2020-05-17

天皇の白髪 安田中彦

天皇の白髪

安田中彦


遠い距離の言葉の取り合わせでもないし、難解な語が用いられているわけでもない。それでも目にするたびに何とも腑に落ちない気持ちにさせられる有名句がある。作者本人が自分の代表句の一つとしている。

天皇の白髪にこそ夏の月  宇多喜代子

天皇と夏という語から、俳人ならかの戦争を想起するだろう、私は疑いもなくそう思っていたのだが、然にあらず、だった。私見を述べる前に、検索して現れた3つの評を紹介する。



高山れおな

皇太子としての長い待機を終え、ようやく自らの時代を迎えた今上天皇の抱負に思いをいたす、単純にエールをおくるのとも違う、やや複雑な気分が働いていると読める。なにしろ、満五十五歳という普通であればリタイヤが近い年齢での践祚なのだ。
http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2011-05-02-424.html


坪内稔典

天皇の白髪にこそ夏の月がふさわしい、という俳句であろう。季語の本意を示した平井照敏の『新歳時記』(河出文庫)によると、夏の月の本意は「暑さのあとの涼味」。この句も天皇の白髪と夏の月の取り合わせが涼味を放っている、と言ってよいだろう。ささやかな天皇賛歌だ。
http://sendan.kaisya.co.jp/ikkubak_0601.html


櫂未知子

青年期をとうに過ぎた〈天皇〉のしろがねの髪、そして涼やかな月。この句はいろいろな解釈や評価をされていますが、まずは視覚的な面に目を向け、そして天皇という立場の人を考えてみる、それが大切ではないかと思われます。
http://www.izbooks.co.jp/tukiP431.html



高山氏は「今上天皇か昭和天皇のどちらかだろうが、句そのものの味わいからしても、また制作年と作者の生年という傍証からしても、前者とするのがより適切と考える」。句の味わいとは「より個人的なインティメイトを示しているように思われる点を指す」のだという。その「インティメイト」と併せて、宇多氏が今上天皇(現在の上皇)と同年代であり、平成初頭に作成されたことから、エールを送っているとする(+複雑な気分)。「個人的なインティメイト」について私は是認も否認もできない。傍証は宇多氏と句の作成時期についての知識がある鑑賞者のみに有効だ。

坪内氏はこの天皇を昭和天皇と推測している。涼味を放っていて、「ささやかな天皇賛歌だ」とする。因みにだが私は天皇に共感も親近感も抱いたことがない。天皇参賀に集まって日の丸の小旗を振る人々が異星人のように見える。

そのことは別にしても、文芸が天皇賛歌をするのだとしたら首を傾げざるを得ない。社会の高い地位にいる者を賛美するのが文芸なのだろうか。それなら東條英機や安倍晋三を賛美してもいいことになるが(もちろんそうしたい人はそうすればいい)、何の批評性も持たずに文芸と呼べるのだろうか、という疑問が湧く。

櫂氏の評だと、天皇は現上皇と読めなくもないが、明確ではない。氏はまず視覚的な面に目を向けよと言う。なるほど。しかしそれに続く文は意味が分からない。「天皇という立場の人を考えてみる」とは何のことだろう。それは象徴天皇? 「神聖ニシテ侵スヘカラス」の天皇? 明治より以前の天皇? どの立場の天皇を指すのか? そこは読み手がご自由に、ということだろうか。


確認しよう。

高山氏「天皇へのエール」、坪内氏「天皇賛歌」。現上皇と昭和天皇の違いはあれ、両者の捉え方は近い。しかし、もしそうであるならこの句は普遍性を持ち得ない。天皇に思い入れのない人間には無効だからだ。櫂氏は「視覚的な面」がこの句の魅力だと捉えているようだ。確かにそうだろう。天皇の白髪と夏の月、印象は極めて鮮明だ。取り合わせとしてもユニーク。俳句で使いにくい天皇という語が無理なく着地している。

それでも私がこの句を見るたびに覚える違和感(北海道弁でいうならイズイ感じ)は何だろう。特に「こそ」の存在。なぜ天皇の白髪が強調されるのだろう。何かがとりたてて強調されるのは、それと対比される別な何かが存在すると考えるのが妥当ではないだろうか。

天皇と夏の組み合わせから、私はかの戦争を想起した、と書いた。だからもちろん天皇とは昭和天皇だ。満州事変から敗戦までのいわゆる15年戦争、天皇の年齢は30歳から44歳。敗戦から年月が経ち、天皇の髪もすっかり白髪になった。では、それと対比されるものは何か。それは歳を取らなかった者たちである。言い換えるなら、歳を取ることができなかった者たち。永遠に歳をとらない者、それは死者である。生者と対比されるもの、それは死者である。生者である天皇と、戦時に命を落とした多数の者たち。日中戦争以降の戦争による死没者は日本人だけでも310万人とされる。戦地に駆り出された兵士たちの60%は餓死だったという。いかに杜撰な計画によって戦争が遂行されたかがわかる(ここで私は天皇の戦争責任という話をしたいわけではないのでそこはご注意を)。

「こそ」という強調の助詞が行っているのは、現在と過去、生者と死者、老いと若さという対比である。さらにそこに身分を含めてもいいかもしれない。さらに支配者と被支配者という対比も。

私はこんな想像をする。平和な世の中になって歳老いた天皇の白髪に涼やかな夏の月光が注いでいる。一方、時間を遡れば、日本から遠く離れた南方のジャングルで病と飢餓のために死に瀕している若者が月を仰いでいる。帰還のかなわない故郷で同じように月を仰いでいたのを思い出しながら。感傷的に過ぎる想像かもしれないが、「こそ」の背後にある、「こそ」によって対比されているのはそうしたものではないだろうか。上野の地下道で死んでいった多くの「浮浪児」たちを思い浮かべてもいいかもしれない。

掲句の鑑賞は櫂氏の「視覚的な面」から捉えるのが妥当なようだ。視覚的に明瞭な像を私たちに与えてくれるのは確かだ。そしてそれまでになかった取り合わせ。

少なくとも「天皇陛下、おいたわしや」や「天皇賛歌」の類ではないだろう。それは俗情との結託でしかない。それはつまるところ文芸の放棄にほかならない。

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