ロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人
池田澄子句集『拝復』
三宅やよい
「船団」第93号(2012年6月1日)より加筆、転載
あれ、あれという間に二〇一二年も秋である。このところ時間が経つ速さが尋常ではない。昨日も同僚とちらし寿司を食べながら、時間の無常について嘆き合った。
「今の職場に勤めだして六年になるけど、小学校一年から六年までの時間の長さと四十代後半から五十歳半ばまでの時間の長さって全然違うねぇ」
私と同年代の友は深く共感してくれたのだが、ちょっと油断をすると昨日、今日と見分け難い日々が、水のように流れ去ってしまう。
毎日のルーチンワークのさなかにもふっと心をとめる出来事が必ずあって、ほんわかしたり、苦笑いしたり、気持ちが動いているはずなのに書きとめなければ数分後に心から消えてしまう。
池田澄子の俳句を読むと、その微妙な瞬間を俳句というフレームに焼きつける手際のよさに驚く。
暖房や延期をすると老けてしまう
早く寝て普通に起きて春の雨
さて内省するか昼寝にするかソファー
多分、私もソファーをちらりと見た瞬間、犬を抱いて昼寝にするか、それとも本を読むか、なんて思ったこともあっただろう。だけどそんな微かな心の動きや一時の感情は自分も意識しないうちに通り過ぎてしまう。
誰もがふと思ったり、溜息まじりに感じたりしそうなことが、普段着の言葉で定型に息づいている。そんなふうに読み手が信じ込んでしまうぐらい彼女の使う言葉は身近で親しみやすい。
その昔「マルコビッチの穴」という映画があって、それはたまたま見つけた壁の穴がマルコビッチという俳優の頭の中に繋がるという設定の話だった。筋の大半は忘れてしまったけど、壁の穴を除く人はマルコビッチの頭を通した風景をわがことのように覗けるわけで、池田澄子の俳句がこの穴の構造に似ていると話題になったことがある。(確か「ラエティティア」というメーリングリストでのやりとりだったと思うが…)こうした句に共感を覚えるたび、その「マルコビッチの穴」説を思い出す。
だからと言って池田澄子が設定している生活の風景がそのまま日常の延長であると考えるのは、うかつすぎる。
池田澄子の俳句についてはいろんな人がその魅力を語っているので何を語っても蛇足になってしまいそうだが、私がこの人の俳句に惹かれる一番の点は、自分の直観を歪めない一途さが感じられるところだ。
ありのままを書き留めてもそれは散文にもならないメモにすぎない。直観を働かすと言ってもそれは「思い」や「感情」とは別のものだ。それは日常のあちこちで俳句になりたがっている言葉を探し当てる嗅覚のようなものかもしれない。
それが俳句になるには、言葉の再構成と飛躍が必要だが、池田澄子の俳句には何かを見て直観したことを俳句的に仕立ててしまうウソがない。
こう書くと簡単なように思えるが、俳句のような韻文と深く馴染み合うと定型の毒に侵されずにいるのは難しい。多くの俳句はどこかで俳句的包装に妥協してしまっている。
削っていけば、なんだ、この句、季語だけでいいじゃない。なんて場合も多く、自分が直観したものが言葉に突き当たるまで我慢して言葉と格闘するには辛抱強くないといけない。
独りよがりになっていないか、実感として他の人に届くものであるか、どのような言葉に乗せれば定型が働くか。池田澄子の俳句を読むと、矯めつ眇めつ言葉を確かめた形跡が感じられる。
自分の俳句を客観視するのは難しい(そのために句会があるのだ、とは良く言われることであるが)思いついた直後、これは画期的表現だと思っても時間が経てば二度と見たくない陳腐な表現!何てこともしばしば。句帳を読み返して、溜息をつくことも多い。言葉が熟成し、こなれるまである程度の時も必要なのだろう。
池田澄子は発表してからも自分の俳句を甘やかさない。人前に出すからには徹底的に練り上げて自分の満足のいくところまで仕上げてからと、言葉に対しての厳しさが感じられる。
その文体はなじみやすく、つい口調をマネしたくなるが、それは命取りである。
生の口語は発話の断片ありそのままでは俳句にならずゆるんで拡散してしまう。池田澄子の文体は文語の下支えがあってこその書き言葉としての口語文体であり、短い俳句で個性を典型にまで磨きあげるには途方もない距離がある。
花なずな雨の上を日の渡りつつ
思うたびに佳くなる昔うめもどき
雨が降っている日は憂鬱。暗く垂れこめる雲の上を渡る日を思う想像力を失って常套的な感情に塗りこめられる。何て貧しい人生。足元の花なずなにも気づかないで。
こうした句を読むとそんな自分のうかつさに気づかされる。「うめもどき」の句もそうだけど、一歩間違えば教訓や回顧になってしまいそうな述懐を季語が引き締めている。
池田澄子の俳句は他のジャンル人からも支持されている。支持を集めるのは一目見ればイケダスミコとわかる口語文体のうまさもあるが、一句の中で季語がよく働いているからだろう。その働かせかたも季語の本意からずらすことで意外な角度を生み出す。
それは季語を熟知していないとできないことだ。そしてその「ずらし」が季語の本意にむかって俳句を収斂させるとは逆に季語を梃に外の世界へ俳句の言葉を開かせてゆく。
季語や定型の良さを十分に引き立てながら、今までに見たことのない新鮮な俳句を作り続けているからこそ多くの人を引き付けるのだろう。
亀にでもなって鳴いたら撫でてやろ
よし分った君はつくつく法師である
池田澄子と同年代の俳人でこんな大胆な表現のできる人はいない。
「俳句は手強い。手強いから、やめられない。ならば、俳句形式に失礼のないように、亡師を失望させないように、そしてたとえ青臭いと笑われても、五十年後百年後でも読んでくださる人には届くように、丁寧に俳句を作っていようと思っていた。この句集が最後の句集になったら、満足できるのか、否。」
このような強い口調で「後記」を書く池田澄子は片時も自分の表現に満足していない。皮肉なことに自分の作り上げた俳句と戦うのもまた自分なのである。
『拝復』には各章のうしろに「俳句思えば」の上五で始まる句が収められている。
俳句思えば寒夜亡師に似て猫背
俳句思えば徐々に豪雨の吊忍
俳句思えば元朝の海きらめきぬ
俳句思えば稿に影おく木の葉髪
俳句思えば霞に暮れて朧月
冒頭に恩師三橋敏雄に捧げる句があり、後の四句はめぐる四季が俳句に寄せて詠われているわけで、池田澄子の俳句へのオマージュと考えられる。
本当は逢いたし拝復蝉しぐれ
『拝復』はロマンチックかつ現実的、少女のようでシビアな大人である作者が俳句への愛を俳句で返した一冊だと思う。
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