2024-07-21

太田うさぎ【週俳6月の俳句を読む】それはもう

【週俳6月の俳句を読む】
それはもう

太田うさぎ


曇天の日暮あいまい行々子  桐山太志

先ごろ近郊の沼を散策した。ほとりに葦がみっしり茂っていて、行々子が多く棲息していのは四方八方から湧いてくる鳴き声で察しがついた。葦原から飛び出してくるものも何羽かある。それにしてもやかましい。ギョウギョウシとはよく名付けたものだ。掲句も似たような場景だろう。夕焼けがはっきりと日暮れを教えてくれる晴天と違い、どんよりと曇った一日は暮色はあってなきがごとし。すっきりしない空模様にオオヨシキリが割り込む。鳥類特有の感覚で彼らには日暮れが分かるのかもしれない。ひっきりなしの鳴き声に曖昧さは消えるどころかますます混沌の度合いを増すばかりなのだ。


久しぶりと云ひサングラス外さざる  桐山太志

暫くぶりに出会った二人。サングラスをかけている相手とかけていない自分。ご無沙汰の挨拶を交わしながら相手の目が笑っているのか口だけの愛想なのか、こちらからは判じるすべはない。相手には自分の表情が丸わかりだというのに。久しぶりなんだから普通サングラスくらい外して顔を見せるものだろう、と思ってもそれを上手く伝えられない。おそらくサングラスの主は目の前の相手の感情の揺れに無頓着だ。装着していることすら忘れているかもしれない。かもしれないけれど、モヤる。よくある人間関係の小さな引っ掛かりを描き出すのにサングラスとはなかなか気の利いた小道具である。


飛び交ふや蛍その他の何や彼や  犬星星人

闇夜に明滅を繰り返しながら漂う蛍はさしづめ幽玄ジャンルの大幹部。それをまあ有象無象と雑駁に一括りにしたものだ、と愉快に驚く。飛び交うものとしては、例えば蚊や蛾、小さな虫たちであろうし、人間が発する声という解釈もできる。あるいは目に見えなくてもスマホの電波だって飛んでいる筈だ。そう考えてみると、魂なんていうものが浮遊していないとも限らない。しかし、スピリチュアルなものを感じ取ったとしても、直球で表現するのはちょっと抵抗がある。「その他の何や彼や」にはそんな含羞が隠れているのでは、と思う。


蓮の葉のばろんと空を翻し  犬星星人

蓮は花も美しいが、緑の葉も目に涼しい。広々とした蓮池の上を風が渡っていくときに葉を捲って行った。翻ったのは葉に相違ないが、空が翻ったという詩的転換によって大きな風景を誘い出す。「ばろん」というオノマトペはユニークながら、書かれてみると蓮の葉の形状や質感を過不足なく表すことに感心する。ここから勝手な連想を働かせてしまったのだが、「ばろん」とはbaron、男爵に通じる。物語のほら吹き男爵が今しも蓮の葉から吹き上げられ、真っ青な空へくるくると吸われてゆくような。そんな平和な白昼夢を見せてくれるのも蓮ならでは、か。


円陣で台本さらう雲の峰  牧野 冴

雲の峰が出て来ればそれはもう、ザ青春でありまして、この句も高校の演劇部の活動を思い浮かべた。秋の文化祭や演劇コンクールに向けての猛特訓のため、夏休みに学校に集まるメンバーたち。屋上でひとしきり発声練習を行ったあと、円陣を組んで台本を読み合う。円陣というのもチームの結束力を高めるものなので、背景の入道雲の清潔な白さといい、とても純粋な勢いに満ちた句だ。カルピスやポカリスエットはスポーツだけでなく、こうした文科系サークルをCMで起用すればいいのに、とかなり本気で思った。


吐き方を褒められている熱帯夜  牧野 冴

急病というケースも勿論あり得るが、季語からの推察と個人の経験から泥酔した挙句の嘔吐と取り敢えず決めつけてしまう。外で飲んだのか、友達の家での酒宴か、限界を超えたアルコールを摂取してしまった。「う、気持ち悪い」「取り敢えず吐いた方がいいよ」。こういう時は素直に従うに限る。背中をさすってくれる友達、心配そうに見守る友達、みな優しい。「いい吐き方だね」なんていうのは掛ける言葉に困ってのことかもしれないが、それも思いやり。褒められても、目には涙を溜め肩で息をしている状態では何も言えない。蒸れた夜の熱気が纏わりつく。


桐山太志 祭鱧 10句 ≫読む  第894号

犬星星人 鍵穴 10句 ≫読む  第895号

牧野 冴 戻れない 10句 ≫読む  第897号


0 comments: