2022-10-23

麒麟の鯛焼あるいは当たり前という異様へ 竹岡一郎

麒麟の鯛焼あるいは当たり前という異様へ

竹岡一郎


「角川俳句賞受賞作「玉虫」を読んだが、平易なる方へあまりに傾き過ぎている気がした。

  家の中少し歩きて豆をまく  西村麒麟

  鯛焼をかたかた焼いて忙しき  同

共に選考委員が取っている句だが、このような句を読むと、作者はとにかく空っぽになりたいのだろうか、長閑な無力さを体現したいのだろうか、と、なぜか茫洋とした悲しさを感じる。」

と、週刊俳句に書いたのが二年半前だ。そう書いてしまってから、ずっとこの二句、特に鯛焼の句が頭から離れない。ふとした折に思い出す。そして駄句なのか佳句なのか、どっちかなんだろうが、分からないままでいる。もし駄句ならば、なぜ、ずっと頭に残るのか。それがわからない。

豆まきの句はまだ、言わんとする処はわかるのだ。アパートかマンションか、いずれにせよ家が狭いのだろう。それでも少しは歩く。小さな幸せを願っている思いは伝わる。

だが、鯛焼の句は。一体何が引っかかるのか。虚子の「流れゆく大根の葉の早さかな」を狙っているのか。だが、句から感じられる奇妙な空虚感は、虚子の大根の句とは違う。

時々、日本橋に行く。大阪にも日本橋という処があって、東京で言えば秋葉原に当たる。電気街である。そこに鯛焼屋がある。美味いので時々買う。店はがら空きの時もあれば、行列の時もある。夜はがら空きだが、昼に通ると、えらく人が並んでいる。

店員の有様を見ていると、確かに「かたかた焼いて忙しき」だ。型板を開けたり閉めたりひっくり返したりする様には、「かたかた」以外の形容が見つからない。蛸焼ではこうはならない。蛸焼はあんな風にかたかたと、忙しい中にも長閑さを感じさせる動作では焼かない。もっと滑るように跳ねるように、鋭い動作で焼く。「かたかた焼いて忙しき」と言われれば、昼時の行列をさばいている店員の動作が浮かぶ。

恐らく天気は良い方で、どんなに悪くても曇りだろう。雨の日に、鯛焼を買って食べたくは、あまりならない。となると「かたかた」と「忙しき」、この二語で鯛焼屋の繁盛具合、時間、天気までもが大体推定できる。これは詳細な写生ではないか。

よく出来た写生句であることは判った。しかし、それだけなら、こんなにいつまでも頭に残る筈はないのだ。「作者はとにかく空っぽになりたいのだろうか、長閑な無力さを体現したいのだろうか、と、なぜか茫洋とした悲しさを感じる。」と、二年半前に書いた。その感触は今でも変わらないが、ぼんやりと感じるのと、肌身に沁みてそう感じるのとは、わけが違う。

この七月に北大路翼「見えない傷」論を書けて、それはそれで面白かった。胸のつかえも漸く降りた。だが、またしても鯛焼の句が浮かぶ。やはり佳い句なんだろうか。その思いを否定すべしという奇体な義務感に駆られて、或る評論を試みた。何度も書き直した挙句、最後の結論に至る。結論は、そこに至るまで蜿蜒と書き連ねた評を全て無化するもので、そんな廃墟を晒せるわけがない。

でも、書いてしまった結論だけは、ここに挙げるべきだろう。なぜ鯛焼の句を評したいか、その動機の一つでもある。恋から覚めるのは爽やかなものだが、次に未練がましく引用する。

「なぜ〈われら〉と言うのか。この状況全体を〈われら〉と称しているとして、なぜ〈われ〉ではないのか。連帯を信じているのか。

《連帯を求めて孤立を恐れず。力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽さずして挫けることを拒否する。》

《工作者宣言》を掲げた谷川雁の、この言葉を思い出す。〈連帯〉は希み求められるのみで、決して約束されていない処が、特に美しい。だが、新左翼に愛されたこの言葉に伴い、戦後俳句を良く知る数人に指摘された事をも思い出す。六十年代の連帯の幻想が破れた後、どのような形態の句が沢山出て、跡形もなく消えていったか。では、この論において私は、再びレクイエムを綴っているのか。

正義も糾弾も連帯も革命も、それらを掲げた六十年代の立看板の太文字も、全く信じた事が無い私は、左翼過激派に幾度も父を殺されかけた昔を、或る郷愁を以て思い出す。

私という怨霊は、鏡に向かって言う。『怨府こそ己が出自と思い知っていたからこそ、これらの句群に惹かれたのではないのか。』

怨念は鼠を走らせる回し車だ。巡る円環に閉じ込める。怨念はその存続自体が目的だから、宥恕こそが禁忌だ。だが、己が鏡像を外界に、どれほど緻密に投影しようとも、それは現実ではない。

〈作者と読者が思い出を共有する仕組みが俳句〉(小川軽舟句集『呼鈴』あとがき)という言に従うなら、私はこれらの句群に、巡る円環のような同郷意識を見出していたのか。

それは否めない部分もある。私は、革命も理想も連帯も正義も一切伴わない、純粋な暴力の世代、暴力の地の出自だ。そんな巷でも、懐かしい夢は見る。連帯した事が無く、孤立を呼吸していた私は、これらの句に巡っている地獄の夢が好きだったのかもしれない。

しかし、何処まで行っても夢だ。これらの句群から、私が見たい夢をどれほど恣意に緻密に引き出そうとも、それは思い出のふるさとでさえない。ましてや地獄という否応無い現実ではない。」

ここまで書いて、恋の終わりを確信し、原稿を没にした。麒麟の鯛焼の句は、この没原稿の対極にある。

今、鯛焼の句に或る種の深みを感じている、と言ったら大袈裟だろうか。しかし、虚しい筆耕を重ねた挙句、怨府の彼方に置き去ってしまった今となっては、この鯛焼のかたかたという音が、妙に心に響く。

この音は諭しだろうか。癒しだろうか。懐かしさだろうか。優しい無関心だろうか。作者もまた、そんな風に、この「かたかた」という音を聞いたのならば良いのに。

太宰治の「トカトントン」という短編を思い出す。どこからともなくトカトントンと響く、その音を聞くと、妙に醒めて虚しくなる、そんな話だった。しかし、その音は、癒しでも諭しでもあったように思えてならない。私なら清々しさを感じるかもしれぬ。旋火輪の執念から覚めるのは清々しい。凍えた事も餓えた事も無い者なら、家を作る金槌の音、鯛焼をひっくり返す音を軽んじるだろうが。

もう一つ思い出す。第一拙句集のあとがきにも書いたが、初学の頃から高野素十が大好きで、なぜあのような句が作れるのか、いつも疑問だった。いつまでも血気盛んで、何かあれば直ぐ猛る私には、到底作れそうもない。

「素十はなんであんな凄い句を作れるんですかね」と、小川軽舟先生に聞いた事がある。先生はさらっと返した。
「うん、素十は文学が嫌いだったからね」

私は真向を打たれた気がした。俳句は文学だと盲信していたせいもある。しかしそれだけではない。生き方の問題、世界との対し方とでも言おうか、そんなところを指摘された気がした。その時、動揺を隠すために、私は不機嫌を装った気がする。それっきり十数年が過ぎた。

今、「素十は文学が嫌いだったからね」という言葉を噛み締めている。野見山朱鳥は「忘れ得ぬ俳句」において、素十と茅舎を真の天才と讃えている。その素十は、確かに文学なんぞ嫌いだったろう、と最近思う。農村でのびのび育ち、長じては法医学の道に進んだ素十は、文学なんて主張は悪く観れば傲慢、良く観ても大上段に振りかぶった挙句の空振りと思っていたかもしれぬ。そんな素十が、「真の天才」と名指しされるのには、或る真理があろう。

人はいずれ死ぬ。生者に触れる時、私はその死に際の姿を観る。時には、その死後の長夜をも観てしまう。先の大戦末期を「雁の声のしばらく空に満ち」と詠った素十には、どう観えていただろうか。

この八月、関悦史と長電話していた。鯛焼の句の話題になった。

「あの鯛焼の句は、駄句なのか佳句なのか、どっちだと思う」と聞くと、関悦史、駄句とも佳句とも言わず、
「麒麟は空白の使い方が絶妙なんだ」と言う。

かつて桃山の絵唐津に親しんだ私には、それだけでもう、佳句だと言われたようなものだ。
「じゃあ、蛸焼をくるくる焼いて、ならどうなんだ」と、意固地に食い下がってみる。名詞が動かないか、と難癖つけたいのだ。
「蛸焼をくるくる、は当たり前」と関悦史。
「かたかたは」
「かたかた言わない鯛焼だってあるだろう」
しばらく沈黙した後、私は言う。
「あの鯛焼の句がここのところ、頭から離れん」
「…… 疲れてるんだろう」

ひとのため末黒野を行き落胆す  藤田湘子「春祭」

この句が心に沁みた夏であった。末黒野が動かない。火の残影と香の漂う、黒く焼けた野が、湘子先生の心象風景であったろうかと思う。

鯛焼を焼いている人は、その忙しさをどう思っているのだろうか。商売繁盛で嬉しいと思っているのか。客が一杯で面倒だと思っているのか。いずれでもない気がする。無心に忙しいだけだ。忙しさの中で無心に居るだけだ。延々と続く繰り返しの中で、かたかたという音が時を刻んで、一日がとっぷりと暮れて終わる。

それは虚しいのか。充実しているのか。充実した虚しさというものがあるのかもしれない。それは地獄とは無関係だろうか。いや、地獄を内包して、しかも当たり前なんだろう。

鯛焼は冬の季語だが、出来れば厳冬であって欲しい。その方が、鯛焼を焼く者の平然さが際立つ。鯛の形態にはめでたさが含まれる事も思う。そう考えると、西村麒麟は、実は強かなのか。

強いと強かは同じ漢字を使うが、麒麟の句における空白の絶妙さは、強かさという強さに裏打ちされているのかもしれない。桃山の絵唐津を思えば、どうもそんな気もする。麒麟の当面の強かさが、或る時点で一木一草のあわれを含めば、その景は、時間としても空間としても、はるけさを得るだろう。そして異様なまでに当たり前な素十の道に、将来通じれば良い。いつか、麒麟が「ようやく第二文学になりましたか」と虚子を洒落て、とぼけるなら一興だ。

浪華の人間は転んでも只では起きぬ。この夏の落胆も、麒麟の鯛焼の句を肯う為であったかと思えば、トカトントンと胸に落ちるのだ。

( 了 )

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