池田澄子さんインタビュー
「前ヘススメ」も「バナナジュース」も・後編
初の評論集『休むに似たり』(ふらんす堂)を上梓された池田澄子さんへのインタビュー。話題は転々、「女性俳句」、語り継ぐこと、「写生」について、そして若者への叱咤激励も。(聞き手 上田信治・佐藤文香)
上田 話変りますけど『鑑賞女性俳句の世界』って、あれ「男性俳句の世界」があったら、どなたを書いてみたいですか。
池田 え?
上田 三橋先生以外で。
池田 んー、三橋先生は絶対私が書くっ、というのは内緒だけど。そーねー、興味の尽きないのは虚子だけど。んー・・・京極杞陽かな。
上田 たぶん櫂未知子さんと競合しますが(笑)。杞陽のような、ホトトギスのなかの自由な人の系譜はおもしろいですね。そういえば、杞陽は、昭和33年になってから、やっと震災忌の句を残していて・・・。
池田 川崎展宏さんもそう。空襲のことはずいぶん経ってから書かれて。
上田 簡単に書けることではないんでしょうね。
池田 でも書かずにはいられない。宗左近の『炎える母』しかりね。
けれども、詠み残さないよりは、残した方がよい、と私は思う。人間すべてに、不幸が至らないようにと祈らないよりは祈った方がよい、と私は思う。p269(『休むに似たり』以下同)
佐藤 「女性俳句」といえば〈人類の旬の土偶のおつぱいよ〉のおっぱいは、桂信子さんの〈ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき〉の乳房と、ずいぶん違いますね(笑)。
池田 あの句は、苦労したわ。何年もかかった。
佐藤 男の人だと「おっぱい」って、書ききれないかもと思いました。
上田 大好きな句です。
池田 あれは、私じゃなくて、土偶がすごいんだよ。
佐藤 でも、なんで「女性俳句」なんだろう、とは思いますよね。
上田 たとえばですけど、基本的に女性の小説家の本しか読まない女性読者って多いはずなんですよ。最近変ってきてると思うし、小説とかマンガは、メディアの性質として、感情移入が必須ということもあるんですけど。
それでもやっぱり、俳句においても、人は共感できるものをまず欲するから、女性は女性作者に思い入れしがち、ということはある。
で、さっきの話にもどると、三橋さんの句から三橋さん「本人」には、なかなか感情移入させてもらえない。
池田 私は、先生が、苦しんで俳句作ってるところ見てるから「泣ける」けど、読者としては「すごい」けど、泣けないっていうのがあるかもしれない。
上田 さっき話出た田中裕明さんも、そういうところ三橋さんに似てて、つかみどころがなくて、特に生前は、あまり読まれてなかったイメージがあって。
でも、田中さんは夭折と言っていい亡くなり方で、物語ができちゃったっていうか、そこで入り口ができた・・・まあ、あんまり、なんでも「死の予感」に結びつけないほうがいいとは思うんですけど。
池田 そう。作品ていうものは、もともと、どっかに「死の予感」はあるわけだから・・・でも、読まれるってことは、ありがたいことよね。
上田 三橋さん、なんとかしないと。
池田 ほんと、なんとかしないと。顕彰俳句大会とかすれば名前は残るけど、そういうのとも違うし。
上田 なんていうか、作家の影響っていうのは伏流水みたいに、下をとおって、思わぬところにあらわれるものなんじゃないかと思います。
佐藤 三橋さんは、自分とは違うものしか認めないから、別のやり方で継ぐ人は継いで、いったん三橋さんはいなくなってしまって、それで、いいんだと思う。影響は、これから現れないとは限らない。
池田 だいたい、同じ程度のものを作れる人はいないわね。明らかには、まだ、ない。
上田 前衛俳句の作家はみんなそうですね。近寄るとあぶない、影響力が強すぎて殺されちゃうみたいに言われて。
佐藤 でもそういう継がれ方ではなくて、あの人の作り方があったから、別のやり方で、こういうふうにできたんだっていうふうに、継がれるといいと思います。
上田 親子じゃなくて、おじいさんと孫が共闘を結ぶってこともある。隔世遺伝的に。
佐藤 孫の世代といえばわたしだ(笑)
上田 いや、そうそう。似てるんじゃない? 作り方。文香さんは、感情移入させる句も作るけど、本領は違うと思う。
池田 私はね、遅くなって俳句を知ったから、「若くして俳句作る」ということを知らなくて、ほんとうには理解できないんだけど。あなたは、もうちょっと「出してもいい」と思う。
佐藤 何を? 感情をですか?
池田 感情じゃないんだけど、自分を。なんか、出来過ぎてるかなっていう感じも、なくはない。
上田 完成度によって自分を殺そうとしてるからなあ。
池田 そう、それが殺せてしまっているから(笑)。もうちょっと殺せない部分も出ていいかなあ。
佐藤 もう句集一冊でたから、別の段階へ行くんで、見てて下さい。
池田 よし(笑)。
上田 今、俳句に、新しいものが生まれつつあると、感じることはありますか?
池田 わかんないなー・・・「この新しい流れが出てきたな」っていう気分はあんまりしてないんだけど。
上田 宗左近さんとの対談*で、三橋さんが「いったんどこかで今の俳句の実績は終るような気がしてしょうがない」と言われていて。
*『21世紀の俳句』(宗左近・1997) 所収
池田 けっこう、今、やばいところのような気が・・・いろいろ考えてね・・・いよいよだめになると、次が出てくるじゃない。あたしは、そのはざまかな、なんてね(笑)。
佐藤 がんばりましょう。
池田 なにをがんばっていいか分からない(笑)。
上田 自分は自分の作品を書き、読む。
池田 あと、いいのを残すっていうの? やっぱりそれをしないと、みんな忘れちゃうもんね。自分がいいなと思っただけでは残らないのよ、自分が死んじゃったら。言わないと。
だから悪いもの誉めちゃいけないんだね。いいものを見つけて、ちゃんといいって言わないと。だいたいのものは、なかったことになるよね。
佐藤 櫂未知子さんが、句集でも本でも、いいのが出たら言ってまわる人がいないことには、はじまらないと言われてました。
上田 あの人の言うことなら聞こう、と思える人がいることは、ありがたいことです。
池田 いま、冊数が多いでしょう、なかなかじっくり読んでもらえない。
佐藤 三橋さんの取りあげられかたは、どうなんでしょうか。
池田 前期のもののほうが良かったっていうふうに、言う人が多いかな。
佐藤 私が俳句をはじめてから、三橋敏雄さんがどう、というのを聞くことって、実はとても少ない気がする。
池田 じゃあ誰が読まれてるんだろう、たとえば、亡くなって間もない作家で。
上田 飯田龍太ってことになるんでしょうけど。本当には読まれてない気がする。むしろ、いきなり虚子と虚子周辺にもどるか、あるいは、やっぱり同時代の人か。
池田 虚子には、なんでもあるからね。
上田 分かりやすさと姿のよさということが、いま大事にされていて、それで虚子なのかなと。
池田 虚子の言うことだけが正しい、という言い方をする人については、虚子はそんなことは言ってませんよ、ということを言いたいわね。虚子にはけっこう見立ての句とか、客観写生っていいながら、写生じゃない句が多いでしょ。
上田 そういえば澄子さん「客観写生は凡人にはできない」(あさがや草紙「俳句」2006.11)と、書かれていましたけど、あれは、どういうことですか(笑)。虚子が、この道さえ信じていればと、せっかく準備した方法論を(笑)。
池田 いやいや「客観」できないわけだよ、人って。子規が「写生」って言ったのもそうでしょ。
上田 子規は、理想画に、写生を対置した。
池田 そう。だからね、写生するっていうのは、自分の中にあるいろいろを捨てちゃわないと。コレは美しいって思っちゃったらもう、客観できないんだよ。既成概念があったら、写生は出来ない。大体決まってるじゃない、コレを見たら美しいとか、コレを見たら悲しいとか。
上田 既成観念を脱するために写生をする、とも言えると思うんですけど。
池田 生まれたばっかりの人間が、コレを見たらどう思うか、っていうところまでいかないと、客観写生とは言えないんじゃないかな。なかなかそれは、できない。
もう生まれてからいろいろあったからね。それを、はじめての目で見たらどうなるか、なかなかできないけど、それをしたいよね。
上田 じゃあ「こう書いたらいい句になりますよ、こういうのがいい句ですよ」という観念も。
池田 邪魔なのよ。
上田 それ「らしい」写生句は、なぞりにすぎないかもしれない。
池田 そう。
上田 うーん。
佐藤 〈バナナジュース〉は。
池田 あれは(笑)ちょっとは、できてるといいな、くらいかな。
上田 〈はつ夏の空からお嫁さんのピアノ〉(『空の庭』)はどうですか。
池田 ああ、あれはね・・・単なる事実なのね。
上田 はつ夏と、お嫁さんという物語のある言葉が、上から事実でつらぬかれている。写生は、理念だけじゃできないですね、機会がないと。
佐藤 虚子の『俳句への道』を読んだんですけど、客観写生と花鳥諷詠ばっかりで、これを中に入って、繰り返し言われたら、信じるようになるかな、と。ちょっと宗教っぽい。
上田 ああ、花鳥諷詠に関係するんですけど、吉本隆明が、わりと最近「現代日本の若い人の詩は自然を失った」というようなことを書いて(『日本語のゆくえ』2008)、詩壇をちょっとゆるがせた、ということがあったそうなんですけど。
三橋先生は、自然というものを、どう考えていたんでしょうか。
池田 人間込みの「自然というもの」には、関心がある。単なる風景としての自然じゃなくて。風景っていうのは、自然の一部の「きれいだ」っていう切り取り方だよね。それ自体には特に関心がないのかな。草があって木があって人間もいて、それが自然だ、という意味では最大の関心事だったと思う。
上田 ご本の中の「言葉で作る真実」と題された文で、三橋さんの〈星映す海のべた凪星月夜〉と〈長濤を以て音なし夏の海〉の句を並べられて。
池田 そうそう、べた凪の夜を船で行くとき、星空の中を進んでいくようだった、っていう話を聞いたときは、本当にどきどきしたんだけど、句を見たときは、あのときのことかな、とは思ったけど感動はできなくて。
見えるはずの〈星映す海〉よりも、見えない〈長濤を以て音な〉き〈海〉のほうが迫真力を持つことの不思議が俳句形式にはある。p253上田 三橋先生は、季語を、使われないわけではないですが。
佐藤 季語のためには書いてない。
池田 そうね。季語を利用している。季語で言えるものを書きたいとは思ってない。
この「長濤」の句、お友だちで「ここは「冬の海」でしょう」っていう人がいたんだけど、もし「冬の海」だったら「冬の海」の荒々しさが「ものを言う」でしょ。それだと、違ってしまうものがある。
上田 なるほど。「夏の海」と言ったにしても、季語としての夏の海ではないかもしれない。
つまり、三橋先生は、ある種の物語や既成の情緒を背負った季語の使い方を禁欲されるほうですか。
池田 そうだろうね。そこが、だから、人の共感しにくいところかもしれない。
佐藤 若いころに俳句のハウツーを学んだ身としては、冬の海はこういう気分、夏の海はこういう気分でしょ、それが、ここに入ると素敵でしょって、教えられた。もっとも季語を効果的に使うという考えかた。
上田 本意ですね。
池田 それは三橋先生と正反対。
上田 澄子さんは、本意は、いかがですか。
池田 ほとんどはずしますね。
上田 それは、わざわざですか。
池田 それって既成概念でしょ? だから、私の句は、あんまり、読者からうけない(笑)。
上田 いや、澄子さんほど、共感させる作家はめったにいないですよ。人を、驚かせて共感させる。
季語は、どっちかというと、驚きサイドの担当かもしれないですね。〈人は人を愛したりして青菜に虫〉。どうして、そのタイミングで、そのことを思ったんだろうという驚き。〈茄子焼いて冷やしてたましいの話〉。これは、〈冷やして〉で、ぐーっと共感性が。
佐藤 冷さないと、たましいの話に行かないんじゃないですか(笑)。
池田 熱いままじゃだめか。
上田 冷やして、くたっとなった、たましいについて語る(笑)。
池田 でも、たしかに季語を主役にはしてないんだね。
上田 いい脇役(笑)。元日の句が、多いですね、そういえば。〈元日の茶筒枕になりたがる〉なんていうのもあって。
池田 どれも、めでたくないのね。色紙に書けないのよ、お正月にかざれないでしょ。
上田 でも、その元日という日が特別である「ふしぎ」が、冷蔵庫が開けば灯るっていう「ふしぎ」にちょうど釣りあってる。これは、どっちが主役ともいえません。
そういえば、三橋さんは、日常性から切れてる感じがしますね。
池田 日常生活っていうものがなかったんじゃないかな。
上田 〈表札は三橋敏雄留守の梅〉。留守なんですよ。
池田 船乗ってるからね(笑)。日常生活っていう気持ちは皆無かもしれない。
上田 〈枝豆の食ひ腹切らばこぼれ出む〉。腹切るなんて、そんな虚構をかまさないと、枝豆も食べられない。でも、そうやって日常に帰ってきたのかもしれないです。長い旅をして帰ってきたら、畳の上に団扇もあったという・・・いや、すいません、勝手なことばかり。
あ、そういえば、先生が「僕だって即吟が出来ないわけじゃない。一歩に一句作るくらいのことは出来る」(p36)って言われて、ほんとに、一歩ずつ、五七五、七五五、虚子調、アベカン調、オスミ調、って作ってみせたっていうエピソードがありましたよね。
技術って言うのは、なんでも作ればできるっていうことなんだな、と思って。でも、それを抑制されていた、と。
ふつう、ベテランの方というのは身につけた技術で「悠々とした作句ぶりで」と評されるような仕事ぶりになっていくわけですが。
池田 「喋れば五七五」みたいなことは、私は、自分では、やろうと思わない。一句ずつ「つまづきながら」作りたい。いくらでも作ろうと思えばできますよ、というのは、空しくないかしら。
上田 たくさん作って無意識を呼ぶ、という作句法もあると思いますが。
池田 早くぱぱっと作れる人っているんだよね。でも、自分でやるのは、やだな。俳句って、そういうものかなあ、みたいなさあ・・・訓練すれば作れますみたいなのって、ちょっと違うような気がするのよねえ。
上田 虚子が誰よりも早く、句帳に書きつけていったっていうのが神話になっている。まあ〈バナナの皮〉みたいな句はめったに出来ていないのですが。あと、爽波の「スポーツ説」の影響もあるでしょうか。
池田 私も実はいっぱい作るし、職人みたいな腕も必要だと思うんだけど、職人になりきっちゃうのはどうか、と。青臭い話になっちゃうんだけど、やっぱり、芸術でしょ、って。
上田 じゃ、これから、楽になろうっていう気は、あんまりないですか?
池田 だって、楽はつまんないんだもん(笑)。因果なこっちゃ(笑)。
上田 三橋先生は、ぽんぽん作らないように、自制されていた。悠々と作っているように見せて、簡単には作ってなかったってことでしょうか。
池田 かんたんに作ると、上手い句になってしまうということだと思うんだよね。
上田 それを受けつがれてる。
池田 気持ちだけね。
上田 おとぼけぶりでいえば、澄子さんも相当です。だって〈震度2くらいかしらと襖ごしに言う〉とか。
池田 そうね、そういう句は先生作らなかったわね。
『しだらでん』のあと、作って発表されなかった句も、見てるんだけどおぼえてないの。ちょっと面白くてばかげてるような句だった。でも発表しないまま、捨てて亡くなってしまって。探したのよ! いろんなところを。だけど、ほんとにない。
上田 にくらしいようなダンディズムですね。三橋さんは、まだ亡くなるつもりはなかったんでしょうか。
池田 いや、死ぬ気はあったと思う。きつかったんじゃないかな、体だけじゃなくて思うように書けないことが。
飯島晴子さんが亡くなったとき、先生に「私、なんか気質が、飯島さんタイプな気がするんですけど」って言ったら、「あっそう」って。
先生も、違うことをやってみられてもよかったのにね、しっちゃかめっちゃか、やったり。
上田 居てくださるだけでもね。
池田 そう、読む能力っていうのは持続できると思うのよ・・・でも新しいものをつくるっていうのは、できなかったらできない。自分もいつまで作れるかなあって思うもん。
上田 俳句って「そうとう死にそうでもできる」っていう・・・誤解でしょうか。
池田 死にそうじゃできないと思う(笑)。
あの辞世の句は、ってわたしが辞世の句にしちゃったんだけど(笑)、あれはいいでしょう明るくて。〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝〉。
佐藤 はい、なんか広場に出たってかんじがします。
池田 めでたいっていう気がするでしょ。みんなに、安心してろ、俺寝てるからって。
上田 〈夢は枯野をかけめぐる〉をひっくりかえして、明るくしたような。
池田 〈昼寝〉は夏だけど、亡くなったのは冬なのね(笑)。
佐藤 追悼文で「三橋敏雄、ただいま蒼天にて大昼寝中」(p49)って書かれてるのがうれしかったです。
上田 過去の俳句全体と、ご自分のつながりをどう考えてらっしゃいますか。
池田 あんまり考えてない。一句を作ってるときは何にも考えてない。選んで発表するとき、こういうことだったのか、って出てくる。
上田 三橋さんは、自分は「雑」の句をやる、とか言われたりして、新しさに対する強い意志があった。池田さんにとっては、三橋さんにむけて書くことが、伝統に向かい合うことにつながるのかな、と。
池田 先生はテーマってよく言ってらした。私は、まとめるときに、やっと出てくる。こういうテーマだったのかって。
佐藤 それって男の人っぽい、女の人っぽいっていうことかも。
池田 私もそれ言おうと思った(笑)。
上田 「俳句の新しさとは何か……それは分からない、現われてみないことには」あれは、ほんとにまいった。
池田 分かってれば、もう新しくないじゃない。分かってるような気になるから、まずい。
上田 まだ無いものにむかっての努力ですね。
池田 そんなのね、ひょいひょい書けないって。えらいことやってるわよ、私たち。
でも、三橋先生、朝日文庫の監修をやられたじゃない(『現代俳句の世界』全16巻・1984-85 虚子以降、明・大・昭の代表的俳人26人の句業を網羅した選集)。あれ全部やったあと「まだ手はある」って言われてた。
上田 すごい。なんで先生、そんなに、新しくなければと思われていたんでしょう。
池田 分からない。そういう人だったとしか。
佐藤 すでにあるものなら作れちゃうからかも。できないことは、なにかを探してて、それで、先生ができない書き方だったから、オスミ調って。
池田 「君が二十歳なら」って言われたんだから。
上田・佐藤 ひっどーい!
池田 「君が二十歳なら、売り出すんだけどなー」って(笑)。
上田 でも、じゅうぶん間に合うということが証明されたんだからいいんです。
佐藤 ほんとですよ。
池田 冗談よ。
もっと若い人は、自分のことを書いてもいいなあって思うのよ。
なんかゆとりがある、今の若者。それが歯がゆいのよ。ゆとりいらないって。ちょっとダメって言われてもいいから、ぶつけてごらんて言いたくなる。上手で、凝ってるけど、なんか物足りないのよ。凝ってる暇ないだろーって言いたくなる。
俳句はね「これは俳句じゃない」っていうのはある。でも「こうじゃなきゃだめ」っていうのはないと思う。
(2008.7.15)
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2008-08-03
池田澄子インタビュー・後編
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