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2018-10-21

週俳600号記念企画 多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る

週俳600号記念企画
多摩川
西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る


1/8 スタート:現代は虚子から ≫見る

2/8 福田若之のオシ:三橋鷹女 ≫見る

3/8 後藤夜半のオシ:後藤夜半 ≫見る

4/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その1 上野泰~杉本零 ≫見る

5/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その2 相生垣瓜人~幸田露伴 ≫見る

6/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その3 八田木枯 ≫見る

7/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その4 今井つる女~長谷川かな女 ≫見る

8/8 照敏さんはがんばっている ≫見る



多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 8/8 照敏さんはがんばっている

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
8/8 照敏さんはがんばっている



【言及作家・言及句】
ガチヤ〱の鳴く夜を以てクリスマス  篠原鳳作
蟻よバラを登りつめても陽が遠い
しんしんと肺碧きまで海のたび
ふるぼけしセロ一丁の僕の冬
  ●
百足虫など神何故に創られし     山口波津女
死にたれば蟷螂横になつてゐる
  ●
  蘇生
あけぼのの春あけぼのの水の音    野澤節子
水ありて魚を泳がすさくら季
  ●
オムレツが上手に焼けて落葉かな   草間時彦
さうめんの淡き昼餉や街の音
  ●
天青しわたる孔雀を想像す      三橋敏雄
鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
淋しさに二通りあり秋の暮
戦争と畳の上の団扇かな
汽車よりも汽船長生き春の沖
海へ去る水はるかなり金魚玉
  ●
鷄頭の十四五本もありぬべし     正岡子規
  ●

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 7/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その4 今井つる女~長谷川かな女

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
7/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その4 今井つる女~長谷川かな女



【言及作家・言及句】
雨しげくなりて金魚をかくしけり   今井つる女
虫売に人の流れの止まらず
鶯や日曜の朝と思ひつつ
初明り物の形の生れくる
  ●
次の間へ歩きながらに浴衣ぬぐ    波多野爽波
いつきても門の落葉の同じほど
梅雨傘の魂抜けて倒れをり
梅雨はげし傘ぶるぶるとうち震ひ
落ちてゐる明智の森の古巣かな
お涅槃の蓋開いてゐる救急箱
赤と青闘つてゐる夕焼かな
いろいろな泳ぎ方してプールにひとり
金魚玉とり落しなば鋪道の花
鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
  ●
牛の眼が人を疑ふ露の中       福田甲子雄
磨かれし馬匂ふなり夏木立
いくたびか馬の目覚むる夏野かな
亡きひとの名を呼び捨てに冬河原
夏雲やビル壊しゐる鉄の玉
  ●
羽子板の重きが嬉し突かで立つ    長谷川かな女
盥かかへて柿の烏を見てゐたり
鮟鱇や鼠小僧を泊めし家
竜胆を畳に人の如く置く
朝顔のべたべた咲ける九月かな
西鶴の女みな死ぬ夜の秋
四月馬鹿五右衛門風呂を空にして
会釈する冬の帽子に憶えなし
闇汁の蓋に乗りたる闇の小人
  ●

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 6/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その3 八田木枯

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
6/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その3 八田木枯



【言及作家・言及句】
洗ひ髪身におぼえなき光ばかり    八田木枯
荷風忌のラインダンスのうねりかな
死なない老人朝顔のうごき咲
冬ふかし柱が柱よびあふも
春を待つこころに鳥がゐてうごく
寒鯉の頭のなかの機械かな
黑揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒
盆踊佃はいまも水まみれ
子どもには子どもが見えて秋のくれ
死ねばすぐ大むらさきともつれたく
生きてゐるうちは老人雁わたし
むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ
誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ
  ●
曲ることなき毒消売の道     加倉井秋を
月光に掻き鳴らすギターは出鱈目
弟酔へばねずみ花火の真似をする
炎天や口から釘を出しては打つ
初夢にドームがありぬあとは忘れ
  ●
凍死体海に気泡がぎつしりと   表鷹見
死にたくも泳ぎの手足動くなり
いま人が死にし畳に蝶死ねり
父の葬列父の青田の中通る
  ●

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 5/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その2 相生垣瓜人~幸田露伴

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
5/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その2 相生垣瓜人~幸田露伴



【言及作家・言及句】
家にゐても見ゆる冬田を見に出づる   相生垣瓜人
荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ
ががんぼが襲ふが如きことをせし
怖るるに足らざる我を蟹怖る
蟷螂が怒りに燃えて立ち上がる
許されし如く蜘蛛居り許さぬに
わが餅を見す見す黴に奪はるる
明日食べむ瓜あり既に今日楽し
  ●
生身魂ひよこひよこ歩き給ひけり    細川加賀
昼寝妻ちひさき鼻をつけにけり
寒鯉をぐるぐる巻に新聞紙
鯉こくが熱くて月のうらの山
よき知らせ冬の昼寝をしてをれば
秋遍路蹤いてゆきたくなりにけり
  ●
風流の細水になくや痩蛙        幸田露伴
小男のナンバに寒し水の音
前髪を切られて寒きわかれかな
吹風の一筋見ゆる枯野かな
  ●

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 4/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その1 上野泰~杉本零

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
4/8 『現代の俳句』が漏らした作家・その1 上野泰~杉本零



【言及作家・言及句】
洗ひ髪夜空の如く美しや      上野泰
打水の流るる先の生きてをり
寒月や表にものを取りに出て
用のある時立ち上り冬籠
夏蜜柑月のごとくにぶらさがり
  ●
大きな日大きな月や春の旅     池内友次郎
水澄んで鯉の行列見事派手
咳に咳つづきて言葉なきままに
絵双六子供の世界色と音
船の波月のせてゆくいつまでも
東京駅大時計に似た月が出た
  ●
よく笑ふ停学の友ソーダ水     杉本零
シグナルが青くて青い春の雪
夕立の叩き居るもの見て愉し
ごみごみとしてなつかしき梅雨の町
夏痩の肩突上げて笑ひけり
なつかしき徹底的な西日かな
機首ガクとガクと落して夕蜻蛉
熱燗や我に大事な友ばかり

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 3/8 西村麒麟のオシ:後藤夜半

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
3/8 西村麒麟のオシ:後藤夜半



【言及作家・言及句】
我これを南瓜の苗と思ふなり    高野素十
桔梗の花の中よりくもの糸
くもの絲一すぢよぎる百合の前
  ●
銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋閒石
  ●
滝の上に水現れて落ちにけり    後藤夜半
金魚玉天神祭映りそむ
涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける
獣に青き獅子あり涅槃像
山上憶良を鹿の顔に見き
てのひらにのせてくださる柏餅
ぺろぺろと鳴る草笛を教りぬ
よきコリー飼はれて静か松の内
歌留多讀むことは上手と思ひしに
又の名のゆうれい草と遊びけり
夏料理心を籠めて皿少な
河豚鍋の教へられたるものに箸
  ●

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 2/8 福田若之のオシ:三橋鷹女

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
2/8 福田若之のオシ:三橋鷹女




【言及作家・言及句】
老いながら椿となつて踊りけり    三橋鷹女
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉
書き驕るあはれ夕焼野に腹這ひ
詩に痩せて二月渚をゆくはわたし
天地ふとさかしまにあり秋を病む
  
来てみれば来てよかりしよ梅椿    星野立子
いつの間にがらりと涼しチョコレート
  

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る 1/8 スタート:現代は虚子から

多摩川 西村麒麟✕福田若之 平井照敏編『現代の俳句』を語る
1/8 スタート:現代は虚子から


【週俳600号に寄せて】土曜日がやってくる 小池康生

【週俳600号に寄せて】
土曜日がやってくる

小池康生


『週刊俳句』関係者の皆さん、600号発刊誠におめでとうございます。600号は大変な数字です。月刊誌なら50年かかります。週刊では11年ほどの歴史。創刊号は2007年4月29日でした。あの時代、週刊というのは衝撃的でした。いや、いまでも衝撃です。

俳句の商業誌は通常月刊、しかも紙媒体で有料。『週刊俳句』は、ウェブマガジンで、週刊で、フリー。結社誌でもなく、同人誌でもなく、総合誌でもなく、ただ俳句好きが集まったような雑誌が週刊でだされるのは相当なインパクトがありました。

それが淡々と600号も続くのは大変なことです。力が入り過ぎても続かないでしょうし、しかし、ある種の情熱がない限り毎週の編集は続かないでしょう。力加減を知る編集スタッフに心から拍手を送ります。これからも呆れるほど『週刊俳句』を続けてください。

わたしは今、時折読者で、時折執筆者です。でも毎週Twitterなどで週刊俳句の目次を確認し、いま、どんな人が作品を発表しているか、評論を書いているかを必ず確認しながら土曜日(日曜がやってくるのを知ります。11年間、土曜日(日曜)は毎週やってきているようです。

インターネットが普及し、『週刊俳句』がスタートした頃、若手中堅、さらには年配の俳人が結社の外に出始めた気がします。『豈』のウェブマガジンが出たことも影響しているように思います。それまで結社に閉じ籠っていた人たちが表に顔を出し交流をはじめたのです。

俳人の中には、昔から俳句世界を自由に行き来し幅広い交流を持つ人たちがいますが、それは俳壇でも活躍するような一部の人達で、一般の俳人は結社内の交流が中心のような気がしていました、それがインターネットの普及とともに関係を広げ、お互いの存在を知りえるようになったと思います。

そんな時代に俳人が外に出るきっかけに『週刊俳句』があったような気がします。

無色透明に近い存在だからこそ、そういう役割を無意識に果たしたのだと思います。

とはいえ、最初から『週刊俳句』を見ているわたしと、途中から『週刊俳句』を見ている人は、『週刊俳句』の眺めは違うかもしれません。それがどんな眺めかわたしには知りようもありませんが。

元い。600号です。

いま、599号を眺め、なんの感慨もありません。

素晴らしいことです。

これからも変わりなく、のれんに腕押しのスタッフで淡々とよろしくお願いします。

いま、わたしは季刊で『奎』をだし、作業にはくたくたですが、編集案はいくらでも出てきて楽しい毎日です。もう少し若ければとないものねだりをしますが、その内、『週刊俳句』にも老いがやってくるでしょう。わたしはそれを見るのも少し楽しみです。600号はかなりの年季です。これからも近く遠く、『週刊俳句』を眺めています。たまには声をかけてください。でも、あまり声をかけないでください。おめでとうございます。

【週俳600号に寄せて】攻めに転じよ  今井聖

【週俳600号に寄せて】
攻めに転じよ

今井聖


【週俳600号に寄せて】 俳句の幸福 樫本由貴

【週俳600号に寄せて】
俳句の幸福

樫本由貴


週刊俳句の嬉しいところは、そこに読者がいるところです。ネット媒体なので、読んだことの可視化が迅速に行われます。そして、週刊俳句を読んだその「読み」を他者と話すことも容易です。

私は普段、あまり句会をしないので、俳句の読みを人と喋る機会が多くありません。そんな中で、週刊俳句という「読む」ことに意識のあるウェブマガジンがあるのは幸いでした。「読む」人が多くいて、その「読む」行為をまた読むことができる。この人は何を思って読み、俳句をどう立ち上げようとしているのか、どんな読み方を使って読んでいるのかなど、人の読みを知り、学ぶのはとても楽しい。自分の句の読みを他者と照らし合わせ、相手の読みに対して質問したり、されたり、という営みは、実はとても貴重です(俳句を書くのは一人でできるけれども)。

イーザーの読書行為論には、「文学作品は、読書過程においてのみ独自の姿を示す。」(注)とあります。

俳句が言葉によって書かれたものである以上、よい読み手がたくさん現れるのは俳句にとって幸福なことであるはずです。

週刊俳句が今後も読み手と読み手の出会いの場であり、そして多くの読み手を受け入れる場でありますように。

600号おめでとうございます!

(注)ヴォルフガング・イーザー 訳・轡田収『行為としての読書―美的作用の理論』岩波書店 1982

【週俳600号に寄せて】 ウラの目出度さ 浅沼璞

【週俳600号に寄せて】
ウラの目出度さ

浅沼璞


600という「数」に意味があろうがなかろうが、古来より「数」には目出度さがある。俳文学の場合は特にそうで、西鶴の矢数俳諧、虚子の句集、いずれも化け物的な「数」の目出度さである。

週俳600号もその例にもれないが、連句の懐紙のようにウラがあるのもまた目出度い。ウラハイ、いいひびきだ。はるかウラバンダイを思わせる。

ここのところの記事を通覧しても、「月曜日の一句」「木曜日の談林」「金曜日の川柳」「週末俳句」「ためしがき」、さながら五色沼の如き眺望である。

エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと、美しい湖面の点在する五色沼。道なだらかにして歩行距離短く、老若男女問わぬ散策コースながら、熊の生息地にして、熊鈴など最低限の安全対策を要す。これまたウラハイの如し。気楽にたのしめるけれどスリルもある。

この目出度さ、700、800と「数」を重ねてほしい。

  水漬きつゝ新樹の楊ましろなり   秋櫻子 (五色沼の句碑より)

【週俳600号に寄せて】ひとときの夢とか、いつものこととか 宮本佳世乃

【週俳600号に寄せて】
ひとときの夢とか、いつものこととか

宮本佳世乃



週刊俳句第600号、おめでとうございます。

単純に考えると、日曜日が600回やってきたということ。1年間の日曜日はほぼ52回なので、週刊俳句が生まれてから11年半です。生まれたてのこどもがもう6年生、思春期に差し掛かってきたなぁ、とも思います。

個人的には、週刊俳句の誕生のころからの記事は、いろいろなことが思い出となっています。

まぁそういうことは飲みながらゆっくり話すとして、

第501号から今号までのあいだにあったことをアーカイブでみてみました。

 10周年記念のオフ会(≫こちら

 金原まさ子さん、金子兜太さんの死去(≫こちら ≫こちら

 ku+クプラス3号が週刊俳句で終刊(≫こちら

新シリーズとして

 中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜(≫こちら

 ○○さんへの10の質問(≫こちら

などなど。

この間、エポックとなりうる句集も刊行され、「句集を読む」も充実しています。

読者としては、ひとときの夢のようなできごとも記事も、ふだんの息づかいもうれしい。

なによりも、アーカイブで600号までの記事をすぐに参照できる、すきなときにすきなだけ手に取れることもありがたい。

続ける、続くということ。手が届く、ということ。

今晩もお酒がおいしそうです。

また、ゆっくり飲みましょう。


【週俳600号に寄せて】あなたがいなければ なかはられいこ

【週俳600号に寄せて】
あなたがいなければ

なかはられいこ



前略、週刊俳句さま。

あなたに初めてお会いしたのは2007年8月12日号の「柳×俳 7×7」という企画でした。

と、年月日や号数まですらすらと言えるのは、アーカイブっちゃらいう、たいそう便利なもののおかげなのですが、それはいま置いといて。

作品のご依頼がきた瞬間から、UPされるまでどれだけドキドキしたことか、思い出すだけで鳥肌がたってくるほどです。

あれから11年が過ぎたのですね。気がとおくなります。

でも週刊俳句さま、あなたがいなければ、わたしにとって俳句はいまだにこわいもののままでした。季語、こわい。切れ字、こわい。そして、権威、とてもこわい。

それが、週刊俳句さま、あなたときたら。

「俳句でも川柳でもすてきなものはすてき。上も下もあらへん。どっちでもええやん」的態度でぐんぐんわたしのこころになかに入ってこられたのです。(なぜ関西弁なのかは不明)

だから、ほんとうによかったなあと思います。

俳句があって、川柳があって、週刊俳句があって。

これからもどうぞよろしくおねがいいたします。  草々

【週俳600号に寄せて】またときどき 小澤實

【週俳600号に寄せて】
またときどき

小澤實



週俳600号おめでとうございます。熱心な読者でなく申し訳ないのですが、600というかりそめならぬ数を重ねて来られたことに敬意を表します。

印象に残っているのは、「結社・同人誌競詠」第1回目の「「澤」vs.「街」」。今井聖さんと対戦するというので、一生懸命作った記憶があります(≫こちら)。2016-09-04の上田信治さんの「ごあいさつ(と、いきさつ)」を読み直してみたら、なんとぼくが発案したことになっているじゃありませんか。単に結社の作品を並べても、結社誌と同じでつまらない。ネットでなければできないことをしたい、と思ったからです。その後、「結社・同人誌競詠」はあったんでしょうか。また、強力などちらかと、今度は審査員を立てて、対戦してみたいです。

また、いつかご提案の「澤」の林雅樹さんとの対談、立ち消えになって、残念でした。なかなか話ができないので、いつか機会があったら、お願いします。ふたりとも照れてしまって、対談にならないかもしれませんが。

角川賞「落選展」、もやもやするものがありましたが、2009-04-12での上田信治さんのご弁明をあらためて拝見して、すこしすっきりしました。さまざまな考え方があることが大事に思えてきました。

未来の俳句を考える際に、ネットにおける俳句について考えていかないといけないはずです。当然のことながら、大きな可能性があると思います。あるいは、平成の俳句を振り返ってみる際にも、すでにネットという場は忘れてはいけない存在になっていましょう。その芯のひとつに週刊俳句があるのだと思います。また、ときどき覗いてみます。

【週俳600号に寄せて】宮嶋梓帆のこと 佐藤文香

【週俳600号に寄せて】
宮嶋梓帆のこと

佐藤文香


宮嶋梓帆と私が第2回芝不器男俳句新人賞の奨励賞を受賞したのは彼女が19歳、私が20歳のときで、と書くと私が1つ年上に見えるが私たちは同級生、宮嶋は同志社大の、私は早稲田大の2年生であった。正式名称は忘れたけれど「芝不器男賞をとりに行く会」のようなウエブ上の鍵付きの掲示板で、週に10句ずつ掲載だったか、何人かでそういうのをやっていた。そのうちの2人が坪内稔典奨励賞と対馬康子奨励賞を受賞したのはなかなかの快挙で、そのころの宮嶋と私にはちょっとした盟友感があった、などと思っているのは私だけだろうか。

 マフラーを首のかたちのままに貸す  宮嶋梓帆

 葱畑葱しかなくて笑いけり  同

宮嶋は肝が太いというか、女子大生らしからぬ安定感があり、そこが好きだった。青春18きっぷで松山に帰省する途中で京都の宮嶋の家に泊まったり、俳句甲子園のスタッフをしたあと、飲み過ぎた宮嶋を松山の私の実家に泊めたりした。

2008年2月の「週刊俳句」に、宮嶋の作品がある。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/02/blog-post_10.html

 初雪もなんまいだぶもまだ続き  宮嶋梓帆

 冬帽の大きすぎたる記憶かな  同

 葱畑悼むに飽きてきたりけり  同

私なんかは言葉をすぐに詩に昇華させたがるようなところがあったが、宮嶋は焦らない。なんというか、言葉が俳句に適量で、読み手がつきあいやすい作品。今回読み直してみて、当時以上に宮嶋の句のよさがわかった。宮嶋は、私よりだいぶ大人だったのだろう。
この1ヶ月後、宮嶋と私は大学を卒業した。宮嶋は新聞社に入社し、忙しくなって、あまり俳句を書かなくなった。私は句集を出した。仕事は続かなかった。

それから10年が経ち、宮嶋が東京勤務になったというので、今夜、焼き鳥を食べる。

いろいろ話したい。

「週刊俳句」、600号らしいよ。

【週俳600号に寄せて】数の話 西原天気

【週俳600号に寄せて】
数の話

西原天気



創刊号から本日まで4,193日(創刊準備号から4200日)

記事数 約8,360本(1号平均=約14本) ウラハイ 約3200

執筆者数 582名以上  ※「のべ」ではありません。

時間の経過に関しては、長いようで、運営の実感としては、それほど長くない。来年4月で、まる12年。

記事数(本誌)は、ときおり分厚い号が出ること(落選展etc)、以前「10句作品」は画像とテキストで掲載、それを「2」でカウント等、少し多めの数字。体感としては、毎号10本前後、といったところでしょうか。

執筆者数については、プロフィールのデータベースから算出したので、漏れがあります。おそらく600名前後。正直、意外に少ない。といっても、すごい数字です。創刊準備号は4名、創刊号で新しく1名、第2号でまた新しく2名。こういった調子でしたから、こんなにもたくさんの方に書いて(語って)いただけただけで、続けてきた甲斐があろうというものです。

このさき、どのくらい続くのかわかりませんが(第500号では多数の方が「1000号」を口にされています)、続いているかぎり、上の3つの数字は減りません(あたりまえだ)。どんどん増えていきます。

これからも、小誌『週刊俳句』を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【週俳600号に寄せて】妹とアンパンマンを 丸田洋渡

【週俳600号に寄せて】
妹とアンパンマンを

丸田洋渡


「べつにそんなに好きじゃないし、アンパンマンなんて」

僕には12歳下の妹がいる。そして僕は彼女のことをあまり知らない。同様に、彼女も僕のことをほとんど知らないだろう。

僕にとって彼女にまつわる記憶はそう多くはない。ほとんど一人っ子の気持ちで生きていたし、彼女がやっと饒舌に言葉を話し始めたころには、僕は大学の進学で故郷を離れた。
長期休みに帰省をする。そのたびにみるみる成長していることに驚く。外に植えておいたチューリップの球根が、その翌日に開花したような、時間のトリップを想う。

横に並んだら僕の腰の高さを超えていることに、もはや恐怖を覚える。この前まで赤ちゃんだったじゃないか、この前生まれたばかりではないか、────この前までお前は生まれていなかったではないか、と。

そういえば、妹が生まれる前に母に言われたことがある。もし、妹ができたら、自分のことをなんと呼ばせるか。お兄ちゃんとか、色々選択肢はあったが、僕は名前で呼ばせる、と答えた。理由は、自分の名前が気に入っているというのも一つあるが、何より「兄」という概念に耐えられないと思った。突然に与えられる枠に対して、そこまであっさりと順応出来る気がしない。「お兄ちゃん」と呼ばれてしまったら、自分は自分ではなく、「お兄ちゃん」になってしまう気がした。僕は「お兄ちゃん」という名前ではないぞ、と。というか、そもそも、兄として僕は妹のことを「おい、妹」などと言うはずもなく、「お兄ちゃん」に対する言葉が無い以上、名前で呼ばせるのが順当ではないのか……などと考えていた。

以前帰省したとき、妹がこんな事を言っていた。僕は父母をお父さんお母さんと呼ぶが、妹は何故か流れでパパママになっていて、それについての発言。

「家ではパパママって言うけど学校の皆の前ではお父さんお母さんって言うよ」

母が、何故、と言う。

「だって、なんか、恥ずかしい」

そうか……と母は多少落胆していたように思う。

僕は、まあそうだろうなと思いつつ、別のことを考えていた。僕のことは、学校でなんと呼んでいるのだろう。兄はいるのかという話になったら、僕を名前で呼ぶのか、「お兄ちゃんは」と言うのか……。気になるところだ。

そう思っていると、ある日、妹の友だちが家にやって来た。いいチャンスだと思っていると、妹が僕をこう紹介した。

「これがよっと」

これ、って言うな、と思ったが。ああ、名前でやっているんだなと思った。別にだからといってどうも思いはしないが、どこか安心した。どこか、突き止めるとすれば、「兄」としての自分だろう。変な感触である。

夏休みは、妹も夏休みであるため、ふたりで父母が帰ってくるまでのびのびしていることが多い。とりあえずテレビを付けておく。お菓子など食べながらくつろぐ。彼女は、僕に聞きたいことは多々あるようで、色んなことを聞いてくるが、僕は別に話したいことは特にない。楽しくやっているようだから、それ以上はどうだっていい。楽しいのが一番だから。

「そういえば、覚えとる?」

妹が話しかけてくる。

「何を」

僕は本を読みながら基本的に半分話を聞いていない。

「雪のとき外出てすぐ帰ってきたやつ」

「おお!よう覚えとったな」

驚いた。

────僕がまだ高校生だった頃、冬に豪雪が吹き付けたことがあった。その日も同様に二人きりで家にいた。故郷は暖かい場所だから、雪はあまり降らない。これは珍しいと思って、妹に外行くぞと声をかけた。妹は嬉しそうにコートを着て、僕はパジャマのまま、二人で手を繋ぎ外に出た。ものすごい吹雪で、目の前も眩むほどだった。妹は、わー!とか雪!とか言っていた。僕は、こりゃ凄いな……と感心していた。家の近くには海があるため、海を見に行こう、と歩いた。かなり向かい風で、雪に襲われながら、何とか海を見た。そして一瞬にして帰った。寒い寒いと言いながら二人で手を繋ぎ走って帰った。

「あれ凄い覚えとる」

どうやら妹はそんな些細なエピソードを記憶しているようだった。しかも大事そうに。そのとき、僕にとってもそれは大事な記憶に変わった。

テレビが、アンパンマンに変わる。妹がリモコンを取り、慣れた操作でアンパンマンをやめて、チャンネルを変える。

何故か聞くと、アンパンマンは好きではないと言う。ちっちゃい頃あんなに見てたのに、と言うと、ちっちゃい頃からそんなに好きではなかった、と言う。それは嘘だな、と思ったが、そんなもんか、とも思った。

「週刊俳句」はもう600号になるという。気がつけば大きくなって……と兄のような感覚になるが、別に兄でもなんでもなく、生まれた瞬間を見ているわけでもない。僕が知り、読み始めたのもここ数年の話だ。

今年週刊俳句に自作が掲載された。本当に嬉しく、今でも、大事な本のように何度も見返す。600号という長い歴史においては些細な1ページかもしれないが、僕にとっては本当に大切な記憶になっている。

これほど長く続かせることは、想像を超える大変さがあると思う。「続ける」ということは何よりも難しい。一方、それを客として見る側は、その苦労を考えることはほとんど無い。気がつけばいつもそこにあるから。昼にテレビをつけたら笑っていいともがしていて、いつもと同じようなことをしている。夕方が来れば町に曲が流れる。当たり前、それを改めて意識し直すことは難しい。

そういえば、先ほどの話には続きがある。

僕はリモコンを奪い取り、アンパンマンに戻した。

「アンパンマンはつまらんって」

 駄々をこねる妹に、分かってないなあ、いいか、と向き合い、
「アンパンマンは昔からある。今もある。アンパンマンがバイキンマンを倒すだけでこんなに続いとるのは凄いやろ?それで変えるってことは、まだまだアンパンマンの面白さを分かってないってことよ」
 僕は少し音量を大きくして、むすっとした妹と二人で見慣れたアンパンマンを見ていたのだった。

【週俳600号に寄せて】正直意外 岸本尚毅

【週俳600号に寄せて】
正直意外

岸本尚毅


「週刊俳句」600号おめでとうございます。何かと活用させて頂いています。本稿では特に勉強になった記事に触れ、一言御礼を申し上げたいと思います。

それは2011年11月6日付の大野秋田氏による「助動詞「し」の完了の用法」です。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/11/blog-post.html

この記事については島田牙城氏のコメントに同感なのですが、読んでためになったということを私も申し上げたいと思います。

助動詞「き」の連体形の「し」については「過去」として使うべきものだと思っていました。芭蕉の「梅白し昨日ふや靏を盗まれし」の「し」は明らかに過去です。ところが同じく芭蕉の「衰ひや歯に喰ひ当てし海苔の砂」の「し」は、過去というより完了とも思えます。ようするに口語の「食い当てた」と同じなのです。芭蕉は近世ですから、私たちが学校で習ったより以前の古文の文法よりもっと「口語的」なのでしょうか。

口語では助動詞「た」が多用(酷使?)されています。そのことは藤井貞和氏の著書で読んだ記憶があります。また安藤宏氏の小説論(たしか岩波新書)では「た」が言文一致以後の近代小説で重要な役割を果たしたとの記述がありました。

子規「菖蒲提て鳴雪の翁来たまひし」「浅草の鐘の配りし夜風哉」や虚子「先生が瓜盗人でおはせしか」「コレラの家を出し人こちへ来りけり」の「し」は口語の「た」とほとんで同じです。その中にも、虚子の「草摘みし今日の野いたみ夜雨来る」の「し」のようなはっきりした過去が混ざっています。時代とともに「し」の過去性が希薄になって行ったのは話し言葉や言文一致における口語の「た」の影響なのでしょうか。などとモヤモヤしていたとき、頭の整理になったのが冒頭に触れた大野秋田氏の記事です。

大野氏の記事は「澤」2011年10月号からの転載だそうですが、痒いところに手が届くような説明でした。ようするに完了の「し」は鎌倉時代に現れ、近現代に至るまで多くの文学者が使って来たものであり、「大空に又わき出でし小鳥かな」(虚子)や「玉の如き小春日和を授かりし」(たかし)のような用法が誤用だというのが誤りだというのです。本居宣長も平安時代の美しく整った文法を尊重する立場から、そこから外れた「し」を批判したそうです。大野氏は、完了の「し」は何百年にわたって使われ、近世以降は多くの偉大なる文学者によって使われたので、俳人や歌人は堂々と使ってよいと言うのです。

完了の「し」は鎌倉時代からだそうですから、言文一致とは無関係です。ただし話し言葉の影響はあるかもしれません。無言で句を案じるときも頭の中で話し言葉の影響を受ける可能性はあります。一茶の「ふしぎ也生れた家でけさの春」は「也」が文語ですが、「た」は口語の「た」と同じです。「ふしぎ也生れし家でけさの春」でもよいのですが、そうなると助詞の「で」が気持ち悪い。一方、同じ一茶の「敷石や欲でかためし門の松」は「欲でかためた」でも行けそうです。「敷石や」の切れ字の「や」ですが、調子は文語調です。こんなことを実作者は頭の中で漠然と考えるものだと思います。

言うまでもなく作品にとって重要なのは、文法より表現です。もちろん文法の誤りが表現の美しさを損なうなら致命的です。その意味からは、表現を大切にするために文法に関する知識はしっかり持っていたいと思います。

「週刊俳句」にこのような文法の記事が載っていたのは正直意外でした。学者の論文を探さなければならないと思っていましたが、「週刊俳句」で実作者としての安心感は得られました。感謝申し上げます。