2018-03-11

【週俳2月の俳句を読む】星空のように春へ  井上雪子

【週俳2月の俳句を読む】
星空のように春へ

井上雪子


羽の国の熱燗よろし冷も良し  堀切克洋

日脚伸ぶ赤子のおなら逞しく  同

姿なき鳥のこゑより寒明くる  同

米どころ酒どころに漂う時間の層の厚みや豪胆な柔らかさ、堀切さんの作品からはそんな気配が漂って来るように思います。

「おなら」が逞しいかどうかは作者の感じ取り方、「姿なき鳥」を天のお遣いだねと思うのは私の受けとめ方。「わたくし」の把握、直観的な間違うことのない詩の言葉、その一瞬の閃きは距離や時間をすっ飛ばし、ここへ届き、ここを突き抜ける。詩の存在価値そのものの自由な飛躍。

わたくしを放り出す勇気が、さりげなく豪胆なのかもしれないのかしら。

春浅し水蛸の白透きとほる  堀切克洋

春風に吹かるる鳩を見て帰る  同

こんなにきれいなことばかりじゃないのです、だからこそ、こうした作品が清々しい祈りのように私には届きます。「誰でもよい私」ではない声の、肩で風を切るちょっと斜でファニイな声、いいな。

山眠るLANケーブルの消失点  野口 裕

雪道に続く土道また雪道  同

風邪薬しゃりんと振って残業へ  同

のど飴を温めている紙懐炉  同

まじり合わぬ空気のかたまり春の雪  同

パースのような景の山、雪・土・道だけの世界、しゃりんと立つ音を分かち合う刹那。ほわっと温か~な気分が残るのは何かしらと考えます。

余分なものがまったく書かれていない報告書か日誌のような記述、ただ、「ノーコメント」というその声が世界をむぎゅっとハグしているのでしょうか。

山眠るという美しい言葉、ガラス瓶の中の艶やかなタブレット、温められる小さな飴のハーブの香り、淡い淡い雪、その事物の豊かな情感を妨げない配慮、詩の世界の小さな声をちゃんと聞く。素直に丁寧に濾過された透き通った声です。

雪靴の試し履きなり雪を踏む  黄土眠兎

ブレーカー落つ白菜は食べごろに  同

春暁の山の機嫌を見て帰る  同

あたたかや新幹線にコンセント  同

今年は長い冬、冬らしい冬だったなあと思います。

私は靴、ことに雨靴が好きなので、「靴」というタイトルも、試される雪靴が夕暮れにきっこきっこと立てる音も、冬らしくていいなあと思います。

美味そうな白菜の匂いにも心は波立ちます。お忍びの旅か、靴の試作品を携えた出張か、試されているのは私の感受の力なのですが、物語の主役の声だけがジラジラと聞こえにくい感じ、加齢性難聴かって、たしかに。

旅のどこにも分別ゴミ表示はあり、日常からの解放なんて簡単ではありませんよとダメ押しされる。魔法の黄色い靴を捨てちゃった今、ト書きを読む声が聞こえるところまで行ける靴を見つけたいと思います。さて、その靴、何色かな。

万国旗ずたずたにして冬に入る 川嶋健佑

山眠り難民白い波に散る  同

核咲いて亜米利加さくら咲く国に  同

悲しみは直球、怒りは直立、憤りは震えている。打ち負かしたい何かがたしかに在ると私も思います。変えなくてはならない濁流、何が船で、誰が乗り組むのか、言葉への信頼という希望を棄てないよう、詩のシッポにつかまって流されている。国境線、見えない人種の版図、格差のピラミッド、引きちぎりたいものはいろいろあります。悔しい事実に胸がいっぱいで、表現などと問うてくれるなとも思います。

けれど、俳句や季語という大きな豊かな詩の言葉は、やすやすと悲しみや怒りには加担しない。白々とした現実逃避にも加担しない。

が~とか、ぐ~とか私はいつも長々と呻吟するわけです。

石の庭に宇宙を溶け込ませる庭師のように、なにも無いことの豊かさを信じて座る時も(たまに)あります。

冬空の下に今上天皇と香香と  川嶋健佑

昨年6月に生れたパンダの仔どもでしょうか。超字余りになっても今上天皇に香香を添わせ、今の私たちの良き日常の根底にある複雑さ、その象徴を見せる。だから何、それで何、なのですが、寒いような明るい景を眺めていれば、桜色の遠くから生きものや子どもの温かな、良き匂いが流れてくる。星空のように廻るもの、春へ。



堀切克洋 きつかけは 10句 ≫読む
第564号 2018年2月11日
野口 裕 酒量逓減 10句 ≫読む
第565号 2018年2月18日
黄土眠兎 靴 10句 ≫読む
第566号 2018年2月25日
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