2026-07-12
柳元佑太 岡田由季論 heimlichなるunheimlichについて 角川俳句賞受賞作「優しき腹」
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2020-07-05
崎原風子読書会 ゆたかな等高線へ〔後篇〕
崎原風子読書会
ゆたかな等高線へ〔後篇〕
小川:ではⅢ章に行きたいと思います。三世川さんお願いします。
三世川:まず自分が頂いた句〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉なんですが、「い。」がなくても成立すると思うんですね。古く言えば吉岡実の「静物」の一節にみるような作品だと思います。そこに「い」というひきつったような音が入るだけで、観念性のようなものがぽんと否定されます。ですから読み側に肉感性みたいなものが喚起されて、観念性に終わらない面白さがあると思って頂きました。
〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉ですが、上五中七までのひどく抽象的な言葉と8という形があって、それとプレテキストとして三鬼の作品があると。中七までの抽象的な言葉、形に対していきなり「卵生ヒロシマ」という、ものすごくなまなましい存在感がぽんと対峙しているというところが面白くいただきました。「卵生ヒロシマ」と断ち切ったような韻律も生々しさを強調していると思います。
〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉ですが何もない静謐な時間空間が存在していて、その中に揺蕩うような緩やかな韻律があり、その中に身を置いてみたいなと。正確な意味の言葉ではないですが、ゆったりとした流れの中の実存感みたいなものにひかれていただきました。
小川:〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉。どれも物が書かれていますが、透明で不思議な時空間に包まれているように感じます。そこに確かな存在感があるのですが、輪郭線だけが書いてある感じ。一個の梨があるけれど薄明してしまって眩しくて見えなそうだけれど見えるみたいな。〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の「い。」は新しい切れを模索したのだと私は思います。
〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉は、未来は希望があるだろう、進化していくだろうという時代の句だと感じます。戦後はめざましく復興し、未来はきっと良くなるだろうという時代の空気を、日本に住んでいなくとも崎原は共有していたのではないでしょうか。
〈ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器〉は、これも大きな容器と書いてあるんですが、輪郭線だけが見えて、そのものはただ揺蕩っていて、はっきりとは見えないような質感が好きです。
外山:Ⅲ章「もっと遥かな8へ」の中で言うと、〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉かなと。「い。」というのは一体何なのか。そこがよく分からないわけです。無理やりに紐づけようとするなら、脚韻と言えば言えるけれど。じゃあ他の奴はどうかといえばそうなっていないし。わざとやっているとは思えない。そうではなくて、薄明する梨の質感を一言で言い表すために、「い。」という母音に質感を持ち込んで、集約させようとしたんじゃないか。あるいは「い。」から転換してイメージしたものなのかなと。脚韻が成立しているとするなら、そういうときの手掛かりとしてたまたまそういう風に展開していったのではないかなと。
梨の句は他にも〈梨の木に梨女の寂しい球体感〉という句もあります。「梨の木に梨」で切れていると思ったけど、これって梨に意味を載せようとしている。それがかえってそれが息苦しい感じに見せている。あまり読みの意味が広がらないようになっている。対して〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉の方はそれを脱色していこうとしています。
またⅢ章のタイトルに数字の8を使っていることについていうと、まず「寝棺」の〈八月おまえは太陽と肺反芻する〉では「八」に意味を載せようとしているような気がします。「八月」って日本の感覚だと暑いとか戦争とか、ましては沖縄であれば戦争の記憶というのがどうしても来る。でもアルゼンチンでしたら普通冬で、というか冬が終わったころですよね、むしろ。全然違うわけですよね。漢字で書くことによって日本あるいは沖縄の「八月」を思わせつつ、でも実体としては本来の日本の「八月」からは遊離して空洞化してしまっているような感じで置かれている。その言葉の使い方というか、言葉を脱色、空虚にする感じって言うのが、Ⅲ章になっていくとより加速していくのかなと思います。
Ⅲ章は他にいろいろありますけど〈肉ったような空 う。たとえば年齢集団〉とかは、正直加藤郁乎とかを知っていれば、ああこの程度かっていう感じかっていう感じがすると思うんですよ。この程度の表現であれば、加藤郁乎はとっくに乗り越えている表現であって、この程度をやるのであれば別に表現者としての革新性というのは無いだろうと思います。
ただ、崎原風子がすごいのは、加藤郁乎がたどり着いたときの道筋とは違うところからここにたどりついていると思われるところです。こういう言葉遣い、ただのダジャレとも違う、加藤郁乎の場合はそれを俳諧っていうところからもってきているんじゃないか。郁乎は前衛詩とか色々、日本の詩、俳句、俳諧の文脈からたどり着いているんですけど、崎原風子がここにこういう言い方を持ってくるっていうのは、それとは違う言葉の探り方をしていってたまたま同じような感じに見えちゃうようなレトリックがここに現れてきている感じがするんですよね。だからこれが、単にああこんなの古いよねとか見たことあるよねですませるのはなんか違うよねと思いました。
あとは最後に自分がとったものでいうと、〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉。自分直感的に都市の風景なのかなと思ったんですけど、これは言葉遣いとかは関係なく、すごくモダンというか、貧しさとかも漂っているけれど、もうちょっとモダンな風景なんだろうなと感じました。それは数字の8を置いた抽象的な空間みたいなものが匂わせられているからかなと。これはアルゼンチンだとかなんだとか関係なく、非常に面白い句だなと思いました。以上です。
小川:柳元さんいかがですか。
柳元:メジャーな句を少し避けて選びました。〈〈赤い犬〉というジン嚥下するレー時間〉ですね。「赤い犬」というのがラテンアメリカにおいてどういう意味を持つのか分からないけれど、赤は共産主義だったり、犬は権力に媚びへつらうものを意味したりするだろうと思います。そういう名前のジンは土地の諸々を引き受けている感じがします。「レー時間」という一見恣意的な言葉と、アルコール度数が高いものを飲み下したときの火照るような身体性の合致が面白いと思いました。その一方、外山さんとの話ともつながると思いますけど、「レー時間」という音の言い当て方は崎原風子が独立して行っていたかはわからないなと。
南魚座や寝棺をみると日本の俳句シーンを踏まえながら書いている気もします。崎原風子が編集発行人をしていた「あるぜんちん日本文藝」は沖縄や日本の文壇との繋がりが深かったとききますし、毎号「海程」を読んでいたならいくらアルゼンチンといえどどれほど隔絶していたかは疑問です。阿部完一の「ポー地方」みたいな表現史と、どれほど距離感があったかはなんとも言えないなと思います。
それから〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉〈Dの視野にあるヒロシマの椅子の椅子〉など、カタカナ書きの広島は原爆が投下された場所としての俳枕、歌まくらになってしまっている。そういう表象の態度の話になりますが、中央にいる人間が書くと不用意に見えるというか、一般的にはどれだけ広島に覚悟があるんだろうという議論になるわけですよね。ここでは広島は、俳枕や歌まくらとして、言葉のパワーとしてだけ借用しているわけで、文学の言葉として使われているわけです。ある種の暴力だとも思うわけですが、こういうことはアルゼンチン的な異郷において、トリックスター的なポジションにいないと出来なかったのかなと。
石川:今のヒロシマの句の話ですが、わたしは採れなかったかなあ。この句をこの人が作る必然みたいなものを考えたときに、アルゼンチンにいたということを差し引いても、相対的に他の句より観念的に見えてしまって。
私が採ったのは〈ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉なんですけど、さっき楓子さんが新しい切れの場所を模索していたんだろうとおっしゃっていて、なるほどなと思ったんです。妙なものが挿入される位置はいろいろあるんですけど、一番頭に入ってるパターンが多くて、違和感のある切れを模索した結果、ここになったのかなあ、と。細かく見ていくと、句によって試しているものが違う気もしますが、基本的には自分の外部、あるいは俳句の型の外部から侵入してくる音やイメージをどう取り込むかという問題意識があったんだろうなと思いました。
〈ン。洪水の記憶が石のようにとぶ〉に関しては、先ほどお話に出ていた〈い。そこに薄明し熟れない一個の梨〉と違って、「ン」の音がそれ以降全く出てこない。韻律的に引き出してきたものではないと思うんです。「ン」の解釈が難しいので一旦飛ばして続きを読むと、石が水の上を飛ぶ、いわゆる水切りのイメージが先にある。でも、この句では、洪水の側が石のように飛んでいるので、イメージが逆転しているんですね。自分の意識の中で、洪水という大きなものと、石という小さなものが混乱している感じでしょうか。そこから「ン」に戻って考えると、うーん、難しいですね、自分が知覚している以外のものが、それこそ水切りの石のように、頭の中を掠めていく感じなんでしょうか。
もうひとつ私がとった句は〈水は空にヨハン・クイナウ歩道橋〉。「水は空に」ということは、水を放ったような空模様なのかな、歩道橋だから空に近いのかな。でもそういう意味で辿るんじゃなくて、「ヨハン・クイナウ歩道橋」っていう音そのものだけで句を成り立たせようという意思を感じます。Ⅲ章の後半には、Ⅰ章Ⅱ章ではあまり見られなかった、音の快感に奉仕しているような句が出てきています。個人的には、〈卵生ヒロシマ〉のように意味ありげな句より、意味を手放して音だけになっている句の方が、Ⅲ章では読みやすかったです。
安里:崎原風子の名誉を守るために(笑)というか、風子の目的や方法の意図が分かり辛い点もあると思うので、読みの補助線として幾つか風子の文章を紹介させてください。
1976年の『海程』に風子自身がエッセイを発表していて、当時の句の方向性や試みのようなものを書いています。一つは、「私がユメみる俳句」というかたちで風子が書き出しているのですが、
私がユメみる俳句、そこでは意味的、有機的な性格が拒否されているのだろう。私はコトバを切断したり物体をはさみこんでコトバの意味も肉体も変質させなければならない。意味の外側にあってそれ自体で充足し得る無意味の意味を抽き出しさらにその無意味を自分からできるだけ遠くにほうり出さねばならぬ。と書いています。意味性や有機性みたいなものの拒否を志向しているという補助線が用意できるかなと思います。もう一つ、「う。」とか「ふ。」とかと繋がるかなというものとして、同年1976年の『海程』に風子自身の地下鉄での体験をもとに書いた文章があります。
地下電車の中で他人の会話が、つまりコトバが私を刺激するには次の条件が必要だった。a.それは私にとって未知の人の会話でなければならない(知人についての私の知識は必ず私の想像力を縛ってしまう)。b.外部の風景が遮断されていること(風景はつねに何かを語りかけてくるから会話の中から生まれてくる像の独立性を邪魔する)。c.地下電車のスピードを感じること(もっと精しくいうと暗いトンネルの中でのスピードを感じること)と、すごく独特な方法論が意識されているなぁと。地下電車のトンネルの中でスピードを感じる、暗所とか閉所っていうところでスピードを感じるっていうところ。こういうところで「う。」とかすべてを意味づけるのは良いとは思いませんけれども、ここから考えた時に、石川さんがおっしゃっていた他者からの音の流入というのは、非常にこうした観点からすると頷いた次第でした。そういったところで私が二句選んだのが〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉です。
音の切れ方が独特なのかなあと。韻の話を外山さんがされていたと思いますが、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉は音も引いている感じがしていて、「う。」、「うすい」の「う」、「離陸」で最後に母音「う」がきている。風子が書いた文章などプレテキストがないと試みが分かり辛いというところもあって、そういうのを知らないときに、私としては文から抜いてきたのかなという印象がちょっとあって、〈う。夜明け前のうすい肉親それらの離陸〉の前に一文あって、そこからぱっと抜いてきたような。そう見ると「う。」とか、文の最後、言葉の終わりとして、それが聞こえていてもいいのかなと思い、はじめは読んでいました。「~だろう」とか。
アルゼンチンの風子が自分の知らない人ばかりのところで、そこの言葉を翻訳して書く。この翻訳して書く、というところをこの実験ではどういう枠組みで考えたのかは興味がありますが、「う。」とかは日本語で考えた時に「~しましょう」とか、終わりに来るかなというか、
一方「ふ。」は音の千切れ方として変というか。文語で「たまふ」とか「わらふ」と書きますけど。どういった風に外界から流れ込んできたのかなと。「う」と「ふ」では結構違うというか。声を筆記するということを風子が考えていても、結局それが書かれたものであると思えてしまう。
ニッチな疑問になってしまいますが、この時代の海程のなかで阿部完市もいて実験的な方法の思索があったことは簡単に想像してしまうのですが、声を書くみたいなそういう方法論の流行りがあったのかなと想像して、読んだ次第でした。句点じゃなくて一字空けでよくないか?と思ったりもしますけど、そういう区切り方への細かいこだわりみたいなものがどこから意識されたのかという興味もありました。
〈卵生ヒロシマ〉の句については、〈8月〉をアルゼンチンに据えて考えるのは思いつかなかった読みだなと思いました。意味性の濃淡でいうと8月はすごく意味を持っているというか、風子が狙っていた意味性の剥奪というよりは強く8月のイメージから始まっているというか、8月という言葉がすごく他の言葉に流入する。目的と違う所に向いている感じがして興味深かったです。
8月は、日本的な季語として考えた時に広島や長崎、敗戦を思い浮かべますけど、沖縄だったら6月23日が沖縄忌だったりします。沖縄忌は確か65年くらいから6月23日に制定されるので、書かれた年代を照らし合わせてもやっぱり6月に追悼のイメージをもっていても齟齬があるわけではない。
ただここでは8月で、この8月は、アルゼンチン、日本、沖縄、或いは喪のイメージ、弔いのイメージなどの項と一緒に換算した場合、どう捉えられていたのか。風子のライフヒストリーを参照すれば、戦争中は宮崎県の高鍋に疎開していて、原爆が落ちたその日も疎開先の高鍋にいた。辻本さんの著書ではその日の記憶が書き留められているのですが、そういった広島への興味と、8月の意味性がここで強出てきたっていうのは興味深く思った次第です。
そういった調子でこのときの試みの特異点としてあと二つ選んでいて、〈象1頭の心象都市や時間の鋸歯〉は、この「や」は並列助詞として繋いでいるのか、切れ字なのか判然としなかった。切れ字の方が個人的には面白い気がする。並列なんですかね、その辺が分かりづらかったですけど。
この強い名詞が積んである感じ後半の〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉とか〈シャワーのうしろのあかつき家畜のような月〉〈重量8ミリーのあさのながい海岸線〉とかの柔らかい感じの句とはちょっと違う気がする。柔らかい句で使われている「あかつき」や「あさ」の一方、風子の語彙として漢語の「薄明」という言葉もよく使われていたと思います。ここでは「あかつき」や「あさ」で柔らかい。それと比べると急に硬いなと思いました。
最後〈薄みどりの頭蓋と地球自転あり〉はこれは、「沖縄」の俳句の視座から考えて、もう完全に個人的な興味なんですけれども、沖縄に野ざらし延男という俳人がいて〈コロコロと腹虫の哭く地球の自転〉とか〈父母うすく眠るしくしく切り身の紙〉とかを書いている。同じ『海程』同人として風子とモチーフの交流が見られるのではないか。「自転」とかは前半あまり見なかった気がします。並びのなかで突飛な感じがして、そういう流入があったのかもと興味深くて選びました。
寺井:正直「もっとはるかな8へ」はちょっとわからない句が多くて、これまで自分が読んできた文脈で理解できるものを選んでしまったところが多くて、皆さんのお話をうかがいながら反省しました。もっと読みようがあったなという感じです。例えば〈い。〉で始まっている句は、三世川さんが最初におっしゃっていたような、観念性が破壊されるというのはすごくよく分かりました。つまり意味とか観念に直接結びつくのではなくて、音の衝撃だけがそこにあるっていうことですよね。それもわかるんですけど、一方で安里さんがおっしゃったような、文の最後が抜き出されてきているというのもなるほどと思いまして、平仮名で出てくるのは「い」と「る」と「ふ」と「ん」ですかね。「い」は形容詞の語尾で、「る」は動詞の語尾で、「ふ」は旧仮名で動詞の語尾と考えれば非常によくわかるなと思いました。
それからカタカナは、アルゼンチンの言葉はよく分からないけれど英語の形容詞で「ル」で終わる言葉はたくさんあるんじゃないかと思いますし、「ン」で終わる言葉も外国語はたくさんあるんじゃないかと思いますし、そこのなにか意味のある言葉が前にあったんだけども、そこは意味を通じさせる状態じゃなくて、最後のところが切り離されておかれている。だから何か意味があったんだという痕跡はあるんだけれども辿れないという、そういうことかなと聞いていて思いました。
ぼくがとった句は〈空にひろがり夏すでに馬喪いつつあり〉。これはとてもよく分かる、とても短歌に出て来る言葉とか古典の言葉遣いとしてよく分かるなと思いました。馬が若さや活力を持っているものの例というか象徴として出て来るのはよくあって、たまたま少し前に塚本邦雄を青春というキーワードで読めという原稿を書いたのですが、そういう視点で読むと、塚本が馬に若さとか活力というイメージを持っていたことがよくわかって、それがこの句の場合は夏のイメージと重ねられているのだと思う、そう考えるととてもよく分かります。夏が真っ盛りのように思えるんだけれども、夏が持っている性質は失われて、実はもうピークが過ぎているような、そういう予感を詠っていると思いました。
その次が〈白日のオートバイ老婆の到着性〉の句で、これは到着性という言葉が面白くて、到着している具体的な人の様子じゃなくて、その人がそこに到着したという状況の性質が「到着性」という言葉だと思うんですけど、つまり、老婆がオートバイに乗っていると考えていいのかわかんないんですけど、老婆がここに来たということの意外性、老婆が実際にどういう様子で来たのかよりも、老婆が来たんだという状況そのものに注目している。そのとき老婆の服がどうだったとか、汗をかいているとかではなく、老婆が来ているということ。それは世界中どの場面でもあり得るんだけど、そのことに気が止まったということをいっているんだと思います。目の前に起きていることを克明に表現しようというおとではなくて、いろいろな場合に当てはまるんだけれど、たまたまここでもそういうことがあったと捉えているのが面白いと思いました。
それから後半の〈花嫁と赤く置かれた綿刈機B〉ですけど、この解釈は難しいですけど、わたしは「粛々と」とか「堂々と」というときの「と」なのかと思いました。つまり花嫁ぽくというか、花嫁的にというか、ええと、一番分かりやすく言うと花嫁然として、ということですね。「綿刈機」というのは大きな機械だと思うけれど、まるでそれが花嫁のように置かれているということなんではないかと思います。幸せな存在なのかもしれないけれど、家に入ってきた時点では余所者的なこともあって、多少憂いみたいなものも感じさせる。そういう風に捉えているのかなと思いました。リアリティとかディテールとかを細かく描写していくのじゃなくて、いろんな場面でそういうことはあるんだけれども、たまたま今もそうなっているということ自体に、まさにそのことに言葉を費やすみたいな姿勢が面白かったかなと思いました。最初も言ったんですけど、既存の文脈というか他の作者の短歌でも腑分けできる語彙に目が留まってしまったのはもう少し可能性というか、読みようがあったなというか反省しました。
黒岩:まだ話されていないところで面白いところは、Ⅲ章「もっとはるかな8へ」は、Ⅰ章Ⅱ章と較べてちょっと長いんじゃないかなと。一句単位の文字数、時間の引き延ばされ方。あえて長律というか、引き延ばされた感覚があるところに、あえて工夫しているんだなという意識が私には見えました。
それから音声的な話がされましたけど、音声を視覚的にどう転じるのかという思考のひとつとして、記号の使い方や一字空けなどの言葉のチャレンジを行っていると思って、ただ単に音を表したかったら、鍵括弧の形などはこんなにないと思うんですね。先ほど「ナ」などに外国語の響きを感じるというお話があったと思うんですけど、自分の知覚した外界をどう書き表すかというところでかなり悩んだ跡が見えるかなと思いました。特に「ヒエラル墓地」とかは特にそうだと思うんですけど、万人が分かるはずのない地名を積極的に書くことで表すそこに空気感を出す、でもそんなに意味は無い。〈ヨハン・クイナウ〉もそうなのかな。そういう意識はただムードとか質感とかを伝えるための地名の積極的利用も感じられました。
〈都市はながれるロープ鳥のあらい目覚め〉、これはⅡ章のイメージの展開させていくところと通い合うところがあって、Ⅲ章らしいかというとそうでもないと思うんですけど、本当にながれるロープなのかなと読者を撹乱させていくところもあるし、なにか質的なものにたとえながらその質感が生々しくあるわけではないというのは一つの特徴かなと思います。鳥の目覚めもあらいと書かれることでそんなにじたばたした鳥を思うわけでもなく、この粗いが本当に荒々しさを伝えたいものじゃないということが、言葉自体の価値と通じているのかなと興味深いです。内容や状況とか質感を表そうと思って言葉を使うのではなくて、逆にそうじゃないものを目指していくというのが面白いなと思います。
みなさんに聞いてみたいのは、先行評論の中で〈〈ぱるたうざら〉林にいちにち三つの太陽〉が褒められていたと思うんですけど、この無意味性とか記号とか空虚感とかに強く惹かれたという方はあまりいらっしゃらなかったと思うんですけど、こういう句はどうなのかというのを聞いてみたいなと。以上です。
小川:そうですね。音に関してはかなり効いていると思うんです。「ヒエラル墓地」だって、別に「ヒエラル墓地」を知らなくてもいいと思うのです。「ヒエラル墓地」というアイウエオ音の揃った単語が句を立たせているんじゃないかと私は思うのですけど、平岡さんいかがですか。
平岡:音の話ですよね。〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉という句をとっているんですけど、さっき石川さんが「Ⅲ章は意味を手放して音だけになっていて読みやすかった」っておっしゃってましたけど、この句なんかはとくに端から端まで意味が原型を留めていなくて、本当に音だけで抜けていく感じが気持ちよかったです。Ⅲ章全体については、さっきからちらちらキーワードが出ていますけど、やっぱりテーマは「広島」だと思いました。
章題の〈もっとはるかな8へ〉や、その表題句の〈8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ〉からは、原爆が投下された月であり、そして終戦の月である〈8月〉への意識を感じます。外国に住んでいて敗戦という意識がどれだけあったのかというところまではちょっとわからないんですけど、〈8月〉という言葉を原爆や戦争から引きはがして解体しよう、抽象的にしようというのが〈もっとはるかな8へ〉という宣言なのかと思って、それが章全体で試みられているのかなと。
Ⅱ章では人の身体や命といったテーマがある意味で図式的に表現されていて、胎児と老婆とか、わかりやすく端っこと端っこにあるものが出てくるんですよね。Ⅲ章ではその図式の内実というか、端と端のあいだに広がるカオスを塗りつぶしに行っているような感じがします。
言葉や文節に対して攻撃的な表現をすることが戦争的な身体への攻撃の再現になっていて、その攻撃への抗議や、あるいは受け入れていくプロセスのようなものがあるのかなーと。こういう書き方は定型にも罅を入れてしまうので、一句一句として立つのはなかなか難しいと思うんですよね。だからこの章は一句単位でみると当たりはずれが大きいけど、部分的にいいフレーズがたくさんあって、そういうところはすごく楽しめた。定型を「いいフレーズを載せてくれるお皿」みたいに思って味わいました。
一句の俳句としてはとらないけど、〈あわだちつづけるわが距離〉とか〈黄金のなかの暗さ〉とか〈8月の空に歯があり〉とか、詩的でグッとくるフレーズはたくさんあったなと思います。こういった作品群のなかで自立する行というのは半ば偶然できるものだと思うんですけど、とくに収穫だと感じられたいくつかの句を選んできました。
さきほどの〈8から見えるかーんかーんと犬の昼〉のほかに〈水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉と〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ 〉と。〈父よ逃げる鏡よ月色の犬よ〉の句には三つのモチーフが出てきて、それらに呼び掛けているんですけど、直感的にこの三つはすべて月を指していると思ったんです。月自体は出てくるんですけど、「月色の」って色の話になっちゃっているんですよね。句の途中で正解を通りすぎているようにみえるところがおもしろいと思いました。Ⅱ章のときの中心が一つじゃないという話にも通じるんですが、ずっと焦点が合わない、視界に入っているのに直視できないような感じがここに表われているなと。
〈水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局〉、Ⅱ章で〈婚礼車あとから透明なそれらの箱〉という句が話題になりましたけど、この「透明な箱」という表現の発展形が「水を欠いた洪水」だなと思うんです。すごく存在してるのに知覚できるものではない、みたいな。この感じもすごくおもしろかったですし、〈だだ〉は洪水のオノマトペでありつつ、ダダイズムのことを指してもいるのかなと思って、そのへんの多重性もおもしろいと思いました。電話局って、ダダイズムの交換所みたいな場所でしょうか。現実の電話局の混雑している様子の描写にもギリギリ読めるかもしれない。
原:「い。」「う。」のような句に関しては新鮮な驚きがあり、試みとして面白く思ったのと同時に、若干乱暴にも感じてしまって。みなさんの解釈を聞いてなるほどと思ったのですが、一人で読んでいたときは、なぜ他の音・文字ではなく「い。」「う。」なのかの必然性が弱いというか、読む人によってどう受けとるかがぶれてしまうのではないかと感じていました。
例えば〈ふ。しあわせな幼年のねじ式の空〉なら、「ふ。」が「不幸せ」の一部ともとれれば笑い声ともとれて、「ふ」である必然性が感じられますが、おそらくそれは崎原風子の狙いとは違うのだろうなと。他にも、〈昨日おびただしい《昨日》(昨日)「昨日」〉のような記号の使い方や、〈ぱるたうざら〉や〈ヒエラル墓地〉のような、一音ではなく音や言葉の断片の集合になることで、明確な意味は見出せないけれども、言葉のイメージが見え隠れするような試みも面白く読みました。
外山:色々と伺っていてなるほどなという読みが多くて、特に後半になるにつれて元々の移民だとかなんだとかという背景から離れるというのがまっとうなのかな、普通なのかなという感じがしました。バックボーンと繋がらない読みが自然に誘導されていくということが、崎原風子のやっていたことの本来の意図に接近していくことだと思います。そっちに誘導されるのがいいことなのかわるいことなのか分からないですけど、でもすごく面白いなと。
柳元:最近、俳人が同時代的にどういうようなメディア環境の影響を受けていたかということに関心があって、バックボーンに鑑みつつということが大事だなと思っています。崎原風子のような人を俳句史に位置づけて考えようと思ったときに、一次的資料に当たらないと語りづらいなというのがやはり思うところで、テクスト論で語るにしてもそれは同じだと思いました。句自体を楽しむことももちろんよいのですが、その場合作家論のようなものを志向するときに歯切れが悪くならざるを得ないというか。ちゃんとものを調べようと思いました。色々な読みが聞けて楽しかったです。
寺井:いろんな話が聞けてぼくも面白かったのですが、これはやっぱりこちらの問題なんですけど最終的に崎原風子がどういうことをやりたかったのか、必ずしも崎原風子の意図に遡る必要はないと思うんですけど、どこまで同じものを読んで同じことを想像できるのかっていうのが、ぼくは最終的に見えないっていう感じがⅢ章については思いました。それぞれにそれぞれの読み方で見えてくるものはあるのかもしれないけど、拡散してしまう感じもあって、それでいいっていうことなのか、どうなのかというか。面白いんですけど不安になるというか。そんな感じです。
黒岩:みなさんおっしゃることよく分かって、拡散していく読みを是としていくんだみたいなことを打ち出せるかどうかという不安がこういう作品には付きまとってくるのかなと思います。
今日は俳人の皆さんいつもよくお話する方と歌人の皆さんのテーマという核たるものをつかみながら読んでいく方法というのがだいぶ自分の読み方と違っているなというのが収穫でした。柳元さんの作家論の話でいうと、私はテキストから読んで得られた印象を一回持ちながら、それを更新したり確認したり修正したりするためにもう一回作家の話に振り返って調べてというサイクルを繰り返すことが、読みを広げたりすることになるんじゃないかなと。
さらに崎原風子のことを調べたくなるなというのが今回一番思ったことですね。今日出てきてない読みの中でも必要な読みというのが出て来るはずなので、そういうものを探せたらなと思います。今日はありがとうございました。
平岡:今まで名前すら知らない俳人だったのですが、作品がほんとうにおもしろくて、今回小川さんに教えていただけてよかったです。アルゼンチンに渡るとか、職業が洗濯屋だとか、プロフィールもすごくおもしろいなと思っていたんですが、わたし自身はプロフィールのおもしろさと俳句のおもしろさをとくに結び付けずに読んでいたので、今日は「移民」という属性に着眼したお話がたくさん出たのが新鮮でした。ありがとうございました。
原:初歩的な感想で恐縮ですが、句会で一句単位で読むのとはやはり全然違うなと。前衛俳句がこんなに面白いんだなとも感じて、他の作者のものも読んでみたいと思いました。ありがとうございました。
安里:今日はほんとうにありがとうございました。辻本さんの研究を読んで、知らず知らずのうちにそのなかでの句の位置づけに意識を取られていたような感じがあって、「い。」とかの音が千切れている感じとかの話とかを皆さんから聞いているなかで、なるほどそういう風に読めるのかと広がるところが多くてとても面白かったです。もう一度風子を読みたくなるような気持ちもあり。もしまた別の作家でこういう会ができたら楽しいなと思って聞いてました。ありがとうございました。
三世川:とても楽しい時間をどうもありがとうございました。ご覧になったように前衛の中でも特殊な存在である崎原風子の作品ですから、こう読んでくれとかこういう風に読み取ってくれというような書き方はしていませんので、読者ひとりひとりが色んなことを感じたり発想したりということが崎原風子が望んでいることじゃないかなと思います。
それから読みは無責任な言い方ですけど、一人一人が自分の中でやることですから、正解なんてあるわけがなくて、誰それと同じであってしかるべきであるということは絶対なくて、一人一人が自分の中でどう感じたかということが大事だと思いますので、そういう意味でも崎原風子の作品というのは意義のある勉強会だったと思います。
小川: 20代から崎原風子の句が好きで、こうやって皆さんと読めて幸せだなと思っています。崎原風子の書き方は読みを限定させない、拡散させるために書いているようなところがあって、焦点を追えないところに意義があるというか。意味ではない、韻律であるということじゃないかなと思っています。
あと崎原風子は自由律俳句であると資料にはあったのですが、おそらく、本人は自由律俳句だと思っていなかったんじゃないかなと。あくまでも俺が作っているのは俳句であると、定型を踏まえた上でのちゃんとした律があるという風に思っていたに違いないと。それは他の海程の俳人もみんなそうですね。自由律俳句だと思っていないです。歌人の視点、俳人の視点で皆さんの様々なご意見を伺えて、有意義な会になり、まことにありがとうございました。
( 了 )
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2020-06-28
崎原風子読書会 ゆたかな等高線へ〔前篇〕
崎原風子読書会
ゆたかな等高線へ〔前篇〕
阿部完市以降の「海程」の前衛俳句を振り返る企画として、アルゼンチン移民である崎原風子を取り上げた。
●崎原風子(さきはら・ふうし)
本名・朝一。昭和9(1934)年沖縄生れ。戦中、宮崎県に疎開。高鍋高校中退。昭和26(1951)年アルゼンチンに渡る。洗濯屋。
●テキスト:『崎原風子句集』1980(昭和55)年/海程新社
目次●共有文献:
Ⅰ 南魚座〈1959~61〉
Ⅱ 寝棺(1962~70)
Ⅲ もっとはるかな8へ(1972~79)
解説/大石雄介
『いまどきの俳句』(沖積舎・1996)の「光体の行方〈さき〉」
「アルゼンチン日本語文芸論ー『あるぜんちん日本文藝』についてー」(守屋 貴嗣『異文化』14巻・2013)ほか。
●2020年5月5日(火)13時~16時半 俳人・歌人による崎原風子読書会をzoomにて開催。
●参加者:
安里琉太、石川美南、大塚凱、小川楓子、黒岩徳将、寺井龍哉、外山一機、中矢温、原麻理子、平岡直子、三世川浩司、柳元佑太(五十音順 敬称略) ※石川美南、大塚凱、中矢温は途中退席
小川◆本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。崎原風子読書会を始めようと思ったきっかけについて少しお話をさせてください。私は金子兜太主催の「海程」に終刊まで十年間所属しました。2018年に金子兜太と主要同人の谷佳紀が亡くなったのを契機に、阿部完市以降の「海程」の前衛俳句を振り返ってみたいと感じるようになりました。金子兜太はよく取り上げられますが、他の多くの作家は俳壇的にはあまり知られていないように感じています。
その中で、なぜ崎原風子を選んだかというと、「海程」の知られざる俳人のなかでは、著名であるということ。また、個人的な話ですが、金子兜太は、海程新人賞の副賞を渡すとき、私の顔を見ながら「フウシでなくてフウコか。女性だったのか」と呟いていました。そのくらい、崎原風子が印象的だったのであろうと思います。副賞の色紙には《黄葉の奥に檜山の黒緑あり》が書かれており、受賞者のなかでは異色でした。崎原の移民先であるアルゼンチンの乾いた透明な空気に、金子兜太は対峙しようとしていたのかもしれません。では、外山さん、移民という視点からお願いします。
外山◆外山一機です。よろしくお願いします。私自身は元々ブラジルの移民に関心を持っており、その横に何となく崎原風子という存在がいたという感じです。ブラジルでもそうですが、やはりアルゼンチンでも「海程」がある程度の読者を持っていたというのは興味があるところです。簡単に数分でアルゼンチン移民について年表をお見せしながら話せればと思います。(年表を共有画面に映しながら)これはすごくざっくりしたものです。
アルゼンチンの移民社会の特徴は沖縄出身者が多数派であることです。崎原風子自身も言っていましたが、最近でも7割くらいは沖縄出身だそうです。あとは自由移民が多いということ。ブラジルだと官約移民、契約移民が多いのですが、こちらは自分で勝手に行っているというパターンなのが面白い。崎原風子もそういう感じ。そして多くが都市近郊に住んでいるということです。
崎原風子自身は戦後かなり早い段階で渡った移民です。そもそもアルゼンチンの移民は1886年の牧野金蔵さんという人が第一号だと言われます。基本的には日本人というよりヨーロッパ系の移民を想定して受け入れを始めていたころに、日本も来ていいですよという感じになりました。それで1901年に修好通商航海条約が結ばれ20世紀の初頭に本格的に入っていくようになった。
移民社会の俳句には二通りの路線があります。それは日本から行った移民が作った所謂日本からの俳句、あとはジャポニズム経由のハイカイです。アルゼンチンでも既に20世紀初頭にタブラダという人がいて、少しですがハイカイに触れるようなことがありました。ハイカイの系譜はブラジルほど強力ではないが、綿々と続いているような感じがします。
戦前戦中期になりますと、笠戸丸(かさとまる)がブラジルに最初の移民を送ったので有名なのですが、実はその手前のブエノスアイレスのところで何人か下船しています。その辺りからが移民の本格的な始まりという感じです。
戦前戦中と戦後の違いは出稼ぎ意識がある程度あったことです。永住する訳ではなく一時的に行ってまた帰ってくるんだというのが戦前戦中の主な特徴です。
戦後になると戦地から戻ってくる人たちで溢れてきて職がない状況となり、沖縄から行く人はかなり多かったようです。そもそも沖縄の県人会が機能していて、沖縄をめぐる状況の変化を巡って対立したりもするんですけど、そういう中に崎原風子もいたという感じです。ようするに風子が何故沖縄から行ったのかというとそもそもコミュニティがアルゼンチンにあったからだし、何故個人で行ったのかというとそういう風土だったからと言えます。
ちなみに風子と同時代にも、ボルヘスの「命数」をはじめ、ハイカイへの関心を持つ人はずっと南米にいました。ざっくりとしたものですが風子がアルゼンチンに渡った1950年ごろの状況はこんな感じです。
安里◆事前に資料として、『崎原風子句集』(海程新社・1980)の大石雄介さんの解説、『いまどきの俳句』(沖積舎・1996)の「光体の行方〈さき〉」、「アルゼンチン日本語文芸論ー『あるぜんちん日本文藝』についてー」(守屋 貴嗣『異文化』14巻・2013)、その他いくつかのサイトの記事を共有して頂きました。辻本昌弘さんの『語りー移動の近代を生きる』は先行研究を踏まえた上で、ライフヒストリー研究としてまとまっている一冊だなという印象でした。個人的には、風子がアルゼンチンと日本と沖縄を経験しながら、言語の音の側面について連載や書簡の中で言及しているということです。
柳元◆僕は移民についてほとんど知らないので今回の勉強会で学べたらなと思っています。
大塚◆僕も前提知識がないのですが、僕の興味は「海程」における崎原風子の自己認識あるいは逆に「海程」における崎原風子の位置づけにあります。後者はある意味で崎原風子に対するステレオタイプを含むかと思いますが知りたいです。
小川◆崎原が、来日すると盛大な歓迎会が開かれて、ある種スター的なところがあったようです。その時の集合写真もあります。
三世川◆勿論「海程」の中でも色々なタイプがいますが、崎原風子さんはその中でも簡単な言葉で言うと前衛のような特殊な存在として認識されていたように思います。
大塚◆事前にいただいていた大石雄介さん解説の文章に「海程の最右翼だ」というようなことが書いてあったかと思うのですが、まず「海程」の最右翼ってどっち側なのかが分からなくて。北朝鮮における保守側は共産主義ですよねみたいな?
小川◆私も分からなかった(笑)。
三世川◆「海程」の中でも風土的なのを句にされるとか、現代的なものをテーマにするという幅があると思いますが、崎原風子さんは表現という意味で実験的なことをされていたのではないかなと思います。一般性というところには大いに欠けるところがあったと思います。共感者や理解者も恐らくほんの一握りであったのではと思います。
大塚◆ありがとうございます。
小川◆同じ前衛俳句といっても、同じく「海程」で崎原と1歳違い1932年生まれの竹本健司は定型に近く、内容もオーソドックス。一番飛躍している作品で《つくしひばり肉減りし母笑うなり》など。着実なものだと《風とわれらの血が赤うなる桜んぼ》《父なきあとの酒肴全山雨滴なり》など。解説は「その個への執着」というタイトルで高野ムツオさん。
黒岩◆今守屋貴嗣さんの論文を読み返しているのですが、崎原風子が日本文芸の編集をやっていて崎原風子自身の作風が他の人にどう伝わって継承されたのか、触発したとはあまり思えない書き方がされています。オンリーワン的存在のままだったのでしょうか。
外山◆その点について守屋さんの論文の中で引かれている久保田古丹の発言が気になりました。すごく崎原風子が孤立しているように見える。しかし本当にそうだったのだろうか。風子は久保田古丹と同じグループで一緒に活動していたことがあります。論文に引かれている対談で崎原風子は有機物と無機物について、「無機と有機とがぶつかり、そこから発生する効果をねらっている。」と言っています。
実はこの対談とは別の場所で古丹も有機物と無機物を組み合わせることについて述べています。古丹の言う有機物は人間のこと、無機物は自然のことです。ここでの言葉の一致は偶然だとは思えません。言葉は同じですがニュアンスが違っていて、それがお互いの意見の相違につながっていったのかなとは思いますが、完全な孤立とは言えないのではないかと。
黒岩◆とても分かりやすかったです。ありがとうございます。これを読んだ後に崎原風子以外のアルゼンチンの作家の作品と比べても面白いのかなと思いました。
小川◆阿部完市もスターではあったけれど、広く理解はされなかったので、そういった点では少し近いのかなと思っています。
三世川◆そうだと思います。日本語という点では伝わるものもありますが、言葉を意味という文脈で伝えるのではなく、もうちょっと言葉そのものの可能性を、これは本人の資質に拠るものもあるかもしれませんが、求めていったのが「海程」の一部の人たちのムーブメントではなかったのかなと思います。
小川◆意味でなく韻律で読ませる俳句は、前衛俳句の中では異端的ではあったということでしょうか。
三世川◆そうではないでしょうか。
小川◆けれども、やはり彼らのスター性は「海程」内で認められていたところはあったし、俳壇でも一部認められていた、というところではないでしょうか。では石川さんいかがですか。
石川◆崎原風子について全く知らない状態で句集を読ませていただいたのですが、とにかく面白かった。俳句自体読み慣れていないので、歴史的なことは分からないのですが、編年体になっていて作風をどんどん変えていきますよね。私としては途中でキツイところもあったのですが、最後に新境地も見せて終わる流れも面白い。一冊を通して色んなことを開拓していると思います。
小川◆寺井さん、この時代に移民の歌人はいらっしゃいますか。
寺井◆名前がよく知られている人は思い浮かびませんが、一定数いたと思います。「心の花」という、現在は佐々木幸綱さんが主宰の結社の方々は、南米の移民の人たちの短歌の研究はしているのではないかと。すみません、ちょっとあまり分かりません…。
小川◆ありがとうございます。南魚座から順番にやっていきましょう。
外山◆南魚座はグループ名から取っているんですかね…?
安里◆そうだと思います。当時のアルゼンチンの句会名で「なんぎょざ」と読むと思います。
外山◆そのタイトルの付け方がまず面白くて、風土性があるかなと。それの中でも自分は《野の十字架冬日尽きむとして奢る》を取りました。章のタイトルからして個人としては書いていないという意識を感じました。移民とどこまで引き付けて読むことが妥当なのか分かりませんが、日本人としてのアイデンティティや沖縄から来たというルーツへの意識と俳句を選んでいることの関係性はまず考えなければなりません。
ブラジル移民の場合は俳句を書くのは日本人として延命するためであるという意識がどこかにある。風子が南米でのグループ名を自分の章の名前にしたということには、既に俳句を個人の文学的な営みとしては考えていないのかなという意識を感じました。そうすると《野の十字架》の句は大きな運命の在り方を問おうとしているのかなと。「野の十字架」は誰かのあるいは自分のものでもあり得る、日本から来ると「十字架」に違和感はあるのかもしれないのですけど、それと向き合う形で集団としての死、あるいは集団の中での死に向き合わないといけない。そういうものを感じます。その一方で日差しの象徴する生の強さへのあこがれも感じられます。一言で言うと、異国の地に行った違和感や目の前のものを書き留めているという感じです。
小川◆そうですよね。共同体感のようなものがあるのかな。《農夫黄色糧のひまわりの海につかり》《みの虫満ちやわらかい「人類」という語》とか。「人類」に対して肯定的な印象があります。では石川さんいかがですか。
石川◆《納骨堂(パンテオン)口をひらけばみな独語》を選びました。日本から世界に移民していったときに、今お話にあった、日本人としての共同性が意識される一方で、移住した土地にどれくらい根差してその風土を描けるかというところもポイントかと思います。この句は、納骨堂という日本ではあまり見ない景物を書いていますが、それだけでは終わらない。そこにいる人たちは黙りがちで、喋るとしても独り言なのだという。その土地の人々を集団として描くのではなく、一人一人の個別の人間として見ているようなところがある。移民の句だと知らなければ、生まれたときからこの土地のことを知っているのかと思ってしまうような、深い観察眼が面白かったです。
Ⅱ章以降を読むと、Ⅰ章はまだ保守的というか、この中ではまだ前衛ではないように感じました。でも、個人的にはⅠ章の時点ですごくテンション上がってしまって。このⅠ章の作風のままで一冊続いていたとしても十分面白かったと思います。ここに留まらなかったのもすごいですけど。
小川◆ありがとうございます。そうですね。Ⅰ章は、形式に正しく書いているという雰囲気はあるような気がします。それでは黒岩さんいかがですか。
黒岩◆《みの虫満ちやわらかい「人類」という語》について、「人類」というのがあって人類の個別全体性を言いつつ個別性も言っている。《野の十字架冬日尽きむとして奢る》と通じ合うところはあると思う。ただもしかすると、「海程」に所属していることからも金子兜太などから同朋というテーマや自分と他者の意識を包み込むようにして詠むという態度の影響も受けていたのかなと。「みの虫満ち」というので辺りに「みの虫」がたくさんいるという景色を打ち出し、動物と人間の一体感も感じさせ、正にそれを「やわらか」く書いている。
小川◆確かに金子兜太を含むこの時代の人たちの共同体意識のようなものを感じますね。原さんいかがですか。
原◆《みの虫満ちやわらかい「人類」という語》、私はこの句単独の印象で選んでしまったのですが、「人類」という大きな言葉がこの句の中では大仰に感じない点が魅力的だと思いました。「みの虫満ち」から、幼虫の体内に満ちている液体のようなものを想像し、それが生命そのものであるかのような印象を受けました。そこから、「人類」全体が溶け合って一つの生命となっているようなイメージが浮かんで、面白いなと思いました。
小川◆崎原風子の作品全体になんとなく液体質なところがあるように、私は思ったりしています。さて、南魚座について何かご意見ある方いらっしゃいますか。
安里◆辻本さんの著書を参照すると、南魚座はまだ風子が「海程」に入る前の句群で、現地の句会が加藤楸邨に句を見せていたとあります。このころは楸邨が選者として意識されていたのかなと。楸邨から紹介される形で「海程」に入ったみたいな記述もあって。《野の十字架冬日尽きむとして奢る》の「奢る」とか、最後に言葉をぐっと詰めてあるような句が気になりました。動詞に力点があるような、そういうところは興味深いなと思いました。
石川◆先ほど私が挙げた句に戻るんですが、《納骨堂(パンテオン)口をひらけばみな独語》の句の「口をひらけばみな独語」は、その場にいる生者とも捉えられるし、納骨堂に収められている死者とも捉えられると読んだんです。死者と捉える方がより自然かなとは思うんですけど、こういう、実景と比喩が二重写しになって見える句が、Ⅰ章の段階からかなりある気がします。こういうあり方は、同時代あったことですか。
三世川◆「ば」という助詞があるように、言葉を上から下まで文脈をつなげる意味合いではなく、むしろ別の次元の読みに誘うような使い方は当時の「海程」にはあったように記憶しています。
石川◆では、これらの句の新しさは、表現上の工夫というより、アルゼンチンの風土を詠みこんでいるところにあったのでしょうか。
三世川◆恐らくあまり風土は意識されていなかったのではと思います。
石川◆あっ、そうですか。
外山◆すみません、この南魚座の1960年代初め頃の「海程」のスター的存在は金子兜太を除くとどなたがいましたか。
三世川◆私も詳しくは知りませんが、森田緑郎さんや、女性であれば山中葛子さん、佃悦夫さん、酒井弘司さんだとか。総体的な言い方で申し訳ないですが、どちらかというとイメージを強く打ち出したような作品が当時のトレンドにあったと思います。そのような句を多く見た記憶があります。
小川◆「海程」の後継誌「海原」の作家で言えば、森田緑郎さんは、1932年生まれで崎原の二歳上。《ザイル垂れ絞られてゆく喉の明るさ》《巨大なスカート拡げ家中見え》などが有名句です。他に崎原の句と照応するならば、《ことば散る蒸発の海の明るさに》《白髪を刈るヒロシマのまぶしい空》《木箱あり夕暮れはすきとおる生殖》など。斬新なイメージの作家です。作風は変化されましたが、現在も活躍されています。
山中葛子さんは《花売りの港は白い歯でねむる》《母が降るこの紺碧を嫁ぎゆく》《白壁の街に売らんと鷗鳴かす》など柔らかな感性が持ち味です。
佃悦夫さんは、1934年生まれで崎原と同年ですが《やわらかに夏ぼうぼうと生家たり》《相模伊豆鳥居こわれるほど晴れたり》など定型感と内容が堅実な印象がありますが、村山故郷の「たちばな」に在籍するなどしてから「海程」に入会していることも影響しているように思います。
この時期の海程の作家の個々の違いは、どれくらい意味やイメージに頼るか、どのくらい定型外の韻律を重視するかになるのではと思います。ただ、今の俳句のイメージと当時の俳句のイメージは少し違うような気がしています。その辺り大塚さんいかがでしょう。
大塚◆この後に話が行くと思うんですが、第Ⅰ章の句でも情報量が十分多いけど、Ⅱ章に比べると軽いじゃないですか。意味性の濃いワードを詰め込んでいく方向に舵を切った。崎原風子個人の問題かもしれないのですが、同じ移民の俳句としてわかりやすく比べたときにブラジル的なものとは違った気がしました。そんなにちゃんと読んでいないので分からないんですが、割とブラジル移民の俳句はどうしても花鳥諷詠から離れられない、中心に日本的なものの翳りが見えるんですが。湿度が高いというか。ブラジルの山を見て富士山を思い出すような。そういうウェットさを感じないんですよね。同じラテンアメリカでも、ブラジルというよりコロンビア的な感じがするというか。
死があって妊婦があって胎児があって花があって婚礼があってという、生き死にとか祝祭が近い世界感。その感じは特にⅡ章から出てくるかなと思っていて。結構安直な比べ方かもしれないけれど、結構手触りが違うなというのを序盤の方からも感じた。
外山◆ブラジルでは1950年代頃に俳句のブームが来る。そのブームを佐藤念腹というホトトギス有名人が重鎮として他の仲間たちと引っ張っていきます。だからどうしても有季定型が大事になってくる。崎原風子のような句があったとしても、ブラジルの俳句コミュニティで高く評価はされたとは思えません。
この句集の後半の作とかになってくるとかなり花鳥諷詠と違うものですよね。そういうのがアルゼンチンという場所でできたということへの驚き。ブラジルで俳句をやるということと、アルゼンチンで俳句をやるということの違いなのか、不思議です。
守屋さんが先ほどの論文の中で仰っていたことが的を射ているのかなと思います。つまり、移民社会の規模の違いというものがいわゆる日本語の「伝統」的な詩形式としての俳句への諦めに向かったのではないか。ブラジルは移民社会のコミュニティの規模が大きかったので、何とか日本語を残そう、延命しようという動きがありましたし、今もあります。でも崎原風子にとったらこんなに小さいコミュニティでは日本語は滅ぶに決まっているじゃないか、という感覚だったのではないか。守屋さんは、だからこそそんな日本語や日本語詩への哀愁というものをわざわざ書く必要はあまり感じないのだ、というようなことを書かれています。
小川◆同じラテンアメリカですが、違うのですね。ほかに南魚座でありますか。
中矢◆南魚座の中で自分が選んでいる句はなかったのですが、個人的なことになりますが、自分はラテンアメリカのポルトガル語を勉強していて佐藤念腹の名前とかは知っています。サンパウロの日系移民の方の自費出版みたいな本だと思うのですが、栗原章子著『俳句&ハイカイ~自然探訪~ HAIKU&HAICAI Descobrindo a Natureza』を頂きました。脱線してしまったので崎原風子の話をすると、「海程」の文脈で読んだり、アルゼンチン移民の文脈で読んだり、色々な視座があるなと思いました。どの作家にも言えますが、どれくらいバックボーンとつなげるかつなげないかという個人という視座で読むことも大事かなと。
小川◆Ⅱ章に行きます。原さんお願いします。
原◆ 《蛾の勲章し青年のやわらかい未明》は、青年の胸のあたりに蛾が止まっていて、蛾の羽のビロードのような質感と模様の美しさは確かに勲章に通ずるなと。青年という存在にとっての勲章はただ一匹の蛾なのだと思うと、瑞々しくて美しい句だと感じました。
小川◆「やわらかい」という語は《みの虫満ちやわらかい「人類」という語》にも出てくるので傾向としてあるかもしれませんね。三世川さんお願いします。
三世川◆《ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母》は思いがけない新鮮感に惹かれました。景は抜きにして圧倒的に新鮮な感じ。大きな「河」に思いがけないものが対峙している存在感が新鮮で興味を惹かれました。《わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線》は秋のような無音な陽光と空気感の中で、私と寝棺という存在があってその有機と無機の関係の中で、命と物の関係性が面白くて戴きました。
外山◆《ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母》は構図としてできすぎている感さえあります。「河へ」「母」が入っていくことへのイメージも想像しやすさ、また「ツイスト」という賑やかなものから「河」という静かなものへという動から静への移ろいを漂わせながら書いています。できすぎている感じもするが、それでもすごく訴えるものがあるなと。それは「ツイスト終わり」という時代感のある言葉のチョイスによるものなのかなという気がします。これが他の言葉であったら時代を背負うことがなかった分、普遍性は得たかもしれないが、陳腐なものになったのかなという気がします。
「寝棺」の章全体についていうと風土以上に貧しさみたいなものがあるなと思いました。これが書かれた頃には日本ではもう失われつつあった社会の貧しさみたいなものが時間的に少し遅れて書かれているような。これが書かれた頃、日本社会は、たとえば林田紀音夫がもう書きたいことを書けるような時代ではなくなりつつありました。でもアルゼンチンにはそういった社会は全然残っていて、という。危機を感じつつあったはずの林田紀音夫とかはこうした作品をどう見ていたのかなと思います。
安里◆寝棺で私がいただいたのは《わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線》です。風子が第二回海程の新人賞を獲ったときの句群に入っていると思うんですけれど、確か「ツイスト」が一句目で、「わたしと寝棺」が二句目だったと思います。「等高線」という地図に書かれるものがすごく広がりを持って空間に印刷されているというか、「私」と「寝棺」が向き合っている。その周りに等高線が広がっているという、その広がり自体がなにか豊かなふくらみのあるイメージ。他の句で鬱々とした死や弔いのモチーフも見られますが、この句の豊かなふくらみのイメージはそれらの句と少し違った求心的なところがあるかなと思いました。
それで寝棺全体についてなんですけれども、さっき南魚座を読んだときに思ったのですが、大塚さんも指摘されたように書き方が変わってきている感じがして、南魚座の全てがそうだとは言いませんけども動詞にフックがある句が結構見られたかなあというのに対して、寝棺はすごく名詞の使い方にフックがある印象がありました。動詞より意味の働きが強いように思う名詞が、連なりの中で寧ろ意味を攪乱させているような気がして、作り方として面白いなと思いました。
寺井◆「ゆたかな等高線」という言葉の意味があんまりよくわからないんですけれど、「等高線」は地形図で見るとその高低差が非常に激しいところはたくさん線が入る。それでなだらかな場合はあんまり線が入らないってことになると思うんですけど、「豊かな」という言葉がちょっと微妙で「等高線」がたくさん入っているということなのかなだらかなのかということでだいぶ想像するイメージが変わると思うのでどっちなんだろうと思います。けれどそれは揺れがあるままでいいのかなと。読者に想像させるということでいいようにも思います。はっきりとしたイメージは結ばなかったんですけれど面白くて取ったという次第です。具体的にどういうイメージなのか皆さんに伺えたらと思います。以上です。
小川◆寝棺の章全体についてはいかがですか。
寺井◆「南魚座」より僕は面白いと思いましたね。Ⅲ章の方に入っちゃうと結構もうお手上げという感じですが、Ⅱ章ならまだ分かる。僕は俳句、特に前衛俳句はあまり読んでいないのですが、寺山修司が俳句を作っていた頃の、言い方は難しいですが暗いイメージを「寝棺」全体に感じて面白かったです。
小川◆Ⅱ章は、全体として安定しているので読んでいて充足感があります。《ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母》は「鮮明に」と言っている割には色が見えない。靴の色のみならず、母や河の色も消し込まれているように私は感じました。視点が屈折しぶれることで、乾いた透明な空気だけが読者にふれて来るような。「鮮明に靴ぬぐ」ってどういうことなの、と言うより言葉が言葉を追って出て来るような。意味で読ませるのではないと思っています。「終り」「脱ぐ」ことで着地点には気配しか残らない。ツイストは、この時期の「海程」にモチーフとして多く出てきます。
《わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線》はあえて山や盆地などではなく「等高線」で世界を表す。死者や棺の様子をあらわにするのではなくて、図中にそれらを置いて、距離感を出す。色がなくて線描だけがあるという景色のなかにも関わらず情感が漂う奥深い作品だなと思います。
大塚◆僕はやはり寝棺がイメージとしても抒情としても個人的には完成度が一番高いのかなと。Ⅰ章、Ⅱ章、Ⅲ章というなかで色々実験をして最後また抒情が入ってくるというのが、富澤赤黄男みたいな感じだなと思います。近いものを感じながら読んだという感じです。
寺井さんが言っていた寺山修司っぽいという読みには、なるほどなと思いました。寺山の第一句集の『花粉航海』を見ていると、花嫁や母や婚姻といったラテンアメリカ的モチーフの匂いはあるなと思っていて寺山の生まれ故郷の日本的なものと表裏一体でありながら逆説的に詠みこまれている感じがあると思うんですけど、素材としては崎原風子も近いものがあるなと思いました。
崎原風子の場合は裏返しというよりは割と一種の「季語的」なキーワードとして用いているなと思いました。さっきのブラジル移民の俳句の話にあったと思うんですけど、有季定型の求心力である歳時記という存在が薄いと思う。例えばアルゼンチンは俳句人口や立地の問題があって、作者も読者も季語に頼ることができない。したがって、その点では句に明確な中心があまりなく、むしろ焦点が複数ある感じかなと思ったんですよね。その中にあっては〈わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線〉、これは割と身体性というところにかなり中心が定まっている句なのかなと。「ゆたかな等高線」はなだらかでふくよかな地形的なふくらみ。そして私と、寝棺の中の亡くなった人の身体的起伏と重なりあってくるのかなと思っていて、素直に身体性で読めるかなと思います。
〈ぬくい挨拶ながれ娼婦のおびただしい箱〉、これは箱に収斂していくという感じですかね。〈あの手術台ときどき水から白鳥かえり〉、最終的に白鳥という中心のイメージに回収されていくと思います。僕はあまり取らなかったのですが、〈マネキン置場暗部へつながる家畜の眼差し〉、こういうのは焦点が複数ある感じ。〈ぼく等の生殖午前のビニールの薄い空間〉、明確な中心が設定されていない感じ。その揺らぎがこのⅡ章の句づくりの中では明確に燻ってきているのかなと思いました。南魚座の方はひとつ中心がすっきりとある感じの句が多いという印象です。寝棺のあたりから焦点が二つ三つあって楕円を書く感じなのかなと。感覚的な話になりましたが以上です。
中矢◆さっき(大塚)凱さんが歳時記の話をされていたと思うんですけど、ブラジルでの季語を集めた歳時記はあります。佐藤牛童子が編者だったかな。俳句文学館にあって、歳時記のついでにブラジルの風習も紹介するというような。
あっち(リオデジャネイロに三週間)に行ってみて、日本の歳時記じゃたちうちできないなというか強い気候みたいなものは感じました。現地で句を作るときに季語が抜け落ちる感覚は何となくわかります。季語が抜け落ちたものを「俳句」と呼ぶかは分からないんですが、季語以外の情報がたくさんあるというような。これは海外に旅行したときに周りにたくさんの情報があるという感覚は分かってもらえるかなと思います。
今回の寝棺もそうですが、私以外の存在が非常に多いなと。外界から言葉を取り入れてきている感じがすごくあって、言葉がごつごつしている感じがありました。《鳥性の少年稲妻に義手見せて》、これは二つ隣の《人造林で姉妹しろい義手を持ち》と関係があるのかなと。要素が多いわりにまとまっているなと思いました。少年が丘の上にたって稲妻の空に義手を伸ばしているというような、神話に出てくるような感じで印象深く取りました。《神父と風船つぎつぎと季節労働者たち》、ここの「季節労働者」が何を指すかは取りきれていないのですが、農家の繁忙期に一定期間来る人たちかなと思っているのですが、「神父」と「風船」と「季節労働者」はそれぞれ異なるものですが並列させると合うなと思いました。《あの手術台ときとぎ水から白鳥かえり》、真っ白な手術台と強い光からイメージが転換されていくのが面白かったです。どれくらいモチーフに引っ張られないで読めるかというところでした。持っていかれそうになってしまって。それもまた面白いなという感じでした。
石川◆まず、今までの話の感想になるのですが、寺井さんと大塚さんが寺山との比較のお話をされていたのが興味深かったです。恣意的な読み方になるかもしれませんが、崎原風子の《修道院でマッチ擦るたび明るい絵葉書》と寺山の《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや》を比較すると、二人の違いがはっきりわかると思いました。大塚さんがおっしゃっていた寺山の故郷の話…なんでしたっけ。
大塚◆イメージにおける花車などの祝祭日なイメージと、それとはかけ離れたものとして故郷をすり替えるような、逆説的な感じがしています。
石川◆分かります。寺山の場合、故郷への湿った感情と明るいポエジーが裏表に張り付いているようなところがあって、「マッチ擦る」の短歌でも、「マッチ擦る」という一瞬の明るいイメージが「身捨つるほどの祖国はありや」という重たくてウェットな祖国への思いにつながってくる。
一方《修道院でマッチ擦るたび明るい絵葉書》は、故郷へのウエットな思いみたいなところに全然つながっていかない。Ⅰ章のところでも言いましたが、自分のアイデンティティをどう語るかよりも、その飛び込んだ場所をどう描くかという点に目がまっすぐ向いているところに、この人の特性があるように思いました。句の感触が、ガルシア=マルケスの小説を日本語で読んでいるときに近いんですよね。日本人としてのアイデンティティに縛られていないから、翻訳文学を読んでいるような気分になるのかなと思います。
《わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線》の句について寺井さんが読み方を迷うという話をされていて、私も解釈に迷いました。直感的には「わたしと寝棺」が高いところにある、つまり「等高線」が密集していて、それが「ゆたかな等高線」という言葉になっていると取りました。「寝棺」をどのように捉えるかにもよると思うんですけど、死を悲しいものとして描くのではなく、ただ「等高線」によって他と隔てられていると書いている。
ただ、「寝棺」だけが線の向こう側にあるのではなく、「わたし」も「寝棺」側にいるところがオリジナルだと思いました。「寝棺」の中の人が誰なのかは全く書いていないけれども、「わたし」が「寝棺」側に飛び込んでいくことで、死、あるいは死んだ人への心理的な近さを感じさせます。句集では、ここで初めて「わたし」という言葉が出てくるんですよね。
それから、《婚礼車あとから透明なそれらの箱》。事前に見せていただいた資料でも評されていた句ですけど、これも不思議な句で、「それらの」の「それ」が何なのかは書いていない。実際に箱があるという読みをされていた方もいたと思うんですけど、私は、この箱は見えない箱なんじゃないかと思いました。実際の生活用品とかだけでなく、「婚礼」という儀式が引き連れてくる、両家の歴史やしきたりなどが、透明な箱にぎっしり詰まっているんだよ、と。「それら」という語が曖昧に置かれているのは、わざとなのだろうと思います。私がⅡ章で選んだ句は以上です。
あと「ツイスト」の句はいい句だなと直感的に思うのですが、これも句意をどう取るのかが分からなかったんです。一応私の読みだと、「ツイスト終り河へ」で一旦切れて、河を見たときに、昔、河で靴を脱いでいた「母」が「鮮明に」フラッシュバックしたのかなと思いました。「河へ」は上と下両方にかかっていると取ったのですが、先ほど楓子さんは「鮮明に」が消えていくと仰っていたので、読み方がちょっと違うのかなと。
小川◆私は「ツイスト終り」で一度切れる感じで読みました。ちょっと時空が変わって「鮮明に靴ぬぐ母」が別にあるという。
石川◆それだと「鮮明に」の「に」の置き方に違和感があるかなと。
小川◆そうですね。狙って「に」を置くことで焦点を拡散しているという印象です。
石川◆私はもっと散文的に読んでしまって、「鮮明に靴ぬぐ母の姿が思い浮かんだ」ということかと思ったんです。でも、どちらの読みでもあまりイメージは変わらないのかな。「靴ぬぐ母」が今目の前に見えている訳ではないというところは同じですよね。他の句についても、頭に浮かぶイメージは同じでも、細かい点では読みが分かれる気がしたので、いわゆる句意を他の方にも伺いたいなと思ったんです。私が前衛俳句を読み慣れていないせいかもしれませんが。
小川◆外山さんは「ツイスト」の句をどのように読みましたか。
外山◆「鮮明に靴ぬぐ母」は靴を脱ぐと言う動作を修飾しているのが「鮮明に」という言葉なのかなと思ったんですよね。寝棺も他のもそうだと思うのですが、寝棺の二つ目の《蛾の勲章し青年のやわらかい未明》の「やわらかい」だったり、《霊柩車やわらか磨かれる落葉期》だったり、修飾する語句をかなりねじって使っていると思うんですよね。恐らくこの時代の特に前衛的な俳句の中で行われていた印象があるんですけどその一種でこれは別に「鮮明に靴ぬぐ」なのだろうと思いました。何故「鮮明に」かというと靴を脱ぐという動作を目に焼き付けるような形で言いたかったのかなと思います。そんな感じです。
石川◆なるほど。
柳元◆色んな方が仰ったように南魚座よりは寝棺の方が取りやすい句が多いと思います。ある程度現代とパラダイムが共通している感じがあるからでしょうか。安里さんが南魚座は動詞で押しているとおっしゃっていましたけど、それは僕も思うところです。南魚座の動詞のがちゃっとした感じの修飾の仕方は社会性俳句の文体や飯田龍太の第一句集『百戸の谿』や森澄雄の第一句集『雪礫』を見ていても思うことですが、同時代的に動詞ががちゃついていたみたいなところはあるのでしょうか。今はその読み方って忘れ去られているというか、かなり読みにくいものとして片づけがちな気がします。今前衛として参照されがちな阿部完市にしても動詞でがちゃついた前衛というよりはそれこそ名詞であったり形容詞であったり韻律であったりににウェイトが置かれた前衛の方が今となっては読みやすいのかなみたいなことも思います。
《雨後の屋上蒸発したい猫がふえる》という句を取ったのですが、石川さんもご指摘なさっていた通り僕もラテンアメリカ文学のガルシア・マルケスとかバルガス・リョサを思いました。血のつながった濃い共同体の婚礼などの儀式が行われる中で見えていく景色の中で書かれていく句がすごく土着的です。景色を通して日本的なものを顧みるような望郷の念につながるものではなくて、土着の物を書き留めようとする。その中でも《雨後の屋上蒸発したい猫がふえる》が景も見やすいしいいなと思いました。雨上がりの屋上と町並みも見える訳です。雨後のカンカン照りのアルゼンチンの太陽。太陽については先行する評論にもありましたけど、アルゼンチンの風景みたいなものを思いました。「蒸発したい猫」というと安易に失踪のイメージを思うんですけど「雨後」という言葉があることによって本当に液体が気化するような感じのそのイメージもギリギリ引き留めてくれている。
他には僕《乳バンド売る老人等絶えずラクダ蒸発》、これも「蒸発」という言葉が入っています。「乳バンド」って調べたらブラジャーのことで、大正末期ぐらいに日本が輸入したのですがブラジャーという語だと何を指すかわからないから「乳バンド」という語に置き換えたらしいです。戦後もその語が使われているところも含めて非常に移民文学らしい名詞で生活に根ざした語彙であるという意味でいいなと思いました。「ラクダ蒸発」…、なんで動物がすぐ蒸発するのかみたいなところはちょっと僕も分からないですけど、この句においてはその老人の身体の皮膚が垂れている感じと、「ラクダ」の皮膚も重力に負けて垂れさがっている感じがあってそういうのが重ね合わせられているのかなあと。
小川◆「蒸発」って当時の「海程」の句でよく見るんですよね。色々なものが蒸発するなあというのを思い出しました。
原◆私も《雨後の屋上蒸発したい猫がふえる》を取ったのですが、文法的に捻ったところはないのにじわじわと怖い句だなと思いました。猫の蒸発したさや、その数の増減まで感じ取れてしまうのは異様な感覚で、それはこの人自身も蒸発したいからではないかなと。「雨後」はどちらかというと生命力が強まる時間帯だと思いますが、そこから逆に蒸発という消えていくような感覚を得ているのが恐ろしいなと感じました。
それ以外の句では、《森に皿みがかれ獣に透明な季節》《あの手術台ときどき水から白鳥かえり》を取っています。冒頭の方で外山さんが有機物と無機物の話をされていて、そこでおっしゃっていた内容とは少しずれてしまうかもしれませんが、どちらの句も、有機物と無機物の組み合わせが魅力になっているように感じました。《森に皿みがかれ》は、「獣」や「森」といった生命=有機物と「皿」という陶器=無機物が組み合わせられていて、白くてツルツルした陶器が突然現れる異物感が面白いなと思っています。《あの手術台》は、「白鳥」と「手術台」という死に近いもの、銀の手術器具のような冷たい無機物が組み合わせられている。
有機と無機については、原満三寿さんの評論に引用されていた崎原風子の言葉を読むと、崎原風子は「有機的」という言葉を「意味的」というニュアンスで使っているように思いました。Ⅲ章の句では、意味のある言葉を「有機」、意味を結ばない単なる音の並びのような言葉を「無機」と捉えて、「有機物と無機物の組み合わせ」を試みているのかなと思ったのですが、Ⅱ章の場合はモチーフのレベルで、有機的なものの中に無機的なものを挿入することで生まれる異物感を狙っているのかな、などと思いながら読んでいました。
小川◆ありがとうございます。平岡さんいかがでしょうか。
平岡◆平岡です。普段は短歌をつくっています。よろしくお願いします。今せっかくⅡ章の話だったのでⅡ章のことから話しますね。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ章どれにも言えることだと思うんですけど、テーマがはっきりしているなということをまず感じます。モチーフに特徴があって、胎児や嬰児、あるいは逆に老人や肉、そういうモチーフが繰り返し出てくるんですが、身体、生殖に対する嫌悪感や忌避感みたいなものが強く表れているのかなと思います。そして、そこにも関係すると思うんですけど、未分化な存在だとか、不完全な身体に心を寄せていく感じもあるのかなと思っています。義手とかもけっこう出てきますね。
わたしはⅡ章から二つ選んでいるんですけど、まず一つ目は《搾乳場で少年白い風景盗む》、「搾乳場」と「少年」というのは意味ありげな組み合わせで、「少年」と組み合わせられるとき、「搾乳場」からは授乳と精通の二つを連想する気がするんですよね。「少年」を、少年以前の時間、少年以後の時間の両側に引っ張るというか。その磁場のなかで「白い風景」と言われると、生まれる前でもあり、死後でもあるような「白い風景」のなかにぱっと投げ出されるような感じがして、イノセントな存在である「少年」をこのまま凍結させるような力がこの句にはあると思います。そういった象徴性が読みとれると同時にこの句はもっと単純に実景の言い換えとして取ることもできて、「白い風景盗む」というのもたとえば「お腹が空いたから牛乳を盗んだ」ということかもしれないし、あるいは「搾乳場の風景をつよく心に焼きつけた」というようなことかもしれないし、そういう普通の実景としても取れるんですよね。さっきⅠ章のときに石川美南さんが《納骨堂(パンテオン)口をひらけばみな独語》について「実景としても隠喩としても機能する句」とおっしゃっていましたが、その感じの発展形かなという風にも思います。
もう一句取ったのが《産院裏父ら縞馬と茂りあい》という句で、これは滑稽なユーモアがありつつ、内容としては正に今「産院」で起こっていることへの呪いだと思うんですよね。「産院」つまり出産の裏側で、出産には関わらない「父ら」が生殖とは切り離されるように動物と交わらせられる。しかも「茂りあい」と、なんとなく植物性の方向にまとまっているところもおもしろいなと思って。この句は韻律にも特徴がありますね。「い」音の縦縞みたいで、どことなく内容と合っている。Ⅱ章はそんな感じのテーマを読みました。それで、先ほどから何人かの方がⅡ章が完成度が一番高いということをおっしゃっていて、それはもちろんそうは言えると思うんですけど、なんかそれもどうかという気持ちがわたしはあって。
Ⅰ章からⅢ章にかけて、おもしろさは確実に右肩上がりなんだけど、取れる句と取れない句の差はどんどん大きくなっていって、まとまりとしては右肩下がりなんですよね。上がっていくおもしろさと下がっていくまとまりの交差する場所がⅡ章にあるとしたら、バランス的にいちばんちょうどいいということにはなると思うんですが、それを完成度が高いと評価していいのか。
大塚さんがさきほど一句ごとの話として「中心が複数ある」ということをおっしゃっていて、それはすごくそうだと思うんですけど、一句単位だけではなくて作家性も中心が複数ある感じがして。ひとつの基準を軸にどのくらい達成されているかとか、劣化しているかとか、そういう判断をするのはちょっと難しいかなという気がするんですよね。
Ⅰ章の〈南魚座〉もとてもよくて、ほかの皆さんもおっしゃってましたけどⅠ章の感じで一冊まるごと構成されていてもぜんぜん読めるなーと思います。とくに好きだった句は《夏の月の体臭吐ける老朽船》、《向日葵群れ焦点のない焦りくる》、《ぶどう掌にアンデスの夜かわきくるか》、《六月の夕焼濡れた水夫のように》など、どれもすごくイメージが綺麗で。後からおもしろい句がどんどん出てくるから、それならこのへんのボールは見送るかなーという気持ちになってしまってⅠ章からは取らなかったんですけど、ふつうにⅠ章もすごくおもしろかったです。
黒岩◆Ⅰ章との比較のことは今回の読書会のキーポイントになってくるのかなと思います。一句における展開を読むことはあるんですけど、「中心が複数ある」とか「ごつごつしている」という特徴は一句において違う時空が現れることで起こりやすいのかなと思います。そういう句が南魚座より増えてくる。
《森に皿みがかれ獣に透明な季節》、「季節」という風にまとめてしまうような言葉を使うように見えて、それが「透明」である。「皿」という質感のあるものから「獣」の存在性が薄れていくというなんか静かな裏切りみたいなものを感じます。《匙から匙へ未明薄められる嬰児》、命に関わるものを必ずしも肯定的な目線で見ていない。具体的な「匙」から始まっているのは分かるようで分からない感じがありますね。何か象徴的な記号を使っているのかなと思いながら、それが「嬰児」が「薄められ」ていく様子に変わっていく。「匙」が複数であるかのようにも感じられる。曖昧な微妙さも伝えられてるんじゃないかなと思います。 《船・男等ねむらせて午後は多毛へ》の「多毛」という言葉の唐突感には、太陽の照り返しを思ってもいいかもしれないし、驚きがかなりあるかなと。あとは「船」と「男等」を対置させ等価として扱っているのもかなり興味深いです。
挙げられていない話の中では、アルゼンチンは現代でも7割以上がカトリック教徒であるということから、宗教的な素材やモチーフを使っていることをこの中でどう捉えるかってのは結構大事なんじゃないかなと思います。石川さんが仰っていた風土をどのような立ち位置で捉えるかということにはかなり関わってくるのではないかなと。ただ敬虔なカトリック信者であるような態度を見せた句もないような気がしていて。そういう宗教的な要素を取り入れつつ、生や死をあまりえぐりとるような生々しさではない形で書こうとしていることに興味深い点がかなりありましたね。《修道院でマッチ擦るたび明るい絵葉書》の「修道院」っていうのは舞台設定として「絵葉書」に飛ぶためのジャンプ台として使われてる感じがありました。
小川◆崎原風子がカトリックであったかは、不明ですが「妻が子に洗礼を受けさせたいと言う」と言う話は事前資料に書いてあったし、影響は受けていたと思います。生活の中にあったのは間違いないだろうなと。また、南米のカトリックは日本のカトリックとは違うんだろうなと言う気もします。その辺りは、これから調べていきたいです。安里さん、ここまでを通していかがですか。
安里◆寺山の話で聞いていて自分の中にはなかった観点だったのでなるほどなぁと驚きました。さっき柳元さんも言及していたのですけれど、動詞や名詞の変容の辺りに、無論、社会性俳句や前衛俳句の影響だけではないでしょうけれども、その他の作家の書き方みたいなものを何か摂取したのかなと、私はなんとなく印象していたので、寺山という角度はなるほどそういうところに行きつくのは面白いなと頷いた次第でした。
他の作家の書き方に関連してⅢ章をつまみ食いしてしまう感じもあるんですが、西東三鬼の印象もちょっとあるかなという気持ちもあって、というのは《8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ》とかは、三鬼の《広島や卵食ふ時口ひらく》、この句は戦後2年ぐらい経って発表されたかと思うのですが、このように先行する句と関わって風子自体がイメージを具体化して表現しているのかなという風に思いました。
それと、Ⅱ章を完成度で考えたとき「作品の完成度」にどういう視座を用意するかによるとも感じますけれども、後半の方がより挑戦的な方法に向かっていく感じがあるというか、南魚座からもっとはるかな8へまで、本当に章を追うごとに、結構書き方が変わっていく。そしてまた変わり方がどんどん挑戦的かつ心象的になって音とかに向かって行っている感じがかなり興味深いです。
(後篇につづく)
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安里琉太選
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
う。夜あけ前のうすい肉親それらの離陸
ふ。しあわせな幼年のねじ式の空
象1頭の心象都市や時間の鋸歯
薄みどりの頭蓋と地球自転あり
石川美南選
納骨堂(パンテオン)口をひらけばみな独語
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
婚礼車あとから透明なそれらの箱
ン。洪水の記憶が石のようにとぶ
水は空にヨハン・クイナウ歩道橋
大塚凱選
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
ぬくい挨拶ながれ娼婦のおびただしい箱
あの手術台ときどき水から白鳥かえり
犬の昼血は木のように立って眠る
花嫁と赤く置かれた綿刈機B
小川楓子選
ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
い。そこに薄明し熟れない一個の梨
8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ
ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器
黒岩徳将選
みの虫満ちやわらかい「人類」という語
森に皿みがかれ獣に透明な季節
匙から匙へ未明薄められる嬰児
船・男等ねむらせて午後は多毛へ
都市はながれるロープ鳥のあらい目覚め
寺井龍哉選
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
未明にある沼父母にない歌う習性
空にひろがり夏すでに馬喪いつつあり
白日のオートバイ老婆の到着性
花嫁と赤く置かれた綿刈機B
外山一機選
野の十字架冬日尽きむとして奢る
ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母
八月おまえは太陽と灰反芻する
い。そこに薄明し熟れない一個の梨
8から見えるかーんかーんと犬の昼
中矢温選
鳥性の少年稲妻に義手見せて
神父と風船つぎつぎ季節労働者たち
未明白く塗られ清潔な死鶏あやす
あの手術台ときどき水から白鳥かえり
産院裏父ら縞馬と茂りあい
原麻理里子選
みの虫満ちやわらかい「人類」という語
蛾の勲章し青年のやわらかい未明
雨後の屋上蒸発したい猫がふえる
森に皿みがかれ獣に透明な季節
あの手術台ときどき水から白鳥かえり
平岡直子選
搾乳場で少年白い風景盗む
産院裏父ら縞馬と茂りあい
8から見えるかーんかーんと犬の昼
水を欠いた洪水〈だだ〉の電話局
父よ逃げる鏡よ月色の犬よ
三世川浩司選
ツイスト終り河へ鮮明に靴ぬぐ母
わたしと寝棺のまわりゆたかな等高線
い。そこに薄明し熟れない一個の梨
8月もっとはるかな8へ卵生ヒロシマ
ヒエラル墓地の昼の一日の大きな容器
柳元佑太選
雨後の屋上蒸発したい猫がふえる
乳バンド売る老人等絶えずラクダ蒸発
まぶしい欲情それに蹤いて密集の魚
〈赤い犬〉というジン嚥下するレー時間
紅葉のなかの犀荒廃のピアピア
2019-07-14
【週俳6月の俳句を読む】時評に少し触れて 柳元佑太
【週俳6月の俳句を読む】
時評に少し触れて
柳元佑太
前書きにしてはやや長いけれど、作品評に入る前に上田信治さんの時評について触れたい。上田信治さんのいわゆる「通俗性について」は色々反応があったみたいだけれど、ぼくは良かった、と思っている。別に「週刊俳句」に胡麻をすっているわけではなくて、必要なものだったと思うので。
前半(時評のようなもの5「それは通俗性の問題ではないか?」)から触れると、角川六月号の「令和の新鋭」特集で取り上げられた俳句の書き手は確かに、自分を含めて(ぼくも「澤」から推薦してもらって句を載せていただいていたので)、何かの価値観と非常に近いところで、そこへ向けて句を書いていて、自分を投げ出す運動がほとんど無かったと思った。
そしてそういうものは単純に読んでいて面白くないなと思った。内側から外側へ押す力が足りないと思った。句を論じてからそういうことは言ってほしい、という声もあって、それは正論ではあるとは思ったけれど、でもそれはこの時評の目的を鑑みた時、望みすぎだし、それが上田信治さんの批評に対しての唯一の反撃であるならば、書き手としてあまりにも寂しいな、と思った。
それから、神野紗希さんの時評への反応は、あれはいくつかのレイヤーで論じることが可能な問題であると思うので、そのひとつの眼差しとして、通俗性というレンズを用いたのは慧眼だったのではないか。昭和三〇年世代の書き手は、ああいうそぶりが得意だと思う。通俗かどうかを置いておくとして、なんらかのポーズを交えた主体、という話として。擬古典派、と呼ばれるくらいなのだから、書かれたテキストは明らかに何らかの仮面であって、問題とするべきは、なぜそのような仮面をいま被る必要があったのですか、ということなので、そういう意味では、直接的にフェミニズムの立場から内容を問うのではなく、ワンクッション挟んで、通俗性として問い直すのは、テキストに対して誠実だな、と思いました。
後半(時評のようなもの6「ふたたび通俗性について」)は、いよいよ切れ味が増していてちょっと慄いた。片山由美子さんを「野蛮」と見なすそういう言葉遣いには、ネット媒体における批評は、ある種の偏差値の低い炎上を伴う方が拡散しやすい、ということが狙われているように思った(そういう意味では「発火性物質(バズ・ワード)」だっただろう)。
そうなると次に、「野蛮」は倫理としてどうなのか、と問われなければいけないよな、と思った。人を「野蛮」というときの批評の倫理の話になってくるだろう、と。
結論としては、ゼロ年代以降のある種の相対主義から撤退して、きちんと「NO」と言ったものだと思っていて、ぼくはこれを積極的に支持したい。もちろん若干倫理には抵触するので、そこの傷を思わないわけではないし、それはそうなのだけれど、パワー(権力)にどう抗うかという問題だと思う。結局。
俳壇的に上位におそらくいるように見える(俳壇なんて何か意味があるのかというのは置いといて)片山さんに対して「野蛮」であると指摘するということは、パワー(権力)に対しての戦略なので、それを加味したときに(かつそれが批評というプロレスのリングの上であることを考えると)、これくらい許容されてもいいのではないかな、と思いました。もちろん許容されてもいい、という言い方は、自らの咎を認めてかつ相手にその許しを公然と求める態度なので、ある種ずるいのですが。でもしょうがないと思う。
しょうがないとはなんだ、と言われそうなので、そのしょうがなさをちょっとだけ書くと、ツイッターで「夕焼けて」とか「夏痩せて」などの言い方を「誤用」とすることの是非について盛り上がったけれど、学問的な(つまり言語学的な)アプローチをするなら、そもそも「誤用」だなんて絶対言えないはずで、つまり言語の変化(ゆれ)を「記述する」のが、学問的な態度なので。「判断する」のはアカデミックでもなんでもない。つまり「夕焼けて」「夏痩せて」が正しいかどうか問題は、文法の問題以前に、「誤用だと『断定』できるメンタリティーの問題」だと思うんです。単純に。「判断する」方たちは、学問的なステージで話をされておられないのだから、龍太の〈夕焼けて〉や鷹女の〈夏痩せて〉を提示したりしても、そんなに意味はないと思う。痛くも痒くもないと思う。もうそこに学問的な態度はないのだから。あるのは越権的な(自分の主義信条を、自分の結社やそれに準ずる場所以外において適用するのは越権以外の何物でもないでしょう)教条主義なだけなので。
だとすると、それに対抗できるぼくらの手段は、そういった越権行為に対して、そのメンタリティーは、もしかして「野蛮」と呼ばれるようなものではないですか?と言い続けることしか残されていないと思う。
さてようやく作品評に移る。どうもすみません。
○町田無鹿「飛沫」
町田無鹿さんは「澤」で句座を共にしている。「澤」は「方言」(これはいわゆる澤調の比喩です)が強いところのように思われていて、事実それはそうだと思う。しかしだからといって、その「方言」を理由にして読むのを止めてしまわれるのは不本意だ。「方言」を喋っていることだけをあげつらわれて評を終えられることもしばしばで、それはどこまで誠実なんだろうな、と思う。「澤調」のなかでも日々アップデートは行われているし、そのあたりまで読んでほしい、というのは傲慢だというのは分かっているけれど、そこに思いを馳せるくらいの身振りは行われてほしい。
というようになぜ鼻息荒く「澤調」の話をするかというと、
ソフトクリーム舐むれば凹み舌の幅
この句が「澤調」であることを理由に読み飛ばされるのはとても悲しいからである。「澤調」というのはパターナリズムみたいところがあって、それだけに、特に下五でどれだけパターンに抗うかというのが一句のかなりのウェイトを占める。掲句の「舌の幅」に関して言えば、「凹む」まで言いながら、さらにその凹みは「舌の幅」なのだ、と踏み込んでいく書き方は、「澤調」の王道そのものなのだけれど、でも、これはやはりパターンでは書けない。言葉の密度として、「幅」まで書き込まれたら、パターンの先まで到達していると言っていいんじゃないかなと思う。
薔薇紅し大輪なるは俯き咲き
逆に、この句は堂々としていて、かつ中七で切るという澤調の型からも少しずれているけれど、「俯き咲き」に微妙に澤の文法が内面化されている気がして、一句目よりはうまく乗れない。
薫風や犬乗せて来る乳母車
薄暑なりおのおの運ぶパイプ椅子
そしてこのあたりのシングル・ヒットはおそらく無鹿さんならすぐに書けるであろう句であって、無鹿さんのこういう句を褒めるなら、それは無鹿さんの作家性に対して失礼だと思う。おおむね箸休めのような気持ちで連作に組み込まれたのだろうなという気すらするので。
金雀枝や酒誉むるうた中世に
舞曲の弓おほきく使ひ涼しさよ
それよりも、こういった、趣味的な香が強く出ている句の方に惹かれるのは、ぼくは無鹿さんの作風を知っているからなのだろうけれど、こういった句がより強度をもったとき、内側から外側へ向けて膨らむように書かれる魅惑的な十七音のことを思うし、考えてみればそれは師と仰ぐ小澤實のひとつの書き方に似ているのではないか。そういう意味で、つまり澤調であるとか、そういう外形的な要素ではなく、内側から外側へ、伝統俳句の枠組みを推していくような書き方を志向する点において、ぼくは町田無鹿という「澤」の先輩を信頼している。
○谷村行海「群れ」
それとは対照的にというと語弊があるけれど、谷村さんの句は外側を内側にしようと試みる運動によって書かれているように思える。俳句の外の語彙を、俗っぽさ(これは上田信治さんがいう「通俗性」とはまたニュアンスが違うけれど)を引き受けながら、でも俳句の形式に馴染ませるバランスの操作を行いながら書く。そこの妙な歯車の回転が、書き味に変わっている句に惹かれた。
船酔ひやディズニーシーの春夕焼
例えば掲句は中七に置かざるを得ない「ディズニーシー」という語彙をいなそうと考えた時に、俳句的な語彙でサンドイッチしようと考えるのはすごく物理的な解決策ではあるのだけれど、この妙な湿度は、出そうとしても出せない気がする。
ヒヤシンス一本コロッセオの記憶
あるいは素材主義なのかもしれない。ローマにヒヤシンスがあるかどうかはわからないけれど、句としての価値をはかる四則演算の途中で手を放して二物衝撃を試みるような、すこし雑にも見える詩性への接近の試みは、もうすこし言語が練り上げられた感じが欲しい読者にとってはやや物足りないものになるかもしれない。
けれど、
恋猫は糞踏み舐めて見つめをり
この句のように、なんならやや「澤」の価値観に近いような言語処理もしたりできるし(動詞を三つ重ねるのはやや芸としてはインスタントさを感じるけれど)、実際は器用に書くを志向されているように見える。
ただ、
メンヘラの多くはアイス最中好き
には乗れなかった。素材で俳句を拡張しようとせんとき、最低限俳句の内部に素材を持ちこまないと俳句は拡張されないのではないか。ぼくはこの句に、俳句の内部に食い込めるほどの強度が織り込まれているようには思えなかった。
○津野利行「戻らない日」
子供、妻などの身の回りを書いている。全体として、言葉に無理がなく、定型のなかに水が満ちているなら泥煙などは一切ない。立つ鳥跡を濁さずとはいうけれど、言語操作をしたあとの言語の濁りのなさを思った。
夕方が一番きれい麦の秋
言い回しに多少の差はあれ類想が無いわけではないのだろうけれど、気持ちよく読めた。読み下ろすということに価値のウェイトを多く割いている。ただそのぶん意味性に関してはやや俗に通ずるところが見える句もあって(これは上田信治さん的な意味とやや近い)、
戻らない日を夏蝶の飛びにけり
女房に食はす土曜の鰻かな
「戻らない日」は連作のなかの一句として読んでもややベタに見える。ことに鰻の句に関しては、小川軽舟の芋煮の句にも通ずる、ややたちの悪い俗だと思う。書かれている意味の緩さは、その定型感覚を込みで消費しないとあやういように思わせてしまうし、そういう意味でこの澄んだ定型のなかにどうやって意味を充足させていくか、ということを思った。
涼し気な音水筒に持たせくれ
自転車を押して二人の夏の月
イデアのような家族生活を見せるよりも、もので見せる方が安心して読めるなあと思ったりもした。
穏やかな海に戻りて夏の果
季語がベタにつくことでしか見えないものもあると思っていて、この句のベタさはとても好ましいように思えた。身の回りの言葉をきちんと信頼して使っている書き手のように感じて、それは十句のうちどの句からも立ち現れている。
○柳本々々「ふたりでくらす暴風雨」
川柳の力学と俳句の力学の違いはと、それを考えることの意味のありなしに関わらずときおり考えるけれど、この十句を前にした時に、何か言い得てようとするならば、向こうから踏み込んでこない句があって、その句についてまず考えてみたいと思った。
手のひらのやぶけたところ桜桃忌
どの手持ちの価値で回収していいのかわからない淡白さ、無欲さみたいなものを思うときに、
夏帽子バスから見えるバスの群
梅雨晴間死ぬまでずっとおんなじ眼
これらのような季語はどうもとってつけたような感じがして、それはどうも、言葉との関係の結び方の問題な気がするのだ。つまり、必要以上にひたらない、一定の客観性と距離がどの言葉の接続にもある気がする。
桜桃忌ちっちゃいフィギュアこぼれおち
ぼくたちは桜桃忌ということばを深読みすることを求められているのだろうか。しかし連作の言葉のタッチからしてどうもそうとは思えない。しかしそうすると季語をどう回収すればよいのかわからない。関係性が淡いのである。なんというか、すごく言葉にしにくいのだけれど、白昼夢のハンドリングが出来ないのに似た感覚を、思うのである。ただ眼差し、視点としてそこにあることのみを許された感じというか。うーむ。もちろん最低限のハンドリングはされていて、負荷もないのだけれど、どこかしらの茫洋とした感じ、螺子がしまっていないような感じがする。
雨に濡れずっしりの服桜桃忌
かたつむり二人で暮らす凄まじさ
「ずっしりの服」あるいは「凄まじさ」などは俳句の力学にないズレを感じて、もちろんこういう見える差異も面白いのだけれど。
夏館大きな鳥にみえる人
逆にこの句などは、けっこう俳句として読めた。
解像度があっていない感じがもどかしかった。柳本さん、すみません。
○山根真矢「龍穴」
端正な句の読みぶりで、配慮が行き届いているように思った。ぼくが鑑賞として言葉を尽くす必要がない句が多いと思って、それがとても嬉しいと思った。
走り梅雨らしき糸雨ポプラの木
糸雨のすじを引いて垂れていくイメジがポプラの木に転化されて、あざやか。
蜘蛛の乗る芥は岸を離れけり
たしかな句があるというのはいいよな、と思った。
胡麻ほどの萍に根のありにけり
「ある」という簡素な措辞が写生を成り立たせることがずっと不思議なのだけれど、ぼくにはこれが写生の価値にコミットしているように思えるし、やはり何が写生を成り立たせるのかというのはじっくりと考えてみたい。
子蟷螂透きとほる足踏ん張つて
と思えば、対象に没入していくような写生も出来る。
鳶来れば湖近し夏休
この句が抜群に好きでした。フレーズも、季語のおおらかさも。ぼくもそろそろ夏休みだな。
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2018-08-26
2017落選展を読む 13. 「柳元佑太 教科書のをはり」 上田信治
2017落選展を読む
13. 柳元佑太 教科書のをはり
上田信治
柳元佑太 「教科書のをはり」 ≫読む
田中裕明への憧憬を思わせる一連。
とてもいい句がある。
けふよりの旅靴に竹落葉かな
裕明の「これよりの」は怖い句だったけれど、これは、楽しい句。旅行用に靴をおろしたのだろうか。竹落葉の明るさもいい。「鞄には本が一冊竹の秋 裕明」へのアンサーかもしれない。
あの作家(特に晩年の)にならってか、文物について、死についての句が多く、これについては、首をひねってしまった句が多い。
文物の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
うららかや贋作のあをうつくしく
翻訳を経て名文やおじぎ草
さるすべり佳き平仮名にぐりとぐら
サルビアや絵は船旅を経て額に
蔵書庫におほきな柱秋深む
死の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
さはれずの墓たちのぼる紫雲英田は
その人の喪が白藤のをはりどき
夏たけなは丘全景に墓の照り
柚子の花骨壺に骨ひとりぶん
かりそめの黄泉かとおもふ苅田かな
その人をかたどるに菊つめたかり
「たはぶれの」の句。実体験としてもフィクションとしても「余寒あり」では、ずいぶん思いが薄いんではないかしら。「余寒」と「余白」をかけているにしても、まだちょっと寒い、では。
「さはれずの」の「さはれず」は「『切られ』与三」の「切られ」みたいな体言化した形容句で、触れることが禁忌となっている墓があるのだろうか。墓が「たちのぼる」というのは(「丘全景に墓の照り」という句もあるから)紫雲英田のふちから斜面になっていて、そこに墓が建っているのか。なんか祭文か謡曲のような、ことばのうねらせようだけれど、あやつりきれていないのでは、と思う。
「喪が白藤のをはりどき」、「喪も白藤も」とも「喪の白藤の」とも書ききれず(そう書いたら意図が露わになりすぎる?)「が」としたのかもしれないけれど、ばらばらになってしまっているのではないか。
「骨壺に骨ひとりぶん」いつ、どういう思いでそう思ったんだろう(骨壺に骨ふたりぶん、ということはない)。「骨壺は」なら、はじめて近親者の死にふれたとき思ったということで、よく分かるけど。
つまり自分は、この人の死の句に、ものものしさとそれに相応する思いの薄さが見えてしまって、乗れないわけです(モチーフが人の死でなければ、あるいは表現がものものしくなければ、思いの薄さは欠点ではなくなる、もちろん)。
文物の句はそれほど嫌味はないけれど、「うららかや贋作のあをうつくしく」には、そんなにきれいな「贋作」があるかなと思ってしまうし、「ぐりとぐら」は、そんなに佳きひらがなだろうかとも思う。
まあ、一年以上前の作品について、あれこれ言うことは、申し訳ない。作者はずっと先に進まれていることだろう。力作であろう句群(編集部の一次予選は通過している)だけに、練りが足りない、こしらえものに見える部分が気になったということです。
教科書のをはりの雪の詩なりけり
これも、とてもいい句。「をはりは」でもいいと思うけれど、この「の」は、その「詩」を広い場所へ押し出す意志なのだろうと受け取った。
2017角川俳句賞「落選展」
●
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Labels: 2017角川俳句賞落選展, 上田信治, 柳元佑太, 落選展, 落選展を読む
2017-11-05
2017角川俳句賞「落選展」第3室
■2017角川俳句賞「落選展」第3室■
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11. ハードエッジ 豚カツ
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12. 宮﨑莉々香 うそぶく
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13. 柳元佑太 教科書のをはり (*)
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14. 薮内小鈴 東都
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2017角川俳句賞「落選展」第3室 テキスト
■2017角川俳句賞「落選展」第3室■
テキスト
11. ハードエッジ 豚カツ
大いなるシーツが飛んで花吹雪
花ふぶき張子の虎も吠ゆるかな
鬼さんもこちらへござれ花の宴
一族は亀鳴く村に住むと云ふ
かりそめの蜜にふくるる蜂の腹
ぴちやぴちやと水の音して恋の猫
噛み抱くは子猫の時のタオルなり
砂浜のこれより岩場松の芯
薄紅の唇硬し桜鯛
子鯨も乳呑むころか朧月
行く春を乗せたる象の歩みかな
花だけで終ることなく花は葉に
瀬戸内の駘蕩たるも花蜜柑
半玉のキャベツ売らるる仰向に
買ふべしや黴除の護符なるものを
客布団黴を寄せじと絢爛に
十薬に白鷺城の見ゆるかな
強きもの力あるもの雲の峰
待ちかねし快音バット缶ビール
日焼子の鼻の頭の仔細かな
金魚玉割れんばかりに赤子泣く
美しき黒の剥落揚羽蝶
ビニールも儚かりしが蛇の衣
水音の縞の浴衣でありにけり
打ち捨てて次なる町へ夕立行
蝉燃えて黒くなりたる原爆忌
寂しさに音ありとせば遠花火
白狐もとより踊上手なり
青虫の腸青き機嫌かな
さらはれて菊人形の傍らに
遠浅の刈田ありけり日が沈む
ひとつ買ひその他の虫は聞き捨てに
南瓜煮て一晩寝かす手紙かな
流星や古墳に神の剣あり
朝々に木の葉が舞へば雀らも
包まれてコロッケ熱し初時雨
木枯に金鈴を買ふ銀座かな
干布団枯野の見ゆる丘の上
ぼろ市のこれは波斯の市場より
懐しき善男善女日記買ふ
聖しこの夜の厨の煮凝よ
水族館に海の一族注連飾
女の神も乗せて目出度し宝船
この山に氷の瀧の幾柱
ゆるやかに階段状の雪として
硝子戸の外に置かれて雪兎
水仙を切つてぽたぽたしてゐたる
水仙を生けて古りゆくものばかり
老先生大学を去る桃の花
豚カツを母が作るよ春休
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12. 宮﨑莉々香 うそぶく
飴なめる舌のびのびと花ぐもり
昼は春みんなで銀杏をわける
球根をならべもどれないんだよもう
文学が都市とは別にあるつばめ
どこでもないわかめのながれつくひなた
やさしさが僕をはなれて芹に水
ささやかにつつじを捨ててあるきだす
ノートとるほんとつまらないね虹たち
感情を消してはちすのむれになじむ
はないばらあとがきを書き終へひとり
グラジオラスふちどる雨が幕のやう
夏つばめ文字が全員をあやつる
雲のみね電車でめくるめくページ
飛び込んで足にじいろになつてゐる
まつりまちなみその後をもどかしくうそぶく
ほうせん花鯉をみつめてゐてしやがむ
なぜだらう朝顔にゆるむくちもと
狂ひつつ口がすいかをたひらげる
つくつくぼーしいつものコーヒーをたのむ
コスモスばたけみんながねぢまきでうごく
九月きつとこれはだれかのための夜景
霧ふかいところ真顔になる紳士
無意識の銀河が声なんだすべて
こほろぎをつかんで匂ふ普通の手
秋のゆうやけかばんから出すボルヘス
或る林檎どこか演劇めく窓辺
くつわむしはりがねじぶんからまがる
消しゴムで消したくらいに白い月
怪我をしてなにもがみにくくてささなき
寒林をいつかの書庫としてあゆむ
たき火してゐる息をしてゐるすばらしさ
なにもかも記してもとのすがたしぐれる
手をつなぎむなしくなつてゐる白鳥
ポインセチア地面に鳴らす傘の先
ハサミてざはりのつめたい花を出す
正月が来てなんとなく食べる海苔
歌留多のなかに日の丸と部屋がある
はるの青ぞら少しだけ生きながらへる
機械からうごかなくなつてつちふる
パンジーを見るもごもごとしてしまふ
あ、風船。アパートの平坦な壁
立ちどまるなかをさくらがふつてゆく
暗やみがくくたちのすべてのひとひ
なのはなにほほゑみはあるけれどない
楡の花実家の子ども部屋のくらさ
麦の秋鳴るだけのピストルを撃つ
虹を見てゐて片方の手で振り合ふ
かたつむり家族ふるびていくところ
くるぶしほうたるわかりあへないとつぶやく
くたびれて夏野を最高に行かう
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13. 柳元佑太 教科書のをはり (*)
教科書のおもての照りや春疾風
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
薄氷のうへの冷たきにはたづみ
苗札やその陰に芽をかかやかし
うららかや贋作のあをうつくしく
化けさうな猫に子猫のありにけり
春の夜の字幕の愛のつたなけれ
バベル以後塔のかなしさつばくらめ
さはれずの墓たちのぼる紫雲英田は
函館に花前線がぶつかりぬ
その人の喪が白藤のをはりどき
見えてゐる藤のかをりを云ふべしや
翻訳を経て名文やおじぎ草
はつなつや布を帆と呼ぶこころあり
影為すにものとひかりぞ夏雲雀
陽炎とおもふあたりの揺らぎやう
チョコ溝のチョコ片を吹く涼しさよ
夜明まだ夜のごとくあり柿青く
サルビアや絵は船旅を経て額に
なみおとになみたはぶれてなつのくれ
夏たけなは丘全景に墓の照り
舐めて酸き己がくちびる炎天下
夏痩を灯なき蝋燭にもおもへ
さるすべり佳き平仮名にぐりとぐら
けふよりの旅靴に竹落葉かな
柚子の花骨壺に骨ひとりぶん
たなごころいちめん早稲となりてゐし
うす布に月を磨けば淋しからむ
その裏にみづうみ澄めり盲学校
かりそめの黄泉かとおもふ苅田かな
まなうらの大いなる稲刈られざる
濡れ椅子拭く濡れ雑巾や運動会
気化それに伴ふ冷えの苅田道
たふたしや月の入江に月の波
さはらずの琴ありにけり秋出水
蔵書庫におほきな柱秋深む
その人をかたどるに菊つめたかり
湯捨てれば曇る鏡に冬たちぬ
その前に雪だるまあり百貨店
終に火の崩すは焚火自身かな
寒き世の挿絵をつぎつぎとカリブー
かの寺へ雪目童子を負うてゆく
なはとびの淋しき人となりにけり
凍星なつかし利器灯し確かめよ時刻
一月の日は凍てながら落ちにけり
しかうして田はいつも雪ふるところ
月光の中に浮かびし冬の月
かつて軍都ビルのあはひを雪とべる
冬の夜の小指の纏ふうすあかり
教科書のをはりの雪の詩なりけり
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14. 薮内小鈴 東都
呉爾羅へと巻く朝顔が窓のそと
台風の橋桁あまた翼寄す
つくつくし淡き声する旅人も
祭帯締め合ひけふの秋薊
見覚えし路また鰯雲へ向き
おもかげの島は葦原鯊を釣る
青蜜柑ゆふべの卓に汐微か
キーボード閉ぢ芋虫の如く指
磨硝子ごしに瓢箪濡れ初むる
入口と出口の猫や秋の径
鉄骨を組めばゆらりと芒原
天の川珈琲売の去りしあと
きはやかにお釜語飛びぬ秋時雨
蒲団干すラーマ九世逝去して
神留守のふと思ひたる狐穴
色の羽根なけれど亀に落葉かな
冬川やむかうに塔の影とどき
指先をつまみ手袋拾ひけり
羽ばたける井の頭なり檻の鷲
富士山の先に日の入る冬至かな
骨董屋カトレアは星雲めきぬ
揚げたての白子が震へ寒の入
北風や金柑夜へくすみゆく
髪に髭に日の透けてゐる枯木立
湾口の深き谷ぞこ鮫古び
鳩ぴしと散らしたる店浅き春
そのままに春菊ぱらり滴落つ
仕立屋の足踏ミシン梅の花
日光より猿来りけり春の土
遠霞揺れる電車のまつすぐに
つちふるも夢を過ぎつつ鸛
お彼岸や渋滞解けて花の夕
影浴びるほどは仰がず桜かな
崖縁の巣箱や下に記念館
次次と石鹸玉いで静けさよ
看板の青みたる路地水草生ふ
海渡り橋はもぐりぬ月朧
若楓みじかき裾の集ひては
噛みがちのラップを越えて水馬
茂りゆく端に自転車籠の触れ
夏燕もう魚市場灯るらむ
音涼し下水落ちゐる富士見坂
あぢさゐを辿り天井桟敷かな
梅雨菌長耳ありし犬とほく
渦よつつ冷し中華の文字へ振り
南風に貝殻そへて鉢数多
羽田から入る密林西日さす
祭への潮きこゆや獅子頭
月見草カリー屋今は伽藍堂と
一客の湯呑置かるる雲の峰
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(*)一次予選通過作品
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2017-09-10
10句作品 土佐夕焼 柳元佑太
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土佐夕焼 柳元佑太
赤とんぼ荷造りはゆつくりがよし
首都おのが光に照りぬ秋の雨
天高し崩れずの城ながむれば
さはやかに四万十までの頼みごと
われの影われよりも美し土佐夕焼
こほろぎの草喰ふかほが目の前に
秋雲や千切れて飛べる雲の中
みづうながすみづの流れや澄みてをり
天の河まなざしをして何釣らん
ねむりびとまたひとり増え星流れ
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2016-12-04
2016「石田波郷新人賞」落選展 6. 水路 柳元佑太
2016「石田波郷新人賞」落選展
6. 水路 柳元佑太
せせらぎをやや凍りつつ動く水
みづ汲めば明るみの柊の花
初雪をそのちひさな手おほきな目
寒寒と着地せば骨はたらきぬ
寒林のその一本や倒れたる
影伸びてゐたるを雪の木と思ふ
初東風に見上ぐる椎の同じかり
川すぢを離れて濡るる菫かな
沼底に杭ある寒さ春の鳥
突風に風遅るるよなづなの花
春のソプラノリコーダー目を閉ぢて
蝿の足それの躯を欠きてあり
まなうらも眼も夕立を留め得ず
水族館と海を繋ぐ水路 夏の
アイスクリーム古着屋の裏が海
夏了るてふパレツトの水浸し
あをぞらの冷たき秋のケルンかな
爽やかに子りす前足より落ちぬ
匙ならば澄むみづうみを司る
晩秋や大きなる木に抱きつけば
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Posted by wh at 0:03 0 comments
Labels: 2016石田波郷新人賞落選展, 石田波郷新人賞落選展, 柳元佑太, 落選展

















