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2022-08-14

井上雪子【週俳6月7月の俳句を読む】小さな波を返せれば

【週俳6月7月の俳句を読む】

小さな波を返せれば

井上雪子


明易のひかりが池に凝りけり  森賀まり

ひかりが凝る、見たことはないのに、夏至のころの朝早く、時間の止まる静かさ涼しさ、自分が見ていたような気さえします。

どの語もほかの言葉に置き換えられない、その確かさのままに。

夏の雨肘ひからせて伝ひけり  森賀まり

淡い夏のひかり、肘を伝う雨、美しいなあと思いつつ、遠くの誰かを探しに行くような気持ちがしています。

細かな夏の雨、あるいは急な天気雨、日々のあらかたが見えなくなって、さらさらと浄化されている。

と、ふいに言葉へと開かれてゆくひかりが弧を描くようにあらわれてくる。しなやかにぶれない、美しい軸の強さを感じます。


開発に取り残さるる日向水  杉原祐之

懐かしいな、日向水。行水してもらった金盥を思い出す。日向水、こういう言葉を失いたくなくて、取り残されるのは「開発」のありかたなんじゃないですか、とまで思いかけて、しかし。日向水、見かけませんね、最近。その行く末を考えてみたくなりました、できることならマニラで。

スコールの靄街中を覆ひたる  杉原祐之

洗い清められてふいにしんとする街、ほっと安らぐあの感覚が、鮮やかに伝えられます。

クロノスという時間の外、日常的な秒針では計れない時、土地の名前も日付もないどこか、半ば茫然と立たされて、そういう立ち方の大切さに気づかされます。

こういう時間がなければ、地球は星になれない、と思います。

厚いガラスの塔のてっぺん、引っかかった小さなガラスのマントがぎらりと光っていそうな気がします。


寸幾天之多ガーベラ絮となつて飛ぶ  津髙里永子

ガーベラが絮になって飛ぶなんて、知りませんでした。地植えの野生、クッキリと豊かな色彩。

色覚検査図の数字のように潜む過去形の「スキデシタ」、風の野の空の高さを見上げます。

練乳の賞味期限や苺買ふ  津髙里永子

まだ春とも言えない頃に苺を買って、まだ使いきれない練乳。プラごみ、エコバッグ、フードロス・・・。甘い白、酸っぱい赤、温室育ちの苺たち、こう暑くては困ります。

どこかがねじれて、そのざらりとした違和感、「賞味期限や」の「や」が、ピンポイントで支えています。

深く絡み合うその根っこは、存外素朴だったと思うので、こう暑くても、諦めないで暮らします。

水なき噴水沖縄慰霊の日  津髙里永子

六月の空、この日ばかりの特集番組、永遠に言葉をなくしたひとびと、平和の礎、いつまでも捨て石、と。

噴水、そこに水が無いように、言葉に力はないって、小さな声など無駄だって思いこまされそうにもなります。

ウクライナの戦争もまた、終わらない夏です。

海辺で遊ぶ子どもたちの意味のない言葉、その音の光り翳り、世界のそこら中で響いていた小さな声や低い声、みんなこのまま遠くへいってしまいそうで不安です。

風に鳴る音、海の鳴る音、沖縄からの深い問いを聴き続け、いつかここからの小さな波を返せれば、と思います。


津髙里永子 練乳 10句 ≫読む  第792号 2022年6月26日
森賀まり 虹 彩 10句 ≫読む  第793号 2022年7月3日
杉原祐之 マニラ 10句 ≫読む  第795号 2022年7月17日

2020-10-18

【週俳9月の俳句を読む】たぶん、かなしみ 井上雪子

【週俳9月の俳句を読む】

たぶん、かなしみ

井上雪子


なつかしき風を通せり西瓜の鬆  相馬京菜

「なつかしき風」と言われて、ああ、西瓜ってなつかしいものだったのかと、少し驚き、今年の夏はこの風に吹かれたかなと振り返りました。

「鬆」という小さな欠損を通って風はなつかしき風になり、その小さな明るい暗さから、私たちはそれぞれの西瓜の記憶を鮮明に呼び戻します。

田舎のじいちゃんの声、子どもたちがワイワイ騒いでいた縁側、種の飛ばしっこをした夜。

そんな親密さや開放感、それは今年の夏、誰もが諦め我慢した何かそのもの、西瓜の本質がここにあります。

失ってみなければ気がつかなかった、そんな夏の終わりです。


葡萄みな食べてはだかの房あをあを  淺津大雅

「うまく言えないけど、すごくいいんよ。」

面白さのヒミツがそこにあると分かっていても、それがうまく言えません。

「見る」と「ひらめく」と「言葉」が同時なのでしょうか、直感のスピード、ちょっとヤンキー入った野放し感です。

よくよく読むなら、「はだかの房」は何だろう。はだかの軸とか枝?

葡萄を食べた子どもがはだか?房とはクラスターだけど?などなど。

けれど、理詰めで考えることがいつでも正しい、とは思えません。「房あをあを」、書かれたそのままをコクンと呑むなら、それが一番美しい。

この勢い、貴重です。


月代の濠は四角く流れけり  吉川わる

つきしろ、辞書を引けば、さかやきと読むとも書かれています。

そして「濠」。

侍がいるわけではない、と思いながらも、視覚のどこか、トリックアートを見るように楽しんでしまいました。

幾度も篩に(ふるい)にかけた言葉で、光や空気を描こうとしている俳句の作者です、きっと侍なんてところに思いはないはずですが、ひょっとするとね、とも思います(笑)。

「泣けよ」とふ本屋のポップ夏の月  吉川わる

「泣けよ」、という強烈なひとこと。

だけど、このポップは、命令しているのでもないし、同調圧力をかけてきたのでもない、と私は感じます。「じゃ、何?」と聞かれても、今は未だ、優しさに似た何かのように感じる、としか言えません。

かなしみは、たぶんひとの耳には届かない弱さで羽ばたくのだけれど、それでも、「泣けよ」と手渡したい本が、私にもあります。何を読むのも自由な、今日の夜を大切に思っています。

失ってから気づく、その前に。ただ「思えよ」と、月は輝きます。


相馬京菜 すいかのす 10句 ≫読む
吉川わる 泣けよ 10句 ≫読む
淺津大雅 卵 10句 ≫読む

2020-03-08

【週俳1月2月の俳句を読む】豊かな倍音 井上雪子

【週俳1月2月の俳句を読む】
豊かな倍音

井上雪子



猪鍋をつつくポールとオノヨーコ 山本真也

肉食系と思えるのは、確かにこのふたり、猪鍋さぞやのキャスティングです。

ビートルズと冬の季語を結ぶ弦いろいろ、チューニングして歌ったり、見えない音を見送ってニヤニヤしたり。


十二月八日のドアノブを回す  同

だけど、だから、この一句の前で立ち往生しました。

そこから歩き出さなくちゃって、それは分かってる。ただ、けっこうと痛いのですよ、いまでも。

それでも、それだから。ドアノブは、回す。


笑つても笑つても冬プラタナス  細村星一郎

どこかに隠れていそうな小鳥を探してみても、プラタナスには可愛らしい実が騒いでるばかり。

なのに小鳥はいるって、そう思えるこのままがいいのです。


賞状をかさねて破く金目鯛  同

せっかくの賞状を破るのではなく、破く。

金目鯛どん、説明文は退場してしまいます。

この大胆な可笑しさ、清しさ。

語感は鋭く、意味をかわす柔軟さ(もしくは度胸)は、もち麦みたいです。楽しくて、すごい。


真赤なる石積み上ぐる久女の忌  同

唐突に久女さん、そして真赤なる石。

たとえば真っ赤に焼けた石、と想えば、ネイティブアメリカンに伝えられる浄化と再生の小さな秘儀(スウェットロッジ)へ、想いはジャンプを始めます。

もとより、まっさらな魂が言葉たちに宿ったものが詩歌なんだし、そうだ久女さんの俳句だ……と、跳んで弾んで、思いがけない場所に来てしまう。

「久女の忌」が放つ新しい響き、熱いです。


首筋の終はりセーター卵色  田口茉於

やわらかな曲線、温かな色。ふんわりセーターのなかまで潜り込みたい、幸せな視線です。肩ではなく、背なかでもない、そこのところ。

それしか言わないって、たくさん考えた後の勇気のように優しい。言ったら終わりって、そういうのも、あるし。


鶯餅谷保駅降りてすぐ右の  同

「谷保駅降りてすぐ右の」、電話口で聞いた声。遠い春、少し悲しかった頃のこと。

やわらかに真直ぐに来て、私の耳の深くへと刺さった、そのままに描くことの力です。

季語の滲み、微かな切れ、豊かな倍音の透明。


鷹鳩と化して南を向いてゐる  同

なんでしょう、これは。七十二候のなかの春の頃とは分かったのですけれど。

眼差しの明るさに日向の席を譲られ、分からなさに向き合うことの深い意味をゆるゆる解きましょう。

俳句という思索、立ち止まるということの大切さを思います。


立春の両手でふれる窓ガラス  前田凪子

新都心というところ、埼玉県にあるって知りませんでした。すこし歩くと龍さえ見えるのかしらん。急ぎ足の季節を友達呼ばわりして、開く楽しみ、映すかなしみ。

ブラウザーとかクラウド、見えない世界を繋いだり閉じたり、働く日々の屈託、その深さがほんと等身大。

アスパラガス並べちゃんとした人になる  同

とても好きな人がいます、こんな世界でそんな優しいまま生きていく。

なので、私も決めました。アスパラガスの束、ていねいに美しく並べ、元気にいこうって伝えます。

よしっ。


山本真也 マジカル・ミステリー・ジャパン・ツアー 10句
 ≫読む
細村星一郎 もしかして 10句 ≫読む
第669号 2019年2月16日
田口茉於 横顔の耳 10句 ≫読む
第670号 2019年2月23日
前田凪子 新都心 10句 ≫読む 

2018-03-11

【週俳2月の俳句を読む】星空のように春へ  井上雪子

【週俳2月の俳句を読む】
星空のように春へ

井上雪子


羽の国の熱燗よろし冷も良し  堀切克洋

日脚伸ぶ赤子のおなら逞しく  同

姿なき鳥のこゑより寒明くる  同

米どころ酒どころに漂う時間の層の厚みや豪胆な柔らかさ、堀切さんの作品からはそんな気配が漂って来るように思います。

「おなら」が逞しいかどうかは作者の感じ取り方、「姿なき鳥」を天のお遣いだねと思うのは私の受けとめ方。「わたくし」の把握、直観的な間違うことのない詩の言葉、その一瞬の閃きは距離や時間をすっ飛ばし、ここへ届き、ここを突き抜ける。詩の存在価値そのものの自由な飛躍。

わたくしを放り出す勇気が、さりげなく豪胆なのかもしれないのかしら。

春浅し水蛸の白透きとほる  堀切克洋

春風に吹かるる鳩を見て帰る  同

こんなにきれいなことばかりじゃないのです、だからこそ、こうした作品が清々しい祈りのように私には届きます。「誰でもよい私」ではない声の、肩で風を切るちょっと斜でファニイな声、いいな。

山眠るLANケーブルの消失点  野口 裕

雪道に続く土道また雪道  同

風邪薬しゃりんと振って残業へ  同

のど飴を温めている紙懐炉  同

まじり合わぬ空気のかたまり春の雪  同

パースのような景の山、雪・土・道だけの世界、しゃりんと立つ音を分かち合う刹那。ほわっと温か~な気分が残るのは何かしらと考えます。

余分なものがまったく書かれていない報告書か日誌のような記述、ただ、「ノーコメント」というその声が世界をむぎゅっとハグしているのでしょうか。

山眠るという美しい言葉、ガラス瓶の中の艶やかなタブレット、温められる小さな飴のハーブの香り、淡い淡い雪、その事物の豊かな情感を妨げない配慮、詩の世界の小さな声をちゃんと聞く。素直に丁寧に濾過された透き通った声です。

雪靴の試し履きなり雪を踏む  黄土眠兎

ブレーカー落つ白菜は食べごろに  同

春暁の山の機嫌を見て帰る  同

あたたかや新幹線にコンセント  同

今年は長い冬、冬らしい冬だったなあと思います。

私は靴、ことに雨靴が好きなので、「靴」というタイトルも、試される雪靴が夕暮れにきっこきっこと立てる音も、冬らしくていいなあと思います。

美味そうな白菜の匂いにも心は波立ちます。お忍びの旅か、靴の試作品を携えた出張か、試されているのは私の感受の力なのですが、物語の主役の声だけがジラジラと聞こえにくい感じ、加齢性難聴かって、たしかに。

旅のどこにも分別ゴミ表示はあり、日常からの解放なんて簡単ではありませんよとダメ押しされる。魔法の黄色い靴を捨てちゃった今、ト書きを読む声が聞こえるところまで行ける靴を見つけたいと思います。さて、その靴、何色かな。

万国旗ずたずたにして冬に入る 川嶋健佑

山眠り難民白い波に散る  同

核咲いて亜米利加さくら咲く国に  同

悲しみは直球、怒りは直立、憤りは震えている。打ち負かしたい何かがたしかに在ると私も思います。変えなくてはならない濁流、何が船で、誰が乗り組むのか、言葉への信頼という希望を棄てないよう、詩のシッポにつかまって流されている。国境線、見えない人種の版図、格差のピラミッド、引きちぎりたいものはいろいろあります。悔しい事実に胸がいっぱいで、表現などと問うてくれるなとも思います。

けれど、俳句や季語という大きな豊かな詩の言葉は、やすやすと悲しみや怒りには加担しない。白々とした現実逃避にも加担しない。

が~とか、ぐ~とか私はいつも長々と呻吟するわけです。

石の庭に宇宙を溶け込ませる庭師のように、なにも無いことの豊かさを信じて座る時も(たまに)あります。

冬空の下に今上天皇と香香と  川嶋健佑

昨年6月に生れたパンダの仔どもでしょうか。超字余りになっても今上天皇に香香を添わせ、今の私たちの良き日常の根底にある複雑さ、その象徴を見せる。だから何、それで何、なのですが、寒いような明るい景を眺めていれば、桜色の遠くから生きものや子どもの温かな、良き匂いが流れてくる。星空のように廻るもの、春へ。



堀切克洋 きつかけは 10句 ≫読む
第564号 2018年2月11日
野口 裕 酒量逓減 10句 ≫読む
第565号 2018年2月18日
黄土眠兎 靴 10句 ≫読む
第566号 2018年2月25日
川嶋健佑 ビー玉 10句 ≫読む

2017-04-09

【週俳3月の俳句を読む】春の掌、春の眼、春の耳 井上雪子

【週俳3月の俳句を読む】
春の掌、春の眼、春の耳

井上雪子


蒟蒻を煮ただけ二月がもう終わる  伴場とく子

春光や姪の娘の束ね髪  同

蒟蒻を煮ただけ、という柔らかな表現、そこから何かが滲んで来る。無為の時間の重み、新しい季節への気後れ、思うように動かない掴みどころのなさ。自分で言葉にする以上に明らかにされた姿に不意を衝かれ、蒟蒻を煮ただけ、という表現の、他者の痛みをも包むような奥行や根底を考えます。去っていくものと来るものとの間、まだ名前のないところで、伴場さんは何を見つめていたのでしょうか。

寄る辺ない心細さ、悼むことの彼方、日々の音信や書類・・・。寂しさの陰翳の豊かさゆえ、柔らかな掌のかたちや少女の髪の光が、未来という光の眩しさになっていくのだと思います。

けさらんぱさらん黒くない外套を着て  佐藤智子

暗色のコートの人たちの間を白いふわふわの謎の生きものが漂っていく。その外套、何色とも何ゆえとも明かさない。広げられる白い地図、美味しそうな匂いのする方へ。

ばったり出会ったpenとappleの、何がそんなに面白いのかが謎であるように、言葉たちが生み出す想定外の不思議さに理屈は立ち往生する。いつの間にか脱いだ外套、帰り道も忘れてしまう野原の時間、それをちいさな幸福のように思います。

寒禽の糞に水晶体二粒  榮 猿丸

ラジオネーム受験乙女さんにはステツカー送りまーす  同

見たままを17文字で書ききる境地は遠く、記憶から表現までの隔たりは誰にも見えない。鳥が残して行った小さな冷たい光、色も形も大きさも場所も、感情・心情・情緒といったものすべて、素早く切り抜かれたように書かれていない。澄んだ寒気のクリアーさだと思います。

飛び去った後を鳴る金属音、落葉、裸木・・・、眼差しから言葉の野へ俳句へと、その透明なスピード感とあっさり感、「見たまましか書いてない」などと思ってしまう切り口。

けれども、別人格のような無造作さで、ラジオネーム受験乙女さん、キヤラ弁アフロ、粘着ローラーなどとアウトな言葉を盛った、俳句としてのギリギリの過剰さからもまた何故か「ただ見たまま書いてある」という印象を受けたりします。しかし、ここは息を止めてうぐいすもちを口へ放り込むように。メビウスの輪を転がるものは水晶体以外、何も考えずに呑みこむことがいいらしいのです。次はどんなキャラ弁なのか、チラッと思ったりします。

春眠や渚につどふさくら貝  丑丸敬史

古傷を蝶にて隠す歸郷なり  同

オタマジャクシや蝶を追う少年が眠る、その眠りの覚め際、さくら貝の壊れやすさと淡い光の渚の美しさ。Hなお年頃のダブルミーニングも春らしく思いました(けど、山芋というのは幼さ過ぎでしょうか)。

小川の音を懐かしむ耳、豐葦原の置き處を問う声、ローレンツ・バタフライの美しい曲線のように揺らぐ古い傷、やがて新しい風がどこかで生れたりするのでしょうか。

たんぽぽの綿のよくつく子ども服  木田智美

いくつになったって初めて見るものばかり、春の光る眼がこっちを見あげている。まっすぐな繊細さで、つるんと書かれた子どもの情景。子ども服という言葉がたんぽぽの強い黄色や飛んでくる小さな種を、鮮明に見せてくれたのだと思います。

ポケットには、けさらんぱさらんも入っていそうで、風船、時計、さくら、錠剤、たんぽぽと、三月の先行句をふわっと受けとめ、きれいに打ち返すその感受性を温かに思いました(無意識なのであれば、それはなお素敵です)。正確な千円の時計をして遍路道を歩いていく、生成りのシャツのようなシンプルさ。美しいものや楽しいことを見つけながら、ゆっくりやさしいひとになっていくことを願ってしまう三月です。



第515号 2017年3月5日
榮 猿丸 奪ひ愛、冬 10句 ≫読む
佐藤智子 けさらんぱさらん 10句 ≫読む

丑丸敬史 ふるさとに置き忘れたる春に寄す歌 10句 ≫読む

伴場とく子 束ね髪 10句 ≫読む

木田智美 ウォーターゲーム 10句 ≫読む

2016-07-10

【週俳5月・6月の俳句を読む】「この支配からの卒業」が聴こえる 井上雪子

【週俳5月・6月の俳句を読む】
「この支配からの卒業」が聴こえる

井上雪子


青葉色の季節に、同じ五七五の型からぽおんと跳び出して来た5月、6月の俳句たち。色とりどりの鳥になるや、蛍になるや、シマウマまで。新たな揺らぎを楽しみつ、時に私はとり残されて、自分には何が分かっていないのか、消えてしまった虹の向こうについて考えます。

復興の仮設店舗に種物屋  広渡敬雄

復興、仮設、種物屋。感情表現を含まない日常の言葉だけ、そこから、復興という一語の重みが、ずんと来る気がします。ひとの暮らしを落ち着いて見つめる、自分の視ているものごとや他者の声を繊細に聴く、ひととしての大切なベース。水平なその意志を持ち続ける長い時間の豊かな厳しさとともに、一句の瞬間にある表現者としてのやわらかさ温かさを思います。

遠ざかるほど蒲公英のあふれけり  広渡敬雄

振りかえればそこここ、小さな黄色の花。今しがたまで居た場所への、未練のような悔悟のような去りがたさ。春に広がる実景の優しさは、生きて来た時を振り返る優しさに重なる。さりげなく新鮮に、来し方が結晶になっていく驚きのなかに、しばし立っていました。

空の箱つみあがりゆく夏の家  こしのゆみこ

短夜から色とりどりのジャムの瓶  同

ジャム売り場が賑やかに、トーストが楽しみになるこの季節の美しい絵本のような世界。少しの不可解な言葉から、夏雲の白さや閉じ込められたもの、暮らしの容なども見えて来る。「誰が」「何を」などが不問にふされ、委ねて頂いた自由を楽しみました。

夏鶯二重瞼と一重瞼持つ  こしのゆみこ

不穏で不安定なもの、翳りや含みが漂う具象であって抽象のような何句か。ひと月先さえも予測できなくなった今の空気感にも思えます。けれど、「夏鶯」。瞼と鶯の間はきちんと切れ、なおかつ、確かなつながりがこしのさんのなかにあると、私には思えました、その根拠を聞かれても、カン(直感)としか言えなくて困るのですが……。

雨を書く生まれてくる日に追いついて  野間幸恵

直観のクロッキーみたいな、ひとコマにこめられる素直な度胸、手早く表現される淀みのなさ、いいなあと思います。「生まれてくる日に追いつ」くというシュールな文意、私の身体感覚は、その日に追いつくという、安堵のような静かな解放感を感じとり、それは誤読であろうとも私の感覚として大切なものになってしまいます。

かたくなに三半規管だろう雨  野間幸恵

「三半規管」→音の震え?→蝸牛の透明?→祖父江慎さんのサンハンちゃん?と渦を巻く。巻きながら、「かたくなで、雨だ」と共感してる。その同心円じゃない水紋の名前はわからない。それでもこの新しい表現への共感が、「この支配からの~、卒業」(尾崎豊)と、歌ってしまう力なのだと思います。

夏鶯ふたつの性を跨いでしまふ  嵯峨根鈴子

ビジュアル系のギラッンと光る濃さ、ユニークな。「夏鶯」と「ふたつの性を跨いでしまふ」は、私の中ではもやもやっと、繋がらず切れず、描けず。LGBT,生と性、托卵・・・と、知識を重ねあわせても視界がない。いつか何かが解け、夏鶯に追いつき、やがて批評の糸口がきらり、そんな日に向かって歩きたいと思います。

六月の鼻緒に指の開きたる  黒岩徳将

青い山風、誰のDNAを継いだのか、開かれたところへと歩く速さ、何だか軽やか。身体感覚を研ぎすます、サイダーよりも牛乳が好きそうな暮らしの軸を思います。

金魚鉢ガーゼ包帯取り換える  小林かんな

休日のゆったり感を的確に切り取とり、忘れていたことにすら気がつかなかったものが意識になります。金魚と包帯・・・、ふと子規を思いだし、宇宙の不思議に見いる幸福と、限られた時間を持つ身体の切なさとを感じたりもしました。

第472号 2016年5月8日
広渡敬雄 黒 潮 10句 ≫読む
第473号 2016年5月15日
野間幸恵 雨の木 10句 ≫読む
第476号 2016年6月5日
こしのゆみこ まみれる 10句 ≫読む
第477号 2016年6月12日
黒岩徳将 耳打ち 10句 ≫読む
第478号 2016年6月19日
小林かんな 休 日 10句 ≫読む
嵯峨根鈴子 ふたつの性 10句 ≫読む

2015-09-13

【週俳8月の俳句を読む】視界を借りる 井上雪子

【週俳8月の俳句を読む】
視界を借りる

井上雪子



八月、光が濃い分、影も濃い。週俳八月の俳句に「原爆忌」「戦争」という語たちは見当たらない。それは、先の大戦を知らない子どもたちのその子どもという世代の意志であり、それぞれの眼は今ここにある生と死を捕え、生半可な何かを削ぎ落し、立っているように思う。

木曜の山羊よこたはる暗さかな  青本瑞季

夏木光足りず黙禱のまなうら  同

鳥の屍より甲虫光る、臭ふ  同

光を見つめつつ、五感は生と死の気配を捕え、とてもシャープな語感。見えてしまう、意識になってしまうものを、文字/言葉としての揺らがない構図にフィックスさせ、味わい深いモノクロ写真のようだと思う。光の足りない黙禱か、黙禱のまなうらか、多くのこと遠くのものと繋がる長さの定かではない時間のように、定かではない表現がその瞬間としてここにある。死は悪ではない、けれど私の時間へと目を開ける時、光は痛みのようにやって来るのだろう。「光る、臭ふ」、光速で切る連写のシャッター音(というのが感知できるかは知らないけど)みたいだ。


炎から遠巻きにゐる秋の蟬  江渡華子

棒読みの防災無線南瓜切る  同

静かに居る姿かたちを持たないものを感じとって、その視界を借りてきたような景だ。「いつ、何が、誰が」は描かれないので、感じとることそのものが読み手側の方へそっと押されてくる。事実にことばの箍(たが)をはめたくないというような意志があり、説明をしてほしいと思わせない。冷淡にもみえてどこか可笑しみも漂う。遠巻きでいいのか、棒読みでいいのか、南瓜を切っていていいのか、それは自分に問うことよと、そっとささやく誰か。


牙生えてきて黙しをる夏野かな
  藤井あかり

落蟬をひとつだけ弔ひにけり  同

牙? 育ってきたらしきそれが何なのか、景を見せないことが見渡すことのできない夏の野であり、美しい。そして、すべて死んでしまう蟬たちのひと夏を弔うとき、幾年かの土の中、幾日かの夜と昼、蝉となり蝉の声として生きてみる。ひとには見えないものを見ることを楽しむような明るさ、瓜の馬とだってきっと遠くまで行けるねって言うように。「黙秘」というタイトルが言わないという静かさのなかで自立している。


ヤギの乳あらはにあきらかに夏だ  宮﨑玲奈

たしかな蟬がたしかに死んでゐるそこで  同

ヤギの乳、落蟬、ここにある身体は、意味のない解説や結論など、はなから探したりせずに、死に生に、おおらかにゆっくり向き合い続ける。どうすれば「感嘆/詠嘆」がやって来るのでしょうかと問うようにありのままを文字にし、自分を揺さぶるかのようにひとつひとつを確かめている。自動〇〇・△△センサー、バーチャル化が進み、ひとの感覚機能は退化せざるを得ないが、スポーツなどでは驚異的な身体能力の進化も続く。共通の認識の足もとが緩んでも、繋がる命たちは幸福に向かってすこし笑っているように見える。


子は生まれいつかは死ぬる油蟬  柴田麻美子

血管の透ける乳房の汗ばめる  同

自分の身体をつぶさに捉える妊婦さんのリアルだ。母親という覚悟を育てながら、刻々、新しい生命を抱えている驚きや喜びや不安を受け入れ、体温高めの俳句たちが生れる。汗の乳房、今の自分にしか見えないものを伝え来る、その率直な強さが輝いている。


八月のラジオ海流のぶつかる音  大塚凱

夢は雲のはやさで忘れ水澄めり  同

八月のラジオ、玉音放送を思うかラジオ体操第一を思うか、海流のぶつかる音が耳の奥から離れなくなる。忘れられた夢は誰の夢なのか、昨今の夏雲は停滞長々しいが、移ろうことを常とし、美とするこの国の長い時間を一掴みに掴む長い腕、時にバスを待ち、時に駅で待つ、旅の途上にあるひとの。


第432号 2015年8月2
宮﨑玲奈 からころ水 10句 ≫読む
第433号 2015年8月9
柴田麻美子 雌である 10句 ≫読む
第434号 2015年8月16
青本瑞季 光足りず 10句 ≫読む
第435号 2015年8月23
藤井あかり 黙秘 10句 ≫読む
大塚凱 ラジオと海流 10句 ≫読む
第436号 2015年8月30
江渡華子 目 10句 ≫読む
中山奈々 薬 20句 ≫読む
中谷理紗子 鼓舞するための 10句 ≫読む

2014-09-14

【週俳8月の俳句を読む】光に透かすオニオン・ペーパー 井上雪子

【週俳8月の俳句を読む】
光に透かすオニオン・ペーパー

井上雪子



一人ずつ雲選ぶ旅アキアカネ  宮崎斗士

『雲選ぶ』、情景の深みや余情の広がりを目で追う時間、物語を読むような時間の長さを感じます。掲句も、雲を選ぶ(旅)ということを具体的に理解できなくても、光に透かすと、かすかにイラストが浮き上がるオニオン・ペーパーみたいで人が生きていくことに伴う深い悲しみやいたみが直観できる。

捺印ひとつの重さを経験したか否かで受け取り方が幾ようにもあるように、届き方そのものの自由を圧迫しない語の切り方など、直截さよりも繊細なあいまいさに委ねられた10句を味わいました。言葉にならないことを残そうとする言葉の美しさと思います。


梨むけば氷のにほひしてゐたる  佐藤文香

横顔にちひさき耳や栗ご飯  同

秋の虹ひとりは鳥のこと話す  同

深い意味などない、単にそれだけのことを詠んでいるのに、優しくて可愛らしくて透き通っていて、響きのよい小さな楽器をもらったみたいに何回も読んでしまいます。たぶん、明るい光景なのに、秋という澄んだ静かさの、どこか水の底にいて見ているようなクールさ。余計なことは言わない、その潔さから豊かな世界が広がる。私もこどものような気持ちになり、たぶん顔が優しくなっている。ひとの心をしなやかにする言葉の力と思います。


海潰すわれも墓標の一本です  豊里友行

辺野古の海を潰して、また基地が造られる。湾ひとつ、島ひとつ、国ひとつ、海は繋がり星はひとつ、護るとは何を何からか。「いのちはたから」という言葉を持つ島に、世界一美しい海に、先の戦争で犠牲を強いられた人々に再び「力」は忍従を強いている。賛否もそれぞれの事情もあることがさらに島びとには大きな負担であると聞きます。

日々、あの碧い海に真向かうひとからは確かに距離はある、が、目をそむけてはならないと思います。膝から崩れたい現実でしょうが、「われも墓標の一本」という「われも」、作者が俳句という表現に向かう基底には、俳句が「座」という出発点を持つことと同じく、いのちは繋がり、ひとは繋がるという確かな認識があるのだと思います。

衛るためのいのちではない、そんな選択が許され、高度なマシン化を目指す軍備。いずれ核ボタンを押す指も金属になる時、輝く墓標を眺める誰か何か、そんな遠い未来への作者の眼差しを思います。


第380号2014年8月3日
宮崎斗士 雲選ぶ 10句 ≫読む
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2014-06-15

10句作品 井上雪子 六月の日陰

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週刊俳句 第373号 2014-6-15
井上雪子 六月の日陰
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10句作品テキスト 井上雪子 六月の日陰

井上雪子 六月の日陰

声になる最小限の語や春雷

蝙蝠の翅ほのほのと帰り来ぬ

届かない深さにこたへ青銀杏

ヤマボウシ背中を預けてしまひけり

逆境と遠く投げうつジキタリス

六月の日陰や花を見てなさい

君だけを遺して暮れる枇杷匂ふ

満月に泣くほどのこと初メロン

カビ・キラー置かれて六月ゆらゆらす

お互ひが眼裏にゐる夏至までは