2022-08-14

三宅桃子【週俳6月7月の俳句を読む】ただ生きる

【週俳6月7月の俳句を読む】
ただ生きる

三宅桃子



日常雑器が好きな私は、気になった展覧会や雑貨店をよく訪ねる。なかでも、沖縄、ベトナム、タイの陶器、廃材を使ったイランの吹きガラスが好きだ。

歪んだ形、文様の適当かげんに不思議と馴染み深さを感じるし、描かれた動物や魚の表情、とらわれのない色使いや形が面白い。そして、眺めていると、横隔膜あたりがむずむずと愉快になってくる。てらいなく、感性に正直なものを見ている快感。

正直に作ることは、ただ生きることと似ているな、と思う。

杉原祐之の「マニラ」を拝読。淡々と描かれるマニラを心に思い浮かべて、その時の気持ちを思い出した。

渋滞のたうに起りて明易し 杉原祐之

マニラはアジアで最も交通渋滞が深刻な都市であるという。そもそもの電車の本数が少なかったり、地方から都市・マニラへの流入が多かったり、原因はさまざまのよう。渋滞を見越して人々が動き出す時間も早いのだろう。まだ薄暗いホテルの部屋に入り込んでくる、クラクションの音や、車の発進音。ひとびとの熱気に起こされているような感覚もある。

蠅の如沸き起こり来るバイクかな 同

あちこちから来て列をなすバイクに、一体どこから湧いてくるのかと不思議になるのだろう。昔旅したベトナムもバイクが多かった。それも、乗組員は1人と限らず、お母さんに子2人の合計3人がすし詰めで乗っていたり、カップル・友人同士が乗りあっていたり。交通規制なんて、あってないようなもので、皆悪びれもせず、当然と言わんばかりにたくましい顔つきをしていた。蠅は疎ましいもので、ただ、蠅のように群がると言われると、「うへぇ~」となりそうだが、不思議とこの句の蠅には疎ましさを感じない。句のつくりがすっきりとしているのもあるし、「沸き起こり来る」が効いている気がする。蠅のしたたかな生命力に対する賛歌のようにも思える。押し合い圧し合いする圧倒的な人間量をイメージすれば、感動に近い感情が沸いてきた。

開発に取り残さるる日向水 同

急進的な開発に追いつけないでいるのは、特に心。人間の方が、ものに、街に、置き去りにされる。置き去りにされていることも気づかずに、置き去りにされていく。4年前に訪れた中国・景徳鎮は、開発の真っ只中で、つねに粉塵が舞っていた。茶色の街で出会った若者がお気に入りの場所だと連れて行ってくれた場所は、湖がきれいに見渡せる山の中腹。開発の横暴な側面が、取り残された日向水に重ねて描かれている。人間はゆっくりゆっくり、納得して、飲み込んで、環境に慣れていく。そこにタイムラグがある。

ジプニーの煤を落とせる日向水 同

ジプニーを調べたら、フィリピンの乗り合いバスとのこと。もともとは第二次世界大戦後にフィリピン駐留アメリカ軍の払い下げのジープを改造して製作されたのが始まりで、オーナーが独自に塗装をしたり飾りつけをしたりして、1台として同じ車はないのだとか。乗るときはこれまた押し合い圧し合いらしい。ジプニーについた排気ガスの煤を落とすのにも、日向水が使われている。休憩の合間に、オーナーが、その辺のバケツに溜まった水を柄杓などで掬ってかけているのだろうか。つねに稼働を迫られる乗合車の、休息の一コマ。

スコールの靄街中を覆ひたる 同

スコールはあまりに激しすぎて、一瞬にして目の前が真っ白になる。私も何度か経験したが、雨が重たいと感じるのは初めての経験だった。傘の骨組みも頼りなく、ほぼ役に立たない。庇の下などに逃げ込み、ただただ行き過ぎるのを祈るのみ。雨音の轟音もあるので、渦中にいると、「靄」と言えるほど俯瞰して眺めることができない気もする。離れたホテルなどの窓から見ると、雨音も届かず、白い靄のように見えるのかもしれない。私の勝手なイメージだが、さっきまで人がひしめき合っていた街から人が消えると、スコールの靄の中、眼前に水墨画のような、幻想的な光景が広がった。

スコールを跳ね上げてバス来りけり 同

スコールがくると急に町から人がいなくなる。皆どこかに避難するのだろうが、一瞬にして心細い気持ちになったのを覚えている。ただでさえ、慣れない異国の地だ。そんな中、バスが勇ましくやってくる。これはおそらく先ほどのジプニーだろう。心細く取り残されたひとびとを拾って、スコールを跳ね飛ばしながらやってくる。その場にいたら、「ああ、救われた!」と思うに違いない。

夕凪のホームに人の溢れたる 同

交通インフラが捌ききれない人の数である。日本がこんな状況になったら、自分も含め、イライラし、険しい顔をする人が圧倒的に多そうだが、フィリピンはどうなのだろう。フィリピンの人たちは総じてフレンドリーで、家族や親戚・友人を大切にする人が多く、他人とも気楽にコミュニケーションを取る人が多いのだとか。夕凪だから、一日の仕事を終え、家族の元に帰れるという時間である。同じように電車を待つ人と談笑したり、やや安らいだ表情をした人もいるかもしれない。


津髙里永子 練乳 10句 ≫読む  第792号 2022年6月26日
森賀まり 虹 彩 10句 ≫読む  第793号 2022年7月3日
杉原祐之 マニラ 10句 ≫読む  第795号 2022年7月17日

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