少しの言葉で成り立つ俳句は技が恃みであり、取り立てて技と思わせない技をこそ必要とする詩形式である。P209
あのー、だとしたら、俳句が下手ってのは、どういうことなんですかねー。
池田 うーん、むずかしい・・・やっぱり、私、下手で止まっていられるっていうのはね、「念力」が足りないんだと思うんだよね。
上田 念力。
池田 絶っ対に良くしたいという気がないから、ひゅーっと書けたら、できた気がしちゃうんじゃない。たった十七音の言葉よ。よっぽどどうにかしなきゃ人に通じないでしょ。
上田 つきつめることが習慣化するということでしょうか。
池田 よく先生は「念力」とおっしゃた。
上田 新しい一句を呼び寄せるのも念力なら、完璧をめざして、直していくことも念力なんですね。
池田 それは、物足りないからよ。自分が作りたかった俳句にまだなってない、もっといいのにしたいという念力。
上田 そういえば、小説家の保坂和志が「力をふりしぼる能力」っていうことを言ってて。
池田 ああ、そういうことかもしれない。
上田 たとえば陸上競技で、選手じゃなければ「ほんとうの全力」で走るってことが、まずできないって、書いてました。
池田 それでまた、がんばればいい結果が出ると決まったものではないからきついんだね。その上に、どんないいものだって、いい読み手がいなかったら、ないと同じだし。
上田 「読み手」は大事ですね。池田さんはご自身の句について書かれた文章を読んで、思われることとか、ありますか?
池田 うーん・・・・なかなか百パーセントというわけには、いかないな、と(笑)。書いていただいて、ああそうだな、と思う一方で、私こういうところもあるんだけどなー、と。
上田 百パーセント読めてたら、その人は、もう池田さんになっちゃってるんじゃないですか(笑)。
池田 〈忘れちゃえ〉*の騒ぎは、なんとも思わなかった。たしかに「忘れちゃえ」って書いてあるんだから、怒ったおじさんが悪いとは思わない。(*忘れちゃえ赤紙神風草むす屍『たましいの話』所収)
でも書いた本人の私としては「忘れちゃえ」は自分に言ってるんだよね。いっつも忘れられずにいることを、もう、忘れちゃえって。
でも、池田というやつが、自分に言ったと取った人は腹立つかもしれない。だから、たしかに書いてあるなーって思っただけ。
上田 かわうそ亭さんという方が、ブログに「小さな娘が泣きながら『お父さんなんて大っ嫌い』というのと同じ文脈で読めなければ、いったいあんたは何年生きているんですか、と思う」と書かれていました。
仁平勝さんは、池田澄子の代表作は「口語調」「反戦」より日常性の句にあると、書かれています。
池田 『鑑賞女性俳句の世界』(2008・角川書店)に?
上田 ええ。あと『たましいの話』が出たとき「俳句」(2005.10月号)で。
池田 俳句について書くっていうのは、やっぱり「自分の」俳句についての考えを書くことなんじゃないかな。それは仁平さんの俳句観を書かれてるんだと思う。
佐藤 私が俳句の習い始めのころ、戦争とか愛とかをテーマにすることは無理だって言われた経験があって。
池田 それも嘘ではない、私だってそう思うよ。無理っぽい、無謀なことだと思うよ。
もし、自分が他の表現手段を持ってたら、俳句には、ポットから水が出たとか書くのがふさわしいかなと思うかもしれないけど。だけど、それだけでは生きられないんだよね、それを書くだけじゃね。
むつかしいことだっていうのは、身にしみて考えてはいる。だから、たいへんよ。
佐藤 そういう句が、季語が無くてもいいというのは、パワーの差だと思うんです。〈前へススメ前へススミテ還ラザル〉には季語を配する余地がないんじゃないでしょうか。
上田 たとえば戦争の句を書くとき、体温が違うってことあるんですか?
池田 ・・・けっこう、同じかもしれない。
上田 あ、じゃあ、こっちは小声で、こっちは演説、ということでは。
池田 ないわねえ。〈前へススメ〉は、いつどうやって、作ったか憶えがないの。ただ、先生が「これはかなりいいよ」っておっしゃったの。「ただ、みんながいいって言うかは知らないよ」って(笑)。で、結果を見ずに亡くなっちゃったんだけど。
でも、くだらないんだけど〈バナナジュースゆっくりストローを来たる〉も、あれはけっこう自分でうけたの。〈前ヘススメ〉も〈バナナジュース〉も力の入り方は同じよ。
佐藤 澄子さんが、嬉しそうって分かります。
池田 そういうこと気がついたときもおんなじだね。バナナジュースがゆっくりのぼってくるっていうのが、こんなに嬉しいっていうのも、頭がおかしいね。
上田 ものすごくよく分かります。
池田 あの句はあんまり人から言われたこともないんだけど、できたときはね、かなり嬉しかった。
佐藤 バナナジュース飲むたびに思い出す(笑)。
池田 人っていろいろでしょ。おんなじ人が、こっちで「ああ戦争やだよ」って思ってて、こっちで「ああ喉が渇いた水が飲みたい」って思ってる。
上田 戦争というテーマを、三橋さんから引き継がれたという意識はおありですか。
池田 私も最初のころは、戦争の句つくってないんだよね。憶えてないのよ、いつごろのことか。
三橋先生がああいう句を作られていたので、ああいうのもありなんだな、と思ったというのはあるかもしれない。
もし、三橋先生についてなくて、難しいからおやめなさい、それは俳句ではない、なんて言われたら、どうだったかなあ。やっぱり作ってるかなあ。
上田 作られてたかもしれないですね。
池田 うん、分かんない。
上田 三橋さんの最後の句集『しだらでん』について「まるで下手であるかのような直接的主張」というふうに、思われたとか。
池田 下手なわきゃ、ないんだけど。でも、まるで下手みたい。
上田 『しだらでん』をふくむ後期の三句集がすごく好きです。ふっと口をついて出たみたいな句もあって。
池田 でも、すっごい苦労して作ってる。
上田 じゃ下手みたいに見えるって言ったら、三橋さんは我が意を得たりなんですかね。
池田 分からない、言ったけど。『まぼろしの鱶』と『真神』はがらっとちがう。でも『真神』の書き方が本当の先生なんだろうな。『まぼろしの鱶』は、まだ時代に影響されてるところがあって、『真神』でがらっと変ったでしょ。
で、そこからは変れなかったのよ、なかなか。
(次号につづく)
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