2018-10-21

【週俳600号に寄せて】妹とアンパンマンを 丸田洋渡

【週俳600号に寄せて】
妹とアンパンマンを

丸田洋渡


「べつにそんなに好きじゃないし、アンパンマンなんて」

僕には12歳下の妹がいる。そして僕は彼女のことをあまり知らない。同様に、彼女も僕のことをほとんど知らないだろう。

僕にとって彼女にまつわる記憶はそう多くはない。ほとんど一人っ子の気持ちで生きていたし、彼女がやっと饒舌に言葉を話し始めたころには、僕は大学の進学で故郷を離れた。
長期休みに帰省をする。そのたびにみるみる成長していることに驚く。外に植えておいたチューリップの球根が、その翌日に開花したような、時間のトリップを想う。

横に並んだら僕の腰の高さを超えていることに、もはや恐怖を覚える。この前まで赤ちゃんだったじゃないか、この前生まれたばかりではないか、────この前までお前は生まれていなかったではないか、と。

そういえば、妹が生まれる前に母に言われたことがある。もし、妹ができたら、自分のことをなんと呼ばせるか。お兄ちゃんとか、色々選択肢はあったが、僕は名前で呼ばせる、と答えた。理由は、自分の名前が気に入っているというのも一つあるが、何より「兄」という概念に耐えられないと思った。突然に与えられる枠に対して、そこまであっさりと順応出来る気がしない。「お兄ちゃん」と呼ばれてしまったら、自分は自分ではなく、「お兄ちゃん」になってしまう気がした。僕は「お兄ちゃん」という名前ではないぞ、と。というか、そもそも、兄として僕は妹のことを「おい、妹」などと言うはずもなく、「お兄ちゃん」に対する言葉が無い以上、名前で呼ばせるのが順当ではないのか……などと考えていた。

以前帰省したとき、妹がこんな事を言っていた。僕は父母をお父さんお母さんと呼ぶが、妹は何故か流れでパパママになっていて、それについての発言。

「家ではパパママって言うけど学校の皆の前ではお父さんお母さんって言うよ」

母が、何故、と言う。

「だって、なんか、恥ずかしい」

そうか……と母は多少落胆していたように思う。

僕は、まあそうだろうなと思いつつ、別のことを考えていた。僕のことは、学校でなんと呼んでいるのだろう。兄はいるのかという話になったら、僕を名前で呼ぶのか、「お兄ちゃんは」と言うのか……。気になるところだ。

そう思っていると、ある日、妹の友だちが家にやって来た。いいチャンスだと思っていると、妹が僕をこう紹介した。

「これがよっと」

これ、って言うな、と思ったが。ああ、名前でやっているんだなと思った。別にだからといってどうも思いはしないが、どこか安心した。どこか、突き止めるとすれば、「兄」としての自分だろう。変な感触である。

夏休みは、妹も夏休みであるため、ふたりで父母が帰ってくるまでのびのびしていることが多い。とりあえずテレビを付けておく。お菓子など食べながらくつろぐ。彼女は、僕に聞きたいことは多々あるようで、色んなことを聞いてくるが、僕は別に話したいことは特にない。楽しくやっているようだから、それ以上はどうだっていい。楽しいのが一番だから。

「そういえば、覚えとる?」

妹が話しかけてくる。

「何を」

僕は本を読みながら基本的に半分話を聞いていない。

「雪のとき外出てすぐ帰ってきたやつ」

「おお!よう覚えとったな」

驚いた。

────僕がまだ高校生だった頃、冬に豪雪が吹き付けたことがあった。その日も同様に二人きりで家にいた。故郷は暖かい場所だから、雪はあまり降らない。これは珍しいと思って、妹に外行くぞと声をかけた。妹は嬉しそうにコートを着て、僕はパジャマのまま、二人で手を繋ぎ外に出た。ものすごい吹雪で、目の前も眩むほどだった。妹は、わー!とか雪!とか言っていた。僕は、こりゃ凄いな……と感心していた。家の近くには海があるため、海を見に行こう、と歩いた。かなり向かい風で、雪に襲われながら、何とか海を見た。そして一瞬にして帰った。寒い寒いと言いながら二人で手を繋ぎ走って帰った。

「あれ凄い覚えとる」

どうやら妹はそんな些細なエピソードを記憶しているようだった。しかも大事そうに。そのとき、僕にとってもそれは大事な記憶に変わった。

テレビが、アンパンマンに変わる。妹がリモコンを取り、慣れた操作でアンパンマンをやめて、チャンネルを変える。

何故か聞くと、アンパンマンは好きではないと言う。ちっちゃい頃あんなに見てたのに、と言うと、ちっちゃい頃からそんなに好きではなかった、と言う。それは嘘だな、と思ったが、そんなもんか、とも思った。

「週刊俳句」はもう600号になるという。気がつけば大きくなって……と兄のような感覚になるが、別に兄でもなんでもなく、生まれた瞬間を見ているわけでもない。僕が知り、読み始めたのもここ数年の話だ。

今年週刊俳句に自作が掲載された。本当に嬉しく、今でも、大事な本のように何度も見返す。600号という長い歴史においては些細な1ページかもしれないが、僕にとっては本当に大切な記憶になっている。

これほど長く続かせることは、想像を超える大変さがあると思う。「続ける」ということは何よりも難しい。一方、それを客として見る側は、その苦労を考えることはほとんど無い。気がつけばいつもそこにあるから。昼にテレビをつけたら笑っていいともがしていて、いつもと同じようなことをしている。夕方が来れば町に曲が流れる。当たり前、それを改めて意識し直すことは難しい。

そういえば、先ほどの話には続きがある。

僕はリモコンを奪い取り、アンパンマンに戻した。

「アンパンマンはつまらんって」

 駄々をこねる妹に、分かってないなあ、いいか、と向き合い、
「アンパンマンは昔からある。今もある。アンパンマンがバイキンマンを倒すだけでこんなに続いとるのは凄いやろ?それで変えるってことは、まだまだアンパンマンの面白さを分かってないってことよ」
 僕は少し音量を大きくして、むすっとした妹と二人で見慣れたアンパンマンを見ていたのだった。

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