【句集を読む】
金子兜太「生長」を読む
宮本佳世乃
『炎環』第458号(2018年8月)より転載
二月二十日に金子兜太が亡くなり、五月、石寒太により『金子兜太のことば』(毎日新聞出版・二〇一八年五月)が刊行された。めくっていると「自分の俳句が、平和のために、より良き明日のためにあることを心より願う。」という言葉に目が止まった。
今回は、文中に出てくる『鼎』という「寒雷」の若手作家(田川飛旅子、金子兜太、青池秀二)の合同句集(昭和二五年・七羊社)から、金子兜太「生長」を読んでいきたい。これは、第一句集『少年』より五年前、一九歳から三十一歳までの作品一九二句。これらの、戦前から戦後にかけての俳句が「いま」にどうつながるのだろうか。
マッチ箱に玉虫入れて都の子 兜太
曼殊沙華どれも腹出し秩父の子
「一 戰爭まで」の章から。両者とも子どもの景である。都会で玉虫を見ることはないだろうから、里山で玉虫に出会ったときに、親が持っていたマッチ箱に入れて持って帰る。曼殊沙華の句は、兜太の代表句で、二十三歳の頃の作品。秩父にいるんだなぁといった感慨が「どれも」という言葉から感じられる。都会の子、里山の子の様子は現代も変わらないだろうと思う。
靑きバナナ部屋の眞中に吊りて置く
犬は海を少年はマンゴーの森を見る
「二 トラック島にて」の章より。この二句だけで戦地の景だと読むのは難しい。みずみずしい果実の色が全体を引き立てている。
古手拭蟹のほとりに置きて糞る
魚雷の丸胴蜥蜴這いまわりて去りぬ
被彈のパンの木島民のあか兒泣くあたり
いずれの句からも暗い影とともに生命感を感じる。戦地にある黒い手拭と、生命の危険もありながらの野糞。普段の生活にはない魚雷の丸胴にちょろちょろしている、生きている蜥蜴の躍動感。木に当てている視点を島民の赤子に移す。乳児は生命そのものだ。魚雷の句は、戦地から加藤楸邨に送って「文藝春秋」に掲載されたという。
死にし骨は海に捨つべし澤庵嚙む
方々にひぐらし妻は疲れている
眠る子のそばで梨喰う市場の中
「三 戰後」の章より。一句目は戦友の骨か。澤庵を噛む日常にある死の記憶。収まらないほどの疲労とひぐらし。三句目は混沌とした市場で音を立てて梨を食べる。血のつながりや生きるという意思。
兜太にとって「生き物感覚」は俳句を書きはじめた当初から、ともに「存在」したのではないだろうか。それは、兜太自身が生きていた場所、つまり明日の俳句の世界に堆積されていくものだと思う。そして、当たり前だが、戦争はしてはならない。
合同句集の序は加藤楸邨。「生み出されたものの結果に瞠目することは誰にでも出来る。しかし、何を求めつつ、如何に生み出しつつあるかといふ形成の過程をみつめることは容易ではない」とある。トラック島での作品は、第一句集『少年』と、平成一四年に筑摩書房から出されている『金子兜太集 第一巻』の『生長』に収められているが、未完で終わっている。
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