【週俳6月7月の俳句を読む】
小さな波を返せれば
井上雪子
明易のひかりが池に凝りけり 森賀まり
ひかりが凝る、見たことはないのに、夏至のころの朝早く、時間の止まる静かさ涼しさ、自分が見ていたような気さえします。
どの語もほかの言葉に置き換えられない、その確かさのままに。
夏の雨肘ひからせて伝ひけり 森賀まり
淡い夏のひかり、肘を伝う雨、美しいなあと思いつつ、遠くの誰かを探しに行くような気持ちがしています。
細かな夏の雨、あるいは急な天気雨、日々のあらかたが見えなくなって、さらさらと浄化されている。
と、ふいに言葉へと開かれてゆくひかりが弧を描くようにあらわれてくる。しなやかにぶれない、美しい軸の強さを感じます。
開発に取り残さるる日向水 杉原祐之
懐かしいな、日向水。行水してもらった金盥を思い出す。日向水、こういう言葉を失いたくなくて、取り残されるのは「開発」のありかたなんじゃないですか、とまで思いかけて、しかし。日向水、見かけませんね、最近。その行く末を考えてみたくなりました、できることならマニラで。
スコールの靄街中を覆ひたる 杉原祐之
洗い清められてふいにしんとする街、ほっと安らぐあの感覚が、鮮やかに伝えられます。
クロノスという時間の外、日常的な秒針では計れない時、土地の名前も日付もないどこか、半ば茫然と立たされて、そういう立ち方の大切さに気づかされます。
こういう時間がなければ、地球は星になれない、と思います。
厚いガラスの塔のてっぺん、引っかかった小さなガラスのマントがぎらりと光っていそうな気がします。
寸幾天之多ガーベラ絮となつて飛ぶ 津髙里永子
ガーベラが絮になって飛ぶなんて、知りませんでした。地植えの野生、クッキリと豊かな色彩。
色覚検査図の数字のように潜む過去形の「スキデシタ」、風の野の空の高さを見上げます。
練乳の賞味期限や苺買ふ 津髙里永子
まだ春とも言えない頃に苺を買って、まだ使いきれない練乳。プラごみ、エコバッグ、フードロス・・・。甘い白、酸っぱい赤、温室育ちの苺たち、こう暑くては困ります。
どこかがねじれて、そのざらりとした違和感、「賞味期限や」の「や」が、ピンポイントで支えています。
深く絡み合うその根っこは、存外素朴だったと思うので、こう暑くても、諦めないで暮らします。
水なき噴水沖縄慰霊の日 津髙里永子
六月の空、この日ばかりの特集番組、永遠に言葉をなくしたひとびと、平和の礎、いつまでも捨て石、と。
噴水、そこに水が無いように、言葉に力はないって、小さな声など無駄だって思いこまされそうにもなります。
ウクライナの戦争もまた、終わらない夏です。
海辺で遊ぶ子どもたちの意味のない言葉、その音の光り翳り、世界のそこら中で響いていた小さな声や低い声、みんなこのまま遠くへいってしまいそうで不安です。
風に鳴る音、海の鳴る音、沖縄からの深い問いを聴き続け、いつかここからの小さな波を返せれば、と思います。
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