【句集を読む】
東京女の心意気
太田うさぎ『また明日』の一句
小林苑を
初出:facebook
誰からも遠く夜濯してゐたる 太田うさぎ『また明日』
太田うさぎの句は安心して読める。句会をなんどかご一緒したけれど、その場で出される兼題でも吟行でもさらりと巧みに句にしてしまう。仁平勝氏による帯文には「芸達者」とあるが、私の印象は少し違う。芸ってよりは世間とのこの人の向き合い方なんじゃないか。世間というと俗だととられるかもしれないが、敢えて世界などではなく世間と言いたい。
つまりね、と言葉を探す。うさぎ句からは東京女〔*〕の心意気が漂う。剝き出しなんてことは金輪際ごめんだよってね。さらりさっぱり「また明日コートひらりとすたすたと」てな塩梅。大仰に別れとか言わない。明日の事なんてわからない、そんなのは先刻承知だけどさ「また明日」、これがうさぎ流。こんな句もある。「夏帽子振つて大きなさやうなら」。また明日ってわけにはいかないときも明るくさ。いいよね「大きなさやうなら」。
掲句の夜濯、いまでは都会の片隅感溢れる季語なのかも。「誰からも遠く」、どうってことのない日常の夜はすべての人との距離が等しくなる。それが独りってことだ。さみしいんでも気楽なんでもない自分に戻る時間。ちょいと穿つとね、この夜濯は自分のことは自分でやるってことでもあるわけよ。うさぎ句はこの立ち位置が動かないから心地良い。うまいこと言おうじゃなくて、自分がまず面白がる。
富士額見せて御慶を申しけり 同
美人の湯出てしばらくは裸なり 同
ラグビーの主に尻見てゐる感じ 同
なまはげのふぐりの揺れてゐるならむ 同
あっそうかとこっちも楽しくなる。うさぎさんの眼が笑っている。べたべたがちっともないさらっとした笑い。肌触り。「ふり」かもしれないが、ここまで来れば芸の内、ではなかったこの人の持ち味であり生き方なんだろう。
校庭の隅に心臓持つ兎 同
初燕スーツケースに尻預け 同
うしろより浪が浪抱く西鶴忌 同
きつねのかみそり迷子になつてゐないふり 同
ゐた人の消えコスモスの曲り角 同
〔*〕東京女(とうきょうおんな) 読んで字のごとし。東女ではちと泥臭すぎ、京女とは異なるさっぱり感。江戸から遠く離れて魔都に住まうこと久し。
太田うさぎ句集『また明日』2020年6月/左右社
0 comments:
コメントを投稿