2020-10-18

【週俳9月の俳句を読む】たぶん、かなしみ 井上雪子

【週俳9月の俳句を読む】

たぶん、かなしみ

井上雪子


なつかしき風を通せり西瓜の鬆  相馬京菜

「なつかしき風」と言われて、ああ、西瓜ってなつかしいものだったのかと、少し驚き、今年の夏はこの風に吹かれたかなと振り返りました。

「鬆」という小さな欠損を通って風はなつかしき風になり、その小さな明るい暗さから、私たちはそれぞれの西瓜の記憶を鮮明に呼び戻します。

田舎のじいちゃんの声、子どもたちがワイワイ騒いでいた縁側、種の飛ばしっこをした夜。

そんな親密さや開放感、それは今年の夏、誰もが諦め我慢した何かそのもの、西瓜の本質がここにあります。

失ってみなければ気がつかなかった、そんな夏の終わりです。


葡萄みな食べてはだかの房あをあを  淺津大雅

「うまく言えないけど、すごくいいんよ。」

面白さのヒミツがそこにあると分かっていても、それがうまく言えません。

「見る」と「ひらめく」と「言葉」が同時なのでしょうか、直感のスピード、ちょっとヤンキー入った野放し感です。

よくよく読むなら、「はだかの房」は何だろう。はだかの軸とか枝?

葡萄を食べた子どもがはだか?房とはクラスターだけど?などなど。

けれど、理詰めで考えることがいつでも正しい、とは思えません。「房あをあを」、書かれたそのままをコクンと呑むなら、それが一番美しい。

この勢い、貴重です。


月代の濠は四角く流れけり  吉川わる

つきしろ、辞書を引けば、さかやきと読むとも書かれています。

そして「濠」。

侍がいるわけではない、と思いながらも、視覚のどこか、トリックアートを見るように楽しんでしまいました。

幾度も篩に(ふるい)にかけた言葉で、光や空気を描こうとしている俳句の作者です、きっと侍なんてところに思いはないはずですが、ひょっとするとね、とも思います(笑)。

「泣けよ」とふ本屋のポップ夏の月  吉川わる

「泣けよ」、という強烈なひとこと。

だけど、このポップは、命令しているのでもないし、同調圧力をかけてきたのでもない、と私は感じます。「じゃ、何?」と聞かれても、今は未だ、優しさに似た何かのように感じる、としか言えません。

かなしみは、たぶんひとの耳には届かない弱さで羽ばたくのだけれど、それでも、「泣けよ」と手渡したい本が、私にもあります。何を読むのも自由な、今日の夜を大切に思っています。

失ってから気づく、その前に。ただ「思えよ」と、月は輝きます。


相馬京菜 すいかのす 10句 ≫読む
吉川わる 泣けよ 10句 ≫読む
淺津大雅 卵 10句 ≫読む

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