2022-12-18

太田うさぎ【週俳8月~11月の俳句を読む】そんなところに身を潜めて

【週俳8月~11月の俳句を読む】
そんなところに身を潜めて

太田うさぎ


家を建て直すため半年ほど他県に住んでいる。山を間近に眺め、買物のために川を渡り、町に点在する井戸水を汲む日々ももうすぐ終わりを告げて東京に戻る。私たちの顔を認めてくれる飲み屋も数軒出来たところなので去りがたい。近所で小さな飲み屋を営むヤスさんは高円寺からの移住組だ。年明けに東京に帰ることを告げたら、来年9月には開店1周年の記念ライブをやるから来てくださいね! と言ってくれた。9か月後も忘れないでいて貰うためにもう少し通わなくっちゃ。


かほ見せてイルカ併走青葉潮  広渡敬雄

天草を訪れての十句作品の一句目。明るく軽快で幕開けに相応しい。残念ながら私は水族館でしかイルカを見たことがないが、海原を自在に泳ぐ彼らの姿が目に浮かぶ。水面から出した顔もさぞかし愛嬌たっぷりなことだろう。そんな想像が広がるのは青葉潮という季語の為せる業だ。

興味深いのは「イルカ」と片仮名表記にしたところ。俳句の世界では、「バラ」は「薔薇」、「キリン」は「麒麟」となるべく片仮名は避けて漢字を使うことが推奨されがちだし、どちらかと言えば私もそちらサイドを支持する。が、この句の場合、「イルカ」を「海豚」と書いてしまうと、この句の持つスピード感や開放感が削がれてしまう。更に言うなら、「かほ」と平仮名に開いたのも効果的。ひらがなからカタカナへ、そして漢字五字で締め括る。俳句はリズムとも言われるが、視覚もまたリズムを形成する要因なのだなあ、とこの句を眺めながら感じたのであった。


麦秋や窓辺の突つ張り棒斜め  野口る理

収納スペース作りの強い味方、突っ張り棒。どこの家でも1本や2本使っているだろう。私もS字フックを掛けてバッグを吊るしたり、カフェカーテンを通して棚の目隠しにしたりと重宝しているが、端から端へ真っ直ぐ突っ張らせるのはなかなか難しい。どうしても僅かに斜めになり微調整を繰り返すうちに、ズコッ!と片端が落ちたりする。私が不器用でもあるのだが。なので、掲句には大きく肯いた。窓の外に広がる初夏の景色を切り取るフレーム、その一辺がちょこっと斜めだという。微妙なところによく目を付けたものだと感心する。目を付けただけで、特に直そうとする姿勢が伺えないのも何だか可笑しいというかチャーミングだ。突っ張り棒という庶民臭い用具と麦秋の持つ郷愁感が良く似合っている。


おとなりも見てゐる投網めく花火  野口る理

突っ張り棒の句は室内だが、こちらは「おとなりも」とあるから、ベランダに出て花火を眺めているのである。打ち上げ花火の開くさまが「投網めく」と表現されたことはこれまであっただろうか。幾つもの投網が艶やかに開いては、煌きながら色を変じては閉じる。夜空がまるで大きな川みたいだし、神々のひと時の戯れのような美しい光景だ。隣に住む人もやはり花火を愛でている。子供がいれば喜びの声を大きく上げていることだろう。おとなり、という親近感を持ちながらも、二つの家に交流する様子はなさそうだ。花火の網がここまで伸びて来たならば我が家も隣家も一網打尽に漁られるかもしれないのに。とても近いのに膜のような透明な隔たりがあって踏み込めない、踏み込まない。それは「集まつてゐて桃達の触れ合はず」にも通じる心のありようだ。


犬の嗅ぐ皿の裏がは冬隣  日向美菜

動物が時として見せる仕草は周囲の者を和ませる。人間が同じことをしたら叱られるか薄気味悪がられるというのに、犬や猫となると誰もが相好を崩すのだ。我が家の猫は卓の上に乗っているマウスや朱肉や空のペットボトルなどを前足でチョイナチョイナと動かして終いには卓から落とす。落とすやいなや私の顔色を一瞬伺い脱兎の如く逃げ去る。「落としたら元に戻しなさい!」と叱るが聞く耳など持たない。とまあ飼主馬鹿を披露するのはこの辺にして、掲句のワンコは皿のご飯を食べ尽くしてまだ満ち足りないらしい。皿の上はもうさんざん嗅いだのだろう。今度は裏に鼻を突っ込んでクンクンしている。なんと愚かで愛らしい。しかし作者が注目したのはそこではない。犬が鼻を寄せたことで目に入った、ふだん気にも留めない皿の裏面である。皿と床の間の小さな影にも気づいたかもしれない。陰と陽で言えば明らかに陰。冬はそんなところに身を潜めて出番を待っているのだ。


広渡敬雄 天草 10句 ≫読む
野口る理 タイガーモノローグ 40句 ≫読む

1 comments:

愛人家業の女 さんのコメント...
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