【句集を読む】
さみしいのかたち
宮本佳世乃『三〇一号室』を読む
小林苑を
蜜柑山はやく帰つてはやく死ぬ 宮本佳世乃
初出はどこに掲載されたのだったか、どう受け止めればいいのか戸惑った記憶がある。同時に「ああ、わかる」とも思ったのだが、書こうとすると上手く書けない。でも気になって、一句なら他にいくつも浮かぶのにこの句から離れられない。
『三〇一号室』は「二階建てバスの二階にゐるおはやう」で締めくくられる。この句には佳世乃句のすべてがある。ひかりに溢れているけど冷んやりしていて、呼びかけ(挨拶)がある。特定の誰かではなくみんなへの呼び掛け。この掛けずにいられない共感性・迷いのなさの清潔感。これが佳世乃句の魅力だ。そして、宮本佳世乃の明るくて清潔な世界はほんの少し危うい。
みんなさみしい明けましておめでたう 同
さみしいは佳世乃句のキーワードだと思う。ひかりに溢れているけど冷んやりはさみしいのかたちなのだ。目の前の光景を見詰めていると同じなのに違うように見えてくる。たとえば印象派の画家に光の粒子が見えるように、だろうか。見えるだけではなくて肌に触れてきたりするんじゃないか。其処から言葉にしてゆく俳句の感性が宮本佳世乃にはある。
ところで『三〇一号室』とは「あとがき」にある著者が住んでいた部屋だろうか。病室かもしれない。強引に掲句に引き寄せるなら、そこは帰る場所であり人生を終わらせる場所なのだ。密柑山は晴れていて海が見えるのかもしれない。そんな明るい場所だからこその此処は居場所ではないという違和感。「はやく帰つて」はよく分かる。さらに「はやく死ぬ」と言われて立ち竦む。いずれ人は死ぬ。死にたいと死にたくないは同じだとも思う。でもこんなにも清々しく潔く死がそこに置かれている。ふいにこの解釈は違うかもしれないという気がしてくる。もしかしたら部屋の窓から蜜柑山が見えるのかもしれないし、帰るのはあの明るくて冷んやりした蜜柑山なのではないか。不穏なのに安らぎのある不思議な一句。
こどもつぎつぎ胡桃の谷へ入りゆく 同
陽当たりのちがふ黄色い菊畑 同
透明な傘をすべつてゆく秋よ 同
空蟬は耳のかたさよ眠くなる 同
夏痩せてたまたま顔のある煮干 同
その他はブルーシートで覆はるる 同
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