2017-08-06

『カルナヴァル』『あら、もう102歳』の頃 西原天気

『カルナヴァル』『あら、もう102歳』の頃

西原天気


会話の反射神経・運動神経がいい人がいる。多弁とか雄弁というのではなくて、ことばや表情の反応がよい人。金原まさ子さんは、まさにそういう人で、いっしょにいると、40歳以上も年長ということを忘れ、100歳を超えるご高齢であることも忘れ、「自分よりすこし年上の、話が面白くて魅力的な女性」のような錯覚に陥り、いま考えればずいぶんと失礼な軽口も叩いてしまった。

2012年頃から、金原さんのお宅にずいぶんと通った。句集『カルナヴァル』とエッセイ本『あら、もう102歳』の制作をお手伝いするためだ。版元担当編集の吉田さん、小久保佳世子さん、上田信治さん、私。この4人チームでお宅にお邪魔し、お話を聞いた。

話の細部はかなり忘れてしまった。記憶も記録も弱い。うろ覚えで思い出をお話することになる(いろいろなことを言い過ぎないよう注意しながら)。



『あら、もう102歳』は、金原さんの暮らしぶりと思い出話が主要な成分。金原さんの多彩な魅力を味わってもらえる本になっていると思うので、未読の方はぜひ手にとっていただきたい。

が、しかし、じつは、ボツネタに面白い話がたくさんあった。なぜボツになったかといえば、著者・金原さんからOKが出なかったからだ。なぜOKが出なかったかといえば……と、こう書けば、察していただけると思う。「お恥ずかしくて、他人様には話せません」といったエピソードを、その場の勢いなのか雰囲気なのかひとくちのワインのせいなのか、インタビュアーには話してしまったということで、これは、まあ、私たちの役得だ。

話してみたものの、活字になり本になるのは憚れる、というわけで、昭和平成の享楽的悪徳的知性たる金原まさ子も、はたと戦前女性の恥じらいを思い出す瞬間があるということだろう。

ボツネタをここで紹介するとなると、金原さんから叱られそうだが、ひとつくらいは許されると思う。思い出しつつ、私の言い方で伝えるので、要領を得ないものにはなるが、私の一等好きなエピソード。

目加田男爵邸で催されるダンスパーティーで知り合った慶応ボーイと結婚。新婚旅行は関西方面。ふうつなら名所旧跡に足を運びそうなところを、おふたりは毎夜のように宝塚ダンスホールへ。

そのくだりは本にもあるかもしれないが、ボツになったのは、旅行先からご両親に宛てたハガキの内容だった。

手元にそのハガキの現物が残されていたので、拝読したが、これがもう、昔の映画か小説のようなのだ。夫君の文面のあと、まさ子さんが書いていたりする。宿に到着したときのちょっとした事件などが報告されているのだが、その筆致! 「世界が自分たち二人を中心に廻っている」感に溢れている。群舞の中心で、新婚の二人が軽やかに晴れやかに踊っているかのような筆致だ。

ぜひ、そのまま本に載せたい。ところが、金原さんからは「ダメ」。一度ならずお願いしたが、首を縦に振ってもらえなかった。

金原さんが、その葉書を、当時の自分たちを、恥ずかしいと思うのは理解できた。世界が意のままになるという甘い憶測。未来は輝いているに決まっているという楽観。若気の至りである。老いてのち振り返れば赤面するような若気の至り。しかし、それだからこそ、あの上気するほどに興奮した、どこまでも陽気な筆致は、とても美しかった。



句集『遊戯の家』に続く第4句集は、選句から並べ方、書名に至るまで、また制作・販売のスタイルまで、信治さんと私に一任してくださった。こちらがそう望んだからだが、金原さんは終始「よきにはからえ」と、女王のような寛容で鷹揚な態度を崩さず、完成に近づくに従い、うれしそうにうなずき、信治さんと私に微笑みという最高のご褒美を下賜せられた。

句集を編むのは楽しかった。信治さんもそうだったと断言できる。他人の句集を編むなど、おそらくこれが最初で最後のことと思って作業に勤しんだが、とにかく、句がいい、句が面白いのだから、楽しいのは当然だ。小久保佳世子さんが管理するブログに掲載された句を中心に句を集め、信治さんと私それぞれに選句し、両名が選んだ句はまず掲載決定。そこから徐々に増やした。

句を並べたのは信治さん。季節の順序ではなかったので私はややとまどったが、結果的に、最良の並びになった。全体の構成やデザインの趣向を相談し、句集はじょじょにかたちになっていった。書名『カルナヴァル』が信治さんの口から出たときは、1秒とかからず賛意を表明した。やがてデザイナーさんが決まると、デザイン事務所にふたりで何度か足を運んだ。金原さんの第4句集『カルナヴァル』の編集部分には、信治さんのセンスと見識とひらめきが大きく貢献している。私は実務の隙間を埋めていった感じだ。



金原さんとは、数年間の短いお付き合いでしたが、愉快な時間をたくさんいただきました。私は物忘れがひどく、人の顔を憶えません。なのに、金原さんの、ときに人なつっこく、ときにいたずらっぽい目は、いまもはっきりと思い出せる。きっと魅了されていたのですね。





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