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2026-09-13

岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔後篇〕 俳句タロット2026

俳句タロット2026

福田若之×千倉由穂〔後篇〕

記事化:岸田祐子

 ≫承前:福田若之×千倉由穂〔前篇〕

露草の色滲ませてゆくチャイム 千倉由穂


1枚目「ソードの8」・2枚目「世界」・3枚目「ペンタクルの9」

岸田祐子●おっ! なんと、さっきと同じカードがでた。あんなにシャッフルしたのに。

福田若之●残りの2枚は全然違う絵柄ですね。

祐子●2枚目のカードは大アルカナです。一般的に大アルカナは人生の大きな出来事や本質を表すカードと言われています。で、小アルカナの方は、もっと細いこと、日々の具体的な出来事を表すと言われています。さっきの「手書きの@が細胞みたいで雨で春で」の句では、小アルカナのカードしか出てきませんでしたが、今回は大アルカナが出ました。この世界、ザ・ワールドというカードは大アルカナの一番最後21番目のカードです。おみくじで言ったら大吉みたいな感じです。だけど、1枚目に出たカード、ソードの8が痛い。

若之●このカード、すごく不穏な感じがします。

祐子●身動きも取れないし、目隠しもされています。

千倉由穂●自分自身の占いで出てきたらどうしようって思っちゃう。

祐子●ただ、まぁ、数字が8だから。もうすぐ終るって感じだと思うのだけど。

由穂●10が終わりですか?

祐子●そうですね。小アルカナの数字のカードは1から10までで、10が最後の数字です。露草が生えている場所って沼地みたいなところだったりするのかしら? このカード、俳句を占っているのでなかったら、私なら少しおやすみしてみてくださいとか、急がないでくださいっていうかもしれないです。

若之●地面が少し濡れていますね。地面のところだけ見ると露草っぽさはあるな。

祐子●あと、洋服の色が青ですね。露草の色。

由穂●背景にあるお城の色も露草っぽいです。

祐子●ソードの8ではない2枚のカードはどちらもポジティブなカードです。なんか、露草という小さくて儚げな花に対して喜びが大きすぎる感じがあるんですよね。うーん、どう読むんだろう。世界のカードは大吉だし、ペンタクルの9は収穫を喜ぶカードですし。

若之●放課後なのかな。チャイムってその時間の区切りが何かの意味を持つから知らせるわけで、それに縛られる側面があるじゃないですか。学校生活なら学校生活の規則があって。

祐子●学校が嫌なのかな?

若之●嫌なのかどうかは分からないけれど、なんにせよそれに縛られてるという側面がある。

祐子●チャイムが鳴るまでそこに居なければならないとか。学校じゃなくて会社でも始業とか終業時にチャイムが鳴るところもありますよね。

西原天気●昼休みとかね。チャイムって昼休みのイメージない?

若之●イメージとしてあるのは朝の始業のチャイムと昼休みと終業なり放課後のチャイム。あ、でも、どうなんだろう。カードベースで読むとソードの8があるので縛られているという点で学校や会社を思い浮かべますけど俳句からイメージすると夕方5時のチャイムとかそういう感じの気もするな。夕空の色合いとか。そっちにゆく方が句の読みとしては正統な気がする。

祐子●どっちにしろ何かから解放されるチャイムなのかもしれないですね。ソードの8は、今はとらわれているけれどいずれは解放されるってカードだと思うのです。あと、縛られては居ますけど足は動かせますし、花も咲いていて救いがある感じがします。もう少ししたらこの状況から抜け出せるという雰囲気はあるように思います。

由穂●殺伐とはしているのですけれど、周りの環境はそこまでは怖くはない。花も咲いているし。

若之●ただ、パッと見るとすごくインパクトのある絵ですよね。

天気●お城が遠くに見えているんだね。

祐子●露草というところで見ると、世界のカードも真ん中の猫の楕円で囲まれた部分の青が濃くて露草っぽいですし、ソードの8の猫が着ている洋服も青だし、ペンタクルの9も青空なのでどのカードにも露草の色の青があるなと思います。

由穂●全てのカードに青色が入っているんですね。

若之●ですね。

祐子●露草は「露」とありますから水のイメージもありますし、滲ませてというところにも水のイメージがあるなと思います。

由穂●自分の句だと、なんだかコメントするの難しくなりますね。

若之●そうそう。結構、難しいんですよ。これ。どこまで言っていいんだろうみたいな。

由穂●説明しちゃいそうになるけれど、説明すると鑑賞を狭めてしまいそう。露草って、自分で作っておいてなんですけど、いつ頃閉じるんでしたっけ?

祐子●露草って朝に咲くんじゃないの? 違ったっけ?

若之●あれは時間の花なんですか? そもそも。

祐子●わからない。

若之●わりとずーっと咲いているイメージがあるけど。

祐子●ずっと咲いていましたっけ?

若之●いや、わからないです。

祐子●みんな花に詳しくないですね(笑)

若之●花期自体はめちゃくちゃ長いですよね。ずーっと咲いている。

祐子●秋の季題の花だけれど夏から咲いていると思う。

由穂●あ、そうだ。朝顔と同じで昼には萎むんだった。

若之●あー、そうなんだ。じゃあ、放課後ではないな。

祐子●咲いている時間が短いということは、先が見えているというか、ずっとは続かないということがあるのかなあ。ペンタクルの9をどう読むのかなと思っちゃう。チャイムって鐘の音なのかな? 私のイメージでは「キーンコーンカーンコーン」みたいな音なのですけれど。

若之●そうですね。僕もパッとイメージしたのはその音でしたね。

祐子●そうすると金属の音なのかな。コインは金属ですね。

若之●そうかー、なんか全然、午後に咲いているのを見たことがあるような気がしているけれど。

祐子●でも、咲いているんじゃないですか。朝顔も花が残っていることがあるじゃないですか。あと、この後にある葡萄が薄目で見ると露草に見えなくもないかも。

若之●時期は重なりますよね。葡萄と露草は。

祐子●それから、この世界。大吉のカードのことを思うと、チャイムが鳴るのが待ち遠しいとかなのでしょうか。嬉しい連絡。

若之●なんか、昼休みの感じはありますね。

祐子●世界は大アルカナの最後のカードなので「上がり」みたいな感じがあります。

若之●この周りを囲んでいる緑色のものは何ですか?

由穂●あ、ここに書いてある。 マンドルラ?

若之●「楕円形の植物の輪は、キリスト教美術において、神を描く時の背景として用いられる」。マンドルラはイタリア語でアーモンド形を意味するのだそうです。四隅に描かれているものは、本来は4種の生き物だそうですけど、このカードでは全部猫なんだね。

天気●ああ、これね。牛と人、これ、人かな?

若之●人とワシとライオン。「ひとつのピークに到達する直前である」と、解説書にある。昼休みですね。

由穂●かつて生徒だった頃、昼休みって嬉しいものでしたよね。

祐子●午前中の授業に苦手なものが多かったんですかね。学校じゃなかったとしても抑圧されるような時間があって。

若之●きっとすごく美味しいお弁当があるんですよ。美味しい給食とか。

祐子●チャイムというとどうしても学校を思い出しますね。そして、学校だと思うと露草がいいですね。薔薇の花などより露草には学校らしさがあります。

若之●校舎の影とかのちょっと湿ったところに咲いているイメージがあります。

由穂●確かに。ソードの8の足元にも水たまりがあって湿っていますね。

祐子●相当、午前中が辛いんでしょうね。

一同●あははははは。

天気●どのカードのこと? ソードの8? 辛いのか、あるいは退屈なのか。

祐子●あ、退屈。それもありますね。目隠しされているから景色も見えないですしね。

天気●興味が閉じ込められている退屈さ。授業がそうだよね。ちゃんと受けていたら窓の外くらいしか見えない。チャイムって他の音よりも染み渡る感じがありますよね。

祐子●時間が終わったという感じがあります。

天気●音色が空とか空気に染み渡る感じ。だんだん、すごく良い句に感じてきた。

祐子●「色滲ませてゆく」とありますが、色だけではなく音も滲んでゆく。

天気●チャイムってそういう作用があるような気がするな。

若之●露草の色って、わりと色合い自体は濃くて重たいといえば重たい感じ。ただ、それが滲むと明るくて発色の良い色、それこそ世界の背景にある水色みたいな色になる気がします。重さ・暗さから明るさへの転換みたいなイメージで読めそうな気はします。

祐子●露草の花の色はペンタクルの9の葡萄の色合いに似ていますよね。

若之●そうですね。花の色合いは葡萄の色みたいですね。

祐子●それが滲んでくるともっと明るい青になる。チャイムにも色々あって、曲が流れるようなものもあると思うのですが、ペンタクルの9の金貨を見ると、キーンコーンカーンコーンという金属音なのかなと思います。それからさっき占った時もそうだったんですけれど、今回も感情が管轄のカップのカードが出ていないのです。この句は、情緒のある景色だと思うのですが、そんなに湿っぽくないのかなとも。「滲ませて」と言われると情感がたっぷりな感じがありますが情感に訴えてゆくということとは少し離れているのかなとカードを見ていると思います。

若之●実際、句の仕立てとしても、感情がどっとあからさまに出てくるというタイプの句ではないから。

天気●感傷は感じるよ。

若之●そうですね。センチメンタルな感じというか。

天気●チャイムと露草の属性かもね。やっぱり、露草の色とか小ささがチャイムと合わさると切なさや感傷は感じるね。それこそ染み入る感じの。

若之●いいですよね。

祐子●染み入る感じや感傷ということでは、ソードの8のカードにそれを感じるかなあ。

天気●ソードの8は解説書ではどう説明されているの? 他のカードの比べて絵柄が明示的じゃないですか。

祐子●身動き取れないですよ、みたいな説明です。「女性が目隠しをされて縛られている。おまけに、剣に囲まれて身動きが取れない、にっちもさっちもいかない状況だ。このイメージは、占いに向き合う時の多くの状況にあてはまるのではないだろうか」とあります。

天気●占いをしてもらいたい時は、いつでも、そういう時ですよね。

祐子●どうしていいかわからないっていう状態なんでしょうね。

天気●でも、解説書に書かれていることって、いかにも占いであり、サジェスチョン的で、あんまり俳句の読みには反映させたくないですよね。まぁ、普通そうなるよね。占いって本当は実用だものね。なんか、おみくじみたいなことが書いてある。

若之●あー、そうですよね。こっちの解説書には「八方塞がりの沼地」って書いてあります。

由穂●水たまりが彼女が流した涙となっている。

若之●本当だ。涙でできた沼地って書いてありますよ。

由穂●足場が固まっていない感じ。

天気●この句が?

由穂●テーマが、でしょうか。

若之●なるほど、解説書によるとソードに情報というようなことを読み解くんですね。さっきの句の時に出てきたナイトもそうですけれど。周りに情報が溢れていてかえって身動きが取れない。

祐子●それ、授業中という感じがありますね。

若之●しかも目隠しをされちゃっているから結局、この人はその情報を受け取れない。そういうことみたいです。

天気●露草にもチャイムにも含意が多い。その意味の他に副次的にくっついてくる意味が多いような気がしますよね。チャイムというだけでなんか色々なものを呼び寄せるじゃないですか。さっき話したみたいな。それも割合、若い時のことを思い出すし。露草も他の花に比べて含意があるような気がする。

若之●そうですね。

祐子●チャイムというと私は学校を思い出します。

天気●露草にも道端みたいなイメージがある。学校の周りとか帰り道とか。僕はすぐに帰り道をイメージしましたね。帰り道の路傍。

祐子●あと、細い道を思い出します。広い大通りとかではなくて。

若之●うん、うん、うん。

天気●露草には地域的なこともあるのかな。仙台では露草はよく見かけた?

由穂●ありましたね。

天気●僕は関西なんだけど普通にものすごく頻繁に目にする花だった。

由穂●群生しますよね。一輪だけではなくて。

祐子●ただ、露草も見つけるまでは他の草に紛れてあまり見つからないのに、一度見つけるとたくさん生えているなと思うことが多いです。子供の頃は花を摘んで水につけて色水を作ったりしていました。

由穂●そうそう。私もしていました。

祐子●だから水と親しい感じがします。

天気●字も「露」だしね。日本語の「露」は含意がものすごく豊富だよね。

若之●和歌の文脈が全部乗っかってくるから。

天気●露の世、露の身。

祐子●涙とか。

天気●儚いもの。

祐子●露草の花も小さいですしね。さっきでた情報が溢れているという話、それを思うと情報に溺れているという考え方もできるのかな。溺れている人は小さい感じがするので露草の花の大きさとリンクするようにも思います。断定するのもあれですが、どんどん授業という気がしてきます。

天気●まぁ、それが一番のイメージかね。

若之●ですかね。

由穂●露草は、さっき話した、色水遊びをした花という印象が強いんですよ。だから「滲ませて」という言葉が出てきたのですけれど。その遊びの時に出てくる色がカードに出てきたなっていう。

若之●3枚のカードに共通する青ですね。

由穂●あと、色水にクエン酸を足すと紫色にもなる。そういう遊びをやっていたその色なのですよ。だからカードの色が露草っぽいなと思っていました。

祐子●確かに、色はそうですね。露草から色水を作って遊ぶとなると結構な量の露草が必要ですよね。収穫するという言い方はおかしいけれど、露草の花をたくさん集める。今の話を聞いて収穫という意味でペンタクルの9に関係してるかなと思います。

若之●たくさん生えているところからたくさん取るんですよね。8と9は近い数字だから、そのぐらいの数なんだなって。

祐子●授業中に色水作りたいなとか思っているのかな。でも、そんなストーリーに寄せる必要はないですね。あと、大アルカナの世界が出ているということは綺麗な色なのでしょうね。もう忘れてしまったけれど、色水を作るとき、あまり綺麗な色に出ないってこともありましたっけ? 失敗とかはないのでしょうか。

由穂●どうでしたかね。色水はどうかなぁ。長く置いておくと澱んでしまったりすることもあると思うのですが、露草自体は萎んでくしゃくしゃとなってしまっても青さは残っている。

若之●たぶん、「色滲ませてゆく」だから色が出た時の一番綺麗な色ですよね。

祐子●ちょうど一番いいところ、ピークですね。

若之●フレッシュな青さなのではないかな。

祐子●もし、かなり感傷的に寄せて読むとしたら、さっきも露の身とか露の世の話が出ましたけれど、悲しいことがあるというか、涙の色というか、そういう色が滲んでいてそれがチャイムによってリセットされる。そういうストーリーとしてもこのカードを読むことができるのかなとは思います。自分が露草みたいに小さくて儚い身だと。私、あまり俳句をそういう雰囲気で読むことがないので、自分で言っていて変な感じですが。俳句を鑑賞する時にストーリー仕立てにして読んだりすることはありますか?

由穂●うん。結構します。

若之●どうかな。句によります。

由穂●鑑賞する時、言葉にする時は違うかもしれないのですが頭の中ではストーリーを仕立ててしまうことはあります。

天気●この句でも?

由穂●この句はちょっと自作すぎて。

祐子●私は、この句だけを読んだ時には、今言った自分が露草のように小さい身なのだというようなことは思わなかったのですが、今回のようなカードが出てくると、そういった心情みたいなものに寄せてしまいたくなるところはあります。

天気●背景を呼び寄せるのかな。句だけ読むなら、人は全く出てこなくて、景色だけ。

祐子●私も句だけならそうです。

天気●でも、こういうカードが出てくると……というわけ?

祐子●そうです。なんていうのかな、ちょっと出てきたカードがドラマチックすぎるんですよね。チャイムの音がするなっていうだけの景色にしては。どうしても少しストーリーを考えたくなってしまう。

天気●例えば、句が出てくるまでの経緯とか背景はドラマチックだけど、句として出てきた景はそういうものではなく、すっとムードを詠んだものとなっている、ということですね。

祐子●そうです、そう言いたかった。ありがとうございます。

天気●作者のドラマをカードが暴いたということだ。

祐子●作者本人なのかどうかはわからないけれど。

若之●句の主体が。

天気●この句が出来上がるまでの経緯ね。

祐子●そうなのかなって。

若之●そうですよね。この句だけパッと渡されたら音の質感の方に話は終始するもんな。音の質感と色との。だから、こういう句を読むとき、普通の鑑賞だと、ある種の共感覚みたいな方に向かっていくのだけれど。背景の話をつけないとカードとの折り合いがつかない。

祐子●その時に露草というのが、さっき天気さんも言っていましたけれど色々な意味を持ってきてしまう。単に咲いているというだけではない他の意味を連れてきてしまう。

天気●季語ってまあ、そういうものなのだけど。ただ、露草は季語を離れても含意が多いということはあるよね。尚且つ皆が知っていてイメージしやすい。わりあい強力なモチーフというか季語だよね。けど、あんまり使わないよね。

若之●下五に置きにくいんですよ。だから何かと取り合わせるとなった時にはちょっと置きにくい。

祐子●私は露草の句はあまり作ったことがないです。結構、難しい。

天気●「露草や」とできるでしょ。

若之●できるんですけど、露草はキャラが強いので上五に置くと露草の句になりがち。

天気●なるほどね。伝統的な季題を詠むみたいになっちゃうんだ。でも、この句は季題を詠んでいると言えるよね。

若之●この句はわりとそうですよね。仕立てとしては。

天気●チャイムが主眼だけれど季題には沿っている。ちょっと俳句タロットからは離れちゃうけど句会に出した時にこの句の反応はどうだった?

由穂●句会の皆さんの反応ってことですか?

天気●はい。僕はうまい句だと思う。ムードの句だけれどなんか好きな句。だからきっと句会で出たら採ると思う。でも、ムードの句は句会での反応は? これ句会に出したんですか?

由穂●出したと思います。この句に限らず、共感覚みたいな句は時々作ることがあるのですが、わからないという人もいるし、いいなという人もいて、好みがはっきり分かれてしまいます。

天気●ムードの句はそうなのかな。具体的なことを詠んでいないし、うまく描写した句でもない。ムードの句というのはそうなるんだね。そこは個人的に興味があった。でも、取り合わせとかバランスとか書き方によって気に入る、気に入らないというのがあるんですよね。僕は俳句のテクスチャーを重視するからこの句にはテクスチャーがある。別に描写している句ではないけれど質感があるから好きな句。

由穂●テクスチャーとか質感とかムードが良いと思った時に、説明する言葉を自分が持っていないことがあって。そういう時に選句の難しさを感じます。句をとって発言を求められたらどうしようというブレが生じる。句会という場では。

天気●それはね、どんどん無くした方がいいですよ。

由穂●そうですよね。

天気●それこそ、俳句のというか句会の本末転倒だと思う。そこは「テクスチャーが良い」でいいんじゃないの。

若之●うん。それでいいです。

由穂●言語化ができない外側のいいと思った感覚を掴んだらその句はとった方がいいんですよね。

天気●だって、「質感」と言語化できているのだもの。でも質感を質感というだけで、それがザラザラしているとかネチョネチョしているとかではないから。言葉の質感だから。質感と言えばそれでいいんじゃないかな。

祐子●そういう時、「なんかいいと思いました」って言ってしまう。

若之●いや、いいんですよ。いいんですよ。

天気●「好き」とだけ言っておけばとられた方も喜ぶ。良いとか上手いとか言われるより、好きな句って言われるのが一番嬉しい。上手いと思うけど好きにはなれないって言われても嬉しくない。

祐子●そんな風には言われたくないなー。

若之●そういうこともありますよ。

天気●そういう作風だってあるじゃないですか。頑張って上手に作っているけど、好きかどうかって言われると好きじゃないなって。昔からそれは問題でね、もっとはっきり本末転倒なケースもありますよ。当てられた時に説明のしようがないからとらなかったとかね。とっとけばいいのに。

由穂●そうですよね。この句とりたいけど、ちょっとどうコメントしようかなというところで逡巡してしまうことがあって。いや、最終的にはとるんですけどね。

天気●うまくコメントするということを考えすぎなのかも。それは個人がというより句会の雰囲気もありますね。

若之●ですね。

天気●本当は選句の時点でほとんど終わっている。鑑賞以前にとっちゃうという句もあるから。選んでるというところで終わっている。

若之●句会の話になってしまいますけれど、鑑賞しにくい句ほど点は入れてあげたほうが良いんですよ。とりあえず、これはいい句ですよっていうことを伝えるには点を入れるしかない。話しにくい句ほどそうなんだよな。本当は。

天気●自分の一票が重要になってくる。これは誰が話しても同じ褒め方になるという句は、ほっといてもいいわけで。違う言い方をすれば、どこに出しても恥ずかしくない句は別にとらなくてもよい。外に出したら恥ずかしいっていう句がこの場での意味になる場合があるからとる。でも、外に出しちゃだめよ。

若之●あはははは。外に出しちゃだめなんだ。話を少し戻すと、タロットカードを使って鑑賞すると、この句でそんな読み筋があるんだっていう読み方をしましたね。

祐子●だって、出たカードがドラマチックすぎるんだもの。

天気●でも、読む時に人を持ってこないと気が済まないという読み方をする人もいますよ。この句も、露草をどこで誰が見ているのかみたいなね。

若之●人が読みに入ってくる余地は大いにある。「滲ませてゆく」はかなり人間の気配がする表現ではあるから。チャイムも人間の世の中のものだし。そういう意味では人間が入る余地があるから、この読み方も成り立っている感じはする。

天気●この句には聴覚と視覚がかなりしっかり入っている。

祐子●句だけを読んだ時は、露草の色が水に溶けて滲んでゆくということと、チャイムの音が広がってふわーっとしてゆくことだけを感じました。

若之●色と音がオーバーラップしてゆく。

祐子●人がいるのかもしれないけれどあまり人の気配を意識しないでいました。

若之●そこはすごく同意です。そうなはずなんです。滲ませてゆくとかチャイムにもそこまで比重をかけた読みはしない。チャイムに比重をかけないというよりは、チャイムが人間世間のものだということに比重をかけないのだけれど。タロットカードがあると、そっちがむしろ際立ってきて、その読み筋が案外この句でも成り立つということを教えてくれる。

祐子●それが良いことなのかどうかはよくわからないけれど。

若之●一周回っていいのかも。普通だと、俳句は人間世間にずぶずぶになっている感覚をちょっと違った角度から捉え返すためにあって、たとえばこの句なら、露草の色が滲んでゆくところにチャイムがオーバーラップするところで、チャイムが普段の日常の意味合いではなくて音そのものとして感じられる。そういう風に、人間の文脈から切り離すということが俳句の一つの面白みなのだけれど、カードがあると、むしろ、我々は俳句を人間の文脈から切り離して読みがちですよねってなって、もう一回、人間世間に引き戻した時にどうなるのって話になりやすい感じがします。普段の俳句の読み方とちょっと違っている。

由穂●すごく俗的というか、チャイムってなんで鳴るんだっけみたいなところに立ち返って考えることになった。そこから切り離して俳句にしているはずなのに。

若之●俳句という枠組みによって自動化されているものを異化したのだけれど、俳句の読みにおいて異化の仕方が自動化されているから、タロットを使って、もう一回、その異化の仕方を異化しましょうみたいな。そういう話になっている。

由穂●そもそもの着想みたいなを話してみてもいいですか。句会で名前を開けた後に「こういう思いで作りました」っていうとちょっと恥ずかしくなってしまうやつを言います。先ほどチャイムの時間帯の話も出たので、自分でもそうだったと思い出したのですが、私は朝のイメージで詠みました。一時、東北の田舎の方に住んでいたことがあって、朝の6時半か7時くらいに農作業を始める人のためのチャイムというのが鳴るんです。結構、優しい音で一音一音丁寧な朝のチャイム。その村は、朝と正午と夕方にチャイムが鳴るのです。常にチャイムに淡く縛られている感じがあった。

若之●あー、なるほど。

由穂●その朝のチャイムがなった時に、露草という水っぽい滲みやすいものがその音に広がってゆくイメージで作ったのですが、その根底にチャイムがどの場所にいても鳴ってしまうという閉塞感、息苦しさが当時あったので、ソードの8のカードはなるほどと思いました。

若之●農作業だと、もろにペンタクルの9のカードですよね。

由穂●みなさんが鑑賞したのは学校のチャイムでしたけれど、やはりチャイムというものは区切ってくるもの、縛ってくるものというイメージシンボルでもあるのかなと思いました。

天気●時報だね。時報と書いてチャイムとルビだね。

若之●うーん。それは、どうかな。

祐子●そこには何年くらい住んでいたのですか?

由穂●3年間です。でも作ったのはもっとずっと後で、大人になってからです。作り終えてみると着想などは手放してしまうので、聞きながら、あれ、どうやって作ったっけと改めて思い出しました。今回出たカードは着想の部分だったのかなと思います。

(了)


2026-09-06

岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔前篇〕

俳句タロット2026
福田若之×千倉由穂〔前篇〕

記事化:岸田祐子


〔前口上〕
タロットカードで一句を占う。その第2弾。占い師は岸田祐子さん、占ってもらうのは、千倉由穂さんと福田若之さんの各1句。出現したカードを眺めつつ、岸田祐子さんに導かれ、みなであれやこれやとおしゃべりしました。(見物人・西原天気)

◆

手書きの@が細胞みたいで雨で春で 福田若之


一枚目「ペンタクルの9」・2枚目「ソードのナイト」・3枚目「ワンドのペイジ」

岸田祐子●タロットカードでペンタクルというのはお金とか土地などの財産や現実的なものを扱います。俳句ではないものを占っていたとしたらペンタクルの9は、努力が実るとか、やってきたことが形になるなどと言いたくなるカードです。ソードは理論とか知識を扱います。ナイトは青年期を表すので、勢いのある年代です。なかでもソードのナイトは、四人のナイトの中で一番スピード感のあるカードです。最後の一枚がワンドのペイジです。ワンドは棒のことなのですが情熱とかやる気とかそういうものを扱います。ペイジは小姓でまだ未熟な人を表します。ですから、これから何かを始めるという感じがします。情熱が芽生え始めるとかなのかな。どれもポジティブなカードです。けど……、難しい。

一同●笑い

祐子●でも、まずワンドのペイジが春っぽいなと思いました。

福田若之●ですね。

祐子●空の雲の色がピンクですし、桜のようにも見えてきます。新しいことを始めるという意味があるカードなのと、進学とか進級など世界が新しくなるということが春にはあるので。だけど、スピード感は私はこの俳句にはあまり感じられないかなぁ。@は金貨の形に似ていますね。

西原天気●スピード感があるって出ているのですか。

祐子●ソードのナイトのカードは速いです。

天気●後半の「で」にスピード感がありますね。

祐子●「みたいで雨で春で」と「で」をたたみかけるということですか。

天気●そう。そこで加速しますよね。

祐子●なるほど。言われてみれば。

天気●と、こじつけてゆくのが……。

若之●俳句タロットなわけですね(笑)

祐子●そうです、そうです!

天気●記号論とか象徴論とかも使いながら。だからその辺、脱線しまくっていいと思いますよ。前回は贈与論の話まで出たんだから。

祐子●あと、今、思ったのですが「@が細胞みたいで」とありますから9個に分裂したのかなって。@の形と金貨の形は似ていますし、細胞が分裂して増えることを実りと言っていいのか分かりませんが。

天気●言っていいでしょう。

祐子●そうしたらやっぱり、それはペンタクルの9が「細胞みたいで」というところに合っているのかなと思います。

千倉由穂●手書きで書いた時の走り書きの感じにスピード感が出ているのかなと思います。この俳句だけだと一つのメールアドレスを書いていたのかなと思ったのですが、9が出ているので沢山のメールアドレスを書いているのかもしれません。だとしたら@が連なっているとも考えられそうかな。@って、メールアドレス以外に何か使いましたっけ?

若之●手で書く場面というと僕もメールアドレスを教える時を想定していました。あとは、若者言葉的には「どこそこに居ます」という時に@を使います。

祐子●@にはそういう意味があるのですか。

若之●もともと@はアドレスを示すためのマークなので。

祐子●@のことをアットと言いますか?

由穂●アット西国分寺みたいに言います。

祐子●そっか、実はこの句はアットと読むのかアットマークと読むのかどっちかなってちらっと思ったんですよ。だけど@のことをメールのアドレスと思い込んでしまったのでアットマークって読んでしまいました。

天気●あぁ、でも人に伝えるときはアットマークって言うよ。

若之●そっか、そうなんだ。僕は自分で言うときは結構「アット」って言うんですよ。

天気●ただ、意味的にはどこそこに居るということですよね。9と結びつけたいのですか?

祐子●私はペンタクルの9のカードにある金貨の絵と@が似ているなって。ただ、アットと読む方が17音の定型に近いのかなって。

若之●定型には近いですね。

天気●他のカードは何が出ているんですか。

祐子●ソードのナイトとワンドのペイジです。ソードは決断や理論、知識、情報が管轄です。ナイトだから肉体的に一番充実している年頃の人。特にこのソードのナイトは速いです。スピード感に溢れる。ワンドは情熱とか勢い。ペイジはまだ幼い。未熟だけれど純粋無垢。

天気●ワンドのペイジのことを思えば、この句の口調は成熟というより無垢な感じがありますよね。若之くんの青春っぽい句はみんなそうだけど。

若之●「いいさし」という感じですよね。

天気●ソードのナイトは馬で速いのだからメールと合います。

若之●まさしく、情報の速度。

天気●スネイルメールより速い。

祐子●スネイルメールって何ですか?

天気●蝸牛のメールということで紙の郵便のことをスネイルメールって言います。最近は言わないの?

若之●言わないですね。

天気●昔は電子メールと区別をつけるためにこの言い方をしたんです。

若之●ソードのナイトはやっぱりそういうイメージなのかな。句の内容に関わるイメージが先に立つのかなと思います。

祐子●確かにそうですね。@がメールのことだとしたら情報ですものね。

由穂●手書きのスピードと、とりあえずここにメールアドレスを書いてということで、関係性が急速に近づく感じがあります。

祐子●もう、急いでむにゅむにゅむにゅって書いている感じ。

由穂●関係性が始まる感じもあるかなと思います。

若之●このタロットって背景の図柄にも何か意味があるんですか。

祐子●あります。例えば、ペンタクルの9だったら果実が実ってて天気も良さそうだとか。ソードのナイトだと天気は少し不穏な感じだけれど足元に花が咲いているとか。そういうことを細かく見てゆきます。

若之●ワンドのペイジの背景にあるピラミッドがすごく気になっていて。

祐子●何でしょうね。でもこのカードで出てくるピラミッドはなんとなくポジティブな感じがします。

天気●エジプトのピラミッドですよね。

祐子●灼熱の世界がワンドの世界なんですって。灼熱が情熱だと思うのですけど。だから砂漠なのかな。

若之●なるほど、そう繋がるんだ。そうしたら細胞の中に熱があるんだ。たぎってるんですね。

祐子●ペイジだと若いってことだから、フレッシュな細胞がどんどん生まれているのかなぁ。死んでゆく細胞ではなく生まれてくる細胞という感じ。

若之●由穂さんがさっき、走り書きの感じがって言っていたけれど、走り書きの@は元気な細胞にも見えるのかな。

由穂●躍動感がありますね。なんか、どんどん思考が広がってきて面白いです。カードを手がかりに句を読みたいのに、自分の中でまだ俳句とカードがうまくつながっていなくて、分裂しています。だから、これから言うことはここだけの話となってしまうかもしれないのですけど。この句は@という文字の形が特殊なので、どうしてもそこに目がいってしまいます。でも、むしろ、この句の一番のわからなさは@を「細胞みたい」と言っているところなんですよね。

天気●その理由をカードに聞いてゆくという集まりです。

由穂●わからなさのヒントはカードの中にあるんだろうけど。

祐子●細胞、細胞、そうだなぁ……。

由穂●細胞には怖さもありますよね。増殖したり。

祐子●そういう意味で考えれば、実ってゆくということは増えてゆくということですよね。

由穂●よく見るとペンタクル9のカードの金貨の奥に葡萄みたいなものが描かれていて、それが細胞っぽい怖さがあります。

若之●ありますね。

祐子●この葡萄みたいなもの、見た目も細胞っぽいですね。

若之●ペンタクルの9って、実りとか富とかっていう意味なんですかね。

祐子●このカードはそういう意味です。こういう数字のカードは小アルカナと言います。小アルカナは1から10までの数字札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングという4枚の人物札で構成されています。小アルカナの数字札は1から10までなので、9はもう終盤の数字です。かなり実っていて結構収穫があるよというカードになります。

天気●ペイジってどういう意味でしたっけ。

祐子●小姓、まだ子供です。

若之●さっき、天気さんが贈与論の話をしたのでそれに引っ張られてしまっているのかもしれないのですが、貨幣というものは交換するものだから@が貨幣に似ているというのは、何かと置き換えできるということなのかなぁと。

祐子●手書きの@が何かに置き換えできるってことですか。

若之●メールアドレス。メールアドレスって結構変更したりしますよね。

祐子●そうだ。ずっと同じアドレスとは限らないですね。変わったりしますね。

若之●あ、あとは、アドレスを交換するということができるか。多分、片方だけがメールアドレスを教えて終わりっていうことはあまりなさそう。お互いに教えあう。

由穂●今調べてみていたのですが、@は会計において一般的に用いられる記号らしいです。

若之●え、会計で使うんですか。何を表すんだろう。

由穂●主に単価あたりの金額を表すそうです。例えば、@1000円と書いたら一単位あたり1000円ということです。

祐子●へー、知らなかった。じゃあ本当にお金というか価値って感じですかね。住所とかも価値といえば価値かも。

若之●はははは。もしかしたら、これ、面白い読みになるかもしれませんね。

由穂●もともとは請求書などに用いられていたのだけれど、レイ・トムリンソンという人が電子メールアドレスに用いて、1990年代以降に広く普及したみたいです。ちなみに、私と若之さんは同い年で1991年生まれです。

祐子●じゃあ、生まれた頃にはもう@が電子メールで広く使われるようになっていたのですね。それ、細胞分裂して変わっていったんですかね。

若之●記号の意味が育ったんだ。

祐子●手書きで@を書き続けるとだんだん疲れてきてぐにゃってした@になったりしそうじゃないですか。そういう間に@の意味がまた別のものに変わってゆくのかもしれないですね。それって細胞分裂みたいな感じがします。

若之●育ってゆく感じがします。@の意味の変遷が普通に面白い話だな。これ、知らなかった。

由穂●国ごとに意味が違うみたいです。さっき出てきたスネイルメールの蝸牛もそうですし、アヒルとか。見立てる形によって違うみたいです。一つの記号にいろいろな意味が入っていますね。

祐子●@は意味が固定されていた訳ではなかったのですね。それはご存知でしたか?

若之●いやいや、知らない。知らずに作っていました。

由穂●ワンドのペイジはソードのナイトの見習いなのですか?

祐子●タロットではそういう上下関係ではないと思います。ペイジ、ナイト、クイーン、キングはそれぞれのスートにいる人物カードです。タロットカードの小アルカナは4つのスートに分かれています。トランプと似ているのです。ハート、スペード、クラブ、ダイヤの4つにトランプが分かれているようにカップ、ソード、ワンド、ペンタクルの4つがあるので、ワンドとソードではスートが違いますね。

天気●ダイヤは槍なのかな?

祐子●ダイヤはお金のことです。スペードがソードで、クラブがワンド、ハートがカップです。今回の占いでは出てきませんでしたがカップは気持ちや感情を表します。この句には春や雨といった情緒的な言葉がありますが、情緒はない。

若之●ほんと!? それは、まことですか(笑)

祐子●カード的には情緒の要素は出ていないです(笑)

由穂●でも、ワンドのペイジの背景に春めきを感じるという話も出ましたよね。

祐子●春めきは感じますけど、気持ちのカードは出てきていない。だからわりとドライなのかもしれないですね。景色は綺麗なのですけれど情感たっぷりというわけじゃないというか。

若之●あー、そうかも。

祐子●でも、ドライって言っても冷たい訳じゃないと思います。情熱はあるから。

若之●難しい(笑)

天気●湿っぽくない。

由穂●タロットに季節感を見出せる場合もあるのですか?

祐子●あると思います。ペンタクルの9のように実りとか収穫とかなら秋のイメージがあるし、花が咲いていれば春っぽさを感じます。私は、ワンドのペイジが被っている帽子についている羽に春らしさを感じます。ピンクとオレンジでふわふわしている。この後のピンクの雲が桜にも見えます。今日ちょうど、桜が咲いていたこともあってそれに引っ張られているのかなとも思いますけど。

天気●これは単なる興味で聞くのですが、図像という意味ではどのタロットカードも共通なんですか?

祐子●共通していません。一般的なというか多くの人が使っている図柄というものはあるのですが、新しい作家が新しい解釈で新しいカードを作っています。タロットカードによって絵柄は全然違います。私が使っているものは一番ポピュラーなライダー版というカードに準じたものです。

天気●じゃあ、今、使っているカードで占う時には背景が春っぽいとか感じてもいいけれど、そうでない場合は背景に何が描かれているかにはあまり意味がない?

祐子●そんなことないです。出てきたカードを見て読み取ります。

天気●そのカードの色合いから何かを読み取って構わないということですね。

祐子●そうです。

天気●もし、変わったデザインのカードを使っていたとしても、それはそれで読むと。

祐子●例えば、これが結構使っている人が多いと言われているライダー版の「ワンドのペイジ」の絵柄です。ペイジを比べてみるとこんな感じです。私が使っているカードは人間が猫になっています。


天気●ライダー版は、もっとおどろおどろしいんですね。

由穂●ライダー版のペイジは棒というより杖みたいなものを持っていますね。

祐子●そうですね。私が使っているタロットカードはライダー版に準じているけれどちょっと可愛くなっています。だけど、もっと全然違う絵柄のカードもあって、それは使う人が好きなものを選びます。あと、使う人にとって読みやすいか読みにくいかということもあります。もっとずっと抽象的な絵柄のものもあるので。

由穂●よく見るとカードの人物に表情がありますね。

若之●うん。それぞれの顔をしているな。ペンタクルの9のカードには鳥がいますね。何の鳥だろう。

天気●何の鳥かはわからないけれど、意味ありげだね。

若之●そうなんですよ。

祐子●鳥というと伝書鳩とかメールに繋げて考えられますね。

由穂●何か咥えてますね。

祐子●この鳥、どういう顔なのだろう。

天気●頭に何かついているようにも見える。

若之●ちょっとよく見ていいですか。えーっ、これどうなってるんだろうな。わかんない。

天気●解説書(をめくりながら)には何の鳥かは書いていないね。「鳥はいつでも飛び立てるけれど居心地が良いため好んで留まっている。女性もそうした自由な客を歓迎しているようだ」と書いてある。

祐子●自由に行き来できるというところにメールを思い浮かべました。

天気●確かにそうですね。ただ、まだ腕に止まっているということは送信済みではないのかもしれない。

若之●とりあえずメールアドレス伝えた段階ですから。

天気●そうしたら鳥がメールってことですね。

若之●ハゲタカみたいな鳥なのかな。

天気●猛禽類にしては小さいんだよな。

若之●ですね。ただ腕に止まらせる鳥といえば鷹狩などを思い出しますね。あっ!!! わかった、急にわかった。これ、鳥がこっち向いているんですよ。で、目が蠅みたいになっている。

由穂●オレンジが目なの? 仮面ライダーみたい。

天気●あー、わかる、わかる。だんだん見えてきた。

由穂●コンドルって頭に鶏冠みたいなのがついているからコンドルなのかも。

若之●肉食ですね。伝書鳩ではなかった。

祐子●ですね。でも、もし何かを運ぶとしたら速そうですね。

若之●かもめーるでもない。

天気●ペリカン便でもない。

若之●ペンタクルの9だけ女性なんですか?

祐子●はい。女性です。

若之●作った時の話をすると。2月に川柳作家の樋口由紀子さんが亡くなられました。その時にwebで追悼句会があって。参加してくださいと案内をもらっていたんですよ。3句出そうと思っていて、その時は仕上げられなくて出せなかったんですけど。この句はその時に出そうとしていたうちの一句をあとになって手直ししたものなんです。いわゆる追悼句ではないんですが、樋口さんのことを思いながら書いた句ではある。

天気●投句しなかったわけだ。

若之●出せなかったんですよ。出そうとはしたけど句が揃わなかった。それで、ペンタクルの9のカードに女性が描かれているので、樋口さん? ──ってちょっと思った。

天気●不達の投句だね。

若之●すっと立っている感じも樋口さんっぽいし。

祐子●届いてない投句、そうするとまだ鳥が飛んでいないのも説明がつきますね。3枚のうち女性が描かれたカードは1枚だけですね。

若之●ワンドのペイジの後に描かれているピラミッドはお墓だなぁとか。

祐子●確かに。

若之●自分では樋口さんへ向けた句という成り立ちがあったから、結構その辺りが気になりました。

由穂●体の向きにも意味はありますか? ソードのナイトとワンドのペイジはペンタクルの9の女性と向かい合っていますよね。

若之●ほんとだ。ペンタクルの9の女性に向かって運んでいるのかも。

由穂●ペンタクルの9以外はアイテムを持っているというところも気になります。

天気●ワンドのペイジからのメッセージをソードのナイトがペンタクルの9へ運んでいると考えられそうですね。

祐子●そうするとワンドのペイジが若之さんなのかな? だとしたら年齢差も。樋口さんの方が若之さんより年上ですよね。

若之●そうやって見ると符合してくるなあ。

祐子●そのエピソードは全く知らなかったけど……。当たりますね(笑)。

天気●手書きの@と樋口さんと何か結びつくものはあるの?

若之●感覚的なことで、樋口さんとの間で具体的に何かあったという記憶はないのですが、鶯谷駅前の定食屋で樋口さんと連句をまいたことがあったんです。樋口さんが捌きで。その時のことがすごく印象に残っているんですよね。何回かお会いしているんですけどその回が一番印象に残っている。たしか、初対面だったのかな。それまでも「ウラハイ」などで樋口さんが書かれているものは読んでいたので、ネットで先に知っていた。そういう人と実際にあって連句まいてということがとても印象的だった。あ、もしかしたら初対面はもうちょっと前にあったかも。でも、今となってはもうわからなくなってしまった。

天気●僕も樋口さんとだいぶ長いのに一番最初がどう出会ったか何も思い出せないんだよね。時間が経つと最初どうだったか思い出せないよね。

若之●そうですね。

天気●若之くんとの最初のことも全然思い出せない。覚えてる?

若之●ちょっと覚えてます。最初に会った時は、天気さんのご自宅でした。誰と来たかは覚えていないけど。

天気●ふーん。由穂さんのこともそのうち最初がどうだったか忘れちゃうよ。

由穂●その時、私が今日のこと話しますよ。でも、記憶って過去になるほど平たくなって、出来事の記憶の順番も前後してしまったりしますよね。

祐子●由穂さんと天気さんは今日が初対面ですもんね。ところで、樋口さんとは長いお付き合いだったんですよね? 最初のきっかけは覚えていますか?

若之●最初のきっかけは忘れてしまったけれど、知り合ってからはそれなりに長かった。ただ、「いつからですか?」って聞かれると明確な時間感覚がない。たぶん、やっぱり鶯谷がきっかけだと思う。

祐子●こういう話を聞くと、ペンタクル9の女性が樋口さんに見えてきてしまいますね。

若之●タイミングを見計らっていました。この話をしちゃうと他の話ができなくなると思ったので。

(後篇に続く)

2024-04-07

タロット占い×俳句=?

タロット占い×俳句=?

記事化:岸田祐子
補足説明:西原天気


〔前口上:西原天気〕

タロットカードで俳句を占う、と聞いて、頭の中が「?」だらけに。カードを繰るのは岸田祐子さん。こちらのウェブサイトの随所で「占い」が実践されているが、これを見ても、私の頭の中はまだすっきりしない。そこで、実際に目の前でやってもらうことにしました。
2024年3月9日(土)
参加者:細村星一郎、西原天気、太田うさぎ
占う人:岸田祐子
この日、祐子さんに占ってもらう俳句は2句。細村星一郎作と私・西原天気作から、それぞれ1句ずつ。まずは、どの俳句を占うかを決めるわけですが、せっかくだから当季がいい。かつ、偶然の要素があったほうがいい。そこで、私は、『はがきハイク』の既刊から春季のものを3通用意。数字を適当に言ってもらい(2枚の5句目、といった具合)、この句に決まりました。

汝(な)よねむれ巴芹に水のゆきわたる  西原天気

カードの山から出現したのは、次の3枚。

1枚目「魔術師」・2枚目「女教皇」・3枚目「ペンタクルキング」


祐子●最初からどう読もうかなっていうカードが出ちゃってますけど……。

うさぎ●このカードって王様?

祐子●はい。タロットカードは大アルカナの22枚と小アルカナの56枚で構成されているんです。大アルカナは物事の本質的な意味を象徴するようなカードで小アルカナはもう少し具体的な現実的な世界観を表すカードと言われています。今回出たカードでは魔術師と女教皇が大アルカナ、ペンタクルのキングは小アルカナ、キングだから王様です。

天気●カードに数字が書いてあるのが大アルカナ? このカードは猫の絵なんだね。

祐子●そうです。数字が書いてあるカードが大アルカナ。猫が好きなのでこのカードを使っています。

うさぎ●カードが出てきた位置も関係あるの?真ん中に出てきたらどうかとか。

祐子●このスタイルは私が考えたものなので、位置は決めていません。タロット占いは絶対にこう占わなくてはならないっていう決まりはなくて、自分で決めればいいだけなので占う人や占うことによってスタイルは様々です。例えば、三枚カードを引いて一枚目が過去、二枚目が現在、三枚目を未来というようにすることもあります。

天気●ペンタクルって?

祐子●ペンタクルは金貨です。小アルカナはワンド、ソード、カップ、ペンタクルの四つのスート(シンボル)からできていて、トランプのクラブ、スペード、ハート、ダイヤに対応しています。あと、西洋占星術の火、風、水、土の四つエレメンツにもリンクしています。ペンタクルは物質的なことが管轄です。

天気●土の範疇かな。

祐子●そうです。そうです。

星一郎●トランプの枚数と大アルカナで構成されて78枚ってことですか。

祐子●トランプは一組52枚、小アルカナは一組が56枚だから、全く同じではないけれど似てますよね。一枚目の魔術師は「準備ができています」っていうカードなんです。数字も「1」ですし。カードの絵を見てもらえるとわかると思うのですが、机の上にいろいろな道具がそろっていて、「もうスタートできますよ」というカード。この句は「汝よねむれ」って言っているんですけど、ねむった後に何かが始まるのかなって思いました。

うさぎ●「巴芹に水のゆきわたる」っていうのも始まる感じ、準備ができている感じがあるよね。

祐子●ですよね。二枚目は女教皇というカードで、これは「知性」とか「直観」のカードなんですけど。これどういう風に読めばいいのかな……。

天気●「巴芹」という表記には「知的」な処理がありますよね。「巴芹」という漢字からは中原道夫さんの『巴芹』という句集が思い浮かびます。パセリという表記にはこの漢字を当てはめるとは限らないのだけどね。

祐子●カタカナの場合もありますよね。

天気●カタカナが一般的ですよね。あとこの句の「ねむれ巴芹」までは金子光晴の『ねむれ巴里』なんですよね。「芹」を「里」に変えれば。だから『ねむれ巴里』とか「中原道夫」を入れ込んでいるというところに知的な遊びがある感じがするのかもね。自解になっちゃうけれども。

祐子●なるほど。そっか、そういうことなのかな。

天気●他の句に比べて知的な処理が多いですよ。

祐子●そうなんですね。あともう一つ女教皇のカードはスピリチュアルな感じもあるんです。知的なんですけど言語化できないみたいなところも含まれている。ここからは占いというより私の感想ですが、この句にはちょっとふわっとした不思議なイメージがあると思うので、そこに女教皇の感じがある気がします。三枚目のペンタクルのキングは「上がり」のカードなんです。キングはそのスートの一番最後のカードなので、一旦の結果となるカード。ペンタクルは現実的な利益などを表すので、このパセリがどんどん育ってゆく暗示、水がすごくゆきわたっているのかなって。

一同●あははははは。

天気●雨が降って?

祐子●雨が降っているのかどうかはわからないですけど。

天気●まぁ、二通り考えられるよね。一つは台所で食べる前のパセリを水で洗っている。

うさぎ●植えてあるパセリだとは思わなかったなぁ。

星一郎●僕も使う前に洗っているのかなって思った。

天気●じゃないと畑でねむることになっちゃうからね。

祐子●あ、あの、植木鉢とか。

天気●なるほど。プランター。どっちにしろ食べる手前だね。

祐子●キッチンにパセリの植木鉢があってそれがよく育っちゃったとか。

天気●あはははは。それが3枚目のカードってこと。

祐子●はい。私はこのペンタクルのキングが育ち感を出しているのかなって。

うさぎ●そうすると、寝る子は育つ的な。

祐子●うん、そうじゃないかなって思っちゃった。でも、ちょっと詩的な解釈とは言えないかもしれないけれど。あと、キングは最後のカードなので「結果」の状態と考えると、このパセリはふさっとしている。小さくちょぼちょぼ生えているのではなくて、今ちょうど食べ時ですよという頃合いなのかなって。

天気●美味しそうですよね。パセリが好きなんですよ、僕。残しているのって意外だなって。パセリって美味しいじゃないですか。

祐子●少し深読み過ぎるかもしれないのですが、魔術師のカードが出ているのでちゃんと設備が整っているところで育てている感じがします。例えばペヤングソース焼きそばを食べ終わったあとの容器に土を入れて育てているとかじゃなくて。

天気●あー、話がどこにいくのかと思った。ちゃんとした、ちょっとおしゃれな、ね。

祐子●おしゃれかどうかは分からないのですけど、相応しい道具というんですかね。植木鉢なりに植えられているのかなと思います。ところで、なにか質問とかありますか?

天気●質問って言われても(笑)。

祐子●例えば、このカードの意味ってなに? とかあれば。

天気●二枚目のカードってなんでしたっけ。

祐子●これは「女教皇」というカードです。私もこのカードはいつもどう読もうかなって思うカードなんですけれど。タロットカードの大アルカナは0から始まって22で終わるのですが、人の成長と同じような流れなのですよ。だから0は生まれたばかりの赤ちゃん。次の1はこれから歩き始めますよみたいな感じ。

天気●0から22なの?

祐子●はい。大アルカナは。

天気●あ、これは1と2が出たわけ?

祐子●そうです。

天気●すごい。僕は1から3くらいまでしかないのかと思っていた。あ、じゃあ23枚のうちの1と2が出たんだ。

星一郎●へーー。

祐子●だから成長の段階という感じがします。

うさぎ●ほーーー。

天気●「始まる」という感じですよね。なおかつ、魔術師で準備が整っていると。

うさぎ●良い環境で育っているってことなのかな。

祐子●女教皇は「知識」とか「知性」のカードなので、人間の成長でいうなら言葉を覚えはじめるとかそんなタイミングかなと思います。タロットカードの大アルカナは0の愚者から始まって21の世界でお終いですが、これは、人がこの世に生れ落ちていろいろな経験をしながら成長してゆくという物語になっていて、21まできたらまた0に戻る。これを何回も繰り返します。占いではこのサイクルは螺旋状に繋がっていると考えられているので、同じテーマが巡ってくるけれども、受け取る場所の階層は毎回違うという考え方。小アルカナも「1」から始まって「キング」で終わり。キングまできたらまた1に戻って、それを繰り返します。占いではだいたいこんな考え方をしています。

天気●そう聞くと、寝顔もわりとイノセントなというか。大人にせよ子どもにせよ無邪気な寝顔に見えてきますよね。

祐子●ですね。「汝よ」ってことは「誰か」ですよね。

天気●うん。「あなた」ですよね。ま、実際には文字数をどうするかということがあったんですけどね。「ねむれ巴里」というところから作り始めたから。

祐子●カードから見ると、この寝ている人はまだ若い、若いというか幼い。それは生物的に幼いのか精神的に幼いのかはわからないけれど、いずれにせよまだ幼い感じがします。私はペンタクルのキングはもりもり茂っているパセリのことかなと思って、魔術師と女教皇はねむっている人のことを示しているのかなと思いました。

天気●ねむっている人は始まりだけどパセリは完成しているってこと?

うさぎ●成長のはじまり?

祐子●はい。もしかしたらロマンティック過ぎる解釈かもしれませんが、水がゆきわたってパセリが大きく育ったように、ねむっている人にもこれから大きく成長してほしい。そういう願いみたいなもの。

うさぎ●じゃあ、祝福の感じかな。

祐子●そうです。そうです。

天気●祝福の感じはすごく嬉しい。「汝」に対して安心して眠りなさいという。それは嬉しいですね。

うさぎ●なんかララバイみたいですね。子守唄みたいな。

星一郎●この句は充実している感じがします。準備のカードもあるし。

祐子●ですよね。私もそう思います。

天気●準備から最後まで。

祐子●そういうカードがでています。

うさぎ●なんだろうな、俳句を鑑賞するときにいろいろな鑑賞のやり方があるのだけれども、タロットに頼る、頼ると言うと少し違うけれど、タロットで出たカードを読み取ってみて、一瞬自分を無にしてみる。そうすると思わぬ読みにたどり着くねっていうのもやり方の一つとして面白いかも。

祐子●私もそこがちょっと面白いかなと思っていて。俳句を読んで自分が感じたこととは全然違うカードが出ちゃうことがよくあるんです。でも占いって自分がほしい答えを求めてしまうと占いをする意味があまりない。出たカードはなるべくそのまま読むことがいいというのが私の占いに対する考え方です。タロットカードの意味は象徴なのでいろいろな解釈ができるし、解釈の幅は広いのだけど、ハッピーなカードはハッピーに読むし、厳しいカードは厳しく読む。そうしないとあまり当たらない気がします。まぁ、俳句を占って当たるってどういうこと? というのはありますが……。

天気●無理に引き寄せたりはしないってことですね。

祐子●そうじゃないと占う意味がないなって、私はそう考えています。

天気●僕がひとつ思ったのはね、言葉はまだ鳴ってなくて、器、器というか楽器みたいな感じに存在していて、カードを並べることによって、そこから初めて音が出て鳴り響くみたいなね。読者の中でね。とくに俳句なんかそうだと思うのだけど、文字が書かれていて意味はわかる、だけど言葉はまだ鳴っていないということがある。でも、鳴り尽くしている句っていうのは言い過ぎていると言われたりすることがあるじゃないですか。

祐子●鳴り尽くしているというのはどういうことですか?

天気●そこでもう言い尽くされている。

祐子●多くの人に鑑賞し尽くされているということですか?

うさぎ●その俳句自体が自己完結している。

天気●そう、書き尽くされているというかね。

祐子●説明が多い句ということですか?

天気●説明というか明瞭。

うさぎ●余韻、というか余白がないということかな。

天気●句会などで、ここまで俳句で言ってしまうことが良いかどうかという意見がでることがあって、鳴り尽くしている句はあまり良い句とはされないことが多いのだけど、分かりやすい句でもまだもっと鳴りそうな句というのがあって、そういう句は人に印象を残しますよね。

祐子●なるほど。

天気●いや、わかんないですけど。ふふふふふ。

祐子●ふふふふ。

天気●例えば虚子の分かりやすい句にしても全部すごく明瞭で十人いれば十人に同じことが伝わるけれど、まだ鳴り切っていないというようなことがあるのかな、とか。どうなんですかね。

祐子●こういうことやるのは今回が初めてなので。

天気●はじめてなの? え、どういうこと、どういうこと。でも俳句は占っているんでしょ?

祐子●俳句は占っていましたけれど、今まではひっそりと自分一人で占っていました。

天気●あー、セッションが初めて。

祐子●はい。

天気●そう、でもそれはいいかも。聞き手がいるっていうのが。

祐子●ずっと一人で占っていたんですけど、セッションでやってみたいなって思い始めて。それで、今回お願いしました。

天気●それ、意味があるかも。

祐子●え?! 意味がありますか?

天気●だって、一人の読みよりも聞いている人、タロットの岸田さんの説明を聞いている人があるというのはすごく意味があると思う。

祐子●よかった。

天気●ここに集まった三人もみんな違うことを思うだろうし。

うさぎ●うん。

祐子●やっぱり、いろいろな方に来ていただいて良かった。なんとなく二人っきりでやるより他に人がいてくれた方がいいかなとは思っていたんですけど。

天気●それはいいと思う。作者と岸田さんだけだと作者はどうしても自解になるから言いにくいところあるしね。でもこの句は引用元を言いたくなるようなところがあるから、言っちゃうけどね。

祐子●解説?

天気●解説というか、ここはこういう風に仕掛けたんですよって。この句は仕掛けの多い句だからね。

祐子●「ねむれ巴里」のところですよね。

天気●「ねむれ巴里」から作り始めて、「ねむれ」で切りたかった。そうするならどうしたらいいかってなって、上にも文字をつけて、巴里ではないものを探したら巴芹ぐらいしかなかった。それで巴芹となった。

祐子●あ、だとしたら、カードに照らし合わせると二枚目の大アルカナと三枚目の小アルカナの間が「切れ」だということになりませんか。ちょっと無理矢理かな。

天気●おー。

うさぎ●へー。

星一郎●確かに。

祐子●一枚目と二枚目は「1」と「2」で続きの番号できているし、そもそもこの二枚は大アルカナなので、小アルカナとは分類が違うし。大アルカナと小アルカナの間に切れが入っているのかも。大アルカナの方は小アルカナより大きな時間軸なのかもしれない。

天気●大アルカナの二枚を一組で考えるというのは面白いかもね。この句は意味的には「汝よねむれ」で切れて「巴芹に」と続くわけだけど、作り方の仕掛けとしては『ねむれ巴里』があるから「ねむれ巴芹に」までが一つというね。「水のゆきわたる」は後で意味が通じるように付けたぐらいのあれだからね。そういう意味でも外観上の切れと作る時の手順の切れが違うという句だよね。

祐子●今回、初めて俳句の「切れ」をタロットカードが示すのを見ました。

一同●あははははははは

祐子●天気さんの話を聞きながらカードを見ていたら、カードでこんなふうに「切れ」が現れるのかって思いました。こういうことを見つけると占いって当たるなって思っちゃう。当たるっていうか、まぁ、妄想なんですけど。

うさぎ●なんか納得するというか、合点しちゃうというか?

祐子●はい。占いのこういうところが楽しいです。

うさぎ●これ、大アルカナの1と2で始まって、小アルカナではキングが出て、キングが「終わり」っていうのがちょっと面白いなと思って。

祐子●そうですね。大アルカナの方は「汝よねむれ」と言われている方の人生というか、長い時間というようなことを表している気がします。大アルカナは人の人生を表していると私は思っていて、小アルカナはもうすこし具体的なことというのかな、身近なところを細かく見てゆくというカードなので、そこにも「切れ」がある。

うさぎ●うんうん。

祐子●「水がゆきわたる」というのは具体的な感じがします。「汝よねむれ」も具体的なことだとは思いますがイメージ的なところもあるので、「水がゆきわたる」は具体的なことを示す小アルカナっぽさがあるなと思いました。ちょっと無理矢理な解釈かなぁ。

天気●まぁ、「汝よねむれ」はムードだものね。

祐子●ムードがありますよね。あと、一晩だけではなくて、そこから繋がってゆく時間、来年も再来年も十年後もずっとという長い時間を感じました。「汝よ」と言われている人の人生はこれから始まるんだよというのが二枚の大アルカナで示されているのかなって。えへへ。

うさぎ●なるほど、面白いね。

祐子●もちろん、この解釈が正解ですというようなことでは全然ないです。

星一郎●なんか、新しい読み方みたいな感じですね。

祐子●ね。「ね」って言っちゃった。

◆

さて、次は、細村星一郎さんの句です。「放蕩」10句から、次の句です

放蕩のわたしに水の汽車が来る  細村星一郎

出たカードは、次の3枚。

1枚目「ワンドの2」・2枚目「カップのペイジ」・3枚目「ソードのナイト」


うさぎ●あら、みんなかっこいい猫たち!

天気●小アルカナだけが出たということ?

祐子●はい。今回は全部小アルカナです。

うさぎ●ローマ数字じゃなくてアラビア数字のカードもあるんだね。

祐子●えっと、二枚目と三枚目のカードは小アルカナの中でもコートカードとか人物カードと呼ばれていて、ペイジは小姓のことです。ペイジの他はナイト、クイーン、キング。小アルカナは1から10までの番号のカードと四種類のコートカードからできています。ワンドの管轄は情熱とか勢いとか。カップは気持ち、情緒、感情。ソードは知性や決断です。今回、私が最初に思ったのは、水という文字がある俳句にカップのカードが出てきたってところですね。

一同●ほーーー。

祐子●カップは水を表しますし、カップのペイジに描かれている絵を詳しくみると、背景に海もあります。まずそこがこの俳句にある「水」とリンクしているなって思いました。あと、ワンドの2ですがこのカードはちょっと立ち止まる感じがあるんですよね。かなりざっくり言ってしまうと、タロットカードの数字は奇数が動く、偶数は止まるとして考えることが多いです。ナイトは騎士で、肉体的に一番充実している時期の男性が描かれているカードなので壮年期の人、活動的というイメージです。カードを見て「放蕩のわたしに」というところに少し立ち止まった印象があるように感じました。ワンドの2はちょっと迷っているというカードなので、「放蕩しているわたし」は小さな迷いを持っている人なのかなと思いました。

うさぎ●ほーー。

祐子●水は占いでは気持ちや情緒を表します。ペイジは少年でまだ成熟していない。だから気持ちのコントロールが危ういとかそんな感じがあるんじゃないかなって。私がそう思ったってだけですけど。言い換えれば、無垢とか純粋な人とも言えるので、出てきたカードから考えると「放蕩のわたし」は若い人なのかなって思います。作中主体が誰なのかはわかりませんが、作者を知っていることもあって若い人なのかなって。でも、それを抜きにしてもわりと若い人なんじゃないかな。十代か二十代の前半くらいまでの感じ。「水の汽車」というのがどういう汽車なのかがよくわからないのだけど……。

天気●ちょっといいね、「水の汽車」って。いいよね。

祐子●カードから考えると、気持ちや感情のイメージとしての汽車なのかなっていう気がします。水の上を走ってくる汽車とかいうのではなくて。

天気●機関車って水を積んでいるからね。

祐子●えっ、そうなんですか。

うさぎ●機関車って石炭を燃やすのではないの?

天気●石炭を燃やした熱で水を沸騰させて、水蒸気の力で走る。水のタンクを積んでる。「水の汽車」という言葉には、機能的なこととイメージ的なことの両方があるね。

祐子●ソードは考えとか知性を管轄するので、考えながら放蕩しているという感じもあります。

うさぎ●この句自体が知的な作りっていうのがあると思うので、そうなるとソードはこの句自体を表しているのかなって。ちょっと思ったり。

天気●あとちょっと嫌味っぽくなっちゃうけど、「放蕩」っていう言葉は放蕩をしたことがない人が使いたがる気がするよね。

星一郎●へへへへへ。

うさぎ●あははは。なるほど。

天気●本当に放蕩をした人がつくる句ではないようなね。

うさぎ●「放蕩」というと「とうじん」っていうかね。

祐子●「とうじん」って?

うさぎ●放蕩の蕩に尽すで「蕩尽」。使い尽すとか溢れるとか、そこも水っぽいイメージがあるのかなあ。

祐子●出てきたカードは少し矛盾があって。ワンドの2は立ち止まるとか一旦考えるという意味なのだけど、ソードのナイトは動いているカードなのですよね。

うさぎ●矛盾を孕んでいるんだ。

祐子●矛盾というか、反対の要素のカードが出ています。うーん、例えば気持ちは止まっているのだけれど体は動いているとか読めばいいのかな?

天気●ワンドの2のカードで「放蕩のわたし」が立ち止まっているとするなら、対応していますよ。

うさぎ●「汽車が来る」のだもの。

祐子●あーーーーっ、汽車!!! かっ!!

天気●うん。「汽車が来る」ってね。

星一郎●この句の後半は動きがある。

天気●この句は「来る」がいいよね。「行く」じゃなくてね。

祐子●あと、汽車って、まぁゆっくり走る場合もあるかもしれませんが、基本的にはスピードがあるものなのでそこにもナイトの感じがあります。

天気●あのね、馬上と汽車は視線の高さがと同じなの。

祐子●ええっ!

天気●昔はある程度身分のが上の人だけが体験できた視線の高さを一般大衆が経験できる、汽車にはそういう意味があるんだよね。馬にのってその視点から景色を見ることができる人っていうのは、位が上の人じゃないですか。一般大衆ではないよね。汽車っていうのは大衆が上流階級の視点を体験できるという捉え方。そういう捉え方をしたら面白いよね。

うさぎ●ほーーーーう。

祐子●だから馬に乗っているんだ!

星一郎●馬も象徴的な感じですね。

天気●馬と汽車はすごく対応する。

祐子●やっぱりこのソードのナイトは汽車を表してるのかもしれないですね。

天気●視線の高さという意味で汽車と馬はイコール。

祐子●汽車にそんな意味があるなんて全然知らなかった。

天気●そこは僕の解釈ではなくて、むかし記号論とかの本で読んだ。発明や新しい事物というものはいろいろなものを大衆化するじゃないですか、塔や気球は神の視座の大衆化だし。

うさぎ●「水の汽車」というのはソードのナイトに対応しているのね。

天気●すごく合ってる。

祐子●ばっちり出ましたね。なんか嬉しい。

うさぎ●「放蕩」というのも情熱がないとできないしね。

天気●あはははは。逆のような気もするな。放蕩息子に情熱があるとは思えない。
裏腹もあるかもしれないけどね。

祐子●ワンドは冒険でもいいかなと思います。ワンドって、わりと能動的なんですよね。

天気●「ワンド」ってどういう意味なの?

祐子●棒。

天気●棒? あっ、杖か。

うさぎ●魔術師の杖というか?

天気●魔術師とは限らないんじゃないの。

祐子●うん、魔術師は関係ないです。

うさぎ●あ、そっか。魔術師はさっきの句に出てきたんでしたっけね。

祐子●星占いでワンドに対応しているのは火のエレメンツです。火の管轄は情熱とか冒険とか、あと戦いとか。なんていうのかな、ガツガツしてる感じです。

うさぎ●ガツガツしている、まさしく放蕩。

祐子●放蕩ってガツガツしているのかなぁ。

うさぎ●ガツガツだよー。

天気●放蕩のイメージがすごくまちまちだ。人によって全然違う。

うさぎ●放蕩、放蕩、放蕩息子。

天気●放蕩って女性に使う?

うさぎ●放蕩娘とは言わないね。

祐子●そういえば言わないですね。

天気●放蕩は女性性と結びつかないね。

祐子●放蕩ってもともとはどんな意味ですか?

天気●放蕩息子を一番わかりやすく言えば、親のお金を遊びで使い果たしちゃう。

うさぎ●身上潰しちゃうとかね。

祐子●そっかー、でも情熱がこの句にどう繋がるのかがよくわからないなぁ。

星一郎●真ん中のカードのカップのペイジにある「精神的な幼さ」っていうのは「放蕩」に少し関係ありませんか。そして情熱にも関係していて、どっちにもかかっている。

天気●あと、カップのペイジは「わたし」という一人称にもかかってくるよね。自意識っていうかね。だからすごく対応している。

祐子●ペイジには幼いというイメージの他にフレッシュとか無垢、純粋というようなイメージもあります。

天気●そういうイメージに「わたし」という一人称が結びつくよね。

祐子●ぴったりですね。

天気●あとは「放蕩」と「棒」か。

星一郎●なんか、おもしろいですね。

天気●うーーーん。でも、放蕩と棒ってイメージ的に結びつかないわけじゃないよ。

祐子●結びつきますか?

天気●うん、僕は結びつく。ところで、「棒」ってなんなんだろうね。

祐子●棒は、真っ直ぐで投げればぴゅーっと行くというイメージがあるので「勢い」とか「パッション」と解釈しています。

天気●このカードの人は何のために棒を持っているの?

祐子●何のために棒をもっているか。うーーーん、それは考えたことがなかった。

天気●なぜ持っているかは関係なくてただ棒のカードということなんだ。

祐子●そう思ってました。小アルカナは棒とカップとペンタクルとソードという四つのものからできているっていう以外に考えたことなかった。

天気●棒はなんのエレメンツなんだっけ?

祐子●棒は火のエレメンツです。

天気●あ、なるほどねー。

祐子●世界はこの四つのエレメンツからできているってことになっています。

天気●じゃあ、「放蕩」「蕩尽」に結びつくじゃないですか。「蕩尽」の一つの方法って火にくべるんですよ。

祐子●え? なになになに?

天気●「ポトラッチ」ってありますよね。

うさぎ●あっ。

祐子●ポトラッチってなに?

うさぎ●贈り物し合うことよ。二つの部族がお互いに競い合って贈り物をし合うの。

天気●贈り物もあるんだけど、火に放り込んじゃうんですよ。どちらがより大切なものを火に放り込めるかで勝負が決まるの。

祐子●自分の一番大切なものを燃やせることが強いっていうことですか? それが放蕩?

天気●それが蕩尽。マルセル・モースの贈与論とかの世界ですね。

祐子●へーっ。

天気●だから、気持ち悪いくらいに関連付けはできた。

うさぎ●ふふふ、天気さんもタロットにはまるかも。

天気●ふふふ、はまらないけど。タロットで俳句を占う時は知識のジャンルが違う人に来てもらうのがいいかも。僕は社会科学系、うさぎさんは外国語系。

うさぎ●外国語に詳しくないよぉ。

天気●ああ、すっきりした。放蕩と火はリンクしている。

うさぎ●そして、火と水っていうのがまた対照的よね。

天気●そうだよね。「水の汽車」が来るってね。

祐子●あと、ペンタクルが出ていないというのがひとつの鍵かなって気がします。この句って実のあることが何もない感じなんですよ。ちょっと言い方がよくないですが。

星一郎●いや、わかりますよ。イメージの世界というか。

祐子●「物が出来上がりました」とかそういうことがなにもなくて。ペンタクルは現実的成果のカードなので、出なかったということがこの句にあってる気がします。

うさぎ●ちゃんと反映されてるね。

祐子●あ、あの、成果がないというのは悪い意味で使ったわけではなくて、イメージっていうのもネガティブな意味ではないです。

星一郎●あ、はいはい。実態としては詠んでいないという。

祐子●えっと、俳句をどういう風に作っているかということではなくて。汽車は来るけどその後どうなるのかは何も言われていないっていうか。「来た汽車は西国分寺まで行きます」みたいなことが何もわからないという意味で、この句の中には現実的な成果といえるようなものがないなって。だけど、気持ちや知性、情熱みたいなものはギュッって詰まっていて、そこが面白いです。ペンタクルは出てこないんだねぇって。

天気●余談の冗談だけど、消しに来たんじゃないの。水で。

星一郎●火を?

うさぎ●そんな感じもちょっとあるよね。水の汽車が来るってね。

天気●タロットと俳句がクロスしている。

祐子●三枚目のカードから見ていくと汽車は右側からやって来る感じがありますね。

うさぎ●そうね。絵柄的にも左側に向かって進んでいる感じがあるね。

星一郎●馬が左側を向いてますもんね。

うさぎ●他のカードの人もみんな左側を向いているよ。

天気●カードの並びや絵柄の右左は偶然だけど偶然を楽しむ遊びなんだよね。解釈もね。

祐子●そうです、そうです。偶然を楽しみます。

うさぎ●おもしろいね。

祐子●あと、タロット占いはカードの持つ意味も大切ですけど、どんなものが描かれているのか絵をよく見るということも大切と言われています。どっちを向いているのかとか、背景に何があるのかとか。

天気●カードの色が赤と青。火と水だよね。

祐子●わ、わ、わ、ほんとだ。ワンドの2が赤い服でカップのペイジは青い服。「気持ち」という点では、私はこの句に暗さや不安はほとんど感じないのだけど、句全体としては少しざわざわした印象を持ったんです。暗さや不安が控えめなのはペイジの背景にいるイルカが可愛いからかなって思ったりして。でも、海は波が立っていてそこには少しざわざわの感じがあるし、ナイトの背景の雲が紫色なのもちょっとざわざわした感じがする気がします。

うさぎ●これはなに? ワンドの2の床にある染みみたいなもの。

祐子●えー、なんだろ? 影?

うさぎ●水の染みみたいにも見えるね。

天気●それ、おもしろいね。思わせぶりなこといっぱいでてくるね。

星一郎●赤と青を混ぜたら紫。

うさぎ●そうだーーーー。

星一郎●絵具だったらそうなりますよね。

祐子●紫って水の色っぽい感じがしますね。あ、汽車と黒い馬も。

うさぎ●そうだよね。

祐子●汽車は黒い気がしますね。電車ではなくて汽車ってところが。

うさぎ●汽車っぽい。黒い、黒い。

祐子●やっぱり占いって当たるね。

一同●あははははは。

天気●解釈とかもセッションでするのがいいみたいだね。

うさぎ●ね、みんなで考えて。

祐子●ねー、おもしろい。ありがとうございます。

星一郎●いや、なんかおもしろかったです。あと、占いっていうか、別に狙ったわけじゃないんですけど、なんか今日占った句は形が似ていますね。

天気●水が多かったね。

星一郎●「に水の」が二句に共通。

うさぎ●ほんとうだ!

天気●「眠れ」と「放蕩の」というのは観念の捉え方ってところが似ているし。

祐子●どっちの句もふわってしてますよね。



〔後記:西原天気〕

俳句には偶然の要素が少なくない。語を選び、並べているうち、思いもよらなかったかたちになることもあって、自分の操作の外側から何かが訪れて、一句をもたらした格好です。

偶然は、〈読み〉にもあっていいのではないか、と、うすうす思っています。読解というとおおかたがコントロールされた状態にも見えますが、思わぬ方向から〈読み筋〉が到来することもあるのではないか。

今回、3枚のタロットカードが、私たちの〈読み〉とは別の場所から、新たな〈読み筋〉をもたらしてくれたのかどうか。判断は読者諸氏に委ねますが、参加者の一人として、《タロット占い×俳句》のセッションをじゅうぶんに愉しみました。




2023-04-23

「麒麟」発足座談会

「麒麟」発足座談会


結社「麒麟」発足を記念し、主宰・西村麒麟と、編集部の久留島元、中西亮太の3人が語ります。

久留島◆結社「麒麟」、いよいよ発足しましたね。句会の様子はどうですか。

麒麟◆想像していたよりもたくさんの方が参加してくださり、驚きました。一回目の東京句会で50人以上も来た時は、机や椅子が足りなくなると思い内心ドキドキしていました。僕も立つから若者よ、今日は立見でも許してくれ!と言うタイミングをぎりぎりまで考えていました。正直言うと初回は俳句よりも机と椅子の数が気になっていて……。句会であれほど焦っている僕の姿を見るのは初めてじゃないかな……。

久留島◆50人超えは大変ですね、句会というより講演会のような。

麒麟◆とにかく、机、椅子。正直に言うと参加者は30人ぐらいだと想像していました。句会の内容に関しては、ベテランと、カルチャー講座出身の俳歴の短い人達の俳句が上手く混ざり合っていて面白かったです、この点は狙い通りでした。無念なところは、大宴会が出来なかったとこかなと。まぁ、まだコロナ禍ではあるし仕方ないですね。

中西◆一言で言えば、人多すぎっ……(嬉)。麒麟さんは、これほどの人を惹きつける力があるのか…と誇らしかった(、と同時にちょっと寂しかった(笑))です。

第1回ということもあり、お祭り的な雰囲気が漂っていたように振り返っています。バタバタな感じも、みなさん楽しんでいらっしゃるようでした。リアルタイムで投句一覧が作られていき、50人以上が一斉に選句に向かう姿は、もう圧巻でした。

久留島◆お祭り感が伝わってきました。

関西も、初回の参加者が20人でした。これも最初は2~3人でもいいから始めようと企画していたら、麒麟さんが参加してくれることになって、金沢や名古屋からも参加者が増えた。リアルな句会は初めてという人と経験者が半々という感じで、これから混ざり合うと面白くなりそうです。麒麟さんは確か、2回目の東京句会の翌日でしたね。お忙しいところご苦労さまでした。

では、そもそも結社を立ち上げることになった流れを教えてください」

麒麟◆生々しい話をすると、コロナ禍の影響で13年勤めた会社から解雇通告され、職を失ったのが2021年でした。転職活動やハローワーク通い等、これから生きて行く道を色々と探っていました。俳句で生きていく道も少しは考えましたが、厳しい道ですから悩んでいました。幸運なことに手を差し伸べて下さる方が多かったのと、新しい俳句の仕事が次々入ってきて、全てを引き受けていたら、サラリーマン時代よりも忙しいぐらいの仕事量になり、気がつくと100人を越す講座の方と毎月句会をやるように。その中には優れた才を感じる人や、心から楽しそうに俳句を作る人が何人もいて、この人たちに作品を発表する場所を作りたいと考えはじめました。

結社をやったらどうか?と言う話も、その頃に周りから複数いただき、徐々にやる気も。びくびくしながら古志の長谷川先生と大谷主宰に相談の葉書を投函すると、長谷川先生から即電話をいただき、やるしかない!やるべきだ!と励ましていただきました。あとは一気に結社が立ち上がり動き出した、という流れです。今から思うと不思議ですが、誰一人やめておけと言わなかったですね、思っても言えなかったのかな……。

久留島◆麒麟さんに最初に話を聞いたのは、去年の夏ごろでしたね。私は、以前所属していた「船団」が、坪内さんの散在宣言でなくなってしまったので、しばらく所属は関西現代俳句協会だけだったんです。そこに麒麟さんから「結社作るときには手伝ってね」と言われて、まさかこんなすぐと思わないから軽く「いいですね」って答えたら、どんどん話が進んでしまって……いまさら逃げられないから覚悟を決めたのですけど(笑)、いまだに結社というのはよくわかってないところも多いですね。中西さんはどういう経緯で「麒麟」に入ろうと思ったのですか」

中西◆麒麟さんは、僕が学生時代からずっと良くしていただいているお兄さん的存在であり、同時に、数少ない俳句界の友人でした。所属していた結社「艀」が終刊し、所属を失っていた時期は、麒麟さんに手取り足取りサポートいただいていました。

みなさんと同様(?)、無責任に「結社、作ってくださいよ」と何度もお伝えしていたのですが、お酒を飲んだり、電話をしたり、お酒を飲んだりするたびに、少しずつ、でも着実に、麒麟さんの結社創設への決意が固まっていく様子を感じることができました。これまで本当にお世話になったので、微力ながらこの船出を応援したいと思った次第です」

久留島◆中西さんは、今はどこの所属でしたっけ」

中西◆現在、所属は3つあります。この状態を良く思わない人もいらっしゃると思いますが、「艀」が終刊して「円座」に入った直後、武藤紀子先生から「勉強してきなさい」と、山口昭男先生の「秋草」に送り出されました。「円座」「秋草」ではさまざまなことを学ばせていただいています。

一方で「円座」に所属する前は、麒麟さんから多くのことを学んできました。いわば麒麟さんは私淑する存在だったわけです。これは今も変わっていませんので、僕にとって「麒麟」に入ることは、ごく自然な流れだとも考えています。

ただ、自分の軸の据え方や、時間・エネルギーの使い方、集中力やモチベーションの維持などどれも苦戦しているので、あまり偉そうなことは言わず、少しでも長く続けられるようにがんばります」

久留島◆真面目(笑)。実は麒麟さんしか名簿は持ってないので、私たちも参加者の全容はわかってないのですが、さっきの話だと、麒麟さんの講座出身生が多いんですか」

麒麟◆2人のように僕が手伝って欲しいとお願いしたスカウト組が20人ぐらいはいます。編集部をしっかり固める必要は最初に考えたので、何でも相談出来る人たちですね。仕方ないなぁと内心思っていても助けてくれる、師弟関係というより兄弟分って感じです。60人ぐらいは僕の講座の方です。その他は、ネットでの情報を見て参加を決めてくれた友人や、まだ接点の無い方々でしょうか。購読を入れて130人、会員は110人前後が「麒麟」の初期メンバーですね、去年の秋から仲間を集め始めたのでありがたい人数だと思っています。

※創刊号発行時の参加者はもう少し増えています(4月15日現在)。

久留島◆すごい人数。ところで、私もそうですが、結社に入るのが初めてという人は、結社には怖いイメージもあるかもしれません。結社に入るとほかの活動が規制されて他の結社とつきあっちゃダメだとか、本も先生の本だけ読んでいればいいっていう人がいるとか、都市伝説がありますが、「麒麟」はそんなことないわけですね。

麒麟◆会員側が楽しい、快適だと思う状態を優先させたいと思っています。何でも自由にやったら良いよと思ってます。行動や発表を制限するのは僕や結社の都合で、会員のためではないと思うので、出来るだけ会員を縛るつもりはありません。僕に魅力が無くなったら全員居なくなるんだよな、というヒリヒリするような緊張感も大事なことかなと。

久留島◆そういう自由な形は同人誌と変わらないんじゃないか、なぜ結社を名乗るのか、という疑問も湧きます。

麒麟◆一番のポイントは投句欄の選をするか、しないかの違いですが、僕は選句をしたいと考えています。投句が全句必ず毎号掲載されることに(同人誌的に)、僕自身が参加者としてはあまり魅力を感じることが出来ない部分があるかもしれません。冊子代ではありますが、会費をいただいている以上、会員の皆さんには毎号ドキドキさせてあげたいです。冷たく、熱い選を心掛けたいと思っています。

久留島◆安心しました。麒麟さん自身がいろいろな結社の人たちと、(主に酒場で)交流してきたわけですから、他人の活動を規制したら文句が出ますね。選はするけど活動は束縛しない、というのは短歌結社の形に近いかもしれません。極端に言えば、主宰に見せていない句、主宰の落とした句ばかり集めて、他の賞に応募してもいいわけですか。

麒麟◆もちろん。僕は採られなかった句でも捨てないでと言っています。不思議なことに何でも自由にやりたまえ、と発表してからの方が様々な人が集まって来てくれます。

久留島◆会員の方には4月末までには創刊号が届くはずですが、1回目の選句を終えて、手応えはどうですか。

麒麟◆かなりいい感じです。創刊号が刊行したら、麒麟俳句会のツイッターでも秀作を紹介したいと思っているので、雑誌『麒麟』にどんな句が載っているか、どんな人が集まっているかわかると思います。楽しみにしてください。

久留島◆実は、選を通じた対話というのが、まだ実感できていないところがあります。「船団」では坪内さんや塩見恵介さんのような指導者クラスがいても、句会は互選で指導はありません。合評でアドバイスはあっても、立場は平等。雑誌の選評欄も、選者は何人かの持ちまわりで交代制でした。今でも句会の基本は互選だと思っていますが、結社句会だと主宰選が優先され、ほかの人が選評しないこともある。そこはまだ違和感はあります。ただ、どんなに平等な句会でも「この人はどの句を選ぶのか」「この人の選評を聞きたい」と思う意中の人はいて、それなら、この「麒麟」句会の場では、西村麒麟の選を信じてみようと思ったんですね。幸い私は別の句会にも参加できますから、信頼する選者の句会を一つ確保する機会だと思いました。だから麒麟さんの選は、自句だけでなく本当に楽しみに読むつもりです。

中西◆僕も、「麒麟」では麒麟さんの選を受けることと、楽しく俳句をすることをモットーにしていくつもりです。

久留島◆楽しくやる、大事ですね。では、最後に麒麟さん、これからどんな結社にしていきたいか、「麒麟」に期待することを聞かせてください。

麒麟◆今の通り、年齢性別俳歴、さらに好みの俳句等もばらばらな、混沌とした空間を望んでいます。混沌としつつ「麒麟」に共通する「何か」が生まれてくれれば、より嬉しいですね。いちばん大きな結社を目指すというより、いちばん面白そうだね、と思ってもらえるような結社にしたいなと。あとこれは我儘なことですが、「麒麟」で鍛えられた俳人が、僕をどんどん作品で追い詰めてプレッシャーを与えてくれると、僕自身もうひとつ上の俳句の世界が開けるような気がしていて、それを楽しみにしています。

久留島◆会員の活躍から刺激をもらおうという欲深い考えだ(笑)。しかし一方通行ではなくお互いに刺激しあえる仲間であることは大事で、会員としては主宰を脅かさないといけないというプレッシャーがかかります。これからどうぞよろしく、というところで、発足座談会は締めたいと思います。ありがとうございました。

※2023.03、メールのやりとりをもとに、久留島が座談会として再構成しました

2020-07-05

崎原風子読書会 ゆたかな等高線へ〔後篇〕

崎原風子読書会
ゆたかな等高線へ〔後篇〕


小川:ではⅢ章に行きたいと思います。三世川さんお願いします。

三世川:まず自分が頂いた句〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉なんですが、「い。」がなくても成立すると思うんですね。古く言えば吉岡実の「静物」の一節にみるような作品だと思います。そこに「い」というひきつったような音が入るだけで、観念性のようなものがぽんと否定されます。ですから読み側に肉感性みたいなものが喚起されて、観念性に終わらない面白さがあると思って頂きました。

〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉ですが、上五中七までのひどく抽象的な言葉と8という形があって、それとプレテキストとして三鬼の作品があると。中七までの抽象的な言葉、形に対していきなり「卵生ヒロシマ」という、ものすごくなまなましい存在感がぽんと対峙しているというところが面白くいただきました。「卵生ヒロシマ」と断ち切ったような韻律も生々しさを強調していると思います。

〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉ですが何もない静謐な時間空間が存在していて、その中に揺蕩うような緩やかな韻律があり、その中に身を置いてみたいなと。正確な意味の言葉ではないですが、ゆったりとした流れの中の実存感みたいなものにひかれていただきました。

小川:〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉。どれも物が書かれていますが、透明で不思議な時空間に包まれているように感じます。そこに確かな存在感があるのですが、輪郭線だけが書いてある感じ。一個の梨があるけれど薄明してしまって眩しくて見えなそうだけれど見えるみたいな。〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の「い。」は新しい切れを模索したのだと私は思います。

〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉は、未来は希望があるだろう、進化していくだろうという時代の句だと感じます。戦後はめざましく復興し、未来はきっと良くなるだろうという時代の空気を、日本に住んでいなくとも崎原は共有していたのではないでしょうか。

〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉は、これも大きな容器と書いてあるんですが、輪郭線だけが見えて、そのものはただ揺蕩っていて、はっきりとは見えないような質感が好きです。

外山:Ⅲ章「もっと遥かな8へ」の中で言うと、〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉かなと。「い。」というのは一体何なのか。そこがよく分からないわけです。無理やりに紐づけようとするなら、脚韻と言えば言えるけれど。じゃあ他の奴はどうかといえばそうなっていないし。わざとやっているとは思えない。そうではなくて、薄明する梨の質感を一言で言い表すために、「い。」という母音に質感を持ち込んで、集約させようとしたんじゃないか。あるいは「い。」から転換してイメージしたものなのかなと。脚韻が成立しているとするなら、そういうときの手掛かりとしてたまたまそういう風に展開していったのではないかなと。

梨の句は他にも〈梨の木に梨女の寂しい球体感〉という句もあります。「梨の木に梨」で切れていると思ったけど、これって梨に意味を載せようとしている。それがかえってそれが息苦しい感じに見せている。あまり読みの意味が広がらないようになっている。対して〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の方はそれを脱色していこうとしています。

またⅢ章のタイトルに数字の8を使っていることについていうと、まず「寝棺」の〈八月おまえは太陽と肺反芻する〉では「八」に意味を載せようとしているような気がします。「八月」って日本の感覚だと暑いとか戦争とか、ましては沖縄であれば戦争の記憶というのがどうしても来る。でもアルゼンチンでしたら普通冬で、というか冬が終わったころですよね、むしろ。全然違うわけですよね。漢字で書くことによって日本あるいは沖縄の「八月」を思わせつつ、でも実体としては本来の日本の「八月」からは遊離して空洞化してしまっているような感じで置かれている。その言葉の使い方というか、言葉を脱色、空虚にする感じって言うのが、Ⅲ章になっていくとより加速していくのかなと思います。

Ⅲ章は他にいろいろありますけど〈肉ったような空 う。たとえば年齢集団〉とかは、正直加藤郁乎とかを知っていれば、ああこの程度かっていう感じかっていう感じがすると思うんですよ。この程度の表現であれば、加藤郁乎はとっくに乗り越えている表現であって、この程度をやるのであれば別に表現者としての革新性というのは無いだろうと思います。

ただ、崎原風子がすごいのは、加藤郁乎がたどり着いたときの道筋とは違うところからここにたどりついていると思われるところです。こういう言葉遣い、ただのダジャレとも違う、加藤郁乎の場合はそれを俳諧っていうところからもってきているんじゃないか。郁乎は前衛詩とか色々、日本の詩、俳句、俳諧の文脈からたどり着いているんですけど、崎原風子がここにこういう言い方を持ってくるっていうのは、それとは違う言葉の探り方をしていってたまたま同じような感じに見えちゃうようなレトリックがここに現れてきている感じがするんですよね。だからこれが、単にああこんなの古いよねとか見たことあるよねですませるのはなんか違うよねと思いました。

あとは最後に自分がとったものでいうと、〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉。自分直感的に都市の風景なのかなと思ったんですけど、これは言葉遣いとかは関係なく、すごくモダンというか、貧しさとかも漂っているけれど、もうちょっとモダンな風景なんだろうなと感じました。それは数字の8を置いた抽象的な空間みたいなものが匂わせられているからかなと。これはアルゼンチンだとかなんだとか関係なく、非常に面白い句だなと思いました。以上です。

小川:柳元さんいかがですか。

柳元:メジャーな句を少し避けて選びました。〈〈赤い犬〉というジン嚥下するレー時間〉ですね。「赤い犬」というのがラテンアメリカにおいてどういう意味を持つのか分からないけれど、赤は共産主義だったり、犬は権力に媚びへつらうものを意味したりするだろうと思います。そういう名前のジンは土地の諸々を引き受けている感じがします。「レー時間」という一見恣意的な言葉と、アルコール度数が高いものを飲み下したときの火照るような身体性の合致が面白いと思いました。その一方、外山さんとの話ともつながると思いますけど、「レー時間」という音の言い当て方は崎原風子が独立して行っていたかはわからないなと。

南魚座や寝棺をみると日本の俳句シーンを踏まえながら書いている気もします。崎原風子が編集発行人をしていた「あるぜんちん日本文藝」は沖縄や日本の文壇との繋がりが深かったとききますし、毎号「海程」を読んでいたならいくらアルゼンチンといえどどれほど隔絶していたかは疑問です。阿部完一の「ポー地方」みたいな表現史と、どれほど距離感があったかはなんとも言えないなと思います。

それから〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈Dの視野にあるヒロシマの椅子の椅子〉など、カタカナ書きの広島は原爆が投下された場所としての俳枕、歌まくらになってしまっている。そういう表象の態度の話になりますが、中央にいる人間が書くと不用意に見えるというか、一般的にはどれだけ広島に覚悟があるんだろうという議論になるわけですよね。ここでは広島は、俳枕や歌まくらとして、言葉のパワーとしてだけ借用しているわけで、文学の言葉として使われているわけです。ある種の暴力だとも思うわけですが、こういうことはアルゼンチン的な異郷において、トリックスター的なポジションにいないと出来なかったのかなと。

石川:今のヒロシマの句の話ですが、わたしは採れなかったかなあ。この句をこの人が作る必然みたいなものを考えたときに、アルゼンチンにいたということを差し引いても、相対的に他の句より観念的に見えてしまって。

私が採ったのは〈ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉なんですけど、さっき楓子さんが新しい切れの場所を模索していたんだろうとおっしゃっていて、なるほどなと思ったんです。妙なものが挿入される位置はいろいろあるんですけど、一番頭に入ってるパターンが多くて、違和感のある切れを模索した結果、ここになったのかなあ、と。細かく見ていくと、句によって試しているものが違う気もしますが、基本的には自分の外部、あるいは俳句の型の外部から侵入してくる音やイメージをどう取り込むかという問題意識があったんだろうなと思いました。

〈ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉に関しては、先ほどお話に出ていた〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉と違って、「ン」の音がそれ以降全く出てこない。韻律的に引き出してきたものではないと思うんです。「ン」の解釈が難しいので一旦飛ばして続きを読むと、石が水の上を飛ぶ、いわゆる水切りのイメージが先にある。でも、この句では、洪水の側が石のように飛んでいるので、イメージが逆転しているんですね。自分の意識の中で、洪水という大きなものと、石という小さなものが混乱している感じでしょうか。そこから「ン」に戻って考えると、うーん、難しいですね、自分が知覚している以外のものが、それこそ水切りの石のように、頭の中を掠めていく感じなんでしょうか。

もうひとつ私がとった句は〈水は空にヨハン・クイナウ歩道橋〉。「水は空に」ということは、水を放ったような空模様なのかな、歩道橋だから空に近いのかな。でもそういう意味で辿るんじゃなくて、「ヨハン・クイナウ歩道橋」っていう音そのものだけで句を成り立たせようという意思を感じます。Ⅲ章の後半には、Ⅰ章Ⅱ章ではあまり見られなかった、音の快感に奉仕しているような句が出てきています。個人的には、〈卵生ヒロシマ〉のように意味ありげな句より、意味を手放して音だけになっている句の方が、Ⅲ章では読みやすかったです。

安里:崎原風子の名誉を守るために(笑)というか、風子の目的や方法の意図が分かり辛い点もあると思うので、読みの補助線として幾つか風子の文章を紹介させてください。

1976年の『海程』に風子自身がエッセイを発表していて、当時の句の方向性や試みのようなものを書いています。一つは、「私がユメみる俳句」というかたちで風子が書き出しているのですが、
私がユメみる俳句、そこでは意味的、有機的な性格が拒否されているのだろう。私はコトバを切断したり物体をはさみこんでコトバの意味も肉体も変質させなければならない。意味の外側にあってそれ自体で充足し得る無意味の意味を抽き出しさらにその無意味を自分からできるだけ遠くにほうり出さねばならぬ。
と書いています。意味性や有機性みたいなものの拒否を志向しているという補助線が用意できるかなと思います。もう一つ、「う。」とか「ふ。」とかと繋がるかなというものとして、同年1976年の『海程』に風子自身の地下鉄での体験をもとに書いた文章があります。
地下電車の中で他人の会話が、つまりコトバが私を刺激するには次の条件が必要だった。a.それは私にとって未知の人の会話でなければならない(知人についての私の知識は必ず私の想像力を縛ってしまう)。b.外部の風景が遮断されていること(風景はつねに何かを語りかけてくるから会話の中から生まれてくる像の独立性を邪魔する)。c.地下電車のスピードを感じること(もっと精しくいうと暗いトンネルの中でのスピードを感じること)
と、すごく独特な方法論が意識されているなぁと。地下電車のトンネルの中でスピードを感じる、暗所とか閉所っていうところでスピードを感じるっていうところ。こういうところで「う。」とかすべてを意味づけるのは良いとは思いませんけれども、ここから考えた時に、石川さんがおっしゃっていた他者からの音の流入というのは、非常にこうした観点からすると頷いた次第でした。そういったところで私が二句選んだのが〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉です。

音の切れ方が独特なのかなあと。韻の話を外山さんがされていたと思いますが、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉は音も引いている感じがしていて、「う。」、「うすい」の「う」、「離陸」で最後に母音「う」がきている。風子が書いた文章などプレテキストがないと試みが分かり辛いというところもあって、そういうのを知らないときに、私としては文から抜いてきたのかなという印象がちょっとあって、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉の前に一文あって、そこからぱっと抜いてきたような。そう見ると「う。」とか、文の最後、言葉の終わりとして、それが聞こえていてもいいのかなと思い、はじめは読んでいました。「~だろう」とか。

アルゼンチンの風子が自分の知らない人ばかりのところで、そこの言葉を翻訳して書く。この翻訳して書く、というところをこの実験ではどういう枠組みで考えたのかは興味がありますが、「う。」とかは日本語で考えた時に「~しましょう」とか、終わりに来るかなというか、

一方「ふ。」は音の千切れ方として変というか。文語で「たまふ」とか「わらふ」と書きますけど。どういった風に外界から流れ込んできたのかなと。「う」と「ふ」では結構違うというか。声を筆記するということを風子が考えていても、結局それが書かれたものであると思えてしまう。

ニッチな疑問になってしまいますが、この時代の海程のなかで阿部完市もいて実験的な方法の思索があったことは簡単に想像してしまうのですが、声を書くみたいなそういう方法論の流行りがあったのかなと想像して、読んだ次第でした。句点じゃなくて一字空けでよくないか?と思ったりもしますけど、そういう区切り方への細かいこだわりみたいなものがどこから意識されたのかという興味もありました。

〈卵生ヒロシマ〉の句については、〈8月〉をアルゼンチンに据えて考えるのは思いつかなかった読みだなと思いました。意味性の濃淡でいうと8月はすごく意味を持っているというか、風子が狙っていた意味性の剥奪というよりは強く8月のイメージから始まっているというか、8月という言葉がすごく他の言葉に流入する。目的と違う所に向いている感じがして興味深かったです。

8月は、日本的な季語として考えた時に広島や長崎、敗戦を思い浮かべますけど、沖縄だったら6月23日が沖縄忌だったりします。沖縄忌は確か65年くらいから6月23日に制定されるので、書かれた年代を照らし合わせてもやっぱり6月に追悼のイメージをもっていても齟齬があるわけではない。

ただここでは8月で、この8月は、アルゼンチン、日本、沖縄、或いは喪のイメージ、弔いのイメージなどの項と一緒に換算した場合、どう捉えられていたのか。風子のライフヒストリーを参照すれば、戦争中は宮崎県の高鍋に疎開していて、原爆が落ちたその日も疎開先の高鍋にいた。辻本さんの著書ではその日の記憶が書き留められているのですが、そういった広島への興味と、8月の意味性がここで強出てきたっていうのは興味深く思った次第です。

そういった調子でこのときの試みの特異点としてあと二つ選んでいて、〈象1頭の心象都市や時間の鋸歯〉は、この「や」は並列助詞として繋いでいるのか、切れ字なのか判然としなかった。切れ字の方が個人的には面白い気がする。並列なんですかね、その辺が分かりづらかったですけど。

この強い名詞が積んである感じ後半の〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉とか〈シャワーのうしろのあかつき家畜のような月〉〈重量8ミリーのあさのながい海岸線〉とかの柔らかい感じの句とはちょっと違う気がする。柔らかい句で使われている「あかつき」や「あさ」の一方、風子の語彙として漢語の「薄明」という言葉もよく使われていたと思います。ここでは「あかつき」や「あさ」で柔らかい。それと比べると急に硬いなと思いました。

最後〈薄みどりの頭蓋と地球自転あり〉はこれは、「沖縄」の俳句の視座から考えて、もう完全に個人的な興味なんですけれども、沖縄に野ざらし延男という俳人がいて〈コロコロと腹虫の哭く地球の自転〉とか〈父母うすく眠るしくしく切り身の紙〉とかを書いている。同じ『海程』同人として風子とモチーフの交流が見られるのではないか。「自転」とかは前半あまり見なかった気がします。並びのなかで突飛な感じがして、そういう流入があったのかもと興味深くて選びました。

寺井:正直「もっとはるかな8へ」はちょっとわからない句が多くて、これまで自分が読んできた文脈で理解できるものを選んでしまったところが多くて、皆さんのお話をうかがいながら反省しました。もっと読みようがあったなという感じです。例えば〈い。〉で始まっている句は、三世川さんが最初におっしゃっていたような、観念性が破壊されるというのはすごくよく分かりました。つまり意味とか観念に直接結びつくのではなくて、音の衝撃だけがそこにあるっていうことですよね。それもわかるんですけど、一方で安里さんがおっしゃったような、文の最後が抜き出されてきているというのもなるほどと思いまして、平仮名で出てくるのは「い」と「る」と「ふ」と「ん」ですかね。「い」は形容詞の語尾で、「る」は動詞の語尾で、「ふ」は旧仮名で動詞の語尾と考えれば非常によくわかるなと思いました。

それからカタカナは、アルゼンチンの言葉はよく分からないけれど英語の形容詞で「ル」で終わる言葉はたくさんあるんじゃないかと思いますし、「ン」で終わる言葉も外国語はたくさんあるんじゃないかと思いますし、そこのなにか意味のある言葉が前にあったんだけども、そこは意味を通じさせる状態じゃなくて、最後のところが切り離されておかれている。だから何か意味があったんだという痕跡はあるんだけれども辿れないという、そういうことかなと聞いていて思いました。

ぼくがとった句は〈空にひろがり夏すでに馬喪いつつあり〉。これはとてもよく分かる、とても短歌に出て来る言葉とか古典の言葉遣いとしてよく分かるなと思いました。馬が若さや活力を持っているものの例というか象徴として出て来るのはよくあって、たまたま少し前に塚本邦雄を青春というキーワードで読めという原稿を書いたのですが、そういう視点で読むと、塚本が馬に若さとか活力というイメージを持っていたことがよくわかって、それがこの句の場合は夏のイメージと重ねられているのだと思う、そう考えるととてもよく分かります。夏が真っ盛りのように思えるんだけれども、夏が持っている性質は失われて、実はもうピークが過ぎているような、そういう予感を詠っていると思いました。

その次が〈白日のオートバイ老婆の到着性〉の句で、これは到着性という言葉が面白くて、到着している具体的な人の様子じゃなくて、その人がそこに到着したという状況の性質が「到着性」という言葉だと思うんですけど、つまり、老婆がオートバイに乗っていると考えていいのかわかんないんですけど、老婆がここに来たということの意外性、老婆が実際にどういう様子で来たのかよりも、老婆が来たんだという状況そのものに注目している。そのとき老婆の服がどうだったとか、汗をかいているとかではなく、老婆が来ているということ。それは世界中どの場面でもあり得るんだけど、そのことに気が止まったということをいっているんだと思います。目の前に起きていることを克明に表現しようというおとではなくて、いろいろな場合に当てはまるんだけれど、たまたまここでもそういうことがあったと捉えているのが面白いと思いました。

それから後半の〈花嫁と赤く置かれた綿刈機B〉ですけど、この解釈は難しいですけど、わたしは「粛々と」とか「堂々と」というときの「と」なのかと思いました。つまり花嫁ぽくというか、花嫁的にというか、ええと、一番分かりやすく言うと花嫁然として、ということですね。「綿刈機」というのは大きな機械だと思うけれど、まるでそれが花嫁のように置かれているということなんではないかと思います。幸せな存在なのかもしれないけれど、家に入ってきた時点では余所者的なこともあって、多少憂いみたいなものも感じさせる。そういう風に捉えているのかなと思いました。リアリティとかディテールとかを細かく描写していくのじゃなくて、いろんな場面でそういうことはあるんだけれども、たまたま今もそうなっているということ自体に、まさにそのことに言葉を費やすみたいな姿勢が面白かったかなと思いました。最初も言ったんですけど、既存の文脈というか他の作者の短歌でも腑分けできる語彙に目が留まってしまったのはもう少し可能性というか、読みようがあったなというか反省しました。

黒岩:まだ話されていないところで面白いところは、Ⅲ章「もっとはるかな8へ」は、Ⅰ章Ⅱ章と較べてちょっと長いんじゃないかなと。一句単位の文字数、時間の引き延ばされ方。あえて長律というか、引き延ばされた感覚があるところに、あえて工夫しているんだなという意識が私には見えました。

それから音声的な話がされましたけど、音声を視覚的にどう転じるのかという思考のひとつとして、記号の使い方や一字空けなどの言葉のチャレンジを行っていると思って、ただ単に音を表したかったら、鍵括弧の形などはこんなにないと思うんですね。先ほど「ナ」などに外国語の響きを感じるというお話があったと思うんですけど、自分の知覚した外界をどう書き表すかというところでかなり悩んだ跡が見えるかなと思いました。特に「ヒエラル墓地」とかは特にそうだと思うんですけど、万人が分かるはずのない地名を積極的に書くことで表すそこに空気感を出す、でもそんなに意味は無い。〈ヨハン・クイナウ〉もそうなのかな。そういう意識はただムードとか質感とかを伝えるための地名の積極的利用も感じられました。

〈都市はながれるロープ鳥のあらい目覚め〉、これはⅡ章のイメージの展開させていくところと通い合うところがあって、Ⅲ章らしいかというとそうでもないと思うんですけど、本当にながれるロープなのかなと読者を撹乱させていくところもあるし、なにか質的なものにたとえながらその質感が生々しくあるわけではないというのは一つの特徴かなと思います。鳥の目覚めもあらいと書かれることでそんなにじたばたした鳥を思うわけでもなく、この粗いが本当に荒々しさを伝えたいものじゃないということが、言葉自体の価値と通じているのかなと興味深いです。内容や状況とか質感を表そうと思って言葉を使うのではなくて、逆にそうじゃないものを目指していくというのが面白いなと思います。

みなさんに聞いてみたいのは、先行評論の中で〈〈ぱるたうざら〉林にいちにち三つの太陽〉が褒められていたと思うんですけど、この無意味性とか記号とか空虚感とかに強く惹かれたという方はあまりいらっしゃらなかったと思うんですけど、こういう句はどうなのかというのを聞いてみたいなと。以上です。

小川:そうですね。音に関してはかなり効いていると思うんです。「ヒエラル墓地」だって、別に「ヒエラル墓地」を知らなくてもいいと思うのです。「ヒエラル墓地」というアイウエオ音の揃った単語が句を立たせているんじゃないかと私は思うのですけど、平岡さんいかがですか。

平岡:音の話ですよね。〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉という句をとっているんですけど、さっき石川さんが「Ⅲ章は意味を手放して音だけになっていて読みやすかった」っておっしゃってましたけど、この句なんかはとくに端から端まで意味が原型を留めていなくて、本当に音だけで抜けていく感じが気持ちよかったです。Ⅲ章全体については、さっきからちらちらキーワードが出ていますけど、やっぱりテーマは「広島」だと思いました。

章題の〈もっとはるかな8へ〉や、その表題句の〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉からは、原爆が投下された月であり、そして終戦の月である〈8月〉への意識を感じます。外国に住んでいて敗戦という意識がどれだけあったのかというところまではちょっとわからないんですけど、〈8月〉という言葉を原爆や戦争から引きはがして解体しよう、抽象的にしようというのが〈もっとはるかな8へ〉という宣言なのかと思って、それが章全体で試みられているのかなと。

Ⅱ章では人の身体や命といったテーマがある意味で図式的に表現されていて、胎児と老婆とか、わかりやすく端っこと端っこにあるものが出てくるんですよね。Ⅲ章ではその図式の内実というか、端と端のあいだに広がるカオスを塗りつぶしに行っているような感じがします。

言葉や文節に対して攻撃的な表現をすることが戦争的な身体への攻撃の再現になっていて、その攻撃への抗議や、あるいは受け入れていくプロセスのようなものがあるのかなーと。こういう書き方は定型にも罅を入れてしまうので、一句一句として立つのはなかなか難しいと思うんですよね。だからこの章は一句単位でみると当たりはずれが大きいけど、部分的にいいフレーズがたくさんあって、そういうところはすごく楽しめた。定型を「いいフレーズを載せてくれるお皿」みたいに思って味わいました。

一句の俳句としてはとらないけど、〈あわだちつづけるわが距離〉とか〈黄金のなかの暗さ〉とか〈8月の空に歯があり〉とか、詩的でグッとくるフレーズはたくさんあったなと思います。こういった作品群のなかで自立する行というのは半ば偶然できるものだと思うんですけど、とくに収穫だと感じられたいくつかの句を選んできました。

さきほどの〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉のほかに〈水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉と〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ 〉と。〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ〉の句には三つのモチーフが出てきて、それらに呼び掛けているんですけど、直感的にこの三つはすべて月を指していると思ったんです。月自体は出てくるんですけど、「月色の」って色の話になっちゃっているんですよね。句の途中で正解を通りすぎているようにみえるところがおもしろいと思いました。Ⅱ章のときの中心が一つじゃないという話にも通じるんですが、ずっと焦点が合わない、視界に入っているのに直視できないような感じがここに表われているなと。

〈水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉、Ⅱ章で〈婚礼車あとから透明なそれらの箱〉という句が話題になりましたけど、この「透明な箱」という表現の発展形が「水を欠いた洪水」だなと思うんです。すごく存在してるのに知覚できるものではない、みたいな。この感じもすごくおもしろかったですし、〈だだ〉は洪水のオノマトペでありつつ、ダダイズムのことを指してもいるのかなと思って、そのへんの多重性もおもしろいと思いました。電話局って、ダダイズムの交換所みたいな場所でしょうか。現実の電話局の混雑している様子の描写にもギリギリ読めるかもしれない。

原:「い。」「う。」のような句に関しては新鮮な驚きがあり、試みとして面白く思ったのと同時に、若干乱暴にも感じてしまって。みなさんの解釈を聞いてなるほどと思ったのですが、一人で読んでいたときは、なぜ他の音・文字ではなく「い。」「う。」なのかの必然性が弱いというか、読む人によってどう受けとるかがぶれてしまうのではないかと感じていました。

例えば〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉なら、「ふ。」が「不幸せ」の一部ともとれれば笑い声ともとれて、「ふ」である必然性が感じられますが、おそらくそれは崎原風子の狙いとは違うのだろうなと。他にも、〈昨日おびただしい《昨日》(昨日)「昨日」〉のような記号の使い方や、〈ぱるたうざら〉や〈ヒエラル墓地〉のような、一音ではなく音や言葉の断片の集合になることで、明確な意味は見出せないけれども、言葉のイメージが見え隠れするような試みも面白く読みました。

外山:色々と伺っていてなるほどなという読みが多くて、特に後半になるにつれて元々の移民だとかなんだとかという背景から離れるというのがまっとうなのかな、普通なのかなという感じがしました。バックボーンと繋がらない読みが自然に誘導されていくということが、崎原風子のやっていたことの本来の意図に接近していくことだと思います。そっちに誘導されるのがいいことなのかわるいことなのか分からないですけど、でもすごく面白いなと。

柳元:最近、俳人が同時代的にどういうようなメディア環境の影響を受けていたかということに関心があって、バックボーンに鑑みつつということが大事だなと思っています。崎原風子のような人を俳句史に位置づけて考えようと思ったときに、一次的資料に当たらないと語りづらいなというのがやはり思うところで、テクスト論で語るにしてもそれは同じだと思いました。句自体を楽しむことももちろんよいのですが、その場合作家論のようなものを志向するときに歯切れが悪くならざるを得ないというか。ちゃんとものを調べようと思いました。色々な読みが聞けて楽しかったです。

寺井:いろんな話が聞けてぼくも面白かったのですが、これはやっぱりこちらの問題なんですけど最終的に崎原風子がどういうことをやりたかったのか、必ずしも崎原風子の意図に遡る必要はないと思うんですけど、どこまで同じものを読んで同じことを想像できるのかっていうのが、ぼくは最終的に見えないっていう感じがⅢ章については思いました。それぞれにそれぞれの読み方で見えてくるものはあるのかもしれないけど、拡散してしまう感じもあって、それでいいっていうことなのか、どうなのかというか。面白いんですけど不安になるというか。そんな感じです。

黒岩:みなさんおっしゃることよく分かって、拡散していく読みを是としていくんだみたいなことを打ち出せるかどうかという不安がこういう作品には付きまとってくるのかなと思います。

今日は俳人の皆さんいつもよくお話する方と歌人の皆さんのテーマという核たるものをつかみながら読んでいく方法というのがだいぶ自分の読み方と違っているなというのが収穫でした。柳元さんの作家論の話でいうと、私はテキストから読んで得られた印象を一回持ちながら、それを更新したり確認したり修正したりするためにもう一回作家の話に振り返って調べてというサイクルを繰り返すことが、読みを広げたりすることになるんじゃないかなと。

さらに崎原風子のことを調べたくなるなというのが今回一番思ったことですね。今日出てきてない読みの中でも必要な読みというのが出て来るはずなので、そういうものを探せたらなと思います。今日はありがとうございました。

平岡:今まで名前すら知らない俳人だったのですが、作品がほんとうにおもしろくて、今回小川さんに教えていただけてよかったです。アルゼンチンに渡るとか、職業が洗濯屋だとか、プロフィールもすごくおもしろいなと思っていたんですが、わたし自身はプロフィールのおもしろさと俳句のおもしろさをとくに結び付けずに読んでいたので、今日は「移民」という属性に着眼したお話がたくさん出たのが新鮮でした。ありがとうございました。

原:初歩的な感想で恐縮ですが、句会で一句単位で読むのとはやはり全然違うなと。前衛俳句がこんなに面白いんだなとも感じて、他の作者のものも読んでみたいと思いました。ありがとうございました。

安里:今日はほんとうにありがとうございました。辻本さんの研究を読んで、知らず知らずのうちにそのなかでの句の位置づけに意識を取られていたような感じがあって、「い。」とかの音が千切れている感じとかの話とかを皆さんから聞いているなかで、なるほどそういう風に読めるのかと広がるところが多くてとても面白かったです。もう一度風子を読みたくなるような気持ちもあり。もしまた別の作家でこういう会ができたら楽しいなと思って聞いてました。ありがとうございました。

三世川:とても楽しい時間をどうもありがとうございました。ご覧になったように前衛の中でも特殊な存在である崎原風子の作品ですから、こう読んでくれとかこういう風に読み取ってくれというような書き方はしていませんので、読者ひとりひとりが色んなことを感じたり発想したりということが崎原風子が望んでいることじゃないかなと思います。

それから読みは無責任な言い方ですけど、一人一人が自分の中でやることですから、正解なんてあるわけがなくて、誰それと同じであってしかるべきであるということは絶対なくて、一人一人が自分の中でどう感じたかということが大事だと思いますので、そういう意味でも崎原風子の作品というのは意義のある勉強会だったと思います。

小川: 20代から崎原風子の句が好きで、こうやって皆さんと読めて幸せだなと思っています。崎原風子の書き方は読みを限定させない、拡散させるために書いているようなところがあって、焦点を追えないところに意義があるというか。意味ではない、韻律であるということじゃないかなと思っています。

あと崎原風子は自由律俳句であると資料にはあったのですが、おそらく、本人は自由律俳句だと思っていなかったんじゃないかなと。あくまでも俺が作っているのは俳句であると、定型を踏まえた上でのちゃんとした律があるという風に思っていたに違いないと。それは他の海程の俳人もみんなそうですね。自由律俳句だと思っていないです。歌人の視点、俳人の視点で皆さんの様々なご意見を伺えて、有意義な会になり、まことにありがとうございました。

( 了 )

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