【句集を読む】
鍵和田秞子『火は禱り』
宮本佳世乃
初出:『炎環』第475号・2020年1月
平成二十五年から三十一年までの句を収めた、「未来図」主宰の第十句集。中村草田男が亡くなり、「未来図」を創刊してから三十五年が経つという。
元朝の濤うねり来るいのちかな 鍵和田秞子(以下同)
八十路には八十路の禱り初御空
冒頭の二句。本句集は編年体で作られているが、ほとんどの章が新年から始まっている。新年は大景を呼び寄せるが、この「濤」は、第九句集『濤無限』から引き続いた世界観であろう。どの言葉を見ても力強く、本句集の方向性を決定づけている一句。津波を引き起こした濤であるが、いのちを産生する源でもある。濤がうねりながらも、いつしか新しい時が廻ってくる。二句目も豪快、初御空があざやか。
万緑の句碑に歳月積りけり
万緑の池も万緑師はいづこ
構造的な句である。作者は草田男の「万緑」の句碑の前にいるが、「いま・ここ」が万緑なのである。漲っている緑(=師である草田男)を讃えつつ、過ぎ去った時間を情感そのものとして示す。この二句が同じページに並んでいるのも、句集ならではの面白さだ。
化けそこねたり夕闇の花からすうり
長月の梯子と縄にすれちがふ
そうかと思えばこのような句がぽつっと入ってくる。一句目は、烏瓜の花を見ている作者が化けそこねた、と読んだ。八十歳代ならではの軽さと面白み。二句目は、「長月」がいい。梯子も縄も長く、これらを使ってどんな世界にいけるのか、ワクワクする。句形も新鮮だ。
竹林の日のしたたりを秋遍路
本句における中七の切れは「を」でなければ成立しない。「や」だと野暮ったくなる。「の」「に」「と」だと切れがはっきりしない。
颱風の前の静けさ鰈むしる
これから台風が来るのを知っていながら、煮付けた鰈をむさぼっている。この句を読んだとき、これこそが人が生きるということだと思った。下六も含めて生命感が逞しい。
蜜柑食ふ怖るることの無きごとく
これも食べ物の句。畏怖があるからこその内容だ。その隣には、
鳥獣も人も草木も寒夕焼
一句一章、切れ字を使わずとも、完全に下五で切れている。どこと切れているかというと、二本足で立っているこの地との切れである。ダイナミックかつ、美しい。
夕蟬の声にどつぷり家古ぶ
集中、大好きな句。家に住んでいる人が歳を重ね、家も古びる。蟬も、人も、家もともに息づいている。私もいつかこういう句を作りたいと思った。
鍵和田秞子『火は禱り』(2009年9月/角川書店)
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