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2022-11-20

宮本佳世乃【句集を読む】 宇多喜代子『森へ』を読む

【句集を読む】
宇多喜代子『森へ』を読む

宮本佳世乃

初出:『炎環』第465号・2019年3月

「草樹」の会員代表、現代俳句協会特別顧問の宇多喜代子氏の第八句集。二〇一四年から二〇一八年までの五年間の句が収められている。作者は昭和十年生まれ。

もの言わぬ人ら月下の白黒に  宇多喜代子(以下同)

月は白眼中の月あくまで白

多摩川の毒かあぶくか月光か

幻のかたちとはこれ秋の川

爽やかや源流人を寄せつけ

前書きに「写真家 江成常夫 五句」とある。江成常夫は、昭和の戦争や環境問題など、国家や時代を問う作品を創造する写真家である。

戦争などのモノクロの写真から感情が揺さぶられる経験をするということは、誰にでもあるだろう。右のような句を読むと、俳句作家の眼で見たものが俳句となるときに、言葉により喚起される事実のイメージが、定型の作用によって強化され、個人の経験として上書きされているように思う。ただ「見た」「感じた」だけでは体験に過ぎないが、それを俳句とするときに「経験」に変換されるわけである。

連作一句目の「もの言わぬ人」のかなしみや矜持が音を立てずに伝わってくる。月の夜、眼だけが光るようでもある。二句目も月。「眼中の月あくまで白」と言い切っているところから、問答無用にそう思うしかない世界を想像した。残り三句は多摩川の環境汚染の句。生活排水や廃棄物、高度経済成長期の工業の進出によって汚染された多摩川。奥多摩の源流は神々しいほど清廉であることがわかる。

本句集は「森へ」という名前が冠されている。あとがきには「息苦しくなると原生の森を安息の場と思念し、再生のよすがとします」と書かれている。森そのものが見える句としては、山や土、樹々の句もあるが、ある強さの象徴として梟を描いたものが散見される。
親を喰う梟を見るだけの旅

瞑目のままの梟の剛毅

終わりなき戦に梟を送り込む

江戸時代以前の梟は不吉な鳥として扱われてきた。本句集の梟は、不気味さではない。「剛毅」という言葉からもわかるように、容易には屈しない意志、そしてかなしみを表しているのだろう。

八月はまことに真夏永久に真夏

金輪際死児が見開く夏や夏

芒にも中村草田男の墓にも雨

患わず冬あたたかな日に逝けり

青芒隠れ遊びのいつまでぞ

この「意志」は、戦争、沖縄だけではなく、師である桂信子、和田悟朗、中村草田男、急逝した弟、金子兜太などの身近な存在を詠むときの通奏低音になっている。

死の話いつしか葬儀の話で雪

秋袷死なずに生きていずれ死ぬ

雑煮餅それとなく余生のかたち

これらには、自己の死に対する視線が描かれている。「雪」や「秋袷」といった季節の移ろいは、日々を暮らすエネルギーでもある。雑煮餅の輪郭が不鮮明になっていくところに、来し方行方を思う。作者の視線の先に、生死が再生されていく。


宇多喜代子『森へ』2018年/青磁社 ≫amazon

2020-05-17

天皇の白髪 安田中彦

天皇の白髪

安田中彦


遠い距離の言葉の取り合わせでもないし、難解な語が用いられているわけでもない。それでも目にするたびに何とも腑に落ちない気持ちにさせられる有名句がある。作者本人が自分の代表句の一つとしている。

天皇の白髪にこそ夏の月  宇多喜代子

天皇と夏という語から、俳人ならかの戦争を想起するだろう、私は疑いもなくそう思っていたのだが、然にあらず、だった。私見を述べる前に、検索して現れた3つの評を紹介する。



高山れおな

皇太子としての長い待機を終え、ようやく自らの時代を迎えた今上天皇の抱負に思いをいたす、単純にエールをおくるのとも違う、やや複雑な気分が働いていると読める。なにしろ、満五十五歳という普通であればリタイヤが近い年齢での践祚なのだ。
http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2011-05-02-424.html


坪内稔典

天皇の白髪にこそ夏の月がふさわしい、という俳句であろう。季語の本意を示した平井照敏の『新歳時記』(河出文庫)によると、夏の月の本意は「暑さのあとの涼味」。この句も天皇の白髪と夏の月の取り合わせが涼味を放っている、と言ってよいだろう。ささやかな天皇賛歌だ。
http://sendan.kaisya.co.jp/ikkubak_0601.html


櫂未知子

青年期をとうに過ぎた〈天皇〉のしろがねの髪、そして涼やかな月。この句はいろいろな解釈や評価をされていますが、まずは視覚的な面に目を向け、そして天皇という立場の人を考えてみる、それが大切ではないかと思われます。
http://www.izbooks.co.jp/tukiP431.html



高山氏は「今上天皇か昭和天皇のどちらかだろうが、句そのものの味わいからしても、また制作年と作者の生年という傍証からしても、前者とするのがより適切と考える」。句の味わいとは「より個人的なインティメイトを示しているように思われる点を指す」のだという。その「インティメイト」と併せて、宇多氏が今上天皇(現在の上皇)と同年代であり、平成初頭に作成されたことから、エールを送っているとする(+複雑な気分)。「個人的なインティメイト」について私は是認も否認もできない。傍証は宇多氏と句の作成時期についての知識がある鑑賞者のみに有効だ。

坪内氏はこの天皇を昭和天皇と推測している。涼味を放っていて、「ささやかな天皇賛歌だ」とする。因みにだが私は天皇に共感も親近感も抱いたことがない。天皇参賀に集まって日の丸の小旗を振る人々が異星人のように見える。

そのことは別にしても、文芸が天皇賛歌をするのだとしたら首を傾げざるを得ない。社会の高い地位にいる者を賛美するのが文芸なのだろうか。それなら東條英機や安倍晋三を賛美してもいいことになるが(もちろんそうしたい人はそうすればいい)、何の批評性も持たずに文芸と呼べるのだろうか、という疑問が湧く。

櫂氏の評だと、天皇は現上皇と読めなくもないが、明確ではない。氏はまず視覚的な面に目を向けよと言う。なるほど。しかしそれに続く文は意味が分からない。「天皇という立場の人を考えてみる」とは何のことだろう。それは象徴天皇? 「神聖ニシテ侵スヘカラス」の天皇? 明治より以前の天皇? どの立場の天皇を指すのか? そこは読み手がご自由に、ということだろうか。


確認しよう。

高山氏「天皇へのエール」、坪内氏「天皇賛歌」。現上皇と昭和天皇の違いはあれ、両者の捉え方は近い。しかし、もしそうであるならこの句は普遍性を持ち得ない。天皇に思い入れのない人間には無効だからだ。櫂氏は「視覚的な面」がこの句の魅力だと捉えているようだ。確かにそうだろう。天皇の白髪と夏の月、印象は極めて鮮明だ。取り合わせとしてもユニーク。俳句で使いにくい天皇という語が無理なく着地している。

それでも私がこの句を見るたびに覚える違和感(北海道弁でいうならイズイ感じ)は何だろう。特に「こそ」の存在。なぜ天皇の白髪が強調されるのだろう。何かがとりたてて強調されるのは、それと対比される別な何かが存在すると考えるのが妥当ではないだろうか。

天皇と夏の組み合わせから、私はかの戦争を想起した、と書いた。だからもちろん天皇とは昭和天皇だ。満州事変から敗戦までのいわゆる15年戦争、天皇の年齢は30歳から44歳。敗戦から年月が経ち、天皇の髪もすっかり白髪になった。では、それと対比されるものは何か。それは歳を取らなかった者たちである。言い換えるなら、歳を取ることができなかった者たち。永遠に歳をとらない者、それは死者である。生者と対比されるもの、それは死者である。生者である天皇と、戦時に命を落とした多数の者たち。日中戦争以降の戦争による死没者は日本人だけでも310万人とされる。戦地に駆り出された兵士たちの60%は餓死だったという。いかに杜撰な計画によって戦争が遂行されたかがわかる(ここで私は天皇の戦争責任という話をしたいわけではないのでそこはご注意を)。

「こそ」という強調の助詞が行っているのは、現在と過去、生者と死者、老いと若さという対比である。さらにそこに身分を含めてもいいかもしれない。さらに支配者と被支配者という対比も。

私はこんな想像をする。平和な世の中になって歳老いた天皇の白髪に涼やかな夏の月光が注いでいる。一方、時間を遡れば、日本から遠く離れた南方のジャングルで病と飢餓のために死に瀕している若者が月を仰いでいる。帰還のかなわない故郷で同じように月を仰いでいたのを思い出しながら。感傷的に過ぎる想像かもしれないが、「こそ」の背後にある、「こそ」によって対比されているのはそうしたものではないだろうか。上野の地下道で死んでいった多くの「浮浪児」たちを思い浮かべてもいいかもしれない。

掲句の鑑賞は櫂氏の「視覚的な面」から捉えるのが妥当なようだ。視覚的に明瞭な像を私たちに与えてくれるのは確かだ。そしてそれまでになかった取り合わせ。

少なくとも「天皇陛下、おいたわしや」や「天皇賛歌」の類ではないだろう。それは俗情との結託でしかない。それはつまるところ文芸の放棄にほかならない。