【句集を読む】
かさばる
池田澄子『此処』を読む
小林苑を
わたし生きてる春キャベツ嵩張る 池田澄子
なんだかおこがましい気がする。するけれども、ま、いいか。この著名で人気のある俳人の句集を読むと、なにより口語で書くという決意のようなものが伝わってきて、ゾクッとする。いまや口語俳句は世に溢れているが、この人のぶれなさは凄い。代表句がどんどこ浮かぶのも口語の訴求力にあると思うが、口語ならあるわけではなく澄子的口語表現の程良い突き放しがリズムの良さと相まってストンと入ってくるからなのだ、なんて私なんかが言うと誰かに舌打ちされそうだけど、ま、いいか。
池田澄子×佐藤文香対談で「主語は池田澄子じゃなくて、この時代に生きている一人」だと言っていたけど、たかだか十七音に思いは書かず思いを書くというのはどうすればいいんじゃ。ここでもういちど程良い突き放しと言いたい。ほんとうは表紙や帯の句は避けたかったのだけれど、あまりに池田澄子的な掲句にしたのも、このことを説明し切れないが伝えたかったから。「わたし生きてる」と言い切って終わり。二物衝撃という俳句技法で「春キャベツ嵩張る」。思いは春キャベツの明るい色と嵩。芯は重いのに外側の葉の膨らみ具合は軽くてふかふか。嵩か。生命力なんていったら重過ぎるけど嵩なのか。句集『此処』の背景には身近な人々の死がある。されど此処で「わたし生きてる」。伝わるかな。
もう一句に少しだけ触れたい。戦争体験者はほんとに僅かになって私でさえ戦争を知らない子供たちなのだけれど、澄子句の程良い突き放しは反戦の思いにも及ぶ。
ごーやーちゃんぶるーときどき人が泣く 同
「ごーやーちゃんぶるー」の平仮名表記と音は泣いているように見える聞こえる。沖縄が泣いているのが見える聞こえる。この句を忘れることはないだろう。どんどこ浮かぶ澄子句がまた一句。
この人と居て嬉しくて瓦斯ストーブ 同
細切りの海苔を散らせばこぼれて春 同
さわらせてもらう鼓弓の涼夜かな 同
散る木の葉この世に入ってくるように 同
千代紙で鶴など折るな夏は暑い 同
よく晴れて昼の一人の春炬燵 同
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