2020-07-05

崎原風子読書会 ゆたかな等高線へ〔後篇〕

崎原風子読書会
ゆたかな等高線へ〔後篇〕


小川:ではⅢ章に行きたいと思います。三世川さんお願いします。

三世川:まず自分が頂いた句〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉なんですが、「い。」がなくても成立すると思うんですね。古く言えば吉岡実の「静物」の一節にみるような作品だと思います。そこに「い」というひきつったような音が入るだけで、観念性のようなものがぽんと否定されます。ですから読み側に肉感性みたいなものが喚起されて、観念性に終わらない面白さがあると思って頂きました。

8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉ですが、上五中七までのひどく抽象的な言葉と8という形があって、それとプレテキストとして三鬼の作品があると。中七までの抽象的な言葉、形に対していきなり「卵生ヒロシマ」という、ものすごくなまなましい存在感がぽんと対峙しているというところが面白くいただきました。「卵生ヒロシマ」と断ち切ったような韻律も生々しさを強調していると思います。

ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉ですが何もない静謐な時間空間が存在していて、その中に揺蕩うような緩やかな韻律があり、その中に身を置いてみたいなと。正確な意味の言葉ではないですが、ゆったりとした流れの中の実存感みたいなものにひかれていただきました。

小川:い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉。どれも物が書かれていますが、透明で不思議な時空間に包まれているように感じます。そこに確かな存在感があるのですが、輪郭線だけが書いてある感じ。一個の梨があるけれど薄明してしまって眩しくて見えなそうだけれど見えるみたいな。〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の「い。」は新しい切れを模索したのだと私は思います。

8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉は、未来は希望があるだろう、進化していくだろうという時代の句だと感じます。戦後はめざましく復興し、未来はきっと良くなるだろうという時代の空気を、日本に住んでいなくとも崎原は共有していたのではないでしょうか。

ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉は、これも大きな容器と書いてあるんですが、輪郭線だけが見えて、そのものはただ揺蕩っていて、はっきりとは見えないような質感が好きです。

外山:Ⅲ章「もっと遥かな8へ」の中で言うと、〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉かなと。「い。」というのは一体何なのか。そこがよく分からないわけです。無理やりに紐づけようとするなら、脚韻と言えば言えるけれど。じゃあ他の奴はどうかといえばそうなっていないし。わざとやっているとは思えない。そうではなくて、薄明する梨の質感を一言で言い表すために、「い。」という母音に質感を持ち込んで、集約させようとしたんじゃないか。あるいは「い。」から転換してイメージしたものなのかなと。脚韻が成立しているとするなら、そういうときの手掛かりとしてたまたまそういう風に展開していったのではないかなと。

梨の句は他にも〈梨の木に梨女の寂しい球体感〉という句もあります。「梨の木に梨」で切れていると思ったけど、これって梨に意味を載せようとしている。それがかえってそれが息苦しい感じに見せている。あまり読みの意味が広がらないようになっている。対して〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の方はそれを脱色していこうとしています。

またⅢ章のタイトルに数字の8を使っていることについていうと、まず「寝棺」の〈八月おまえは太陽と肺反芻する〉では「八」に意味を載せようとしているような気がします。「八月」って日本の感覚だと暑いとか戦争とか、ましては沖縄であれば戦争の記憶というのがどうしても来る。でもアルゼンチンでしたら普通冬で、というか冬が終わったころですよね、むしろ。全然違うわけですよね。漢字で書くことによって日本あるいは沖縄の「八月」を思わせつつ、でも実体としては本来の日本の「八月」からは遊離して空洞化してしまっているような感じで置かれている。その言葉の使い方というか、言葉を脱色、空虚にする感じって言うのが、Ⅲ章になっていくとより加速していくのかなと思います。

Ⅲ章は他にいろいろありますけど〈肉ったような空 う。たとえば年齢集団〉とかは、正直加藤郁乎とかを知っていれば、ああこの程度かっていう感じかっていう感じがすると思うんですよ。この程度の表現であれば、加藤郁乎はとっくに乗り越えている表現であって、この程度をやるのであれば別に表現者としての革新性というのは無いだろうと思います。

ただ、崎原風子がすごいのは、加藤郁乎がたどり着いたときの道筋とは違うところからここにたどりついていると思われるところです。こういう言葉遣い、ただのダジャレとも違う、加藤郁乎の場合はそれを俳諧っていうところからもってきているんじゃないか。郁乎は前衛詩とか色々、日本の詩、俳句、俳諧の文脈からたどり着いているんですけど、崎原風子がここにこういう言い方を持ってくるっていうのは、それとは違う言葉の探り方をしていってたまたま同じような感じに見えちゃうようなレトリックがここに現れてきている感じがするんですよね。だからこれが、単にああこんなの古いよねとか見たことあるよねですませるのはなんか違うよねと思いました。

あとは最後に自分がとったものでいうと、〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉。自分直感的に都市の風景なのかなと思ったんですけど、これは言葉遣いとかは関係なく、すごくモダンというか、貧しさとかも漂っているけれど、もうちょっとモダンな風景なんだろうなと感じました。それは数字の8を置いた抽象的な空間みたいなものが匂わせられているからかなと。これはアルゼンチンだとかなんだとか関係なく、非常に面白い句だなと思いました。以上です。

小川:柳元さんいかがですか。

柳元:メジャーな句を少し避けて選びました。〈〈赤い犬〉というジン嚥下するレー時間〉ですね。「赤い犬」というのがラテンアメリカにおいてどういう意味を持つのか分からないけれど、赤は共産主義だったり、犬は権力に媚びへつらうものを意味したりするだろうと思います。そういう名前のジンは土地の諸々を引き受けている感じがします。「レー時間」という一見恣意的な言葉と、アルコール度数が高いものを飲み下したときの火照るような身体性の合致が面白いと思いました。その一方、外山さんとの話ともつながると思いますけど、「レー時間」という音の言い当て方は崎原風子が独立して行っていたかはわからないなと。

南魚座や寝棺をみると日本の俳句シーンを踏まえながら書いている気もします。崎原風子が編集発行人をしていた「あるぜんちん日本文藝」は沖縄や日本の文壇との繋がりが深かったとききますし、毎号「海程」を読んでいたならいくらアルゼンチンといえどどれほど隔絶していたかは疑問です。阿部完一の「ポー地方」みたいな表現史と、どれほど距離感があったかはなんとも言えないなと思います。

それから〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈Dの視野にあるヒロシマの椅子の椅子〉など、カタカナ書きの広島は原爆が投下された場所としての俳枕、歌まくらになってしまっている。そういう表象の態度の話になりますが、中央にいる人間が書くと不用意に見えるというか、一般的にはどれだけ広島に覚悟があるんだろうという議論になるわけですよね。ここでは広島は、俳枕や歌まくらとして、言葉のパワーとしてだけ借用しているわけで、文学の言葉として使われているわけです。ある種の暴力だとも思うわけですが、こういうことはアルゼンチン的な異郷において、トリックスター的なポジションにいないと出来なかったのかなと。

石川:今のヒロシマの句の話ですが、わたしは採れなかったかなあ。この句をこの人が作る必然みたいなものを考えたときに、アルゼンチンにいたということを差し引いても、相対的に他の句より観念的に見えてしまって。

私が採ったのは〈ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉なんですけど、さっき楓子さんが新しい切れの場所を模索していたんだろうとおっしゃっていて、なるほどなと思ったんです。妙なものが挿入される位置はいろいろあるんですけど、一番頭に入ってるパターンが多くて、違和感のある切れを模索した結果、ここになったのかなあ、と。細かく見ていくと、句によって試しているものが違う気もしますが、基本的には自分の外部、あるいは俳句の型の外部から侵入してくる音やイメージをどう取り込むかという問題意識があったんだろうなと思いました。

ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉に関しては、先ほどお話に出ていた〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉と違って、「ン」の音がそれ以降全く出てこない。韻律的に引き出してきたものではないと思うんです。「ン」の解釈が難しいので一旦飛ばして続きを読むと、石が水の上を飛ぶ、いわゆる水切りのイメージが先にある。でも、この句では、洪水の側が石のように飛んでいるので、イメージが逆転しているんですね。自分の意識の中で、洪水という大きなものと、石という小さなものが混乱している感じでしょうか。そこから「ン」に戻って考えると、うーん、難しいですね、自分が知覚している以外のものが、それこそ水切りの石のように、頭の中を掠めていく感じなんでしょうか。

もうひとつ私がとった句は〈水は空にヨハン・クイナウ歩道橋〉。「水は空に」ということは、水を放ったような空模様なのかな、歩道橋だから空に近いのかな。でもそういう意味で辿るんじゃなくて、「ヨハン・クイナウ歩道橋」っていう音そのものだけで句を成り立たせようという意思を感じます。Ⅲ章の後半には、Ⅰ章Ⅱ章ではあまり見られなかった、音の快感に奉仕しているような句が出てきています。個人的には、〈卵生ヒロシマ〉のように意味ありげな句より、意味を手放して音だけになっている句の方が、Ⅲ章では読みやすかったです。

安里:崎原風子の名誉を守るために(笑)というか、風子の目的や方法の意図が分かり辛い点もあると思うので、読みの補助線として幾つか風子の文章を紹介させてください。

1976年の『海程』に風子自身がエッセイを発表していて、当時の句の方向性や試みのようなものを書いています。一つは、「私がユメみる俳句」というかたちで風子が書き出しているのですが、
私がユメみる俳句、そこでは意味的、有機的な性格が拒否されているのだろう。私はコトバを切断したり物体をはさみこんでコトバの意味も肉体も変質させなければならない。意味の外側にあってそれ自体で充足し得る無意味の意味を抽き出しさらにその無意味を自分からできるだけ遠くにほうり出さねばならぬ。
と書いています。意味性や有機性みたいなものの拒否を志向しているという補助線が用意できるかなと思います。もう一つ、「う。」とか「ふ。」とかと繋がるかなというものとして、同年1976年の『海程』に風子自身の地下鉄での体験をもとに書いた文章があります。
地下電車の中で他人の会話が、つまりコトバが私を刺激するには次の条件が必要だった。a.それは私にとって未知の人の会話でなければならない(知人についての私の知識は必ず私の想像力を縛ってしまう)。b.外部の風景が遮断されていること(風景はつねに何かを語りかけてくるから会話の中から生まれてくる像の独立性を邪魔する)。c.地下電車のスピードを感じること(もっと精しくいうと暗いトンネルの中でのスピードを感じること)
と、すごく独特な方法論が意識されているなぁと。地下電車のトンネルの中でスピードを感じる、暗所とか閉所っていうところでスピードを感じるっていうところ。こういうところで「う。」とかすべてを意味づけるのは良いとは思いませんけれども、ここから考えた時に、石川さんがおっしゃっていた他者からの音の流入というのは、非常にこうした観点からすると頷いた次第でした。そういったところで私が二句選んだのが〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉です。

音の切れ方が独特なのかなあと。韻の話を外山さんがされていたと思いますが、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉は音も引いている感じがしていて、「う。」、「うすい」の「う」、「離陸」で最後に母音「う」がきている。風子が書いた文章などプレテキストがないと試みが分かり辛いというところもあって、そういうのを知らないときに、私としては文から抜いてきたのかなという印象がちょっとあって、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉の前に一文あって、そこからぱっと抜いてきたような。そう見ると「う。」とか、文の最後、言葉の終わりとして、それが聞こえていてもいいのかなと思い、はじめは読んでいました。「~だろう」とか。

アルゼンチンの風子が自分の知らない人ばかりのところで、そこの言葉を翻訳して書く。この翻訳して書く、というところをこの実験ではどういう枠組みで考えたのかは興味がありますが、「う。」とかは日本語で考えた時に「~しましょう」とか、終わりに来るかなというか、

一方「ふ。」は音の千切れ方として変というか。文語で「たまふ」とか「わらふ」と書きますけど。どういった風に外界から流れ込んできたのかなと。「う」と「ふ」では結構違うというか。声を筆記するということを風子が考えていても、結局それが書かれたものであると思えてしまう。

ニッチな疑問になってしまいますが、この時代の海程のなかで阿部完市もいて実験的な方法の思索があったことは簡単に想像してしまうのですが、声を書くみたいなそういう方法論の流行りがあったのかなと想像して、読んだ次第でした。句点じゃなくて一字空けでよくないか?と思ったりもしますけど、そういう区切り方への細かいこだわりみたいなものがどこから意識されたのかという興味もありました。

〈卵生ヒロシマ〉の句については、〈8月〉をアルゼンチンに据えて考えるのは思いつかなかった読みだなと思いました。意味性の濃淡でいうと8月はすごく意味を持っているというか、風子が狙っていた意味性の剥奪というよりは強く8月のイメージから始まっているというか、8月という言葉がすごく他の言葉に流入する。目的と違う所に向いている感じがして興味深かったです。

8月は、日本的な季語として考えた時に広島や長崎、敗戦を思い浮かべますけど、沖縄だったら6月23日が沖縄忌だったりします。沖縄忌は確か65年くらいから6月23日に制定されるので、書かれた年代を照らし合わせてもやっぱり6月に追悼のイメージをもっていても齟齬があるわけではない。

ただここでは8月で、この8月は、アルゼンチン、日本、沖縄、或いは喪のイメージ、弔いのイメージなどの項と一緒に換算した場合、どう捉えられていたのか。風子のライフヒストリーを参照すれば、戦争中は宮崎県の高鍋に疎開していて、原爆が落ちたその日も疎開先の高鍋にいた。辻本さんの著書ではその日の記憶が書き留められているのですが、そういった広島への興味と、8月の意味性がここで強出てきたっていうのは興味深く思った次第です。

そういった調子でこのときの試みの特異点としてあと二つ選んでいて、〈象1頭の心象都市や時間の鋸歯〉は、この「や」は並列助詞として繋いでいるのか、切れ字なのか判然としなかった。切れ字の方が個人的には面白い気がする。並列なんですかね、その辺が分かりづらかったですけど。

この強い名詞が積んである感じ後半の〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉とか〈シャワーのうしろのあかつき家畜のような月〉〈重量8ミリーのあさのながい海岸線〉とかの柔らかい感じの句とはちょっと違う気がする。柔らかい句で使われている「あかつき」や「あさ」の一方、風子の語彙として漢語の「薄明」という言葉もよく使われていたと思います。ここでは「あかつき」や「あさ」で柔らかい。それと比べると急に硬いなと思いました。

最後〈薄みどりの頭蓋と地球自転あり〉はこれは、「沖縄」の俳句の視座から考えて、もう完全に個人的な興味なんですけれども、沖縄に野ざらし延男という俳人がいて〈コロコロと腹虫の哭く地球の自転〉とか〈父母うすく眠るしくしく切り身の紙〉とかを書いている。同じ『海程』同人として風子とモチーフの交流が見られるのではないか。「自転」とかは前半あまり見なかった気がします。並びのなかで突飛な感じがして、そういう流入があったのかもと興味深くて選びました。

寺井:正直「もっとはるかな8へ」はちょっとわからない句が多くて、これまで自分が読んできた文脈で理解できるものを選んでしまったところが多くて、皆さんのお話をうかがいながら反省しました。もっと読みようがあったなという感じです。例えば〈い。〉で始まっている句は、三世川さんが最初におっしゃっていたような、観念性が破壊されるというのはすごくよく分かりました。つまり意味とか観念に直接結びつくのではなくて、音の衝撃だけがそこにあるっていうことですよね。それもわかるんですけど、一方で安里さんがおっしゃったような、文の最後が抜き出されてきているというのもなるほどと思いまして、平仮名で出てくるのは「い」と「る」と「ふ」と「ん」ですかね。「い」は形容詞の語尾で、「る」は動詞の語尾で、「ふ」は旧仮名で動詞の語尾と考えれば非常によくわかるなと思いました。

それからカタカナは、アルゼンチンの言葉はよく分からないけれど英語の形容詞で「ル」で終わる言葉はたくさんあるんじゃないかと思いますし、「ン」で終わる言葉も外国語はたくさんあるんじゃないかと思いますし、そこのなにか意味のある言葉が前にあったんだけども、そこは意味を通じさせる状態じゃなくて、最後のところが切り離されておかれている。だから何か意味があったんだという痕跡はあるんだけれども辿れないという、そういうことかなと聞いていて思いました。

ぼくがとった句は〈空にひろがり夏すでに馬喪いつつあり〉。これはとてもよく分かる、とても短歌に出て来る言葉とか古典の言葉遣いとしてよく分かるなと思いました。馬が若さや活力を持っているものの例というか象徴として出て来るのはよくあって、たまたま少し前に塚本邦雄を青春というキーワードで読めという原稿を書いたのですが、そういう視点で読むと、塚本が馬に若さとか活力というイメージを持っていたことがよくわかって、それがこの句の場合は夏のイメージと重ねられているのだと思う、そう考えるととてもよく分かります。夏が真っ盛りのように思えるんだけれども、夏が持っている性質は失われて、実はもうピークが過ぎているような、そういう予感を詠っていると思いました。

その次が〈白日のオートバイ老婆の到着性〉の句で、これは到着性という言葉が面白くて、到着している具体的な人の様子じゃなくて、その人がそこに到着したという状況の性質が「到着性」という言葉だと思うんですけど、つまり、老婆がオートバイに乗っていると考えていいのかわかんないんですけど、老婆がここに来たということの意外性、老婆が実際にどういう様子で来たのかよりも、老婆が来たんだという状況そのものに注目している。そのとき老婆の服がどうだったとか、汗をかいているとかではなく、老婆が来ているということ。それは世界中どの場面でもあり得るんだけど、そのことに気が止まったということをいっているんだと思います。目の前に起きていることを克明に表現しようというおとではなくて、いろいろな場合に当てはまるんだけれど、たまたまここでもそういうことがあったと捉えているのが面白いと思いました。

それから後半の〈花嫁と赤く置かれた綿刈機B〉ですけど、この解釈は難しいですけど、わたしは「粛々と」とか「堂々と」というときの「と」なのかと思いました。つまり花嫁ぽくというか、花嫁的にというか、ええと、一番分かりやすく言うと花嫁然として、ということですね。「綿刈機」というのは大きな機械だと思うけれど、まるでそれが花嫁のように置かれているということなんではないかと思います。幸せな存在なのかもしれないけれど、家に入ってきた時点では余所者的なこともあって、多少憂いみたいなものも感じさせる。そういう風に捉えているのかなと思いました。リアリティとかディテールとかを細かく描写していくのじゃなくて、いろんな場面でそういうことはあるんだけれども、たまたま今もそうなっているということ自体に、まさにそのことに言葉を費やすみたいな姿勢が面白かったかなと思いました。最初も言ったんですけど、既存の文脈というか他の作者の短歌でも腑分けできる語彙に目が留まってしまったのはもう少し可能性というか、読みようがあったなというか反省しました。

黒岩:まだ話されていないところで面白いところは、Ⅲ章「もっとはるかな8へ」は、Ⅰ章Ⅱ章と較べてちょっと長いんじゃないかなと。一句単位の文字数、時間の引き延ばされ方。あえて長律というか、引き延ばされた感覚があるところに、あえて工夫しているんだなという意識が私には見えました。

それから音声的な話がされましたけど、音声を視覚的にどう転じるのかという思考のひとつとして、記号の使い方や一字空けなどの言葉のチャレンジを行っていると思って、ただ単に音を表したかったら、鍵括弧の形などはこんなにないと思うんですね。先ほど「ナ」などに外国語の響きを感じるというお話があったと思うんですけど、自分の知覚した外界をどう書き表すかというところでかなり悩んだ跡が見えるかなと思いました。特に「ヒエラル墓地」とかは特にそうだと思うんですけど、万人が分かるはずのない地名を積極的に書くことで表すそこに空気感を出す、でもそんなに意味は無い。〈ヨハン・クイナウ〉もそうなのかな。そういう意識はただムードとか質感とかを伝えるための地名の積極的利用も感じられました。

都市はながれるロープ鳥のあらい目覚め〉、これはⅡ章のイメージの展開させていくところと通い合うところがあって、Ⅲ章らしいかというとそうでもないと思うんですけど、本当にながれるロープなのかなと読者を撹乱させていくところもあるし、なにか質的なものにたとえながらその質感が生々しくあるわけではないというのは一つの特徴かなと思います。鳥の目覚めもあらいと書かれることでそんなにじたばたした鳥を思うわけでもなく、この粗いが本当に荒々しさを伝えたいものじゃないということが、言葉自体の価値と通じているのかなと興味深いです。内容や状況とか質感を表そうと思って言葉を使うのではなくて、逆にそうじゃないものを目指していくというのが面白いなと思います。

みなさんに聞いてみたいのは、先行評論の中で〈〈ぱるたうざら〉林にいちにち三つの太陽〉が褒められていたと思うんですけど、この無意味性とか記号とか空虚感とかに強く惹かれたという方はあまりいらっしゃらなかったと思うんですけど、こういう句はどうなのかというのを聞いてみたいなと。以上です。

小川:そうですね。音に関してはかなり効いていると思うんです。「ヒエラル墓地」だって、別に「ヒエラル墓地」を知らなくてもいいと思うのです。「ヒエラル墓地」というアイウエオ音の揃った単語が句を立たせているんじゃないかと私は思うのですけど、平岡さんいかがですか。

平岡:音の話ですよね。〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉という句をとっているんですけど、さっき石川さんが「Ⅲ章は意味を手放して音だけになっていて読みやすかった」っておっしゃってましたけど、この句なんかはとくに端から端まで意味が原型を留めていなくて、本当に音だけで抜けていく感じが気持ちよかったです。Ⅲ章全体については、さっきからちらちらキーワードが出ていますけど、やっぱりテーマは「広島」だと思いました。

章題の〈もっとはるかな8へ〉や、その表題句の〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉からは、原爆が投下された月であり、そして終戦の月である〈8月〉への意識を感じます。外国に住んでいて敗戦という意識がどれだけあったのかというところまではちょっとわからないんですけど、〈8月〉という言葉を原爆や戦争から引きはがして解体しよう、抽象的にしようというのが〈もっとはるかな8へ〉という宣言なのかと思って、それが章全体で試みられているのかなと。

Ⅱ章では人の身体や命といったテーマがある意味で図式的に表現されていて、胎児と老婆とか、わかりやすく端っこと端っこにあるものが出てくるんですよね。Ⅲ章ではその図式の内実というか、端と端のあいだに広がるカオスを塗りつぶしに行っているような感じがします。

言葉や文節に対して攻撃的な表現をすることが戦争的な身体への攻撃の再現になっていて、その攻撃への抗議や、あるいは受け入れていくプロセスのようなものがあるのかなーと。こういう書き方は定型にも罅を入れてしまうので、一句一句として立つのはなかなか難しいと思うんですよね。だからこの章は一句単位でみると当たりはずれが大きいけど、部分的にいいフレーズがたくさんあって、そういうところはすごく楽しめた。定型を「いいフレーズを載せてくれるお皿」みたいに思って味わいました。

一句の俳句としてはとらないけど、〈あわだちつづけるわが距離〉とか〈黄金のなかの暗さ〉とか〈8月の空に歯があり〉とか、詩的でグッとくるフレーズはたくさんあったなと思います。こういった作品群のなかで自立する行というのは半ば偶然できるものだと思うんですけど、とくに収穫だと感じられたいくつかの句を選んできました。

さきほどの〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉のほかに〈水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉と〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ 〉と。〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ〉の句には三つのモチーフが出てきて、それらに呼び掛けているんですけど、直感的にこの三つはすべて月を指していると思ったんです。月自体は出てくるんですけど、「月色の」って色の話になっちゃっているんですよね。句の途中で正解を通りすぎているようにみえるところがおもしろいと思いました。Ⅱ章のときの中心が一つじゃないという話にも通じるんですが、ずっと焦点が合わない、視界に入っているのに直視できないような感じがここに表われているなと。

水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉、Ⅱ章で〈婚礼車あとから透明なそれらの箱〉という句が話題になりましたけど、この「透明な箱」という表現の発展形が「水を欠いた洪水」だなと思うんです。すごく存在してるのに知覚できるものではない、みたいな。この感じもすごくおもしろかったですし、〈だだ〉は洪水のオノマトペでありつつ、ダダイズムのことを指してもいるのかなと思って、そのへんの多重性もおもしろいと思いました。電話局って、ダダイズムの交換所みたいな場所でしょうか。現実の電話局の混雑している様子の描写にもギリギリ読めるかもしれない。

原:「い。」「う。」のような句に関しては新鮮な驚きがあり、試みとして面白く思ったのと同時に、若干乱暴にも感じてしまって。みなさんの解釈を聞いてなるほどと思ったのですが、一人で読んでいたときは、なぜ他の音・文字ではなく「い。」「う。」なのかの必然性が弱いというか、読む人によってどう受けとるかがぶれてしまうのではないかと感じていました。

例えば〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉なら、「ふ。」が「不幸せ」の一部ともとれれば笑い声ともとれて、「ふ」である必然性が感じられますが、おそらくそれは崎原風子の狙いとは違うのだろうなと。他にも、〈昨日おびただしい《昨日》(昨日)「昨日」〉のような記号の使い方や、〈ぱるたうざら〉や〈ヒエラル墓地〉のような、一音ではなく音や言葉の断片の集合になることで、明確な意味は見出せないけれども、言葉のイメージが見え隠れするような試みも面白く読みました。

外山:色々と伺っていてなるほどなという読みが多くて、特に後半になるにつれて元々の移民だとかなんだとかという背景から離れるというのがまっとうなのかな、普通なのかなという感じがしました。バックボーンと繋がらない読みが自然に誘導されていくということが、崎原風子のやっていたことの本来の意図に接近していくことだと思います。そっちに誘導されるのがいいことなのかわるいことなのか分からないですけど、でもすごく面白いなと。

柳元:最近、俳人が同時代的にどういうようなメディア環境の影響を受けていたかということに関心があって、バックボーンに鑑みつつということが大事だなと思っています。崎原風子のような人を俳句史に位置づけて考えようと思ったときに、一次的資料に当たらないと語りづらいなというのがやはり思うところで、テクスト論で語るにしてもそれは同じだと思いました。句自体を楽しむことももちろんよいのですが、その場合作家論のようなものを志向するときに歯切れが悪くならざるを得ないというか。ちゃんとものを調べようと思いました。色々な読みが聞けて楽しかったです。

寺井:いろんな話が聞けてぼくも面白かったのですが、これはやっぱりこちらの問題なんですけど最終的に崎原風子がどういうことをやりたかったのか、必ずしも崎原風子の意図に遡る必要はないと思うんですけど、どこまで同じものを読んで同じことを想像できるのかっていうのが、ぼくは最終的に見えないっていう感じがⅢ章については思いました。それぞれにそれぞれの読み方で見えてくるものはあるのかもしれないけど、拡散してしまう感じもあって、それでいいっていうことなのか、どうなのかというか。面白いんですけど不安になるというか。そんな感じです。

黒岩:みなさんおっしゃることよく分かって、拡散していく読みを是としていくんだみたいなことを打ち出せるかどうかという不安がこういう作品には付きまとってくるのかなと思います。

今日は俳人の皆さんいつもよくお話する方と歌人の皆さんのテーマという核たるものをつかみながら読んでいく方法というのがだいぶ自分の読み方と違っているなというのが収穫でした。柳元さんの作家論の話でいうと、私はテキストから読んで得られた印象を一回持ちながら、それを更新したり確認したり修正したりするためにもう一回作家の話に振り返って調べてというサイクルを繰り返すことが、読みを広げたりすることになるんじゃないかなと。

さらに崎原風子のことを調べたくなるなというのが今回一番思ったことですね。今日出てきてない読みの中でも必要な読みというのが出て来るはずなので、そういうものを探せたらなと思います。今日はありがとうございました。

平岡:今まで名前すら知らない俳人だったのですが、作品がほんとうにおもしろくて、今回小川さんに教えていただけてよかったです。アルゼンチンに渡るとか、職業が洗濯屋だとか、プロフィールもすごくおもしろいなと思っていたんですが、わたし自身はプロフィールのおもしろさと俳句のおもしろさをとくに結び付けずに読んでいたので、今日は「移民」という属性に着眼したお話がたくさん出たのが新鮮でした。ありがとうございました。

原:初歩的な感想で恐縮ですが、句会で一句単位で読むのとはやはり全然違うなと。前衛俳句がこんなに面白いんだなとも感じて、他の作者のものも読んでみたいと思いました。ありがとうございました。

安里:今日はほんとうにありがとうございました。辻本さんの研究を読んで、知らず知らずのうちにそのなかでの句の位置づけに意識を取られていたような感じがあって、「い。」とかの音が千切れている感じとかの話とかを皆さんから聞いているなかで、なるほどそういう風に読めるのかと広がるところが多くてとても面白かったです。もう一度風子を読みたくなるような気持ちもあり。もしまた別の作家でこういう会ができたら楽しいなと思って聞いてました。ありがとうございました。

三世川:とても楽しい時間をどうもありがとうございました。ご覧になったように前衛の中でも特殊な存在である崎原風子の作品ですから、こう読んでくれとかこういう風に読み取ってくれというような書き方はしていませんので、読者ひとりひとりが色んなことを感じたり発想したりということが崎原風子が望んでいることじゃないかなと思います。

それから読みは無責任な言い方ですけど、一人一人が自分の中でやることですから、正解なんてあるわけがなくて、誰それと同じであってしかるべきであるということは絶対なくて、一人一人が自分の中でどう感じたかということが大事だと思いますので、そういう意味でも崎原風子の作品というのは意義のある勉強会だったと思います。

小川: 20代から崎原風子の句が好きで、こうやって皆さんと読めて幸せだなと思っています。崎原風子の書き方は読みを限定させない、拡散させるために書いているようなところがあって、焦点を追えないところに意義があるというか。意味ではない、韻律であるということじゃないかなと思っています。

あと崎原風子は自由律俳句であると資料にはあったのですが、おそらく、本人は自由律俳句だと思っていなかったんじゃないかなと。あくまでも俺が作っているのは俳句であると、定型を踏まえた上でのちゃんとした律があるという風に思っていたに違いないと。それは他の海程の俳人もみんなそうですね。自由律俳句だと思っていないです。歌人の視点、俳人の視点で皆さんの様々なご意見を伺えて、有意義な会になり、まことにありがとうございました。

( 了 )

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