宮本佳世乃さんインタビュー
2020年3月15日収録
(新型コロナウィルス感染症が現在ほど身近でなかった頃の東京駅にて)
小川楓子●佳世乃さんの作品は地元感のようなものがあるように思います。ご出身はどちらですか。
宮本佳世乃●四人家族の長女として東京の多摩地区で生まれました。小中高、看護学校も地元。今もそう遠くないところに住んでいます。学生時代に演劇をしていて、田島健一と知り合いました。当時はキャラメルボックスが流行っていて戯曲をやったりしていましたね。田島君は本当に表現力が豊かで演劇が上手かった。
小川●高校の頃の同級生がキャラメルボックス俳優教室に通っていました。お芝居も観に行ったことがあります。演劇の仲間ってずっと近所に住んでいたり、仲良しの印象があるんですがどうですか。
宮本●たしかに演劇の仲間は今でも近所に住んでます。演劇ってずっと一緒に練習するから家族的なところがあります。「オルガン」も家族みたいな感じに近いかも。
小川●俳句は田島さんの影響で始められたんですか。
宮本●田島君以外の演劇仲間も俳句をしていたんです。29歳で俳句を始めてから、いろいろな人と出会って、結社や同人誌に入ったり、同人誌を始めたり、自分の居場所、世界がぐんと広がりました。
小川●『三〇一号室』には、医療関係者と思われる作品がありますが、実際いかがですか。
宮本●こどもの頃から一人で生きていけるようにと、何をすれば自活できるかと思い浮かんだのがナースか学校の先生でした。看護学校を卒業してから七年間看護師をして、今は看護学校で働いています。どちらかというと働くことが好きで苦にならない性格ですね。年間三分の二くらいは実習で現場に行っているのですが、そこで見たものや感じたことが何より俳句に影響していると思います。
小川●俳句は、どうやって作っていますか。
宮本●机上で作ることが多いです。机上で作る時でも自身の体験をもとに作っています。それほど推敲派ではないと思います。「炎環」が取り合わせの句が多い結社なのでそこから変わって行きたいという気持ちもあり、最近は句が変わってきたように思います。
小川●『三〇一号室』には東日本大震災を思わせる章があるのですが、今も現地に行かれているのでしょうか。
宮本●いわきには年に1回くらい毎年行っています。最初に訪れた2012年頃は、まだ瓦礫が残っていたり、中学校が震災ごみの廃棄場になっていたりしました。四ツ谷龍さんが発行人の俳句創作集『いわきへ』という本を作るために五十句を提出する必要があったのですが、ショックで詠むことができない気持ちでした。相子智恵さんに泣きながら電話したり
してどうにか30句作ることが出来ました。
※そのときの記事 http://hw02.blogspot.com/2012/09/blog-post_25.html https://weekly-haiku.blogspot.com/2013/08/blog-post_11.html
小川●東日本大震災といえば、たまたま知り合った宮城県の塩竃市出身の方の話が私にとって印象的で。彼は、当時大学生で東京にいたので震災を塩竃で経験していない。家族には「あなたは体験していないでしょう」と言われるし、知らない人に塩竃の出身だと言うと「震災大変だったでしょう」と言われて複雑な思いがある。それを乗り越えるのにモニュメントが必要と発言していて。モニュメントで解決することなのかなとちょっと疑問に思いました。
宮本●モニュメントにも意義がある場合もあるかもしれません。私は看護師になって二年目から地元の合唱団に入っているのですが、毎年、四月四日の第二次世界大戦下の立川空襲を歌い継ぐ活動をしています。自身も両親も経験していない戦争ですが、慰霊碑に刻まれている名前を見ながら、「〇〇ちゃんは妹と弟を連れて防空壕に入って亡くなった」など当時を知っている人の話を聴くとやはりありありと戦争のなかの個人が思われます。
小川●天災と震災の違いはあるかもしれませんが、震災も人災の面もありますから、モニュメントが活きる場面もあるかもしれません。
宮本●モニュメントが100%なにかを伝えられるわけではないけれど、人によって様々に感じ取ってもらえるのはよいと思います。
小川●ところで『三〇一号室』の装幀は版元になにか希望は出されましたか。
宮本●第一句集は自分で紙や色などすべてを決めたので第二句集は少し任せてみようと思いました。とはいえ、ハードカバーにすることや見返し、スピンの色などは今回も自分で決めました。挿画は港の人から提案されたもので最初は意外でしたがとても気に入っています。
小川●ノンブルを入れる位置に意外性がありますよね。
宮本●内側にノンブルを入れるというのも自分で考えました。ちょっとカッコつけてみたくて(笑)。まず160ページで句集を作ることを決め、三句組にして、章のタイトルがどれも右ページに来るように台割を考えました。句の下の余白が大きいのは以前から気に入っていたスタイルです。本の最初と最後の三句はあらかじめ決めておいて並べ出し、有季→無季→有季→無季の構成としました。
小川●〈流す三人八ミリで撮る散骨〉はご家族がモチーフですか。
宮本●亡くなった夫のことです。夫が好きだったインドで散骨をしました。第一句集にも夫の句はあるのですが、「フリスク」という章立てをしたのは今回が初めてです。死そのものはなかなか俳句にはできていませんが。
小川●散骨がお連れ合いとは存じ上げませんでした。そのような喪失が俳句の糧になると感じますか。
宮本●はっきり感じますね。
小川●俳句は死者と生きてゆくのにいい詩形ですよね。亡くなったひとに言葉を投げかけるにちょうどよいサイズ。
宮本●私もそう思います。楓子さんは、そういうふうに感じるきっかけはあったんですか。
小川●誰かの死に影響を受けたというより、わたし自身が子供の頃から入院して、何度か死にかけたりしたので、死んでいたかもしれない人生と今生きている人生がいつも寄り添っているように思います。
宮本●私は、職業柄死が遠いものではないし、ある程度冷静に見つめることができるのかな、と。さみしいし、かなしいことだけれど皆に起きること。生と死が並行になっているかもしれない。生死のごく淡い境目からどちらに曲がってゆくかわからないと思いますね。だから俳句をやっているのかもしれない。
小川●「女性俳句」についてどのように思いますか。
宮本●求められる所作があるような気がして「女性俳句」という言い方は、あまり好きではないですね。外圧のように思うこともあります。男性か女性かで分けるとどこか読みが浅くなる気がします。男性の俳句ってなんだろうと思ったり。
小川● マッチョ系なら金子兜太とかが思い浮かぶけれど、男性の例としてはちょっと違う気がしますね。
宮本●あまり思い浮かばないけれど、もしかしたらどこかで求められることもあるのかもしれません。
小川●その可能性もありますね。でも、俳句がすでに男性を前提としているから女流という言い方になるのかもしれないですね。
宮本●女性的役割をするべきかと思うことはありますね。
小川●〈冷房にドリンク剤をさつと配る〉はご自身の行動ですか。
宮本●これは配られた句なので違いますね。仮設住宅に上がらせてもらった時にさっと配られたんです。仕事の時には女性的な役割について求められることはないし、考えたことはないけれど、俳句の時はあるかもしれない。でも、もともと性別役割意識など、帰属的に考えるのは好きではないですね。
小川●私もそう思います。今までお見掛けしてもほとんどお話することがなかった佳世乃さんと、今日はじっくりお話できてよかったです。ありがとうございました。
宮本●私も、自分についてこんなに話したのは初めてかもしれません。ありがとうございました。
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