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2026-08-02

太田うさぎ〔近藤十四郎の20句〕癇癪と絶望

〔近藤十四郎の20句〕
癇癪と絶望

太田うさぎ


水風呂の臍までの水投票日

サウナから水風呂に移動する。立てば水の高さはだいたい臍、上半身と下半身の別れるあたりだ。臍がきゅっと窄まる。足から冷気が這い上がってくるものの、臍から上はまだのぼせている。投票は済ませた。あの一票は望む世界への一歩になるだろうか。


靴底より地球空洞説の泡

靴底がぽわん、と浮いた。ちょうど泡ひとつくらいの押し上げ方。この泡は、生まれては消えるさまざまの地球空洞説と捉えてもいいし、この数百年空洞説を唱える人々が口角泡を飛ばしてきたその一つとも。ひょっとすると、地底人がお風呂でうっかり放ったおならの泡かもしれない。


「ちょいまがり」胡瓜が盆に五六本

少し安値の胡瓜。「ちょい」と言いながらそこそこの曲がり様も混じっているかもしれない。気をつけの姿勢のように真っすぐに袋詰めされた胡瓜と比べると奔放にも見える。「ちょいまがり」には町の八百屋が段ボールの札にマジックで手書きしたという気安さがあり、ついつい手に取ってしまいそう。


砂町に死す海底に刺さる月

砂町と聞くと首都圏在住者ならば江東区の砂町銀座を咄嗟に思い浮かべるだろう。東京湾が近くないことはないけれど、このエリアと海はあまり結びつかない。そこがこの句の魅力にもなっている。下町情緒や人情味の代表格のような砂町には生き生きとした生活のイメージを持ちがちなのに、反対に死を語るという落差で句の印象を濃くしている。「海底に刺さる月」という詩的な表現も相俟って乾いた余情を残す一句。


しおしおのぱあスイカ食う絶望

「シオシオノパー」は快獣ブースカがしょげ返ったときに使うブースカ語の一つ。青菜に塩といったところか。ブースカのテレビドラマを私は見ていないけれど、この言葉は何となく耳に残っている。嘆き悲しむときでもスイカは美味しい。しおしおのぱあ、と言ってみることで、自分の絶望に溺れまいとする矜持も垣間見える。


百舌鳥の贄あるらし乾物屋金歯

胡散臭い乾物屋だ。百舌鳥の贄を置いているとしたら、それは百舌鳥の上前を撥ねたに他ならない。早贄が良い加減に乾いたところをこっそり横取りするのだろうか。「あるらし」なので、店主はあるともないとも言っていない。するめや干椎茸の並ぶ店頭に立つ乾物屋が少し不気味だ。その口の奥に金色の鈍い輝きも。


かぼちゃかぼちゃ吾が癇癪の内と外

正直よく分からないのだが、なんだか面白い。破裂を待つばかりの憤怒の癇癪玉を出たり入ったりしているのだ。「かぼちゃかぼちゃ」のchaのリフレインがなんとなくラテンのリズムっぽく、南瓜をぺちぺち叩いている気分になった。自分の内に生まれた怒りを客観的に見つめているところ、「しおしおのぱあ」の句にも通ずる。


蛸の首腰にあり天高くあり

ご存じの通り、蛸や烏賊は胴頭足という繋がり方をしている。頭部は人間でいう腰の部分に相当する。私たちから見ればなんとも奇妙きてれつなことだけれど、生き物の形状は様々、それでいい。秋天が大らかにすべてを包み込むようだ。


トランペット壊れたり十月の芝生

トランペットが壊れてしまった。かつての音色はもう戻らない。十月の明るさのなかで失われた音楽を思う。秋の芝生が静かに広がっている。


マネキンの股間はつるりクリスマス

クリスマスソングが街を賑やかに彩るなか、着せ替え途中のマネキンの下半身がむき出しになっている。衣服の展示が目的のマネキンだから、身体機能に関する箇所は当然ながら省略される。生誕を祝う日に、生殖に係わる器官がつるりと消されている。皮肉といえば皮肉なことだ。

2024-07-21

太田うさぎ【週俳6月の俳句を読む】それはもう

【週俳6月の俳句を読む】
それはもう

太田うさぎ


曇天の日暮あいまい行々子  桐山太志

先ごろ近郊の沼を散策した。ほとりに葦がみっしり茂っていて、行々子が多く棲息していのは四方八方から湧いてくる鳴き声で察しがついた。葦原から飛び出してくるものも何羽かある。それにしてもやかましい。ギョウギョウシとはよく名付けたものだ。掲句も似たような場景だろう。夕焼けがはっきりと日暮れを教えてくれる晴天と違い、どんよりと曇った一日は暮色はあってなきがごとし。すっきりしない空模様にオオヨシキリが割り込む。鳥類特有の感覚で彼らには日暮れが分かるのかもしれない。ひっきりなしの鳴き声に曖昧さは消えるどころかますます混沌の度合いを増すばかりなのだ。


久しぶりと云ひサングラス外さざる  桐山太志

暫くぶりに出会った二人。サングラスをかけている相手とかけていない自分。ご無沙汰の挨拶を交わしながら相手の目が笑っているのか口だけの愛想なのか、こちらからは判じるすべはない。相手には自分の表情が丸わかりだというのに。久しぶりなんだから普通サングラスくらい外して顔を見せるものだろう、と思ってもそれを上手く伝えられない。おそらくサングラスの主は目の前の相手の感情の揺れに無頓着だ。装着していることすら忘れているかもしれない。かもしれないけれど、モヤる。よくある人間関係の小さな引っ掛かりを描き出すのにサングラスとはなかなか気の利いた小道具である。


飛び交ふや蛍その他の何や彼や  犬星星人

闇夜に明滅を繰り返しながら漂う蛍はさしづめ幽玄ジャンルの大幹部。それをまあ有象無象と雑駁に一括りにしたものだ、と愉快に驚く。飛び交うものとしては、例えば蚊や蛾、小さな虫たちであろうし、人間が発する声という解釈もできる。あるいは目に見えなくてもスマホの電波だって飛んでいる筈だ。そう考えてみると、魂なんていうものが浮遊していないとも限らない。しかし、スピリチュアルなものを感じ取ったとしても、直球で表現するのはちょっと抵抗がある。「その他の何や彼や」にはそんな含羞が隠れているのでは、と思う。


蓮の葉のばろんと空を翻し  犬星星人

蓮は花も美しいが、緑の葉も目に涼しい。広々とした蓮池の上を風が渡っていくときに葉を捲って行った。翻ったのは葉に相違ないが、空が翻ったという詩的転換によって大きな風景を誘い出す。「ばろん」というオノマトペはユニークながら、書かれてみると蓮の葉の形状や質感を過不足なく表すことに感心する。ここから勝手な連想を働かせてしまったのだが、「ばろん」とはbaron、男爵に通じる。物語のほら吹き男爵が今しも蓮の葉から吹き上げられ、真っ青な空へくるくると吸われてゆくような。そんな平和な白昼夢を見せてくれるのも蓮ならでは、か。


円陣で台本さらう雲の峰  牧野 冴

雲の峰が出て来ればそれはもう、ザ青春でありまして、この句も高校の演劇部の活動を思い浮かべた。秋の文化祭や演劇コンクールに向けての猛特訓のため、夏休みに学校に集まるメンバーたち。屋上でひとしきり発声練習を行ったあと、円陣を組んで台本を読み合う。円陣というのもチームの結束力を高めるものなので、背景の入道雲の清潔な白さといい、とても純粋な勢いに満ちた句だ。カルピスやポカリスエットはスポーツだけでなく、こうした文科系サークルをCMで起用すればいいのに、とかなり本気で思った。


吐き方を褒められている熱帯夜  牧野 冴

急病というケースも勿論あり得るが、季語からの推察と個人の経験から泥酔した挙句の嘔吐と取り敢えず決めつけてしまう。外で飲んだのか、友達の家での酒宴か、限界を超えたアルコールを摂取してしまった。「う、気持ち悪い」「取り敢えず吐いた方がいいよ」。こういう時は素直に従うに限る。背中をさすってくれる友達、心配そうに見守る友達、みな優しい。「いい吐き方だね」なんていうのは掛ける言葉に困ってのことかもしれないが、それも思いやり。褒められても、目には涙を溜め肩で息をしている状態では何も言えない。蒸れた夜の熱気が纏わりつく。


桐山太志 祭鱧 10句 ≫読む  第894号

犬星星人 鍵穴 10句 ≫読む  第895号

牧野 冴 戻れない 10句 ≫読む  第897号


2024-04-07

タロット占い×俳句=?

タロット占い×俳句=?

記事化:岸田祐子
補足説明:西原天気


〔前口上:西原天気〕

タロットカードで俳句を占う、と聞いて、頭の中が「?」だらけに。カードを繰るのは岸田祐子さん。こちらのウェブサイトの随所で「占い」が実践されているが、これを見ても、私の頭の中はまだすっきりしない。そこで、実際に目の前でやってもらうことにしました。
2024年3月9日(土)
参加者:細村星一郎、西原天気、太田うさぎ
占う人:岸田祐子
この日、祐子さんに占ってもらう俳句は2句。細村星一郎作と私・西原天気作から、それぞれ1句ずつ。まずは、どの俳句を占うかを決めるわけですが、せっかくだから当季がいい。かつ、偶然の要素があったほうがいい。そこで、私は、『はがきハイク』の既刊から春季のものを3通用意。数字を適当に言ってもらい(2枚の5句目、といった具合)、この句に決まりました。

(な)よねむれ巴芹に水のゆきわたる  西原天気

カードの山から出現したのは、次の3枚。

1枚目「魔術師」・2枚目「女教皇」・3枚目「ペンタクルキング」


祐子●最初からどう読もうかなっていうカードが出ちゃってますけど……。

うさぎ●このカードって王様?

祐子●はい。タロットカードは大アルカナの22枚と小アルカナの56枚で構成されているんです。大アルカナは物事の本質的な意味を象徴するようなカードで小アルカナはもう少し具体的な現実的な世界観を表すカードと言われています。今回出たカードでは魔術師と女教皇が大アルカナ、ペンタクルのキングは小アルカナ、キングだから王様です。

天気●カードに数字が書いてあるのが大アルカナ? このカードは猫の絵なんだね。

祐子●そうです。数字が書いてあるカードが大アルカナ。猫が好きなのでこのカードを使っています。

うさぎ●カードが出てきた位置も関係あるの?真ん中に出てきたらどうかとか。

祐子●このスタイルは私が考えたものなので、位置は決めていません。タロット占いは絶対にこう占わなくてはならないっていう決まりはなくて、自分で決めればいいだけなので占う人や占うことによってスタイルは様々です。例えば、三枚カードを引いて一枚目が過去、二枚目が現在、三枚目を未来というようにすることもあります。

天気●ペンタクルって?

祐子●ペンタクルは金貨です。小アルカナはワンド、ソード、カップ、ペンタクルの四つのスート(シンボル)からできていて、トランプのクラブ、スペード、ハート、ダイヤに対応しています。あと、西洋占星術の火、風、水、土の四つエレメンツにもリンクしています。ペンタクルは物質的なことが管轄です。

天気●土の範疇かな。

祐子●そうです。そうです。

星一郎●トランプの枚数と大アルカナで構成されて78枚ってことですか。

祐子●トランプは一組52枚、小アルカナは一組が56枚だから、全く同じではないけれど似てますよね。一枚目の魔術師は「準備ができています」っていうカードなんです。数字も「1」ですし。カードの絵を見てもらえるとわかると思うのですが、机の上にいろいろな道具がそろっていて、「もうスタートできますよ」というカード。この句は「汝よねむれ」って言っているんですけど、ねむった後に何かが始まるのかなって思いました。

うさぎ●「巴芹に水のゆきわたる」っていうのも始まる感じ、準備ができている感じがあるよね。

祐子●ですよね。二枚目は女教皇というカードで、これは「知性」とか「直観」のカードなんですけど。これどういう風に読めばいいのかな……。

天気●「巴芹」という表記には「知的」な処理がありますよね。「巴芹」という漢字からは中原道夫さんの『巴芹』という句集が思い浮かびます。パセリという表記にはこの漢字を当てはめるとは限らないのだけどね。

祐子●カタカナの場合もありますよね。

天気●カタカナが一般的ですよね。あとこの句の「ねむれ巴芹」までは金子光晴の『ねむれ巴里』なんですよね。「芹」を「里」に変えれば。だから『ねむれ巴里』とか「中原道夫」を入れ込んでいるというところに知的な遊びがある感じがするのかもね。自解になっちゃうけれども。

祐子●なるほど。そっか、そういうことなのかな。

天気●他の句に比べて知的な処理が多いですよ。

祐子●そうなんですね。あともう一つ女教皇のカードはスピリチュアルな感じもあるんです。知的なんですけど言語化できないみたいなところも含まれている。ここからは占いというより私の感想ですが、この句にはちょっとふわっとした不思議なイメージがあると思うので、そこに女教皇の感じがある気がします。三枚目のペンタクルのキングは「上がり」のカードなんです。キングはそのスートの一番最後のカードなので、一旦の結果となるカード。ペンタクルは現実的な利益などを表すので、このパセリがどんどん育ってゆく暗示、水がすごくゆきわたっているのかなって。

一同●あははははは。

天気●雨が降って?

祐子●雨が降っているのかどうかはわからないですけど。

天気●まぁ、二通り考えられるよね。一つは台所で食べる前のパセリを水で洗っている。

うさぎ●植えてあるパセリだとは思わなかったなぁ。

星一郎●僕も使う前に洗っているのかなって思った。

天気●じゃないと畑でねむることになっちゃうからね。

祐子●あ、あの、植木鉢とか。

天気●なるほど。プランター。どっちにしろ食べる手前だね。

祐子●キッチンにパセリの植木鉢があってそれがよく育っちゃったとか。

天気●あはははは。それが3枚目のカードってこと。

祐子●はい。私はこのペンタクルのキングが育ち感を出しているのかなって。

うさぎ●そうすると、寝る子は育つ的な。

祐子●うん、そうじゃないかなって思っちゃった。でも、ちょっと詩的な解釈とは言えないかもしれないけれど。あと、キングは最後のカードなので「結果」の状態と考えると、このパセリはふさっとしている。小さくちょぼちょぼ生えているのではなくて、今ちょうど食べ時ですよという頃合いなのかなって。

天気●美味しそうですよね。パセリが好きなんですよ、僕。残しているのって意外だなって。パセリって美味しいじゃないですか。

祐子●少し深読み過ぎるかもしれないのですが、魔術師のカードが出ているのでちゃんと設備が整っているところで育てている感じがします。例えばペヤングソース焼きそばを食べ終わったあとの容器に土を入れて育てているとかじゃなくて。

天気●あー、話がどこにいくのかと思った。ちゃんとした、ちょっとおしゃれな、ね。

祐子●おしゃれかどうかは分からないのですけど、相応しい道具というんですかね。植木鉢なりに植えられているのかなと思います。ところで、なにか質問とかありますか?

天気●質問って言われても(笑)。

祐子●例えば、このカードの意味ってなに? とかあれば。

天気●二枚目のカードってなんでしたっけ。

祐子●これは「女教皇」というカードです。私もこのカードはいつもどう読もうかなって思うカードなんですけれど。タロットカードの大アルカナは0から始まって22で終わるのですが、人の成長と同じような流れなのですよ。だから0は生まれたばかりの赤ちゃん。次の1はこれから歩き始めますよみたいな感じ。

天気●0から22なの?

祐子●はい。大アルカナは。

天気●あ、これは1と2が出たわけ?

祐子●そうです。

天気●すごい。僕は1から3くらいまでしかないのかと思っていた。あ、じゃあ23枚のうちの1と2が出たんだ。

星一郎●へーー。

祐子●だから成長の段階という感じがします。

うさぎ●ほーーー。

天気●「始まる」という感じですよね。なおかつ、魔術師で準備が整っていると。

うさぎ●良い環境で育っているってことなのかな。

祐子●女教皇は「知識」とか「知性」のカードなので、人間の成長でいうなら言葉を覚えはじめるとかそんなタイミングかなと思います。タロットカードの大アルカナは0の愚者から始まって21の世界でお終いですが、これは、人がこの世に生れ落ちていろいろな経験をしながら成長してゆくという物語になっていて、21まできたらまた0に戻る。これを何回も繰り返します。占いではこのサイクルは螺旋状に繋がっていると考えられているので、同じテーマが巡ってくるけれども、受け取る場所の階層は毎回違うという考え方。小アルカナも「1」から始まって「キング」で終わり。キングまできたらまた1に戻って、それを繰り返します。占いではだいたいこんな考え方をしています。

天気●そう聞くと、寝顔もわりとイノセントなというか。大人にせよ子どもにせよ無邪気な寝顔に見えてきますよね。

祐子●ですね。「汝よ」ってことは「誰か」ですよね。

天気●うん。「あなた」ですよね。ま、実際には文字数をどうするかということがあったんですけどね。「ねむれ巴里」というところから作り始めたから。

祐子●カードから見ると、この寝ている人はまだ若い、若いというか幼い。それは生物的に幼いのか精神的に幼いのかはわからないけれど、いずれにせよまだ幼い感じがします。私はペンタクルのキングはもりもり茂っているパセリのことかなと思って、魔術師と女教皇はねむっている人のことを示しているのかなと思いました。

天気●ねむっている人は始まりだけどパセリは完成しているってこと?

うさぎ●成長のはじまり?

祐子●はい。もしかしたらロマンティック過ぎる解釈かもしれませんが、水がゆきわたってパセリが大きく育ったように、ねむっている人にもこれから大きく成長してほしい。そういう願いみたいなもの。

うさぎ●じゃあ、祝福の感じかな。

祐子●そうです。そうです。

天気●祝福の感じはすごく嬉しい。「汝」に対して安心して眠りなさいという。それは嬉しいですね。

うさぎ●なんかララバイみたいですね。子守唄みたいな。

星一郎●この句は充実している感じがします。準備のカードもあるし。

祐子●ですよね。私もそう思います。

天気●準備から最後まで。

祐子●そういうカードがでています。

うさぎ●なんだろうな、俳句を鑑賞するときにいろいろな鑑賞のやり方があるのだけれども、タロットに頼る、頼ると言うと少し違うけれど、タロットで出たカードを読み取ってみて、一瞬自分を無にしてみる。そうすると思わぬ読みにたどり着くねっていうのもやり方の一つとして面白いかも。

祐子●私もそこがちょっと面白いかなと思っていて。俳句を読んで自分が感じたこととは全然違うカードが出ちゃうことがよくあるんです。でも占いって自分がほしい答えを求めてしまうと占いをする意味があまりない。出たカードはなるべくそのまま読むことがいいというのが私の占いに対する考え方です。タロットカードの意味は象徴なのでいろいろな解釈ができるし、解釈の幅は広いのだけど、ハッピーなカードはハッピーに読むし、厳しいカードは厳しく読む。そうしないとあまり当たらない気がします。まぁ、俳句を占って当たるってどういうこと? というのはありますが……。

天気●無理に引き寄せたりはしないってことですね。

祐子●そうじゃないと占う意味がないなって、私はそう考えています。

天気●僕がひとつ思ったのはね、言葉はまだ鳴ってなくて、器、器というか楽器みたいな感じに存在していて、カードを並べることによって、そこから初めて音が出て鳴り響くみたいなね。読者の中でね。とくに俳句なんかそうだと思うのだけど、文字が書かれていて意味はわかる、だけど言葉はまだ鳴っていないということがある。でも、鳴り尽くしている句っていうのは言い過ぎていると言われたりすることがあるじゃないですか。

祐子●鳴り尽くしているというのはどういうことですか?

天気●そこでもう言い尽くされている。

祐子●多くの人に鑑賞し尽くされているということですか?

うさぎ●その俳句自体が自己完結している。

天気●そう、書き尽くされているというかね。

祐子●説明が多い句ということですか?

天気●説明というか明瞭。

うさぎ●余韻、というか余白がないということかな。

天気●句会などで、ここまで俳句で言ってしまうことが良いかどうかという意見がでることがあって、鳴り尽くしている句はあまり良い句とはされないことが多いのだけど、分かりやすい句でもまだもっと鳴りそうな句というのがあって、そういう句は人に印象を残しますよね。

祐子●なるほど。

天気●いや、わかんないですけど。ふふふふふ。

祐子●ふふふふ。

天気●例えば虚子の分かりやすい句にしても全部すごく明瞭で十人いれば十人に同じことが伝わるけれど、まだ鳴り切っていないというようなことがあるのかな、とか。どうなんですかね。

祐子●こういうことやるのは今回が初めてなので。

天気●はじめてなの? え、どういうこと、どういうこと。でも俳句は占っているんでしょ?

祐子●俳句は占っていましたけれど、今まではひっそりと自分一人で占っていました。

天気●あー、セッションが初めて。

祐子●はい。

天気●そう、でもそれはいいかも。聞き手がいるっていうのが。

祐子●ずっと一人で占っていたんですけど、セッションでやってみたいなって思い始めて。それで、今回お願いしました。

天気●それ、意味があるかも。

祐子●え?! 意味がありますか?

天気●だって、一人の読みよりも聞いている人、タロットの岸田さんの説明を聞いている人があるというのはすごく意味があると思う。

祐子●よかった。

天気●ここに集まった三人もみんな違うことを思うだろうし。

うさぎ●うん。

祐子●やっぱり、いろいろな方に来ていただいて良かった。なんとなく二人っきりでやるより他に人がいてくれた方がいいかなとは思っていたんですけど。

天気●それはいいと思う。作者と岸田さんだけだと作者はどうしても自解になるから言いにくいところあるしね。でもこの句は引用元を言いたくなるようなところがあるから、言っちゃうけどね。

祐子●解説?

天気●解説というか、ここはこういう風に仕掛けたんですよって。この句は仕掛けの多い句だからね。

祐子●「ねむれ巴里」のところですよね。

天気●「ねむれ巴里」から作り始めて、「ねむれ」で切りたかった。そうするならどうしたらいいかってなって、上にも文字をつけて、巴里ではないものを探したら巴芹ぐらいしかなかった。それで巴芹となった。

祐子●あ、だとしたら、カードに照らし合わせると二枚目の大アルカナと三枚目の小アルカナの間が「切れ」だということになりませんか。ちょっと無理矢理かな。

天気●おー。

うさぎ●へー。

星一郎●確かに。

祐子●一枚目と二枚目は「1」と「2」で続きの番号できているし、そもそもこの二枚は大アルカナなので、小アルカナとは分類が違うし。大アルカナと小アルカナの間に切れが入っているのかも。大アルカナの方は小アルカナより大きな時間軸なのかもしれない。

天気●大アルカナの二枚を一組で考えるというのは面白いかもね。この句は意味的には「汝よねむれ」で切れて「巴芹に」と続くわけだけど、作り方の仕掛けとしては『ねむれ巴里』があるから「ねむれ巴芹に」までが一つというね。「水のゆきわたる」は後で意味が通じるように付けたぐらいのあれだからね。そういう意味でも外観上の切れと作る時の手順の切れが違うという句だよね。

祐子●今回、初めて俳句の「切れ」をタロットカードが示すのを見ました。

一同●あははははははは

祐子●天気さんの話を聞きながらカードを見ていたら、カードでこんなふうに「切れ」が現れるのかって思いました。こういうことを見つけると占いって当たるなって思っちゃう。当たるっていうか、まぁ、妄想なんですけど。

うさぎ●なんか納得するというか、合点しちゃうというか?

祐子●はい。占いのこういうところが楽しいです。

うさぎ●これ、大アルカナの1と2で始まって、小アルカナではキングが出て、キングが「終わり」っていうのがちょっと面白いなと思って。

祐子●そうですね。大アルカナの方は「汝よねむれ」と言われている方の人生というか、長い時間というようなことを表している気がします。大アルカナは人の人生を表していると私は思っていて、小アルカナはもうすこし具体的なことというのかな、身近なところを細かく見てゆくというカードなので、そこにも「切れ」がある。

うさぎ●うんうん。

祐子●「水がゆきわたる」というのは具体的な感じがします。「汝よねむれ」も具体的なことだとは思いますがイメージ的なところもあるので、「水がゆきわたる」は具体的なことを示す小アルカナっぽさがあるなと思いました。ちょっと無理矢理な解釈かなぁ。

天気●まぁ、「汝よねむれ」はムードだものね。

祐子●ムードがありますよね。あと、一晩だけではなくて、そこから繋がってゆく時間、来年も再来年も十年後もずっとという長い時間を感じました。「汝よ」と言われている人の人生はこれから始まるんだよというのが二枚の大アルカナで示されているのかなって。えへへ。

うさぎ●なるほど、面白いね。

祐子●もちろん、この解釈が正解ですというようなことでは全然ないです。

星一郎●なんか、新しい読み方みたいな感じですね。

祐子●ね。「ね」って言っちゃった。


さて、次は、細村星一郎さんの句です。「放蕩」10句から、次の句です

放蕩のわたしに水の汽車が来る  細村星一郎

出たカードは、次の3枚。

1枚目「ワンドの2」・2枚目「カップのペイジ」・3枚目「ソードのナイト」


うさぎ●あら、みんなかっこいい猫たち!

天気●小アルカナだけが出たということ?

祐子●はい。今回は全部小アルカナです。

うさぎ●ローマ数字じゃなくてアラビア数字のカードもあるんだね。

祐子●えっと、二枚目と三枚目のカードは小アルカナの中でもコートカードとか人物カードと呼ばれていて、ペイジは小姓のことです。ペイジの他はナイト、クイーン、キング。小アルカナは1から10までの番号のカードと四種類のコートカードからできています。ワンドの管轄は情熱とか勢いとか。カップは気持ち、情緒、感情。ソードは知性や決断です。今回、私が最初に思ったのは、水という文字がある俳句にカップのカードが出てきたってところですね。

一同●ほーーー。

祐子●カップは水を表しますし、カップのペイジに描かれている絵を詳しくみると、背景に海もあります。まずそこがこの俳句にある「水」とリンクしているなって思いました。あと、ワンドの2ですがこのカードはちょっと立ち止まる感じがあるんですよね。かなりざっくり言ってしまうと、タロットカードの数字は奇数が動く、偶数は止まるとして考えることが多いです。ナイトは騎士で、肉体的に一番充実している時期の男性が描かれているカードなので壮年期の人、活動的というイメージです。カードを見て「放蕩のわたしに」というところに少し立ち止まった印象があるように感じました。ワンドの2はちょっと迷っているというカードなので、「放蕩しているわたし」は小さな迷いを持っている人なのかなと思いました。

うさぎ●ほーー。

祐子●水は占いでは気持ちや情緒を表します。ペイジは少年でまだ成熟していない。だから気持ちのコントロールが危ういとかそんな感じがあるんじゃないかなって。私がそう思ったってだけですけど。言い換えれば、無垢とか純粋な人とも言えるので、出てきたカードから考えると「放蕩のわたし」は若い人なのかなって思います。作中主体が誰なのかはわかりませんが、作者を知っていることもあって若い人なのかなって。でも、それを抜きにしてもわりと若い人なんじゃないかな。十代か二十代の前半くらいまでの感じ。「水の汽車」というのがどういう汽車なのかがよくわからないのだけど……。

天気●ちょっといいね、「水の汽車」って。いいよね。

祐子●カードから考えると、気持ちや感情のイメージとしての汽車なのかなっていう気がします。水の上を走ってくる汽車とかいうのではなくて。

天気●機関車って水を積んでいるからね。

祐子●えっ、そうなんですか。

うさぎ●機関車って石炭を燃やすのではないの?

天気●石炭を燃やした熱で水を沸騰させて、水蒸気の力で走る。水のタンクを積んでる。「水の汽車」という言葉には、機能的なこととイメージ的なことの両方があるね。

祐子●ソードは考えとか知性を管轄するので、考えながら放蕩しているという感じもあります。

うさぎ●この句自体が知的な作りっていうのがあると思うので、そうなるとソードはこの句自体を表しているのかなって。ちょっと思ったり。

天気●あとちょっと嫌味っぽくなっちゃうけど、「放蕩」っていう言葉は放蕩をしたことがない人が使いたがる気がするよね。

星一郎●へへへへへ。

うさぎ●あははは。なるほど。

天気●本当に放蕩をした人がつくる句ではないようなね。

うさぎ●「放蕩」というと「とうじん」っていうかね。

祐子●「とうじん」って?

うさぎ●放蕩の蕩に尽すで「蕩尽」。使い尽すとか溢れるとか、そこも水っぽいイメージがあるのかなあ。

祐子●出てきたカードは少し矛盾があって。ワンドの2は立ち止まるとか一旦考えるという意味なのだけど、ソードのナイトは動いているカードなのですよね。

うさぎ●矛盾を孕んでいるんだ。

祐子●矛盾というか、反対の要素のカードが出ています。うーん、例えば気持ちは止まっているのだけれど体は動いているとか読めばいいのかな?

天気●ワンドの2のカードで「放蕩のわたし」が立ち止まっているとするなら、対応していますよ。

うさぎ●「汽車が来る」のだもの。

祐子●あーーーーっ、汽車!!! かっ!!

天気●うん。「汽車が来る」ってね。

星一郎●この句の後半は動きがある。

天気●この句は「来る」がいいよね。「行く」じゃなくてね。

祐子●あと、汽車って、まぁゆっくり走る場合もあるかもしれませんが、基本的にはスピードがあるものなのでそこにもナイトの感じがあります。

天気●あのね、馬上と汽車は視線の高さがと同じなの。

祐子●ええっ!

天気●昔はある程度身分のが上の人だけが体験できた視線の高さを一般大衆が経験できる、汽車にはそういう意味があるんだよね。馬にのってその視点から景色を見ることができる人っていうのは、位が上の人じゃないですか。一般大衆ではないよね。汽車っていうのは大衆が上流階級の視点を体験できるという捉え方。そういう捉え方をしたら面白いよね。

うさぎ●ほーーーーう。

祐子●だから馬に乗っているんだ!

星一郎●馬も象徴的な感じですね。

天気●馬と汽車はすごく対応する。

祐子●やっぱりこのソードのナイトは汽車を表してるのかもしれないですね。

天気●視線の高さという意味で汽車と馬はイコール。

祐子●汽車にそんな意味があるなんて全然知らなかった。

天気●そこは僕の解釈ではなくて、むかし記号論とかの本で読んだ。発明や新しい事物というものはいろいろなものを大衆化するじゃないですか、塔や気球は神の視座の大衆化だし。

うさぎ●「水の汽車」というのはソードのナイトに対応しているのね。

天気●すごく合ってる。

祐子●ばっちり出ましたね。なんか嬉しい。

うさぎ●「放蕩」というのも情熱がないとできないしね。

天気●あはははは。逆のような気もするな。放蕩息子に情熱があるとは思えない。
裏腹もあるかもしれないけどね。

祐子●ワンドは冒険でもいいかなと思います。ワンドって、わりと能動的なんですよね。

天気●「ワンド」ってどういう意味なの?

祐子●棒。

天気●棒? あっ、杖か。

うさぎ●魔術師の杖というか?

天気●魔術師とは限らないんじゃないの。

祐子●うん、魔術師は関係ないです。

うさぎ●あ、そっか。魔術師はさっきの句に出てきたんでしたっけね。

祐子●星占いでワンドに対応しているのは火のエレメンツです。火の管轄は情熱とか冒険とか、あと戦いとか。なんていうのかな、ガツガツしてる感じです。

うさぎ●ガツガツしている、まさしく放蕩。

祐子●放蕩ってガツガツしているのかなぁ。

うさぎ●ガツガツだよー。

天気●放蕩のイメージがすごくまちまちだ。人によって全然違う。

うさぎ●放蕩、放蕩、放蕩息子。

天気●放蕩って女性に使う?

うさぎ●放蕩娘とは言わないね。

祐子●そういえば言わないですね。

天気●放蕩は女性性と結びつかないね。

祐子●放蕩ってもともとはどんな意味ですか?

天気●放蕩息子を一番わかりやすく言えば、親のお金を遊びで使い果たしちゃう。

うさぎ●身上潰しちゃうとかね。

祐子●そっかー、でも情熱がこの句にどう繋がるのかがよくわからないなぁ。

星一郎●真ん中のカードのカップのペイジにある「精神的な幼さ」っていうのは「放蕩」に少し関係ありませんか。そして情熱にも関係していて、どっちにもかかっている。

天気●あと、カップのペイジは「わたし」という一人称にもかかってくるよね。自意識っていうかね。だからすごく対応している。

祐子●ペイジには幼いというイメージの他にフレッシュとか無垢、純粋というようなイメージもあります。

天気●そういうイメージに「わたし」という一人称が結びつくよね。

祐子●ぴったりですね。

天気●あとは「放蕩」と「棒」か。

星一郎●なんか、おもしろいですね。

天気●うーーーん。でも、放蕩と棒ってイメージ的に結びつかないわけじゃないよ。

祐子●結びつきますか?

天気●うん、僕は結びつく。ところで、「棒」ってなんなんだろうね。

祐子●棒は、真っ直ぐで投げればぴゅーっと行くというイメージがあるので「勢い」とか「パッション」と解釈しています。

天気●このカードの人は何のために棒を持っているの?

祐子●何のために棒をもっているか。うーーーん、それは考えたことがなかった。

天気●なぜ持っているかは関係なくてただ棒のカードということなんだ。

祐子●そう思ってました。小アルカナは棒とカップとペンタクルとソードという四つのものからできているっていう以外に考えたことなかった。

天気●棒はなんのエレメンツなんだっけ?

祐子●棒は火のエレメンツです。

天気●あ、なるほどねー。

祐子●世界はこの四つのエレメンツからできているってことになっています。

天気●じゃあ、「放蕩」「蕩尽」に結びつくじゃないですか。「蕩尽」の一つの方法って火にくべるんですよ。

祐子●え? なになになに?

天気●「ポトラッチ」ってありますよね。

うさぎ●あっ。

祐子●ポトラッチってなに?

うさぎ●贈り物し合うことよ。二つの部族がお互いに競い合って贈り物をし合うの。

天気●贈り物もあるんだけど、火に放り込んじゃうんですよ。どちらがより大切なものを火に放り込めるかで勝負が決まるの。

祐子●自分の一番大切なものを燃やせることが強いっていうことですか? それが放蕩?

天気●それが蕩尽。マルセル・モースの贈与論とかの世界ですね。

祐子●へーっ。

天気●だから、気持ち悪いくらいに関連付けはできた。

うさぎ●ふふふ、天気さんもタロットにはまるかも。

天気●ふふふ、はまらないけど。タロットで俳句を占う時は知識のジャンルが違う人に来てもらうのがいいかも。僕は社会科学系、うさぎさんは外国語系。

うさぎ●外国語に詳しくないよぉ。

天気●ああ、すっきりした。放蕩と火はリンクしている。

うさぎ●そして、火と水っていうのがまた対照的よね。

天気●そうだよね。「水の汽車」が来るってね。

祐子●あと、ペンタクルが出ていないというのがひとつの鍵かなって気がします。この句って実のあることが何もない感じなんですよ。ちょっと言い方がよくないですが。

星一郎●いや、わかりますよ。イメージの世界というか。

祐子●「物が出来上がりました」とかそういうことがなにもなくて。ペンタクルは現実的成果のカードなので、出なかったということがこの句にあってる気がします。

うさぎ●ちゃんと反映されてるね。

祐子●あ、あの、成果がないというのは悪い意味で使ったわけではなくて、イメージっていうのもネガティブな意味ではないです。

星一郎●あ、はいはい。実態としては詠んでいないという。

祐子●えっと、俳句をどういう風に作っているかということではなくて。汽車は来るけどその後どうなるのかは何も言われていないっていうか。「来た汽車は西国分寺まで行きます」みたいなことが何もわからないという意味で、この句の中には現実的な成果といえるようなものがないなって。だけど、気持ちや知性、情熱みたいなものはギュッって詰まっていて、そこが面白いです。ペンタクルは出てこないんだねぇって。

天気●余談の冗談だけど、消しに来たんじゃないの。水で。

星一郎●火を?

うさぎ●そんな感じもちょっとあるよね。水の汽車が来るってね。

天気●タロットと俳句がクロスしている。

祐子●三枚目のカードから見ていくと汽車は右側からやって来る感じがありますね。

うさぎ●そうね。絵柄的にも左側に向かって進んでいる感じがあるね。

星一郎●馬が左側を向いてますもんね。

うさぎ●他のカードの人もみんな左側を向いているよ。

天気●カードの並びや絵柄の右左は偶然だけど偶然を楽しむ遊びなんだよね。解釈もね。

祐子●そうです、そうです。偶然を楽しみます。

うさぎ●おもしろいね。

祐子●あと、タロット占いはカードの持つ意味も大切ですけど、どんなものが描かれているのか絵をよく見るということも大切と言われています。どっちを向いているのかとか、背景に何があるのかとか。

天気●カードの色が赤と青。火と水だよね。

祐子●わ、わ、わ、ほんとだ。ワンドの2が赤い服でカップのペイジは青い服。「気持ち」という点では、私はこの句に暗さや不安はほとんど感じないのだけど、句全体としては少しざわざわした印象を持ったんです。暗さや不安が控えめなのはペイジの背景にいるイルカが可愛いからかなって思ったりして。でも、海は波が立っていてそこには少しざわざわの感じがあるし、ナイトの背景の雲が紫色なのもちょっとざわざわした感じがする気がします。

うさぎ●これはなに? ワンドの2の床にある染みみたいなもの。

祐子●えー、なんだろ? 影?

うさぎ●水の染みみたいにも見えるね。

天気●それ、おもしろいね。思わせぶりなこといっぱいでてくるね。

星一郎●赤と青を混ぜたら紫。

うさぎ●そうだーーーー。

星一郎●絵具だったらそうなりますよね。

祐子●紫って水の色っぽい感じがしますね。あ、汽車と黒い馬も。

うさぎ●そうだよね。

祐子●汽車は黒い気がしますね。電車ではなくて汽車ってところが。

うさぎ●汽車っぽい。黒い、黒い。

祐子●やっぱり占いって当たるね。

一同●あははははは。

天気●解釈とかもセッションでするのがいいみたいだね。

うさぎ●ね、みんなで考えて。

祐子●ねー、おもしろい。ありがとうございます。

星一郎●いや、なんかおもしろかったです。あと、占いっていうか、別に狙ったわけじゃないんですけど、なんか今日占った句は形が似ていますね。

天気●水が多かったね。

星一郎●「に水の」が二句に共通。

うさぎ●ほんとうだ!

天気●「眠れ」と「放蕩の」というのは観念の捉え方ってところが似ているし。

祐子●どっちの句もふわってしてますよね。



〔後記:西原天気〕

俳句には偶然の要素が少なくない。語を選び、並べているうち、思いもよらなかったかたちになることもあって、自分の操作の外側から何かが訪れて、一句をもたらした格好です。

偶然は、〈読み〉にもあっていいのではないか、と、うすうす思っています。読解というとおおかたがコントロールされた状態にも見えますが、思わぬ方向から〈読み筋〉が到来することもあるのではないか。

今回、3枚のタロットカードが、私たちの〈読み〉とは別の場所から、新たな〈読み筋〉をもたらしてくれたのかどうか。判断は読者諸氏に委ねますが、参加者の一人として、《タロット占い×俳句》のセッションをじゅうぶんに愉しみました。




2023-12-10

太田うさぎ【週俳3月~8月の俳句を読む】ぐるぐると迷路を

【週俳3月~8月の俳句を読む】
ぐるぐると迷路を

太田うさぎ


白蝶来門閉ぢられし楽園に  高木小都

ガーデンパーティらしき十句。結婚披露の祝宴を連想したのは姪の結婚式が間近というこちらの個人的事情によるものかもしれない。とは言え、魚は口づけを交わし、鳥は羽根を空に踊らせて恋を囀るのだから恋愛の成就を寿ぐ連作ではあるだろう。読み進めると、崩れる木蓮の花弁や可憐なスイートピーの花脈に行き当たり、ファゴットの柔らかな音色で大団円を迎える。この流れに作者は日野草城の「ミヤコホテル」を意識していたと言ってしまうなら私の妄想は逞しすぎるだろうか。

ともあれ、冒頭に置かれた掲句。閉ざされてこその楽園という観点にはっとした。白い蝶は入園を許された者を祝福する天使の翼のようでもあるし、迎え入れられた者の純真さを象徴するようでもある。楽園の中では爛漫の春が永遠に続くのだろう。喜ばしいが、門扉は堅牢で一度足を踏み入れたら去れないのでは。そう考えるとちょっと怖い。


白日傘四角き空の堕ちて来る  小田島渚

数か月前までの猛暑を思い出した。聳え立つ高層ビル群が本来は無形の空をパッチワークの端切れやテトリスのブロックのように切り取る。区切られた夏空は濃縮された青さを見せ、眩しいくせに重苦しい。ハレーションを起こしそうな蒼穹の空が舗道に襲いかかるとき、質量や熱量だけを言いたいのなら「堕」の漢字を当てるだろうか。「咎めるごとく」、「逃れられず」、「煉獄」、「右も左も敵地」、「粉々」など他の作品に散りばめられた言葉と考え合わせると、「墜ちて来る」は精神の領域への侵略とも取れる。渡り合うのは小さな一本の白日傘。『祝福の鐘』の白蝶と同様、この日傘の白もまた象徴的だ。布一枚の日傘は青空の瓦解を防げるのだろうか。それとも、日傘の下の人物を取り残して世界は崩落していくのだろうか。


茅花の絮 濁点は仮名をさがして  土井探花

「発見」などと大袈裟に言わないまでも、俳句を読んでいると小さな気づきを与えられることがある。例えばこの句。濁点は仮名特有の記号だ。漢字には付くことが出来ない。生まれた濁音符はこの世に溢れる文字の中から納まるべき場所を探す旅に出る。仮名ならいいというものではない。「ぬ」や「み」に止まろうものなら追い払われた上に塩を撒かれかねない。浮遊する茅花の絮のイメージが重なり、さすらう濁点が頼りなく愛らしいものに思えて来る。濁点の一つは首尾よく掲句の「か」の上に収まったようだ。


植ゑて十年(ととせ)幾億万の緑立つ 広渡敬雄

陸前高田の高田松原はかつて七万本の松が茂る景勝地だったという。それがあの大震災で津波に飲み込まれ、ただ一本を残し流失した。この句で詠まれているのは震災後に始まった松原再生のための植樹と思われる。検索したところ植樹の数は四万本だそうだ。その松の新芽が一本一本勢いよく輝いている。「緑立つ」は歳時記では晩春に分類されている。作品を読む限り三陸地方を訪れた時には夏に入っていたと思しいが、健やかに育つ松の若木を目の前にしたとき、作者はこの季語を深い実感と共に受け止めたのではないか。鋭く青々とした新芽は復興に立ち上がる人々の強靭な意志とも重なる。震災から間もなく13年を迎える。再建とその先の発展を祈らずにはいられない。


その朝が桃の可食部ほど確か  野名紅里

カショクブ。ぎくしゃくして言いにくい。甘美な汁をたっぷり含んだ果肉には不釣り合いな響きだ。可食部は本当に確かなのか。食べたら消えてしまう部分ではなく、皿に残った種の方が確実な存在ではないのか。カショクブとぎこちなく口を動かして言ってみることでかろうじて確実性を担保されているのではないか、桃の実は。そもそも「その朝」も曖昧だ。どの朝だろう。もしかしたら、この句は「確かなものなど何もない」と囁いているのだろうか。読むほどに狐につままれるよう。ぐるぐると迷路を彷徨いながら、口中いっぱいに桃の味が広がる。それだけは、確か。


髙木小都 祝福の鐘 10句 ≫読む  第828号 2023年3月5日
小田島 渚 夏の月 10句 ≫読む  第834号 2023年4月16日
土井探花 夢が傷む 10句 ≫読む  第843号 2023年6月18日
広渡敬雄 三陸海岸 10句 ≫読む  第847号 2023年7月16日
野名紅里 星飛ぶ夜 10句 ≫読む  第853号 2023年8月27日

2022-12-18

太田うさぎ【週俳8月~11月の俳句を読む】そんなところに身を潜めて

【週俳8月~11月の俳句を読む】
そんなところに身を潜めて

太田うさぎ


家を建て直すため半年ほど他県に住んでいる。山を間近に眺め、買物のために川を渡り、町に点在する井戸水を汲む日々ももうすぐ終わりを告げて東京に戻る。私たちの顔を認めてくれる飲み屋も数軒出来たところなので去りがたい。近所で小さな飲み屋を営むヤスさんは高円寺からの移住組だ。年明けに東京に帰ることを告げたら、来年9月には開店1周年の記念ライブをやるから来てくださいね! と言ってくれた。9か月後も忘れないでいて貰うためにもう少し通わなくっちゃ。


かほ見せてイルカ併走青葉潮  広渡敬雄

天草を訪れての十句作品の一句目。明るく軽快で幕開けに相応しい。残念ながら私は水族館でしかイルカを見たことがないが、海原を自在に泳ぐ彼らの姿が目に浮かぶ。水面から出した顔もさぞかし愛嬌たっぷりなことだろう。そんな想像が広がるのは青葉潮という季語の為せる業だ。

興味深いのは「イルカ」と片仮名表記にしたところ。俳句の世界では、「バラ」は「薔薇」、「キリン」は「麒麟」となるべく片仮名は避けて漢字を使うことが推奨されがちだし、どちらかと言えば私もそちらサイドを支持する。が、この句の場合、「イルカ」を「海豚」と書いてしまうと、この句の持つスピード感や開放感が削がれてしまう。更に言うなら、「かほ」と平仮名に開いたのも効果的。ひらがなからカタカナへ、そして漢字五字で締め括る。俳句はリズムとも言われるが、視覚もまたリズムを形成する要因なのだなあ、とこの句を眺めながら感じたのであった。


麦秋や窓辺の突つ張り棒斜め  野口る理

収納スペース作りの強い味方、突っ張り棒。どこの家でも1本や2本使っているだろう。私もS字フックを掛けてバッグを吊るしたり、カフェカーテンを通して棚の目隠しにしたりと重宝しているが、端から端へ真っ直ぐ突っ張らせるのはなかなか難しい。どうしても僅かに斜めになり微調整を繰り返すうちに、ズコッ!と片端が落ちたりする。私が不器用でもあるのだが。なので、掲句には大きく肯いた。窓の外に広がる初夏の景色を切り取るフレーム、その一辺がちょこっと斜めだという。微妙なところによく目を付けたものだと感心する。目を付けただけで、特に直そうとする姿勢が伺えないのも何だか可笑しいというかチャーミングだ。突っ張り棒という庶民臭い用具と麦秋の持つ郷愁感が良く似合っている。


おとなりも見てゐる投網めく花火  野口る理

突っ張り棒の句は室内だが、こちらは「おとなりも」とあるから、ベランダに出て花火を眺めているのである。打ち上げ花火の開くさまが「投網めく」と表現されたことはこれまであっただろうか。幾つもの投網が艶やかに開いては、煌きながら色を変じては閉じる。夜空がまるで大きな川みたいだし、神々のひと時の戯れのような美しい光景だ。隣に住む人もやはり花火を愛でている。子供がいれば喜びの声を大きく上げていることだろう。おとなり、という親近感を持ちながらも、二つの家に交流する様子はなさそうだ。花火の網がここまで伸びて来たならば我が家も隣家も一網打尽に漁られるかもしれないのに。とても近いのに膜のような透明な隔たりがあって踏み込めない、踏み込まない。それは「集まつてゐて桃達の触れ合はず」にも通じる心のありようだ。


犬の嗅ぐ皿の裏がは冬隣  日向美菜

動物が時として見せる仕草は周囲の者を和ませる。人間が同じことをしたら叱られるか薄気味悪がられるというのに、犬や猫となると誰もが相好を崩すのだ。我が家の猫は卓の上に乗っているマウスや朱肉や空のペットボトルなどを前足でチョイナチョイナと動かして終いには卓から落とす。落とすやいなや私の顔色を一瞬伺い脱兎の如く逃げ去る。「落としたら元に戻しなさい!」と叱るが聞く耳など持たない。とまあ飼主馬鹿を披露するのはこの辺にして、掲句のワンコは皿のご飯を食べ尽くしてまだ満ち足りないらしい。皿の上はもうさんざん嗅いだのだろう。今度は裏に鼻を突っ込んでクンクンしている。なんと愚かで愛らしい。しかし作者が注目したのはそこではない。犬が鼻を寄せたことで目に入った、ふだん気にも留めない皿の裏面である。皿と床の間の小さな影にも気づいたかもしれない。陰と陽で言えば明らかに陰。冬はそんなところに身を潜めて出番を待っているのだ。


広渡敬雄 天草 10句 ≫読む
野口る理 タイガーモノローグ 40句 ≫読む

2022-10-02

宮本佳世乃【句集を読む】源氏の恋その他 太田うさぎ句集『また明日』

【句集を読む】
源氏の恋その他
太田うさぎ句集『また明日

宮本佳世乃
初出:『炎環』第502号・2022年4月

一九九七年から句作をはじめた作者の第一句集。私自身、彼女の句集を待ちに待っていた一人だ。装丁:佐野裕哉、解説:仁平勝。天アンカット。

うさぎさんに始めてお会いしたのは二〇〇六年くらいだと記憶しているが、俳句の第一印象で感じたのは「楽しいし、お洒落だなぁ」ということ。その印象は、句集になって「粋な人だなぁ」に深化した。

濡れてゐる道の遠くを藤の花  太田うさぎ(以下同)

最初の見開きに掲載されている句。何が原因で「濡れているのか」は要素が多くなるので句では述べていない。あえて言えば「空が見える道」と「春の空気のなかにあるうすむらさき」という質感を残すことで、実物とともにニュアンスを伝えている。

ほつそりと朝焼のまだ及ばぬ木

夏の朝ははやい。暁を経て、あけぐれを経て、朝焼がはじまった。

まだ布団のなかでぼんやりしながら外を見ているのか、それとも一泊したのか。「ほつそりと」は主観だが、ものがほっそり見えるとき、こころは豊かだ。

寿司桶に降りこむ雪の速さかな

家の会食で寿司をとった。黒とか臙脂色の寿司桶に雪が降る。いや、降りこむ。まるで雪が意識を持っているように、薄暗いなかに雪にハイビームが当たる。そしてロービームにあるものは、家の壁や人の足などの暮らしだ。

四隅より辞書は滅びぬ花ミモザ

右とか上とか言わずに「四隅」。確かに四隅は四隅なのだが、捲っていたり、部屋に置いたりしているからこそ「滅びる」。そう、古びるのではなく滅びる。大きな「花ミモザ」の色彩や生命感と相まみえて、辞書というものへの信頼が厚くなる。

眦を林檎畑が抜けてゆく

車道の景色だろうか。「あれは何の木かな」とわいわい話している。スピード感を持った気持ちの昂ぶりがいい。本句集には恋の句、赤をモチーフとした句がいくつかあった。そういうことを感じさせる句のつくりもいい。

舟溜誰そひるがほを投げ込みし

海か湖の舟。投げ込まれたひるがほに電流は通っていないかもしれないが、この光景をきっかけとして舟の揺らぎやひるがほのひらひらした様子が思い浮かぶ。静かだけれども、意思がある。

春雨や源氏の恋を貝の内

手櫛して爪衰うる桜の夜

艶めきが隣り合う。貝合わせの遊びも、髪の長さも示唆的だ。いつだったか、句会に白地に紺の浴衣姿で現れたうさぎさんを思い出した。


太田うさぎ句集『また明日』2020年/左右社 ≫版元ウェブサイト

2020-09-27

【句集を読む】東京女の心意気 太田うさぎ『また明日』の一句 小林苑を

【句集を読む】
東京女の心意気
太田うさぎまた明日』の一句

小林苑を

初出:facebook

誰からも遠く夜濯してゐたる  太田うさぎ『また明日』

太田うさぎの句は安心して読める。句会をなんどかご一緒したけれど、その場で出される兼題でも吟行でもさらりと巧みに句にしてしまう。仁平勝氏による帯文には「芸達者」とあるが、私の印象は少し違う。芸ってよりは世間とのこの人の向き合い方なんじゃないか。世間というと俗だととられるかもしれないが、敢えて世界などではなく世間と言いたい。

つまりね、と言葉を探す。うさぎ句からは東京女〔*〕の心意気が漂う。剝き出しなんてことは金輪際ごめんだよってね。さらりさっぱり「また明日コートひらりとすたすたと」てな塩梅。大仰に別れとか言わない。明日の事なんてわからない、そんなのは先刻承知だけどさ「また明日」、これがうさぎ流。こんな句もある。「夏帽子振つて大きなさやうなら」。また明日ってわけにはいかないときも明るくさ。いいよね「大きなさやうなら」。

掲句の夜濯、いまでは都会の片隅感溢れる季語なのかも。「誰からも遠く」、どうってことのない日常の夜はすべての人との距離が等しくなる。それが独りってことだ。さみしいんでも気楽なんでもない自分に戻る時間。ちょいと穿つとね、この夜濯は自分のことは自分でやるってことでもあるわけよ。うさぎ句はこの立ち位置が動かないから心地良い。うまいこと言おうじゃなくて、自分がまず面白がる。

富士額見せて御慶を申しけり  同

美人の湯出てしばらくは裸なり  同

ラグビーの主に尻見てゐる感じ  同

なまはげのふぐりの揺れてゐるならむ  同

あっそうかとこっちも楽しくなる。うさぎさんの眼が笑っている。べたべたがちっともないさらっとした笑い。肌触り。「ふり」かもしれないが、ここまで来れば芸の内、ではなかったこの人の持ち味であり生き方なんだろう。

校庭の隅に心臓持つ兎  同

初燕スーツケースに尻預け  同

うしろより浪が浪抱く西鶴忌  同

きつねのかみそり迷子になつてゐないふり  同

ゐた人の消えコスモスの曲り角  同


〔*〕東京女(とうきょうおんな) 読んで字のごとし。東女ではちと泥臭すぎ、京女とは異なるさっぱり感。江戸から遠く離れて魔都に住まうこと久し。


太田うさぎ句集『また明日』2020年6月/左右社

2020-07-19

太田うさぎ 息災 10句

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息災 太田うさぎ

屈みゐし人のつと立つ渓蓀かな

先輩にお辞儀を深く男梅雨

紫陽花やうらぶれつつも文具店

軽薄なふりで夜店に遊びしこと

水打つにつけても長き腕かな

寝室や冷房が効き絵傾き

流れ着き噴井に溶くるレシートよ

鰻屋の仲居が妙に打ち解けて

てつぺんかけたか義経は息災か

晩涼の杉木立より笛太鼓

2020-04-26

【週俳3月の俳句を読む】何処へ/誰へ/何へ 太田うさぎ

【週俳3月の俳句を読む】
何処へ/誰へ/何へ

太田うさぎ



餃子にもある羽根ヒトは春めいて  森 羽久衣

蝶だ、蜂だ、虻だ、蠅だと、春と訪れと共に羽根を持つ虫たちが空を飛び始める。「餃子にも」の「も」はそうした生き物たちの存在を抱えつつ、「況やヒトに於いてをや」と言いたげだ。春先の羽ばたくような気分をストレートに伝えず、餃子に託したところは作者の含羞或いは大人の態度というものだろう。それは生物分類としての「ヒト」と片仮名書きにしたところにも表れている。餃子の卓を共に囲んだ面々はそれぞれに小麦粉と水で出来た羽根を背中に生やして帰ったのかもしれない。


ヒヤシンスさして好きでもないくせに  森 羽久衣

「ヒヤ」の部分に「冷や」の字を重ねてしまうせいか、ヒヤシンスという花(特に水栽培の)はしんとした冷気を纏っているイメージがある。「さして好きでもないくせに」は昭和のムード歌謡めいたフレーズだが、ヒヤシンスもまた同じ波長を持つ言葉なので、相性がよくするりと腑に落ちる。少し前に流布した言い方に従うなら「ツンデレ」の気分か。「好きでもないくせに」は自分の交際相手に対する軽い恨み節かもしれないが、自分の心中を見つめての呟きと捉えると、またクールさが増すようでもある。


花冷や瞼は使ふたび古ぶ  生駒大祐

「目を酷使する」とはよく言うが、ふだん私たちは「今日は瞼を使ったなぁ」とはなかなか思わない。しかし、考えてみれば、見る行為には必ず瞼の上げ下ろしが付きまとう。瞼に限ったことではなく、人間の体のどのパーツも真っ新なかたちとして誕生して以後ことごとく古びていく。古びイコール衰え、と考えるとこの句の季語は所謂即きすぎ、とも思える。一方、古色の美などと言われるように、古いことに価値を見出す美意識も存在する。桜だって樹齢が長いほど愛でられるではないか。というのは後期中年者の世迷言で、ささやかな花疲れの気分を感じ取ればよいのだろう。


笑へ舗道の水漬く椿を見て言つた  生駒大祐

作品十五句のなかで異彩を放つ句だ。なんだか物凄い、それ以上の感想を述べようがなくて実は困っている。

舗道の水溜まりに落ちた椿はまだ生々しい紅の花弁を広げ、蕊を勢いよく立たせている。が既に水漬く屍ではある。景色はどこまでも明るい。「笑へ」は何処へ/誰へ/何へ向かって命令されたのだろう。


早春は餅屋に響く掛時計  藤田哲史

俳句には限らないが、見も知らぬ何処かへ連れて行ってくれるのが文芸の魅力だと思う。餅は餅屋と言われる餅屋を私は知らない。餅を売ってくれるのは近所の和菓子屋だ。でも、この句を読んでいる只中、私は餅屋に立っている。やれ、椿餅だ、鶯餅だ、と寒明け間もない店は忙しいだろう。お得意様から赤飯の注文が入ってくることも。創業以来その店で時を打ち続けた掛時計が頼もしい。


松の芯放浪癖は僕に今も  藤田哲史

この季節、風に輝く松葉の中央に新芽がすっくりと空へ立つ、幾つも。眩しく見上げれば、定住を決めた僕をかつて当て所もなく各地を彷徨った記憶がまたそそのかす。「今も僕に」ではなく「僕に今も」。この違いは大きい。「今も」の余韻に軽やかな抒情がある。


鳥雲に入る裏口のありにけり  大野泰雄

いろいろな裏を見せる作品のなかでも、季語を手玉に取る機知をストレートに見せた句。俗に裏口入学とも言うけれど、帰ってくる鳥たちを受け入れる大空に大手門と搦手門とがあるという見立てが面白い。渡り鳥の処世もああみえてなかなか世知辛いのだ、と思うと地に立つ我らもほろ苦く笑うしかないではないか。


棒読みで言はるる礼や雀の子  龍翔

「ありがとう」の一言、これがむつかしいことがある。自動販売機の機械音声だってレジでのマニュアルに則っただけのお礼よりマシだと思うことも。この句はどんなシチュエーションだったのだろう。良かれと思い手を差し伸べたのに、感謝の表し方を知らない対応をされたものか。世慣れないのだろうと渋面を作りながらも受け入れる心持が季語に表れている。



森羽久衣 風の日は 10句 ≫読む
生駒大祐 口伝花語 15句 ≫読む
藤田哲史 鋼の卵 15 ≫読む  
6742020322
大野泰雄 コロナ裏仮面 10句 ≫読む
龍翔 放し飼ひ 10句 ≫読む

2020-02-16

【週俳2020年新年詠の一句】旅の安全を 太田うさぎ

【週俳2020年新年詠の一句】
旅の安全を

太田うさぎ


シートベルトよ初旅のすべすべの  西生ゆかり

車に乗り込み、座席の位置を前後に調整する。落ち着いたところで、斜め後ろからシートベルトを引き出す。シュルシュルッ、パチン。ミラーで後方確認、前をしっかり見て、アクセルを踏む。さて発進!

初旅の句を探してみると圧倒的に旅先の景色や出来事を題材にしたものが多い。それだけに、旅の最も始まりの、しかもこれほど些細なことが詠まれると逆に新鮮だ。

更に言うと、切れ字の前の語に感動の焦点があるという定説に従えば、この句では初旅は従であり、主はシートベルトなのだ。その点がまた目を引く。初旅を主にしていたらもう少し凡庸な句になっていたかもしれない。

「すべすべ」は女性や赤ちゃんの肌の質感を表すのに用いられたりするが、光沢と滑らかさに対しそんな賛辞を与えられたシートベルトは旅の間の安全をしっかり守ってくれるだろう。


2020年新年詠

2018-09-23

【句集を読む】 山田耕司句集『不純』第5章「山田耕司vs山田耕司」で 小久保佳世子さんと太田うさぎさんに旗を挙げてもらいました

【句集を読む】
山田耕司句集『不純』第5章「山田耕司vs山田耕司」で
小久保佳世子さんと太田うさぎさんに旗を挙げてもらいました


山田耕司『不純』p61~70「山田耕司vs山田耕司」の章は、1ページに赤白2句が並んで掲載され、読者が勝ち負けを決めるという趣向。特集「山田耕司『不純』を読む」の興奮さめやらぬなか、小久保佳世子さんと太田うさぎさんに判定を下していただきました。



進行:西原天気▼
最初の取組は「白魚」です。

赤 白魚やがさりとラジオ黙りたる
白 青春の飲む白魚のやうなもの

それぞれ、どちらかが勝ちか、旗を挙げてください。

小久保佳世子(以下、佳世子)◆
《赤 白魚やがさりとラジオ黙りたる》です。

太田うさぎ(以下、うさぎ)◆
私は《白 青春の飲む白魚のやうなもの》。

進行▼
分かれましたね。

佳世子◆
《赤 白魚やがさりとラジオ黙りたる》の「がさり」という音には荒っぽい容赦なさがあります。その為、その後の沈黙には一方的に切られた電話の後のような痛みすら感じます。白魚のロマンもまたそこで非情に遮断されてしまったような。

うさぎ◆
不思議な句です。「白魚のやうなもの」と言っているので実際に飲んでいるのは白魚ではありません。

ですが、それが何にせよ、踊り食いのようにピチピチと犇めく生命を臓腑に落とし込むのが青春期というものか、とも思いました。青春の文字に隠れた青と白魚の白のコントラストもいい。どことなくエロスを感じるのは私の妄想でしょう。

進行▼
佳世子さん、うさぎさんが妄想とおっしゃる「エロス」という点、いかがですか?

佳世子◆
「しらうおのような指」と女性のしろく細い指を言ったりすることから、女性への憧れのようなものを感じました。ですから掲句にはエロスの生々しさより、むしろ初々しさを感じました。

進行▼
次は「末黒野」です。

赤 末黒野や知らない家族また出てくる
白 さびしさの末黒野を出てなほ道たる

うさぎ◆
《赤 末黒野や知らない家族また出てくる》。

枯草を焼いて新芽の生長を促すのが野焼き。焦げ臭い野原から家族が出て来る。「知らない」と言いながら家族だとの認識は何故かある。家族の再生とも解釈できますが、シュールな光景です。「また」がじわじわ来ます。

佳世子◆
私も赤です。

消えてはまた出てくる家族なんてゾンビのようでちょっと不気味。知らないけれど、意識下では知っている家族のような気もします。「また出てくる」ことを、もしかして懐かしがっているのかも。家族という言葉にはある温みがあるからでしょうか。背景が末黒野ということは原始からの累代の家族が描かれているのかもしれません。

うさぎ◆
末黒野は最初、《白 さびしさの末黒野を出てなほ道たる》だったんですよね。でも見直していたら赤の方が段々よく見えてきて……。

佳世子◆
末黒野は荒涼とした景なので「さびしさ」は言わずもがな。そんなこと分かっているにちがいない作者なので、そこに興味があります。

進行▼
「白魚」2句と「末黒野」2句は、「や」切れと喩がセットになっているということで、この見開きは合わせ鏡のようです(「末黒野や」の「や」は一物っぽいですが)。佳世子さんは、「白魚」「末黒野」ともに、「や」切れの句に旗を挙げた。うさぎさんは、「白魚」では喩の句を、「末黒野」では「や」切れの句をお採りになった。

うさぎ◆
上五を「や」で切る句の場合、読み終わった余韻の中に上五の言葉がぼやーんと反響している感じがあるのが好きです。白魚の句ですと、ラジオが黙るという事象に対して白魚がどう関わるのかが私にはちょっとピンと来ませんでした。末黒野の句は、「また出て来る」……そんな末黒野であることよ、と始まりに戻っていくのが面白いです。

喩の句はその象徴するところに読者がどれだけ感興を催せるかにかかっていると思います。「さびしさの」は「道」にどの程度の深みを汲み取るべきなのか、測りかねたところがあります。

進行▼
なるほど。次に行きましょう。

赤 丸腰を蛍のせゐにしてをりぬ
白 蛍衰へたどりつきたるハムエッグ

どちらも一筋縄では行かない句ですね。それでは旗をどうぞ。

佳世子◆
《白 蛍衰へたどりつきたるハムエッグ》。

源氏蛍、平家蛍と名付けられたり、古くから死者の霊魂に見立てられたりしてきた蛍。もののあわれという美意識の代表のような蛍ですが、それを支える共同体が衰退し、蛍がたどりついた先はなんとハムエッグという味気ない和製英語。都市のホテルで鑑賞用に飼育される蛍などが思われます。現代の蛍の滑稽と哀れを痛烈なアイロニーで描いた一句です。

進行▼
蛍にまつわる観念や情緒の歴史性を思えば、「アイロニー」が読み取れるというわけですね。そのあたり、うさぎさんはいかがですか?

うさぎ◆
衰退の果ての変性という図式はアイロニカルというよりどちらかと言えばシニカルな印象を受けました。解釈のむつかしい句ですが、「螢衰へ」は枕詞的な使われ方なのかなと思ったり。夜が明けて朝ごはんに目玉焼きが出ました、実はそれだけのことだったりして、とも。「それだけ」というのは悪い意味ではなく、ありきたりのことを如何に書き表すかは誰もが苦心するところです。

進行▼
うさぎさんは、どちらの句を?

うさぎ◆
私は《赤 丸腰を蛍のせゐにしてをりぬ》です。

可笑しいです。やましいことがあったりすると、人って何かの所為にしたがるよねって。蛍に罪を着せた時点で即座に周囲から集中砲火を浴びそうな気がします。愛すべき人物です。《じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子》への遠くからの挨拶のようでもあります。

進行▼
次は「金魚」です。

赤 提げ歩く金魚赤赤黒茜
白 姿見に金魚きて去り去りはてず

佳世子◆
《赤 提げ歩く金魚赤赤黒茜》です。

色が際立つ句でかなり好きです。提げ歩く速度も思われ、その動きを「茜」で止めるあたり技あり。赤と茜の間にある「黒」は出目金か金魚の模様でしょうか、或いは存在しない何かの影のようで気になります。この黒があることによって赤も茜も鮮やかさを増すようです。

うさぎ◆
うーん。迷いました。「アカアカクロアカネ」の心躍るリズムもいいのですが、私は《白 姿見に金魚きて去り去りはてず》を。

水槽であれ金魚釣りのビニール袋であれ、姿見の細い幅を金魚が過った。鏡中から消えた後でも眼裏に鮮やかな姿態が揺らいでいる、「去りはてず」はそういう意味に受け取りました。姿見の前に立っているのは美しいお嬢さんでしょうか。涼やかな句です。

進行▼
あくまで「美しい」「お嬢さん」なわけですね。山田耕司さんじゃなくて。

うさぎ◆
うーん。姿見や金魚に女性のイメージを重ねるからでしょうね。男性と考えるとこの金魚はメタファー的な意味合いを帯びてきそうです。

進行▼
次は「西瓜」です。

赤 男手をわたりてきたる西瓜切る
白 西瓜に顔彫つて真闇へ向けにけり

うさぎ◆
《赤 男手をわたりてきたる西瓜切る》。

「男手を」と断るからには西瓜を切るのは女性でしょう。バケツリレーのように何人もの男性の手から手へ運ばれてきたというだけで、大きくてはち切れそうな西瓜が目に浮かびます。俎板の鯉ならぬ西瓜に刃を入れる様が頼もしい。「切る」の二字が爽快です。

佳世子◆
私も同じく赤。「男手をわたりてきたる」ことに焦点が当たることに何故か不穏を感じます。「西瓜切る」も読み方によって不穏さを引きずります。女手では手に負えない西瓜の大きさ重さをイメージすればよいのかもしれませんが、それだけではないような。男手に悪い感じを持ってしまうのです。悪い感じは決して俳句の魅力を損なうものではありませんが。

進行▼
6つめは「黄落」。

赤 黄落や触るるも見えぬ盆の窪
白 黄落にすべなき笊となりにけり

佳世子◆
《白 黄落にすべなき笊となりにけり》。

籠と笊の違いはよく分かりませんが、器の出来は籠のほうがよさそう。思えばザルという響きは何となく情けないものがあります。この句の笊はますます貧弱に見え、それに比して黄落の大いなることよ。「すべなき笊」という表現によって黄落の怖いほどのエネルギーが感じられます。昨今の想定外の自然現象まで思ってしまうのは読みすぎでしょうか?

うさぎ◆
私も白です。

かねてより笊には秋の季感があると思っています。季語認定して貰いたいくらい、と言うと大袈裟ですけれど。

黄落という終わっていくものと使い途のない笊とはいわゆる「即(つ)く」関係にあるのでしょうが、そこがいいというか。私は佳世子さんのおっしゃるエネルギーよりも諦念とか受容といったものをこの句から感じました。私という人間も所詮一枚の笊である、みたいな……。考えすぎかな。

赤の「触るるも見えぬ盆の窪」は確かにぃ~と感心しましたが、その発見がちょっと黄落の情緒に寄りかかってしまっているように思いました。

佳世子◆
同じ句に軍配をあげていても、西瓜の句にうさぎさんは、ある爽快さを、私は不穏を感じたり、黄落の句も、うさぎさんは黄落を終わってゆくものと見たけれど、私は怖いほどの大黄落という思いから離れられなくなっていたことに気付き、とても面白いなあって思いました。

うさぎ◆
ほんとうに。

一つの句でも受け取り方が違うものですね。黄落をエネルギーと捉えたことがなかったので、佳世子さんの鑑賞にハッとしました。

進行▼
ラス前は「柚子湯」です。

赤 恋おとろへ柚子に湯舟の広きこと
白 はらわたを暗さと思ふ柚子湯かな

佳世子◆
《白 はらわたを暗さと思ふ柚子湯かな》

英語のdarknessを調べると、暗さ、色の黒さ、秘密、邪悪、無知などと訳されていて、darknessのすべてが「はらわた」にもあるということでしょうか? 柚子の黄色と白い(とりあえず)素裸の表面的にはシンプルで明るい場面ですが、はらわたの暗さ重さがあるから、湯のなかに沈むのですね。「はらわたを暗さと思う」場として柚子湯はとてもふさわしいような気がしてきました。

うさぎ◆
同じく白に軍配。

句集にはほかに《はらわたは見えぬがよろし大どてら》《はらわたは温し遠しや曼殊沙華》があり、はらわたを単なる臓腑として以上に意識していらっしゃるようです。この句、「暗し」ではなく、「暗さ」であることが肝心だと思います。柚子湯に芯から温まりながら、自分の体内の暗黒に目を据えている。それでいて結語は「柚子湯かな」と平和。このちょっとした捻じれが面白いです。

進行▼
《蛍衰へたどりつきたるハムエッグ》は「衰へ」と漢字、こちらは「恋おとろへ」と平仮名。用字が変えてあるんですね。

佳世子◆
「衰へ」は、まだどこか頑張っているけど、「おとろへ」はちょっと諦めを感じませんか? そういえば、「蛍衰へ」の句には、三橋敏雄の有名句《 昭和衰へ馬の音する夕かな》をちらっと思いました。

進行▼
さて、いよいよ最後です。

赤 冬愁てふ季語無きことよ海鼠嚙む
白 ゆく雲を足裏と思ふ海鼠かな

佳世子◆
《白 ゆく雲を足裏と思ふ海鼠かな》

雲足はゆく雲の速度をいう言葉。その雲足とは足裏のことだと言われれば、だんだんそんな気がしてきます。地上の生き物は雲の上層部が見えないので。

初めは奇想と思えたことも何? 何故? と頓智を考えるように嵌ってゆく感じです。そこに海鼠。海鼠の目は見えないような気がしますが思考する生き物かもしれず、とやや強引に海鼠の気持ちに納得させられてゆく困惑と楽しさ。

うさぎ◆
同じく白……と思いましたたが、佳世子さんと同じ旗ばかり上げていても、ということで、《赤 冬愁てふ季語無きことよ海鼠嚙む》。

「ない」ことを考えるとき、大概はその存在を意識しているものです。とすればなにがしかの憂いがふと胸を過ったのでしょう。でも、そこが俳人根性といいますか、「春愁、愁思はあるが冬愁は季語にないなあ」とそちらへ考えが行ってしまう。いや、あえて物思いに真っ向から挑まずにスライドさせたのかも。海鼠が大人の味わい。でも、顎が疲れそう。

進行▼
俳人根性! すごい言い方! 俳人魂、俳人の性(さが)ということですね。

うさぎ◆
柚子湯に戻るのですが、読み返してふとわからなくなりました。

○○を△△と思ふ□□かな

は一つの型としてありますよね。よく知られたところでは攝津幸彦の《露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな》。『不純』にも

瓢箪をわが子とおもふ鯰かな
ゆく雲を足裏と思ふ海鼠かな

があります。いずれも"思う"のは金魚であり、鯰であり、海鼠であると何の疑念もなく受け取りました。

ですが、《はらわたを暗さと思ふ柚子湯かな》の思う主体は〈私〉。金魚、鯰、海鼠という生命体ではなく、柚子湯は〈場〉だから、自然と「柚子湯にいて~思う」という流れで読むんですよね。読み返して一瞬あわてたのは、これはもしや、柚子湯が思っている句なのでは? 私は誤読したのでは? と。よく考えればあり得ないのでしょうが、そそっかしい性格なもので。

見開きに同じ型で解読が異なる句を載せたのはやはり作者の意図なのでしょうか。

佳世子◆
私も「……を……と思ふ……かな」という言い方には攝津幸彦句のパロディを思いました。とくに海鼠の句は、攝津句を強く感じました。でも、柚子湯の配合はパロディから離れてゆく感じがしました。「もの思う柚子湯」とは露ほども思いませんでした。

見開きにあえて載せたのは、読者サービスかもしれず、柚子湯のところは少しずらしたあしらいだったのかもしれませんね。

進行▼
これでひととおり旗を挙げ終えたわけです。さて、赤対白、どちらが勝ったのか。句によって好悪が分かれたケースもあるのですが、合計点は、佳世子さんもうさぎさんも、4対4のイーヴン。これ、作者の山田耕司さんが仕組んだ結果だとしたら、すごいですね。

あるいは、赤と白の配分で、読んだ人の俳人としてのタイプがわかるとか、性格がわかるとか。この句集には、その手のことは書いてありませんが、どこかで仕掛けが明かされるかもしれません。あるいは、仕掛けなど、ないのか。

おふたりには、もうすこしだけお付き合いいただきます。この句集『不純』をひとことで人に伝えるとしたら、どう表現されますか?

佳世子◆
軽やかならざるものを抱えつつも、人を喜ばせようと意匠を凝らし才気あふれたサービスをしてくれたような句集。

うさぎ◆
ひとことですか。おっぱいの真ん中に置くならこの一冊、とでも。

進行▼
ありがとうございます。最後に、もうひとつだけ。句集『不純』から一句選ぶとしたら?

うさぎ◆
ありすぎて困りますけれど、敢えての一句なら

 うぐひすや順番が来て巴投げ

無性に好きです。前進する線がある地点でクルリと回転するという運動の永久のリフレイン。天上には伸びやかな鶯の鳴き声。説明の出来ないところが魅力、なんて逃げているようですが、とにかく読んでいてとても楽しくなります。

佳世子◆
私は、

 挿す肉をゆびと思はば夏蜜柑

エロチックな描写に違いないけれど、騙し絵を見ているように知覚が刺激されるところがあって、句集『不純』への期待感が否応なく高められる奇妙な巻頭句だと思います。

進行▼
ありがとうございました。たいへんおもしろい話をお聞きできました。






2018-08-26

太田うさぎ✕中嶋憲武の音楽千夜一夜 ムーンライダーズ「くれない埠頭」

太田うさぎ✕中嶋憲武の音楽千夜一夜
ムーンライダーズ「くれない埠頭」


憲武●えー、今日はゲストをお招きしまして、いろいろ聴いてみたいと思います。太田うさぎさんです。

うさぎ●こんにちは。どうぞよろしくお願いします。好きな音楽のことを語っていいと言われてノコノコやって来ましたけれど、私は好きになるとそれだけで満たされてしまうので、ちゃんと話せるかなあ。

憲武●大丈夫でしょ。

うさぎ●すごく迷ったけれど、8月もおしまいということで、こちら。ムーンライダーズの「くれない埠頭」です。 

憲武●おお、いいですねえ。


うさぎ●この曲が収められている「青空百景」は今でもよく聴きます。1982年リリースなんですね。36年前かあ。

憲武●ぼくも「青空百景」は好きなアルバムです。好きな曲がいっぱい入ってる。

うさぎ●ええ。ムーンライダーズとの出会いがこのアルバムだったので余計に思い入れがあるのかもしれません。

憲武●そうでしたか。ぼくは1977年発売の「ムーンライダーズ」です。

うさぎ●「火の玉ボーイ」は鈴木慶一とムーンライダーズ名義だから、「ムーンライダーズ」からというのは誕生のときから知っているんですね。羨ましい。「シナ海」も素敵な曲です。私は「青空百景」を起点にして新しいアルバムを聴きつつ過去も追っていく感じでした。「シナ海」も見つけました。

憲武●聴いてみますか。


うさぎ●みんなめちゃめちゃ若い! 今野雄二にもビックリです。

憲武●時代を感じますねー。当時は貸しレコード屋というのがあって、そこで安く借りるか、友達に借りるか、FMを細かくチェックしてカセットテープに録音するくらいしか旧作に接する方法って、なかったですもんね。

うさぎ●貸しレコード屋! 友&愛・・・懐かしいなあ。そう、当時はカセットテープでしたもんね。そういえば「マニア・マニエラ」はカセットテープで発売されたのを持っていました。 

憲武●それ、カセットブックですね。あのアルバムは最初CDで出たんですよね。のちにアナログ盤が出て、CDが再発されて、何度も出てる印象ありましたね。

うさぎ●「くれない埠頭」ですが、全体に繰り返されるリズムが埠頭にゆっくり寄せては返す波のようで、メロディーも実に単純なんだけれども晩夏らしい気怠さが漂っています。この曲がアルバムのラストだけれど、一つ前が「物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ」という、これも夏が舞台ですが、じりじりと追い込まれていくような曲なんです。エアコンもない真夏の四畳半にスリップ一枚でいるみたいな。で、そこから「くれない埠頭」に移るとふぅと息がつけるというか、開放された感じになります。この構成もとても好き。

憲武●最近はアルバムの構成とか抜きにして、曲だけを聴く傾向がありますからね。ネットで拾ったりして。アルバムの流れとか構成は大事です。

うさぎ●歌詞、曲とも鈴木博文によるものです。リーダー鈴木慶一の弟ですね。この二人、知らなければ兄弟とは思わなくないですか?

憲武●うん、そうそう。あるある。

うさぎ●お兄さんの慶一はぽっちゃり目ですが、弟の博文は小柄で華奢。作る歌詞も繊細でポエティックです。

憲武●文章も独特の味があります。

うさぎ●へぇ。読んでみたいな。 

憲武●1988年に出た鈴木博文のエッセイ「僕は走って灰になる」とか10年後に出た「10years after」とか「9番目の夢」とか、その名もズバリ「青空百景」とか、いろいろ出てます。

うさぎ●ほほう。今度探してみます。

憲武●はい。

うさぎ●先ほど開放感と言いましたが、歌を聴くと「吹きっさらしの夕陽のドックに/海はつながれて風を見ている」ですからやっぱり行き所はないわけです。あ、行き所がないのではなく、居場所がないと言った方が正しいかもしれません。当て所なさとかね。

憲武●そこに叙情が生まれるというね。

うさぎ●1984年に一橋大学の学園祭でライブがあったんです。アンコールがこの「くれない埠頭」でした。最後はメンバーの演奏に観衆だけで「吹きっさらしの」から「残したものも残ったものも なにもないはずだ 夏は終わった」のリフレインをいつまでも歌って・・・。ステージと観客と一体になるとよく言うけれど、正しくそんなライブでした。ライブアルバムにこのときの演奏が入っていたんじゃなかったかな。あのアンコールは忘れられません。


(最終回まで、あと937夜) 
(次回は西原天気がゲストをお迎えします)

2017-02-19

【週俳12月1月の俳句を読む】太田うさぎ くしゅん。ごめんね。

【週俳12月1月の俳句を読む】
くしゅん。ごめんね。

太田うさぎ


ピアノ線もて天球に吊らるる日  生駒大祐

ウィキペディアによると天球とは「惑星や恒星がその上に張り付き運動すると考えられた地球を中心として取り巻く球体のこと」。太陽や月もこの球面上を移動する。その天球に吊られるとは宇宙の外側にいるということだ。しかも繋ぎ止めているのは一本のピアノ線。大変孤独で危うい状況である。けれども、この句に恐怖を煽るような様子はない。<吊らるる日>がいささか他人事めき、祝祭性すら帯びているためだろうか。天球から垂れるピアノ線のイメージが魅力的な故か。どこか神話的なエレガンスのある句だと思う。


方舟はペアのみですと息白く  青柳 飛

地上リニューアルのために、ノアとその妻、息子たちとその妻、そしてあらゆる動物の一番のみが方舟への乗船を許される。それ以外は全滅。伴侶があっても認められないのだから、生殖相手を持たないシングルは猶の事。有資格者のみが招かれるパーティー会場を守るボディガードのようなにべのなさだ。惜しむようにもたらされる簡素な拒絶の言葉とともに漏れる息は白く目は冷たい。<ペア>というあたかもトランプのカードのような軽い言い回しは諧謔味があるが、寛容性についてふと考えさせられた。そんなご時世ということか。私も方舟に背を向けてとぼとぼ来た道を辿る組ですが。


翻し畳むシーツや春隣  小関菜都子

大きなシーツを畳むのはちょっと手がかかる。端と端を持ち、勢いをつけてその両端を合わせる。空気を孕んでふっとシーツが翻った。そのときに春の訪れが近いことを頭ではなく五感で直感するのだ。俳句を書くとはそんな閃きの湧水に道筋をつけてやる作業なのかもしれない。


マフラーを編み国境の橋を編む  中村安伸

マフラーと橋、関係性の薄いこの二つが<編む>という行為によって結びつくのが短詩型の面白いところ。一つの国ともう一つの国の隔たりを埋めるのは一朝一夕には行かないだろう。一段一段網目を増やして完成するマフラーのように時間が必要だ。そのようにアナロジーとして読めもするし、この国境を内なるものや、人対人と捉えることも出来るだろう。いずれにしても手元のマフラーと遠い国境との呼応は静かで美しい。


幻の君に謝るくしやみかな  西生ゆかり

今ここにいない君はかつてここにいた君なのだろうか。くしゅん。ごめんね。謝ってしまう、いつもそうしていたように。謝れば君が現れるかのように。一瞬見る君の面影。でも次の瞬間それは掻き消え、私はひとり。切なさがあるけれど、暗くはない。そこがいい。


青いねと言うとき空の声が変  瀧村小奈生

青空が自らを青いねと言う。青いものを青いと言っているのだから問題ないはずだが、その声を変と聞いた。本当は青くないのか、騙されているのか。そもそもこの青さは不自然ではないのか。些細な綻びが疑問を呼び、ついには世界がガラガラと音を立てて壊れていくような感じ。フィリップ・K・ディックの小説にも通じるような。



生駒大祐  10句 ≫読む

第508号 2017年1月15日
青柳 飛 襟立てて 10句 ≫読む
小関菜都子 空へ 10句 ≫読む

第509号 2017年1月22日 
中村安伸 狐の鍵 10句 ≫読む
西生ゆかり ままごとの人参 10句 ≫読む

瀧村小奈生 いいにおい 10句 ≫読む