2011-08-21

【週刊俳句時評第41回】 残と拝(拝の部) 生駒大祐

週刊俳句時評第41回
残と拝(拝の部)

生駒大祐

四.

「残の部」を割とかたーく書いたので、拝の部はゆるーく書いていきたいと思う。

五.

『拝復』を読んだ僕の第一印象は、「明るい句集だなあ」というものであった。以下では、たらたらとその「明るさ」の正体を考えていきたいと思う。

六.

さてさて、前著となる「自句自解ベスト100 『池田澄子』」によると、

本当は逢いたし拝復蟬時雨

第二句集『いつしか人に生まれて』を纏めているとき、タイトルを幾つか考えた。その中の一つが「拝復」だった。迷っていると三橋先生が、ちょっと地味だな、第三か第四句集ならいいけども、仰ったのだった。(中略)日々さまざまのものを拝受していて、そのあとのそれ故の「拝復」である。


とある。第二句集の刊行が1993年7月だから、実に18年越しのタイトルということになる。

「日々さまざまのものを拝受していて、そのあとのそれ故の「拝復」である。」とあるように、『拝復』の中で澄子は外の世界のものたちをたくさん嬉しがったり楽しがったりしている。

きぬかつぎ嘆いたあとのよい気持ち
風邪気味のたのしいのんべんだらりかな
切る前の西瓜を洗う掌のよろこび
指嬉し雨のピークのきぬかつぎ
嬉しからん蓮の葉裏を映す水
四季ありて汗のシャツ脱ぐ嬉しさよ
命嬉し綿虫草々私たち

しかし、それと同じくらい、いやもっとたくさん、澄子は否定的な語彙を使って外の世界のものたちを描写している。

とことわに日めぐる憂さを八重桜
春よ春見られ疲れの樹を見つめ
苦しんで刺繍の柄になる紅薔薇
湧く水の流石に飽いているらしく
行けぬ島は行かぬ島なりニセアカシア
想い見る何処も退屈扇子に紐
惜別を数えあぐれば海霧深し

第Ⅰ章から7句引いた。「憂さ」「疲れ」「苦し」etc。一句一句取り出してみれば、澄子の周りの世界はそんなに嬉しいことばかりではない。むしろ、澄子を憂えさせ、疲れさせ、苦しませるものもので満ち溢れているようだ。

ではなぜ、僕はこの句集を「明るい」と思ったのだろうか。

七.

正直に生きるということを考える。自分の感情を全て表に出し、言いたい事を全て口に出して生きる。それはおそらく、正直だと言って良い生き方だろう。

こんな生き方をしている人がいたら、周りの人は大変だろうな、と僕はまず考える。僕がそうだったら始終「疲れたー眠いー」と言ってなきゃいけないし。「君のことが嫌いだ」ということも言わなくてはならないだろう。そんな話を聞かされていたら疲れてしまう。

しかし。よく考えたらそれに近いことを僕は本当に身近な人の前では割としているな、とも思う。家族とか、親友とか、恋人とか。それで、彼らはそれを「はいはいそうだね。疲れたね。眠いね」と上手にスルーしてくれている。その対応に僕は怒るかというとそんなことはないし、むしろ癒されている。

そしてもっとも大事なことは、逆にもし家族や親友や恋人が正直に接してくれなかったら、僕はとても困ってしまうと言うことだ。もしかしたら彼らが一人で悩んで一人で辛く思っているかと思うと、僕もとても辛い。むしろ、正直に接してくれる存在だからこそ、その人を家族や親友や恋人と呼べるのではないだろうか。

長々と書いてしまったが、つまりは、そういうことではないだろうか。

「澄子は正直に俳句を作っているから、読者の心によく届く」という精神論みたいなことは別に言わない。澄子の俳句は正直というにはひどくテクニカルだし、フィクションもたくさん含まれているであろうことは表現以前の問題として、当然のことだ。

ただ、テクニカルであるということはテクニックを用いて「何か」をしたいという欲望があるのだし、フィクションを交えることは伝えたい主題の存在を暗に打ち出している。

その意味で、澄子の俳句は「何かを伝えたい」という自身の欲望に対して非常に正直な作り方をしている、と思う。つまりは澄子が正直というよりも、澄子の俳句が「正直」なのだと。

僕も人間だから、正直な俳句に対しては、心がうっかり正直に応えてしまう。

例えば

もう秋とあなたが言いぬ然うですね

とか、この句は絶対さびしがっているだろう、と感じる。それはもちろんア音の頭韻とか澄雄の句のバイアスとか言い出すと切りがないけれど、とにかくそう感じる。

そして、さびしくなる。

八.

では、澄子の「伝えたい」内容とはなんなのだろうか。『拝復』に描かれている主題を追ってみることにしよう。

まずは自身の老い・死の予感について。

いつか死ぬ必ず春が来るように
やや冷えて今日の蛍と今日の我
暖房や延期をすると老けてしまう
あっさりと晩年うぐいすが梅に
嗚呼と言うたびに舌古る桜散る
使い減りして可愛いいのち養花天

老いと死は必ずしも同一直線状にはない。老いは体感できるが、死は予感することしかできない。そんなことを思う。そして、澄子は老いを必然として受け入れるでもなく、かと言って反発するでもなく、どこか他人事のように受け止めているように感じられる。

続いて周囲にある明確な死について。

惜別を数えあぐれば海霧深し
生きていしかば年とって十三夜
敏雄忌のわが木の葉髪机の上
亀にでもなって鳴いたら撫でてやろ
亡師いずこ啞蟬いずこ蟬しぐれ
金盞花亡父は私を思っている

逆に、周囲の死に対して澄子は弱い。いや、それは誰しも同じであろう。周囲の死を通して人間は死を学び、自らのものとして予感していくことになる。他人の死は、当たり前のようにさびしい。

戦争について。

八月来る私史に正史の交わりし
戦場に永病みはなし天の川
怠るに似て頭を垂れて敗戦日
残暑光被爆者代表立ち上がり
八月十五日過分の日の光
また秋の髪伸ばしたき英霊たち

戦争は澄子俳句を語る上で欠かせないキーワードだろう。しかし、その視点はどこか高いところにある。自分の感じられる戦争を、感じられる範囲で丁寧に詠んでいこうという真摯といっていいような姿勢が読み取れる。

外の世界のものたちへの感情移入。

野に在りて小鳥ごこちや百千鳥
倒木の夢見心地も養花天
春の夜の蚊よ蚊にさぞや会いたけれ
日月や瀧は平らを志し
引く鶴の気持ちになれば胃痛し
あら君は蟻んこそれは私の靴
僭越ながらというふうに瓜の蔓
自然薯の永き我慢を摺りほぐす

擬人法というよりも、感情移入と言った方が適切であろう。それは、「会いた」いのも、「僭越ながら」と思っているのも澄子自身だから。そのまなざしは、優しいというよりも共感の色を強く持っている。

日常の発見。

この辺り山か裾野か春か夏か
皿割れて絵の花割れて春のくれ
はつなつの歩く速さで遠のく木
リラ嗅いでいると目が閉じ負けごごち
太古より安産痛し時鳥
向き合うて久しき天地ゆりかもめ

そして発見ですらないような日常風景

方向としてはこちらや苔の花
字の小さき補注は読まず秋扇
春日遅々男結びの場合は切る
日傘たたむ走ってきたことは言わず

これらの句から描かれる澄子像は、「自分の老い・周囲の死に対して、受け入れるとも拒むともなく単純に自覚的な、戦争を実体験として描けないことをどこか後ろめたく思っている、外界への感情移入が得意な(逆に言えばつい感情移入をしてしまう)、日常の小さな発見/発見すれすれの事実を好む人物」ということになるようだ。

これは、言ってしまえば、ごく普通の初老の人物の姿ではないかと思う。しかし、普通なままで新しい俳句を読むのは非常にバランス感覚の要る行為だ。俳句というものは俗に傾けば類想に落ち入りやすく、雅に偏れば人間性は出て来にくい。

このセルフプロデュースを可能にしているのは、澄子の一句一句の持つ読者へのサービス精神によるものだろう。一句一句の新しいところを読者の膝元へ明確に打ち出すことで安心感を与え、次へ次へと読者にページを繰らせる。

そして。主題を的確に届ける。

その主題たちに共通するのは、澄子が「生きている」という当たり前の事実。それは澄子が死とすれすれに接しているがゆえに、浮かび上がってきた世界だ。

九.

「明るさ」の正体はなにか。それは、澄子が時に朗々と時に切々と、「私は生きている」と語ってくれることによるのではないか。否定的な言葉も浮かぶ「生」から逃げず正直にそれを伝えようとしてくれること。

体の中の心の中の花明り

たまねぎの皮を剥くように自分を剥いてゆくと、体がはがれ、心がはがれ、最後に花明りが残る。それは季語の世界、すなわち「正史」の世界だ。後の世界の人が『拝復』を読んだとき、季語を媒介として澄子の生を読み取ることだろう。

決してまばゆくはない生の光を形容するには、花明りがとてもとてもふさわしい。

そんなことを思った。




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