2018-10-21

【週俳600号に寄せて】土曜日がやってくる 小池康生

【週俳600号に寄せて】
土曜日がやってくる

小池康生


『週刊俳句』関係者の皆さん、600号発刊誠におめでとうございます。600号は大変な数字です。月刊誌なら50年かかります。週刊では11年ほどの歴史。創刊号は2007年4月29日でした。あの時代、週刊というのは衝撃的でした。いや、いまでも衝撃です。

俳句の商業誌は通常月刊、しかも紙媒体で有料。『週刊俳句』は、ウェブマガジンで、週刊で、フリー。結社誌でもなく、同人誌でもなく、総合誌でもなく、ただ俳句好きが集まったような雑誌が週刊でだされるのは相当なインパクトがありました。

それが淡々と600号も続くのは大変なことです。力が入り過ぎても続かないでしょうし、しかし、ある種の情熱がない限り毎週の編集は続かないでしょう。力加減を知る編集スタッフに心から拍手を送ります。これからも呆れるほど『週刊俳句』を続けてください。

わたしは今、時折読者で、時折執筆者です。でも毎週Twitterなどで週刊俳句の目次を確認し、いま、どんな人が作品を発表しているか、評論を書いているかを必ず確認しながら土曜日(日曜がやってくるのを知ります。11年間、土曜日(日曜)は毎週やってきているようです。

インターネットが普及し、『週刊俳句』がスタートした頃、若手中堅、さらには年配の俳人が結社の外に出始めた気がします。『豈』のウェブマガジンが出たことも影響しているように思います。それまで結社に閉じ籠っていた人たちが表に顔を出し交流をはじめたのです。

俳人の中には、昔から俳句世界を自由に行き来し幅広い交流を持つ人たちがいますが、それは俳壇でも活躍するような一部の人達で、一般の俳人は結社内の交流が中心のような気がしていました、それがインターネットの普及とともに関係を広げ、お互いの存在を知りえるようになったと思います。

そんな時代に俳人が外に出るきっかけに『週刊俳句』があったような気がします。

無色透明に近い存在だからこそ、そういう役割を無意識に果たしたのだと思います。

とはいえ、最初から『週刊俳句』を見ているわたしと、途中から『週刊俳句』を見ている人は、『週刊俳句』の眺めは違うかもしれません。それがどんな眺めかわたしには知りようもありませんが。

元い。600号です。

いま、599号を眺め、なんの感慨もありません。

素晴らしいことです。

これからも変わりなく、のれんに腕押しのスタッフで淡々とよろしくお願いします。

いま、わたしは季刊で『奎』をだし、作業にはくたくたですが、編集案はいくらでも出てきて楽しい毎日です。もう少し若ければとないものねだりをしますが、その内、『週刊俳句』にも老いがやってくるでしょう。わたしはそれを見るのも少し楽しみです。600号はかなりの年季です。これからも近く遠く、『週刊俳句』を眺めています。たまには声をかけてください。でも、あまり声をかけないでください。おめでとうございます。

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