2026-06-07
『オルガン』宮本佳世乃さんへの「10の質問」〔俳誌の中の人に訊く〕
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2024-04-21
宮本佳世乃【週俳3月の俳句を読む】余談だが
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2023-12-10
三島ゆかり【句集を読む】宮本佳世乃句集『三〇一号室』を読む
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2023-02-19
宮本佳世乃【句集を読む】金子兜太「生長」を読む
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2022-11-20
宮本佳世乃【句集を読む】 宇多喜代子『森へ』を読む
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2022-11-13
宮本佳世乃【句集を読む】生活感 石田郷子『草の王』
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2022-11-06
宮本佳世乃【句集を読む】 閉まることのない穴 山田耕司『不純』
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2022-10-30
宮本佳世乃【句集を読む】理知的かつあたたかい 飯田晴『ゆめの変り目』
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2022-10-23
宮本佳世乃【句集を読む】鍵和田秞子『火は禱り』
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2022-10-09
宮本佳世乃【句集を読む】太く強く 石牟礼道子全句集『泣きなが原』
【句集を読む】
太く強く
石牟礼道子全句集『泣きなが原』
宮本佳世乃
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2022-10-02
宮本佳世乃【句集を読む】源氏の恋その他 太田うさぎ句集『また明日』
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2022-05-08
宮本佳世乃さんインタビュー 小川楓子
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小川楓子【句集を読む】宮本佳世乃『三〇一号室』ふたたび
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2021-05-30
【宮本佳世乃✕中嶋憲武の音楽千夜一夜】奥田民生「イージュー★ライダー」
【宮本佳世乃✕中嶋憲武の音楽千夜一夜】
(最終回まで、あと805夜)
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2020-10-11
【句集を読む】さみしいのかたち 宮本佳世乃『三〇一号室』を読む 小林苑を
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2020-05-03
【句集を読む】ずっぷりと夢魔 宮本佳世乃『三〇一号室』の一句 西原天気
【句集を読む】
ずっぷりと夢魔
宮本佳世乃『三〇一号室』の一句
西原天気
もう鍵盤がない息のない土竜 宮本佳世乃
否定・不在・欠落=《ない》を含むふたつの部品がならんだ、と読んでよいのでしょう。
もう鍵盤がない//息のない土竜
前半を用言の言い切りで処理し、後半を体言止めでブツとして句を止める。ちょっとした変化/展開/趣向で、読みにコクが出ますね。
さて、この句に何があるのかを見ていきましょう。構造の話から、内容へと話を進めるわけです。
まず、前半。
《もう》の二文字が、脈絡を確定する方向に働くようです。俳句は短くて、舌足らずなことも多いので、脈絡なんて言っても、だいたいにおいて読み手が勝手に連想したりして確定するに過ぎないのですが(つまり、多くのファビュラス〔*〕な句は脈絡などを持たず、いわば宙に浮いたまま魅了する)、そうは言っても、《もう鍵盤がない》のフレーズが意味として伝えるものがあるはずで、そのとき、ただ《鍵盤がない》とした場合と、《もう》がある場合、きっと違いは、ある。前者の茫漠さを、《もう》はやや緩和するというか、その程度の意味。
ただ鍵盤がないのではなく、《もう》なのだから、それは、尽きた、ということでしょうか。
鍵盤といっても、何の、どの楽器の、あるいはもっと違う器械の、といった確定のしかたは無粋であって、まあ、ピアノとしましょう(オルガンでもいいけどね)、それが《もう》ということは、例えば、鍵盤の在庫が尽きたので、組み立てられない、という脈絡を思いつくかもしれない。けれども、待て。そんな工場・工房の出来事みたいな読みは、やはり不自然で、指でスケール(音階)をのぼっていき、さらにのぼっていき、高音部の鍵盤が尽きてしまった。その景のほうが、まだしも、でしょう。つまり、工場・工房の景よりも、実感が湧く(ピアノを弾かない読者であっても)。88鍵のピアノの最高音部はかなり高いので、それ以上に高い音なんて要るのか? とも思うが、ともかく《もう鍵盤がない》。
このように読んでいくと、あれれ、これ、ちょっと、奇妙。現実の出来事には思えなくなってきます。一歩踏むと、そこに地面がなくて、堕ちていく。かのような。
右手の指が、《ない》《鍵盤》を踏み外す。ような。
《鍵盤がない》に《もう》の二文字がくわわると、夢のなかの出来事のような感触を帯びるのです。
後半。
《息のない土竜》は、呼吸の欠落のほか、土竜の属性として土中=視覚の欠落を召喚し、前半の夢魔が深まります。
息をしていない土竜は、ブツというよりも現象、もっといえば観念に近く、土竜というブツで止めておきながら、ちょっとした茫漠の味わいが読者に残りますから、夢から覚める働きは持たない。鍵盤の夢から覚めたら、土竜という闇を携えた事物の無呼吸≒死を間近にする。これもまた、さらに深い夢のようです。
覚めてみれば、ああ、あれは夢だったのだ。という「夢オチ」(胡蝶の夢から現代の閑話にいたる広汎なモチーフ)というスタイルから、この句は遠く、句の徹頭徹尾がずっぷりと夢に捕らえられている。現(うつつ)に帰ってくることがない。
余談ですが、そういう句、つまり句ごと夢魔に包まれた句って、いわゆる俳句らしい俳句というのとはまったく違っていて、そういえば、この句には季語がない。「土竜打は新年の季語だよ」と教えてくれる人がいそうだが、地面を打ったら、土中の土竜が息を引き取った、というわけでもないでしょう。
〔*〕ファビュラスの語を使ってみたかっただけです。戦慄かなの氏にならって。
宮本佳世乃『三〇一号室』2020年1月/港の人
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2020-02-02
【週俳12月の俳句を読む】ひとりではなく 宮本佳世乃
【週俳12月の俳句を読む】
ひとりではなく
宮本佳世乃
湯豆腐の豆腐揺らして遊びけり 井口加奈
ひとりではなく、ふたりで過ごすゆうらりとした時間。ふたりの関係はいま始まったばかりではなく、少しこなれた頃の寄り添い方。
旅に来てシャンプー安しシクラメン 松本てふこ
旅行連作10句。それほど遠くない海辺への小旅行で、ふらっと温泉に寄った。一回分のシャンプーは安いけれども、おそらくは使いきれない。赤いシクラメンが日常感を醸し出し「安し」を引き立てている。
神様がゐないみなとみらいライン 浅沼 璞
この10句は一句目から十句目までがことばと音で連結されている。神の留守→神様がゐない→きしりきしり→蓄音機のような分かりやすいラインがひとつ。また、ゐる/ゐない、病気/環境、純真/贋物、孤心/陶酔のライン。仕掛けが分かるごとに面白みが増す。
この句は音の楽しさ。たぶん、此処にはこれまでもこれからも神様はいない。
重箱の底は開かなくなっている 樋口由紀子
8句すべてに「そうかも」と思う瞬間がある。ちょっとした隙や、本物(本当)ではないものなどが並ぶことで、正月の非日常さをパネルをひらくように構成していく。日常に対して、非日常はたぶん必要だけれども、いかんせん心はわくわくはしない。もう、とっくに。だって底が開いてしまったら終わっちゃうから。
果汁一パーセントのジュース冬の星 相子智恵
京都の少年か。冬の夜に子どもが飲むジュースはうすくて十分だ。甘いものを飲めればそれで嬉しい。この句は「一」や長音、「ジュウ」が冬の星っぽくって楽しい。
かわせみが雪の景色の枝に待つ 福田若之
たしかに川の付近に行くと、この季節でも翡翠がいるときがある。雪景色のモノクロームみの多い世界では、かわせみさえもモノクロームに寄った色の鳥として、目に映るだろうか。そして、このかわせみの待っている出来事は、やってくるのであろうか。待つという「こと」が目的になってしまったようなこの句からも、10句全体からも、本来の時間とは別の、時間経過のながさを感じた。時間の経過に向けられる、そのときの作者の知覚が思われた。
降誕祭ワカケホンセイインコ群れ 岡田由季
カタカナヒョウキに目を惹いた。ワカケホンセイインコってどんなインコか調べたら、身体が黄緑でくちばしが赤。たとえば夢に出てきたらだいぶ怖い。しかも群れているし。そういう意味では、句のスタイルと内容が一致して、ワカケホンセイインコっぽい。
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2018-10-21
【週俳600号に寄せて】ひとときの夢とか、いつものこととか 宮本佳世乃
【週俳600号に寄せて】
ひとときの夢とか、いつものこととか
宮本佳世乃
週刊俳句第600号、おめでとうございます。
単純に考えると、日曜日が600回やってきたということ。1年間の日曜日はほぼ52回なので、週刊俳句が生まれてから11年半です。生まれたてのこどもがもう6年生、思春期に差し掛かってきたなぁ、とも思います。
個人的には、週刊俳句の誕生のころからの記事は、いろいろなことが思い出となっています。
まぁそういうことは飲みながらゆっくり話すとして、
第501号から今号までのあいだにあったことをアーカイブでみてみました。
10周年記念のオフ会(≫こちら)
金原まさ子さん、金子兜太さんの死去(≫こちら ≫こちら)
ku+クプラス3号が週刊俳句で終刊(≫こちら)
新シリーズとして
中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜(≫こちら)
○○さんへの10の質問(≫こちら)
などなど。
この間、エポックとなりうる句集も刊行され、「句集を読む」も充実しています。
読者としては、ひとときの夢のようなできごとも記事も、ふだんの息づかいもうれしい。
なによりも、アーカイブで600号までの記事をすぐに参照できる、すきなときにすきなだけ手に取れることもありがたい。
続ける、続くということ。手が届く、ということ。
今晩もお酒がおいしそうです。
また、ゆっくり飲みましょう。
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Labels: 600号記念号, 宮本佳世乃, 週俳600号に寄せて
2018-07-08
器に手を当てる 宮本佳世乃「ぽつねんと」における〈風景〉の構図 小津夜景
器に手を当てる
宮本佳世乃「ぽつねんと」における〈風景〉の構図
小津夜景
転載(改稿あり)
俗に「オルガン調」と言われる俳句がある。
この呼称はきわめて気分的なもので、実際どれほどの内実があるのか検証されてもいないが、多くの場合、同人誌「オルガン」の中心的人物と見做されている鴇田智哉の作品との類像性ないし影響関係が感じられる句をそう呼ぶようだ。具体的な特色についてはいくつか考えられるが、その中でも確実と思われる一例を宮本佳世乃「ぽつねんと」から引用してみよう。
くちなはに枝の綻びつつまはる
ふくろふのまんなかに木の虚のある
もしも上の句が〈くちなはの枝に綻びつつまはる〉〈木の虚のまんなかにふくろふのある〉であれば話はかんたんだ。しかし宮本はそうは書かない。
ここでまず確認したいこと、それは文法上・論理上の語順を入れ替えることによって詩趣を生み出すこの技法が鴇田智哉の考案ではないという基本的事実である。この種のレトリックは俳諧の成立過程においてすでに存在し、具体的には杜甫の倒装法を芭蕉が真似たことに由来している〔*〕。
香稲啄余鸚鵡粒 香稲、啄み余す鸚鵡の粒、
碧梧棲老鳳凰枝 碧梧、棲み老ゆ鳳凰の枝。
(杜甫「秋興」)
鐘消えて花の香は撞く夕べかな 芭蕉
吹き飛ばす石は浅間の野分哉 〃
海暮れて鴨の声ほのかに白し 〃
仮に杜甫「秋興」の頷聯「香稲、啄み余す鸚鵡の粒/碧梧、棲み老ゆ鳳凰の枝」を実際の光景である「鸚鵡、啄み余す香稲の粒/鳳凰、棲み老ゆ碧梧の枝」に戻すと、句の中心となる名詞が「鸚鵡」「鳳凰」に固定されてしまい、人間の目に世界が立ち上がる際の動態性が失われることがわかる。加えて句の内容が〈風景〉ではなく〈景観〉にすぎなくなるため感興にも乏しい。
〈風景〉とは体験である。それは客観的・科学的な〈景観〉や〈環境〉と異なり、心と感覚の働きに起因する個人的かつ一回性の出来事として文学および美学の領域で論じられてきた。ここで杜甫が行ったことも、読者の知性を前提とした上で語順を錯綜させて、意味における虚と実との大胆な共存を図りつつその交じわる点に一回性としての〈風景〉を出現させる試みとして捉えることができる。そしてまた芭蕉もこれに倣い、通常ならば〈鐘撞いて花の香消ゆる夕べかな〉〈石を吹き飛ばす浅間の野分哉〉と書くところを倒装法によって語の位置をアクロバティックに入れ換えたのだ。
また倒装法は「鍵となる語の交錯」と「修飾語の交錯」とのパターンに大きく分類されるが、芭蕉における後者の例としては〈海暮れて鴨の声ほのかに白し〉がわかりやすい。これを実際の光景に戻すと〈海暮れてほのかに白し鴨の声〉となる。ただしそれは「実」の景であっても「真」の景であるとは言いがたく、なにより現象を把握する折々に生じる五感の分かちがたさといった〈真に生きられた体験〉が抜け落ちている。そんなわけで芭蕉は〈海暮れて鴨の声ほのかに白し〉と書いた--のかどうかは今となっては正直推し量り難いけれども、少なくとも残された句は、理屈によって世界が整理されてしまう以前の純粋経験を描いたそれとなった。共感覚的風景を産み出すのにも便利な--ときに便利すぎることも否めない--この類の代換法(=転移修飾語)は漢詩文以外でも珍しくないレトリックの構文である。
話を最初に戻すと、俗に「オルガン調」と言われる方法の内のひとつはこの倒装法のヴァリエーションであり、その意味で冒頭に引用したふたつの句も俳諧の伝統をすこやかに受け継いでいる。すなわち、ここにおいて宮本が描こうとしたのは、風景が生成する過程における意識の動き、つまり作者が実際に生きた時空そのものの描写であるため、あのような語順が妥当であったのだ。
その他「ぽつねんと」で目につく特徴といえば切れ字の少なさで、全30句のうち〈雪晴や器械から音楽の出て〉と〈十六夜の髪にこぼるる鋏かな〉の2句にあらわれるのみである。代わりに宮本は切れ字以外の方法で一句を構造化することを目指すのだが、そのひとつが今説明した倒装法によって句に〈虚実の奥行き〉を付与する方法と、もうひとつが〈器〉ないし〈扉〉のイメージによって句の〈内外の奥行き〉を演出する方法だ。
うすばかげろふおとうとの肺に棲む
こゑ新しくあぢさゐに閉ざさるる
湧いてくる闇武蔵五日市のダリア
蜥蜴一本かほより岩へ入る
ふくろふのまんなかに木の虚のある
ここでは「うすばかげろふ」「こゑ」「闇」「蜥蜴」「ふくろふ」がそれぞれ「肺」「あぢさゐ」「ダリア」「岩」「木の虚」といった〈器〉を出入りする様子が描かれており、後の語群と前の語群との間には包含の構図が存在する。〈ふくろふのまんなかに木の虚のある〉については「ふくろふ」という〈器〉の中に「木の虚」があると読んでも差し支えない(今重要なのはふたつの語が包含関係にあるということだから)。こうした構図は「ぽつねんと」のいたるところに溢れている。
ふれてみし冬の泉の割れて櫛
ゆふがたを紋白蝶の溜まる息
雪晴や器械から音楽の出て
瓶を持つ手のふたたびの霧の中
金網のおほかた錆びてかひやぐら
ここでは「泉」が「櫛」を、「息」が「紋白蝶」を、「器械」が「音楽」をそれぞれ包みこんでおり、なかでも〈ゆふがたを紋白蝶の溜まる息〉は紋白蝶をたくわえた息の質感がえもいわれぬ詩趣を発して心地よい。またまた「霧」や「かひやぐら」は、先の〈湧いてくる闇武蔵五日市のダリア〉において「闇」が「ダリア」から湧いたように、「瓶」や「金網」から湧いていると読むこともできる。さらに、
古代より来し青鷺の部屋の前
遊びたる鶴うつりたる自動ドア
ここにも「青鷺」が「部屋」を、また「鶴」が「自動ドア」を出入りする構図が隠されている。この2句については「古代より来し/遊びたる」および「部屋の前/うつりたる自動ドア」など意味も似通っており、共通の構図のみならず共通の機微の下で書かれていることがわかる。「ぽつねんと」にただよう沈潜的な香りは、こうした〈内外の奥行き〉によって生み出される潜在的領域を一句がさりげなく隠し持つことで実現されているようだ。
手を当てるとき数学はからすうり
「数学」とは形而上学、すなわち純粋経験そのものであり、掲句ではその「数学」が「からすうり」という小さな〈器〉に包含される(あるいは全く同等である)と語られる。このささやかな神秘。そのひっそりと奥深い美しさ。思うに「からすうり」に「手を当てる」とは、おそらく〈真に生きられた体験〉としての〈風景〉がそのつど〈器〉の中に潜在していることを祈りつつ信じる仕草なのだろう。
【註】
〔*〕芭蕉以外の俳人による倒装法として、蕪村〈夜やいつの長良の鵜飼かつて見し〉を例に挙げる。この句の実の形は〈いつの夜や長良の鵜飼かつて見し〉となる。
【参考文献】
・佐藤信夫『レトリックの意味論―意味の弾性』 講談社学術文庫
・芥川龍之介「芭蕉雑記」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/23_15267.html
・久保忠夫「芭蕉の発句と倒装法」 『連歌俳諧研究』1956年1956巻12号p. 61-68 https://doi.org/10.11180/haibun1951.1956.12_61
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2018-07-01
『オルガン』、大阪へ
『オルガン』、大阪へ
宮本佳世乃 聞き手:西原天気
天気●この夏、『オルガン』の同人5人で大阪に行くんですって?
佳世乃●はい。7月22日(日)は、梅田の蔦屋書店で公開句会をします。詳細はこちらです。
http://real.tsite.jp/umeda/event/2018/06/event-0722.html
『オルガン』の仲間では、ふだん句会を一緒にしたりするんですが、開かれた場所で、お客さんも交えて行うっていうのが今からドキドキです。
天気●句会は自由参加? それともオルガン+久留島さん?
佳世乃●自由参加です。句は3句までなんですが、句を出さないで見学だけでも大丈夫です。あ、もちろんオルガンも久留島さんも参加します。オルガンの仲間も句風が違うし、初めての方との句会なので、当日どんな句が出てくるのかわからないぶん、楽しみです。
天気●「トーク」とも書いてありますが、これは? なにかテーマを決めて?
佳世乃●句会をしていくなかで、俳句についてのトークになるかと。句会に出す俳句や選に、おのずと俳句観みたいなものが出てくるんじゃないかな。
天気●俳句観! なんかエラそう。
佳世乃●たしかに(笑)
天気●でも、まあ、句会で実際の句を材料に話すのは、とっつきがいいし、わかりやすいでしょうね。ところで、梅田の蔦屋書店って、大阪駅の中にあるんですね。佳世乃さん、大阪は?
佳世乃●親戚がいて、若いころは一年に一回くらい行っていました。そういえば、大阪に行くと、なぜかうどんを食べています。
天気●「なぜか」じゃなくて、とうぜん、うどんでしょう。うどん一本化でもいいくらい。
佳世乃●えっ、そうなんですか? 私は何で毎回うどんなんだろうって思ってました。関東と関西の違いなんですかね。
天気●で、前日の21日(土)は、関西現代俳句協会青年部勉強会「句集はどこへ行くのか」。
http://kangempai.jp/seinenbu/event/2018/0721.html
佳世乃●そうなんですよー。午前中に新幹線に乗って、葉ね文庫さんにご挨拶して、午後から勉強会の予定です。
天気●句集がどこへ? って、書棚とダンボール箱以外あるの? とか思ってしまったけれど、イベント紹介のページに「出版不況といわれ、町の本屋が姿を消しつつある一方、新たな試みをする個性的な書店も増えています。」とあって、なるほど、実感です。
佳世乃●句集を出すことについては、福田若之『自生地』の刊行に合わせて『オルガン11号』でもメンバーで話をしているんです。個性的な書店は、句集だけではなくて、同人誌なんかも置いてくれていてうれしいです。
天気●東京・三鷹の水中書店で、『オルガン』を見ました。古書店・新刊書店にかかわらず、個性的な書店が増えて、かつての「町の本屋さん」のイメージが大きく変わっています。句集が置かれるロケーションにも変化がありますね。
佳世乃●ほんとほんと。個性的な書店は、句集の置きかた・見せかたなども工夫されていますよね。
天気●それにしても、このイベント、登壇者が多いですね。『オルガン』の5名以外にも、関西在住の皆さんなんですね、5名のほか、とあります。いろいろな話が飛び出しそうです。
佳世乃●私としては、お会いしたい方がたくさんいるので同じ空間にいるのはワクワクします。みんなで円座を組んで、地べたに座って、むかしのシンポシオンのように語ってもいいですね。ワインは持ち込めないかもしれませんが。
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