2016-08-21

祝 オルガン 池田澄子

祝 オルガン

池田澄子


ちょっとした愉しい間違いから、この稿を書くことになったようだ。間違いは何時でも何処にでも待っていて、どうしてここでこういう間違いをしたのか、本人が呆気にとられるようなことがあったりする。それは、決して間違えてはいけないことであったり、それはそれで思いがけず愉しかったり幸運だったりもするのである。「オルガン」に関わること、何でもよいので書いて下さい、というメッセージがFBに入った。この俳句誌「オルガン」に関係なくてけっこうです、とあった。ふと、○○薫子さんという古くからの友人を思い出した。

○○薫子さんの夫君は○○薫さんである。彼女の本名は薫子ではなく、夫君と同じ○○薫だった。結婚後一つ屋根の下、郵便物や何やかにや、こんがらがって不便この上なく、彼女の名に「子」を加えて夫君と区別したのだそうだ。

就職した会社に同姓同名の人が居て、しょっちゅう間違えられ、そのことで出会い知り合い親しくなり恋に落ち結婚した。間違いが幸せを呼んだのだ。 


ところで8月も、6日、9日が過ぎて、15日の敗戦日。「オルガン」6号には金子兜太との座談会の模様が載っていて、兜太先生のお元気なこと。

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る   兜太

を以って、戦争をするな、の思いを告げつづけ ることを、戦争を知っている自分の仕事だと意識し覚悟して、ますますのその決心が見事である。お話の殆どは、既に直に、または文字の上で馴染んだお話で、 お声が聞こえてくる感じ。これは皮肉ではなくて、兜太氏、ぶれていない! ということであり嬉しい。

「社会性は態度の問題」という言葉も有名だ が、「造る自分」「映像化」、どれもが聞く人を熱くする。そこがチャーミングである。ところが、方法論のように聞こえる一種のアジテーションは私を酔わせる。兜太氏は、実は天才的な俳人なのだと私は感じていて、野球の長島茂雄に近いかもしれない気がしたりする。「次はガーンと行け」と教えられる方は、具体的にはどうしたらよいやら。

兜太氏はよく、なになにしていたらスッと出来 た、と仰る。心を籠めてガーンと打ったらホームランになったようなものだ。この切れ字が効いたからとか、助詞によって捩れが出来て、そのことで一句として立ち上がったとか、この言葉には、裏にこんな意味もあるから不思議な力が感じられるように書かれている、というようなことは仰らない。天才なのだと思う。

天才から学ぶのは凡人には難しい。しかし先生の態度と作品は読む者に、やるぞ! という思いを抱かせる。それは気分であって錯覚かもしれないが、出来そう!やるぞ!の気分の高揚がないと創作は出来な い。自分にも出来るかもしれないという錯覚を、天才は近くの人に与える。錯覚は、本来以上の力を、瞬時、与えてくれるかもしれない。勘違いが思わぬ結果につながったりする。


本当に昔、戦争があって、間違いのように父が死んで、その成り行きの続きに今、私は俳句を書いている。戦争がなかったら、父が死ななかったら、もっと早く自分の道が決まっていて、俳句には辿り着かなかったかもしれない。何をしていたのだろうか。バイオリンを弾いていた父だから、ピアノなどを早くから習わせてくれていたのではないかという気がする。

娘は、歳をとったらピアノに戻ると言っているし、息子は演奏家である。でも私は音に弱い。楽器は何も使えない。才能が私を避けて通ったのか、習わなかったからなのか。
 
あの時代、各家にピアノはなかったから、オルガンからお稽古を始めていたかもしれない。

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