【週俳6月の俳句を読む】
交錯する世界
山岸由佳
たった十七音の中で、見えるもの、見えないもの、現在、未来、記憶、意識、無意識が交錯し世界が立ちあらわれてくる。
自己の内面と外界の間でさまざまなものが交錯しながらも、作者の立つ位置がどこに寄っているのか、そんなことを考えながら読みました。
いうれいの鍵穴ほどの小ささよ 犬星星人
一読して、なぜかルネ・マグリットの絵が浮かんできた。
マグリットはシュルレアリスムを代表するベルギーの画家であり、「イメージの魔術師」の異名を持つことで知られているが、掲句も読み手のイメージを膨らませるような句だ。
現実における鍵穴は覗けるようなものではないが、鍵穴の向こう側に広がる景色の中で幽霊が佇んでいるようでもある。
「鍵穴ほどの小ささ」と書かれているものの、一茶の「うつくしや障子の穴の天の川」のように幽霊が大きく広がっていくような錯覚にも陥る。
それは、鍵穴の向こうの見えない空間と鍵穴をすりぬけるような幽霊の実態のなさによって作り出されているのかもしれない。
どこにも戻れない冷蔵庫にシールの跡 牧野 冴
冷蔵庫は、毎日の生活と関わるので、その家庭あるいはその人があらわれやすい家電のように思う。
冷蔵庫の中身の食品はもちろん、保存の仕方から、整理の仕方、冷蔵庫の扉にもメモを貼ったり写真を貼ったりと様々だ。
掲句の冷蔵庫にはシールの跡が残っている。その人固有の記憶の断片として。
そして、冷蔵庫をひらけば仄かな灯りにひんやりと照らされ、別の空間があらわれる。その空間は、今でありながらどこかなつかしさに繋がっているようにも思う。
シールの跡は消えないまま時間は経過し、環境も自分も変わっていく。
どこにも戻れない冷蔵庫に現在の自分が重なり、少しの歯がゆさが感じられる。
目を凝らす庭に日照雨や祭鱧 桐山太志
日照雨は、天気雨ともきつねの嫁入りとも呼ばれているが、日が差して降る雨はきらきらしててつい見惚れてしまう。
祭鱧は、京都の祇園祭り、大阪の天神祭りに欠かせない祭膳。
梅雨の雨をのんで美味しくなるといわれている鱧は祇園祭りの頃に旬を迎えるそうだ。
旬の鱧料理を前に、突然日照雨が降り出した。
豊かな水が循環し、祭という非日常の中で、すぐに止んでしまう 日照雨 は幻想的であり、祝祭性を帯びている。
目を凝らして見える現実の不思議さ、うつくしさが描かれている。
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