2017-08-06

四度目の 柴田千晶

四度目の

柴田千晶


金原まさ子さんが金雀枝舎で句集を作りたいとおっしゃっていると、小久保佳世子さんを通じて知った。

前年に作った小久保さんの『アングル』を見て、金雀枝舎で作りたいと思って下さったようだ。

さっそくお電話でお話しを伺い、もうみんな任せます。という言葉をいただいて、句集作りが始まった。

小久保さんにもお手伝いいただいて、金原さんと3人で句集を作っていたあの日々は、ただただ楽しかった。

数日して、手書き原稿のコピーが届き、さっそく入力に取りかかった。原稿は春夏秋冬に分かれ、

  梅咲いて腐乱はじまる遊戯の家

が一句目にあった。腐乱から始まる世界は素敵だ。

もうなんだか金原さんが古い家の庭に埋まっているみたいだ。金原さんの体から、虫や花やケモノやおばけたちが俳句になってわさわさと生まれてくるようだ。

  春暁の母たち乳をふるまうよ

二句目にこの句があった。この句も凄い。

確か、小久保さんとの電話で「巻頭はこの句がいいよね」と二人とも思ったのだ。金原さんも賛成してくれた。

手紙やメールで相談しながら作業を進めてゆき、句集の構成ができあがった頃に、直接お目にかかって打合せをすることになった。

7月のある日、金原さんのお宅から近い金沢園に、小久保さんと二人で出かけた。金沢園は大正5年創業の古い日本家屋の料亭で、長い廊下の硝子戸から眺める庭も美しい。与謝野晶子や高浜虚子も訪れたという。街の句会で金原さんと最後にご一緒したのもこの金沢園だった。あれはいつのことだったか。金原さんは90歳くらいだったと思う。

久しぶりに会う金原さんは、その頃とほとんど変わらない姿で現れ、少しはにかんだような笑顔がとても可愛らしかった。

句集の構成を確認していただき、新たに追加する句を受け取り、打合せの後は美味しいお料理とお喋りを楽しんだ。脱がせ上手の小久保さんと、脱がされ上手の金原さんが早口で語るナイショのお話はほんとに面白くて。

ほんと、春暁の母たちに乳をふるまわれているような気分だった。

その日、金原さんから本をいただいた。

河野多惠子の『半所有者』だった。金原さんは、私にはもう必要ないから。あなたが持っているのがいいかと思って。と、おっしゃった。

『半所有者』は、死んだ妻の肉体を、夫がもう一度所有するという背徳的な短編。

妻の遺体との性交が細やかに描かれている。妻の遺体に侵入し、鮮烈な冷たさに突き上げられて、女体が受ける快感とはこういうものか。まるで女体に成り変わったようだ。と、感じる夫の感覚が面白い。

妻に侵入した夫が、<おい、悪女。嬉しいか。嬉しくてたまらぬのだな>と、言い放つシーンがなんとも切ない。

単行本の帯に「究極の<愛の行為>を描く、戦慄の傑作短編」とある。けれど、たぶん金原さんが興味を抱いたのは倒錯した愛とか、究極の愛とかではなく、純粋な肉体の快楽だったのだと思う。

『半所有者』は、金原さんの形見となった。性をテーマに俳句を作っていると、同性からはほぼ嫌われる。生々しい行為を想像させるような表現の句は拒絶される。

この本を開くと、屍姦もありよ。あなた、もうなんでもありよ。と、金原さんに言われているようで嬉しい。

金原さんんは肉食系が好きだ。

北大路翼のことはほんとうに大好きだ。

金原さんの「エロスと狂気」。

  木を接ぐならば脳天に椿の木  『冬の花』
  石榴つひにおのが身を食ふ一粒づつ  『弾語り』
  妄想のところどころに舌平目  『遊戯の家』
  別々の夢見て貝柱と貝は  『カルナヴァル』

脳天に接がれた椿は、今、満開だろう。

しばらくしたら天国に退屈して、きっと金原さんは帰ってると思うな。

  春風が耳打ち「ヒトハイキカエル」  『遊戯の家』

この句、ときどき呪文のように唱えてしまう。

  火あぶりの火の匂いして盆踊り  『冬の花』
  春の月むかし湯灌の辱め  『弾語り』
  焼却炉より鱶のかたちが立ち上る  『遊戯の家』
  白藤はもう腕である半分は  『カルナヴァル』

金原さんは、転生を繰り返している。

火刑にあった記憶が、盆踊りの輪の中でふいに蘇る。

鱶になったり、白藤になったり。そして、

  転生三度目の脂百合ですよ

脂百合になったり。

この辞世の句もかっこいい。肉食系だ。

金原まさ子さん、楽しい時間をありがとうございました。

またどこかで会えますように。


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