2022-11-06

宮本佳世乃【句集を読む】 閉まることのない穴 山田耕司『不純』

【句集を読む】
閉まることのない穴
山田耕司不純

宮本佳世乃

初出:『炎環』第460号・2018年10月

一九六七年生れで高校時代から作句をはじめたが長らく沈黙していた作者の『大風呂敷』(二〇一〇年)に続く第二句集。ある意味奇抜とも言えるタイトルの本句集は十章に分かれ、各章にテーマ性を持たせている。

山々に足こそ無けれふところ手  山田耕司(以下同)

山は笑い、滴り、よそおい、眠る。この句にあるように、山は顔も、手も、精神も持ち合わせていそうだ。普段は地にどっしりと腰を下ろしているが、もし足があったとしたら、雨に小躍りしたり、桜に駆けだしたり、誰かと絡ませたりするかもしれない。地中の根が見えないのと同じように、「ふところ手」は手先が他者から見えない。敢えて「手」の季語を使うことによって、自由な部分を想像させる。

秋耕の目鼻がありて二三人

秋の寂しさを含めた風景で、案山子を詠んだとも考えられる。「目鼻の」ではなく「目鼻が」と書くことで、顔の不思議さも思わせる。

面影に天ぷらそばを持たせけり

面影は記憶によって心に呼び起こさせる姿。もしくは幻。「俤」とも書く。誰のどのような面影を思い浮かべたのかによって句意は違ってくるが、天ぷらそばを持たせるくらいだから親しく、温かい感情を通わせた間柄だと思う。なんといってもおいしそうだ。

二階には泥鰌が足りてゐて静か

暑いさ中、みんなで泥鰌鍋を食べにきている。一階はまだ足りておらず、炊いている匂いばかりが充満している。ああ、早く食べたい。もしかしたら二枚目を待っているのかもしれない。満足と不満足ではなく、満足ともうすぐ訪れる満足を描いている。

みつ豆の叱る側だけ泣きながら

これも食べ物の句。二人で店に入って、向かい合って話さなければいけないこと状況。そういうとき、あまり重たいものを頼みたくはない。二人ともみつ豆を頼む。アイスが乗っているわけではないので、溶けない。豆の黒さと寒天の質感が泣いていることに通じている。

鶯やしやぶるくちよりでるめだま

鯛だろうか。『不純』には「挿す肉をゆびと思はば夏蜜柑」「あけぼのや乳房仕舞ふに目を見つつ」など、性的志向に読みを誘う句も多いのだが、この句もそうだ。人はほんとうに何でも食べる。目玉さえもしゃぶるし、嚙み砕くことさえある。そのくちびるを始終、眼で見ているわけだ。鶯は「梅に鶯」というように古くから親しまれているが、谷を渡ることもあるこの鳥を季語に配したことで、生きつなぐことの俗っぽさ、怖ろしさを感じた。

この句集にまさか『純粋』『純真』というタイトルはつけられないだろう。どのように生きていても、生活者としての混じりけからは逃れられないからだ。捻ったように見えてストレート。タイトル、装丁、俳句すべてから、こころのどこかの、閉まることのない穴を思った。


山田耕司『不純』(2018年/左右社)≫版元ウェブサイト

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