池田澄子さん16000字インタビュー「前ヘススメ」も「バナナジュース」も・前編
今月15日に、初の評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)を上梓された池田澄子さんに、お話しをうかがった。(聞き手 上田信治・佐藤文香)
三橋先生はどのへんの場所に
池田 俳句についての文章を集めてみたら多すぎちゃって、けずるのがたいへんだったの。これはいらない、これはいらないってはずしていったら、こんどは全部いらないような気がしてきちゃって(笑)。
自分がどうというんじゃなくて、三橋(敏雄)先生について書いたものをまとめておきたかった。それが人の目に触れれば、三橋敏雄がいたということが記憶される、それが主だったんだけど。
佐藤 読んでて、途中で自分が作りだしちゃいましたよ。俳句のモチベーション上がる。
池田 それだけでもいいわ、出した甲斐あった。
上田 いろいろ、前からうかがいたかったこととか、読ませていただいて考えたこととかを、うかがいたいんですけど。
池田 私は座談が苦手、理論的な話が苦手だから。今日はお二人が話してるのを聞いて、ときどき口をはさむようにするわ(笑)。
上田 あのー(笑)。じゃ、ぼくらが話しすぎるようだったら、止めてください(笑)。
先ほど言われたように、この『休むに似たり』は、池田さんが師事された三橋敏雄先生について考えられた文章が中心をなしています。
それぞれの文のタイトルからも「恋の告白ではなく」「我は海」「記憶する意志」「非安穏の俳句」「学んで、なぞらない」と、力をこめられていることが伝わります。・・・あの、ふだん、三橋先生の存在を感じるとしたら、どのへんの位置に、感じてらっしゃいますか?
池田 はい?
上田 いや、場所として。遠くのうしろのほうから見られてる感じ、とか、すぐ横とか。
池田 ああ、正面!
上田 正面? どっち向きですか? 背中をむけて?
池田 いや、もう、こっち向いて「こう」(威儀を正す)ですよ。向い合って。
佐藤 どれくらいの距離ですか。
池田 これくらい(1メートルくらい前を指す)。
上田 それじゃ、先生しか見えない(笑)。じゃあ、常にもう、まん前にいる。
池田 まだ亡くなったっていう感じがないんですよ。
それまでも、いつも、一緒にいたわけではないから。月一回か二回ですよね、お会いするのが。その他の日には、そばに居なかったわけだから。その、今日は居ない日、というのが続いている感じ。
・・・文句を言わないのが気に入らないのね。「なに、それ」とかさ。
上田 そんなに、いつも言われっ放しじゃなかったんでしょう?
池田 もともと、そんなに言われているわけじゃなかったんだけど、「なんか言いたいんじゃありません?」という気持ちが常にあるわね。
上田 以前「恒信風 第6号」(1997)のインタビューで、句を見ていただいていたころ、まずいところに三橋さんの赤線が引かれて、帰ってくる。そのうち、自分の句に赤線が見えるようになってきた、と言われてましたね。(→インタビュー全文)
池田 それは今でもそう! ここんとこ赤い線だなあ、って見える。
上田 ここはダメというふうに言われるんですか?
池田 「ここは考えどころ」って言われる。
上田 作家として認められる関係になって、先生から澄子さんへの注文ていうのは、どういうかたちに?
池田 とくになし。
上田 そうですか。先生もどんどん変っちゃいますしね。
池田 「先生これ、アタシの句が元じゃないですか」みたいのもあったりして。
上田 はい『畳の上』(1988)『しだらでん』(1996)とか。
佐藤 逆に、澄子さんの『たましいの話』(2005)には、先生の句に近いものを感じます。
池田 ああそう。先生は『たましいの話』の句は、あんまり見てらっしゃらないのよね。
佐藤 澄子さんの句は、わりと身近なところから攻めるのが多いんですけど、『たましいの話』になると、自分から遠いところ遠いところを攻める句が入ってくる。
池田 いつだったか、友だちが「澄子さんの句は、平句がうまいのよねえ」と言ったことがあって、そうしたら先生が「最近は立句が増えてるよ」って言ってくださった。
上田 狙ってるエリアが動いていってる。
池田 それは先生が、前と同じものダメだから。同じがダメはきついのよ。
これは既にあるね。先生はよく、そう仰った。先ずは今までなかった俳句、良いかどうかはその次、と仰った。p50(『休むに似たり』以下同)
上田 一度やった手はだめって、きついです。
池田 第一句集の『空の庭』のとき、年代順のはじめのほうは、何も分からないで書いてるけど、最後のほうで、他の人と違うものが出てきたみたいなのね。
上田 それは、いわゆる初期の代表句といわれるものですね。
池田 そう。そのころ「壚〓*(ローム)」という三橋先生の監修で出していた雑誌があって、7人が50句、そこに2回出して、ようやく、これが池田澄子かなというのが出て、そのすぐあと第一句集が出て。そのあとがたいへん!(*土偏に母)
上田 何かつかんで、でも、すぐ集大成しちゃった、みたいなかたちですね。
池田 つかんだその手で、第二句集に行けないわけ。でも、だいたい句集ってそういうものみたい。
上田 〈ピーマン切って中を明るくしてあげた〉あの手はもうなしね、となっちゃったんですか。
池田 いや、できないんですよ。あんなバカみたいなの、また、やってみたいんだけど、あれほど、バカっぽい、内容のない句はもうできない。
上田 ご本の中でも、虚子について、初々しさとは何だろう、ということを書かれてました。
加わるべきものが加わっていない「初々しさ」ではなく、他のものが加わっても保たれている、人間の自然な有り様としての眼差しに憧れるのだ。p79
できないというのは、やはり、狙っては作れるものではないということでしょうか?
池田 狙うんだけどできない(笑)。あれほどあっけらかんとして、頭わるそうで。でも、自分で言うとおかしいけど、真実だと思うのよ。
上田 なにか、冗談では終らないものがある。あ、そうだ、きのうピーマン切ったら虫いましたよ(笑)。ピーマン切りながら、この句を思い出す人はたくさんいるでしょうね。
池田 私がピーマン切るたんびに思い出すの(笑)。自分で思い出してどうする(笑)。
佐藤 ピーマン切る機会多いですよ。
上田 こういう俳句らしくない俳句が、あたらしい俳句としてむかえられたということはひとつのエポックですよね。座の文学っていうのは、ある意味、変えていくことに、矛盾を抱えるじゃないですか。
池田 そうなんだよね。
上田 変えることは、座の惰性に対する裏切りになるわけだから。だから、これくらい、今までのものと違う句を認めるには、よっぽどはっきりした新しさに対する意志が必要で。
池田 先生は「これがオスミ調だよ」といって、私を扇動したわけよ。先生にそそのかされて、誘い出されなかったら、そっちへは行かなかったかもしれない。
ちょっと怖いじゃない、人が思ってなかった書き方・詩材っていうのは、読者にとってむしろ不愉快?・・・あんまり「お、すばらしい」とは思われない。
上田 以前、文香さんが句会に出した句で〈シャワーと犬朝食のない朝のこと〉。新しくないですか。その場では、一同スルーというかんじだったですけど。
池田 うーーーーん。
佐藤 あったっけ、そんな句。
上田 えーと(笑)。句集と句集の間の変化で言えば、第1句集と第2句集が遠いんですか?(『鑑賞女性俳句の世界 6巻』所収・池田澄子100句抄を見ながら)あ、でも第3と第4のが、大きく変ってますか。
佐藤 私もそういう感じがします。
池田 第3句集の『ゆく船』が、おとなしいんでしょ。
上田 やんちゃじゃないんですよね。
佐藤 『ゆく船』はおとなしいんですけど、洗練されてる感じ。その前はやんちゃで『たましいの話』はまた・・・。
池田 二度童子ね(笑)。
「念力」が足りない
上田 新しい句や書き方ができる時って、どうやって、攻めていくんですか?
池田 なんか、このへんでチカチカしてる。なんかありそうって。
上田 それは、まだできてない。
池田 そう、できてないの。何を書いたらこの感じが出るのかわからないけど、なんかこのへんで「あんたのここにあるわよーっ」て、ぶらさがってるんだね。それが、なんかの偶然で、ふっと出る。
上田 けっこう推敲されると、うかがいましたが。
池田 それは、出てからね。でも、いじくってたら、電気が通じるみたいになることもある。どっちにしても、なかなかない。
上田 いいのができたら、人に見せずにとっとくんですか。
池田 句会にも出すけど、スカーッて通過されたりして。でも、いい評判もこわいのね。
上田 あ、やっぱだめかって、気がつくこともあります?
池田 あるある。違う読みされて、あー、たしかにそうも読める、だめだな、と。
上田 だいぶ前ですけど、句会に来ていただいたときに、澄子さんの読みの厳密さに、はっとさせられたことがあって。また文香さんの句ですが〈秋の海なり巻貝の巻き終り〉この〈終り〉が、名詞か動詞の連用形かわかんないじゃない、と。
あと、中村安伸さんの句で〈色鳥の南大門をくぐりけり〉その状況で〈色鳥〉と思えるかな、っておっしゃて、うーん、なるほど、と。
もひとつ君鳥さんという方の句で〈半畳の荒地野菊をかまひたる〉という句、〈半畳ほどの〉じゃないかな、と。
池田 ああ、ぜんぶおぼえてるわ。その読み方は三橋先生のね。
上田 やっぱり、そうですか。赤線が見えるという(笑)。そのとき「俳句は言葉で書くものだから」とも言われて。
ご本のほうでは、俳句は技が恃みということを書かれてますよね。
少しの言葉で成り立つ俳句は技が恃みであり、取り立てて技と思わせない技をこそ必要とする詩形式である。P209
あのー、だとしたら、俳句が下手ってのは、どういうことなんですかねー。
池田 うーん、むずかしい・・・やっぱり、私、下手で止まっていられるっていうのはね、「念力」が足りないんだと思うんだよね。
上田 念力。
池田 絶っ対に良くしたいという気がないから、ひゅーっと書けたら、できた気がしちゃうんじゃない。たった十七音の言葉よ。よっぽどどうにかしなきゃ人に通じないでしょ。
上田 つきつめることが習慣化するということでしょうか。
池田 よく先生は「念力」とおっしゃた。
上田 新しい一句を呼び寄せるのも念力なら、完璧をめざして、直していくことも念力なんですね。
池田 それは、物足りないからよ。自分が作りたかった俳句にまだなってない、もっといいのにしたいという念力。
上田 そういえば、小説家の保坂和志が「力をふりしぼる能力」っていうことを言ってて。
池田 ああ、そういうことかもしれない。
上田 たとえば陸上競技で、選手じゃなければ「ほんとうの全力」で走るってことが、まずできないって、書いてました。
池田 それでまた、がんばればいい結果が出ると決まったものではないからきついんだね。その上に、どんないいものだって、いい読み手がいなかったら、ないと同じだし。
上田 「読み手」は大事ですね。池田さんはご自身の句について書かれた文章を読んで、思われることとか、ありますか?
池田 うーん・・・・なかなか百パーセントというわけには、いかないな、と(笑)。書いていただいて、ああそうだな、と思う一方で、私こういうところもあるんだけどなー、と。
上田 百パーセント読めてたら、その人は、もう池田さんになっちゃってるんじゃないですか(笑)。
池田 〈忘れちゃえ〉*の騒ぎは、なんとも思わなかった。たしかに「忘れちゃえ」って書いてあるんだから、怒ったおじさんが悪いとは思わない。(*忘れちゃえ赤紙神風草むす屍『たましいの話』所収)
でも書いた本人の私としては「忘れちゃえ」は自分に言ってるんだよね。いっつも忘れられずにいることを、もう、忘れちゃえって。
でも、池田というやつが、自分に言ったと取った人は腹立つかもしれない。だから、たしかに書いてあるなーって思っただけ。
上田 かわうそ亭さんという方が、ブログに「小さな娘が泣きながら『お父さんなんて大っ嫌い』というのと同じ文脈で読めなければ、いったいあんたは何年生きているんですか、と思う」と書かれていました。
仁平勝さんは、池田澄子の代表作は「口語調」「反戦」より日常性の句にあると、書かれています。
池田 『鑑賞女性俳句の世界』(2008・角川書店)に?
上田 ええ。あと『たましいの話』が出たとき「俳句」(2005.10月号)で。
池田 俳句について書くっていうのは、やっぱり「自分の」俳句についての考えを書くことなんじゃないかな。それは仁平さんの俳句観を書かれてるんだと思う。
佐藤 私が俳句の習い始めのころ、戦争とか愛とかをテーマにすることは無理だって言われた経験があって。
池田 それも嘘ではない、私だってそう思うよ。無理っぽい、無謀なことだと思うよ。
もし、自分が他の表現手段を持ってたら、俳句には、ポットから水が出たとか書くのがふさわしいかなと思うかもしれないけど。だけど、それだけでは生きられないんだよね、それを書くだけじゃね。
むつかしいことだっていうのは、身にしみて考えてはいる。だから、たいへんよ。
佐藤 そういう句が、季語が無くてもいいというのは、パワーの差だと思うんです。〈前へススメ前へススミテ還ラザル〉には季語を配する余地がないんじゃないでしょうか。
上田 たとえば戦争の句を書くとき、体温が違うってことあるんですか?
池田 ・・・けっこう、同じかもしれない。
上田 あ、じゃあ、こっちは小声で、こっちは演説、ということでは。
池田 ないわねえ。〈前へススメ〉は、いつどうやって、作ったか憶えがないの。ただ、先生が「これはかなりいいよ」っておっしゃったの。「ただ、みんながいいって言うかは知らないよ」って(笑)。で、結果を見ずに亡くなっちゃったんだけど。
でも、くだらないんだけど〈バナナジュースゆっくりストローを来たる〉も、あれはけっこう自分でうけたの。〈前ヘススメ〉も〈バナナジュース〉も力の入り方は同じよ。
佐藤 澄子さんが、嬉しそうって分かります。
池田 そういうこと気がついたときもおんなじだね。バナナジュースがゆっくりのぼってくるっていうのが、こんなに嬉しいっていうのも、頭がおかしいね。
上田 ものすごくよく分かります。
池田 あの句はあんまり人から言われたこともないんだけど、できたときはね、かなり嬉しかった。
佐藤 バナナジュース飲むたびに思い出す(笑)。
池田 人っていろいろでしょ。おんなじ人が、こっちで「ああ戦争やだよ」って思ってて、こっちで「ああ喉が渇いた水が飲みたい」って思ってる。
上田 戦争というテーマを、三橋さんから引き継がれたという意識はおありですか。
池田 私も最初のころは、戦争の句つくってないんだよね。憶えてないのよ、いつごろのことか。
三橋先生がああいう句を作られていたので、ああいうのもありなんだな、と思ったというのはあるかもしれない。
もし、三橋先生についてなくて、難しいからおやめなさい、それは俳句ではない、なんて言われたら、どうだったかなあ。やっぱり作ってるかなあ。
上田 作られてたかもしれないですね。
池田 うん、分かんない。
上田 三橋さんの最後の句集『しだらでん』について「まるで下手であるかのような直接的主張」というふうに、思われたとか。
池田 下手なわきゃ、ないんだけど。でも、まるで下手みたい。
上田 『しだらでん』をふくむ後期の三句集がすごく好きです。ふっと口をついて出たみたいな句もあって。
池田 でも、すっごい苦労して作ってる。
上田 じゃ下手みたいに見えるって言ったら、三橋さんは我が意を得たりなんですかね。
池田 分からない、言ったけど。『まぼろしの鱶』と『真神』はがらっとちがう。でも『真神』の書き方が本当の先生なんだろうな。『まぼろしの鱶』は、まだ時代に影響されてるところがあって、『真神』でがらっと変ったでしょ。
で、そこからは変れなかったのよ、なかなか。
(次号につづく)
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2008-07-20
池田澄子インタビュー・前編
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