【句集を読む】
英語の力
佐藤文香句集『菊は雪』を読む
小豆嶋勇誓
今日の俳句は、定型にこだわらない自由律俳句や季語のない無季俳句に始まり、さまざまな形がとられている。さらには、日本特有の文化としての俳句だけではなく、「英語俳句」という、文字通り英語で俳句を詠む文化さえある。俳句を始める人たちの裾野を広げる活動もしばしば見受けられ、夏井いつきを筆頭に俳句の文化はさらに広がりを見せている。
俳句人口が増えていけばいくほど、その俳句にはさまざまな性格が表れる。特に俳句に使われる語彙、言葉選びにはその俳人の特徴や感性が非常に色濃く描き出される。中には俳句になかなか用いられないような独特な言葉選びをする俳人がいる。本書『菊は雪』の著者、佐藤文香もその一人であろう。
本書は、2015年から2021年までの、550句もの作品を収録している。前述の通り、本書に収録されている作品にみられる多くの語彙は非常に読者の意表を突くものも多い。自身のことを佐藤は「言葉フェチ」であると自認していることもあり、幅広いボキャブラリーによって一句が作られている。佐藤の豊かな言葉の織物にふれあうことができるのが本書の最大の魅力ではないだろうか。佐藤は、作中の語彙について本書の末に収録されている、制作ドキュメンタリー『菊雪日記』にて次のように語っている。
作中の語彙の範囲は、その作家がどこから言葉を収集しているかと密接な関わりがある。(中略)私が作中用いるのは、高校までの学校の授業で得た語彙、和歌由来のもの、季語と日常語、あとは新興俳句、J-Pop・J-Rockや現代短歌あたりから取り入れた単語である。
私は一度聞いただけの言葉も平気で作中に用いる。独り言として唱えていたりもする。――『菊は雪』「菊雪日記」より
本書に見られる意表を突く語彙の数々は、佐藤にかかれば和歌、短歌によく用いられるようないわゆる文学的な語彙(雅詞)に限ることなく、日常語やJ-Pop・J-Rock、学校の授業から得る知識などバラエティーに富んだ語彙(俗詞)、さらには独り言さえも立派な俳句になってしまうのだ。佐藤にとって日常生活のすべてが俳句となってしまうのだろうか。
佐藤は表記の仕方にもこだわっているようだ。漢字、ひらがな、カタカナ、旧仮名から英字まで実にさまざまな表記が見受けられる。そんな豊かな語彙や表記によって築き上げられた俳句の中でも、この書評では特に英字が用いられている句に注目して、佐藤の織りなす言葉の魅力を引き出していきたい。
一生分待つぜBERGに黒ビール
「一生分待つぜ」という豪快さが気持ちいい一句である。「BERG」(ベルク)はJR新宿駅すぐにあるカフェの店名である。店の名前なのだから英字のままで表記した、と言ってしまうとそれまでかもしれないが、「ベルク」が「BERG」と英字で表記されていることで、「一生分待つぜ」の男らしさ、潔さやクールな印象と相まって下五句の「黒ビール」に繋がっている。黒ビールは、普段のビールと比べてあっさりとしており、少し焦げたような苦味のある風味だそうだ。英語表記であるからこそ、このクールさのバランスが保たれ、最後まで破綻することなく、かっこいい一句に仕上がる。
Call it a day クーラーながら窓開けて
非常に生活感あふれる一句ではないだろうか。この句が作られた2020年であることを加味すると、コロナ禍に在宅ワークでもしていたのだろうか。「Call it a day」は、英語ネイティブがよく使う英熟語で、「それを一日と呼ぶ」という直訳が転じて、「今日はこれでお終いにする、仕事終わりにする」といった意味で使われるようになった言葉である。在宅で座りっぱなしが続く日々。クーラーを付けながらも、グーっと立ち上がって窓を開ける。そうして、澱んだ空気に満ちる部屋に、新しい新鮮な空気が部屋中を一気に駆け巡る。「Call it a day」の言葉の流れの良さと、「クーラーながら窓開けて」とすっと流れて行くように詠めるテンポの良さによって、どこかさわやかな気持ちにさせられる。英語表記ならではの気持ちよさではないだろうか。また、「Call it a day」は、この一熟語を置くだけで、仕事終わりの人である、といった情報を読み手に伝えることができる、非常に経済的効率のいい言葉選びであるともいえるだろう。
春は銀河へ我が Marunouchi Subway Line
これもまた大胆な一句である。「Marunouchi Subway Line」と英語表記されていることで、車内放送なのか、ホームでの自動音声なのか、音が聞こえてくるような効果がある。これが例えば「地下鉄丸ノ内線」と漢字で表記されていたら、堅苦しい印象を受ける。「銀河へ」と進んでいくかのような推進力を出すためには、漢字は重過ぎる。ひらがなでは火力不足で地球を脱出するほどの力は出ないだろう。カタカナではどこか変な方向へ向かってしまいそうだ。「銀河」へ向かっていくには、英語表記のような勢いがなくてはならない。この句の「地下鉄丸ノ内線」は「Marunouchi Subway Line」でなければならないのだ。
英語が使われている目の引く句を引用したが、この句集の英題にも注目しておきたい。もう一度『菊雪日記』を引用する。
4/29 「菊は雪」の英題を考える。Language Exchange相手のFredが提案してくれた“Chrysanthemums Like Snow”に決定。思い切って喩の側面を明るみに出した。英語には英語なりの愛おしさがある。kiku-chan said to Yuki-chan, “I like you and I’m like you”.――『菊は雪』「菊雪日記」より
「菊は雪」という日本語を見ただけでは、あえて表記するなら「菊」=「雪」「菊は雪(である)」なのか、「菊」≒「雪」「菊は雪(のようである)」なのか確定できるだけの確証は得られない。しかし、それが「Chrysanthemums Like Snow」となると、当然この「Like」は「~を好む」ではなく、「~のようである」という比喩であることがわかる(直訳すると「雪のような菊」)。佐藤は英語という言語でさえも、自身の言葉遊びの材料としてしまうのだ。この日の「菊雪日記」には英文がのせられているが、ここから佐藤が英語の面白さを伝えようとしているようにも思える。「kiku-chan said to Yuki-chan, “I like you and I’m like you”.」、直訳すると「きくちゃんはゆきちゃんに『私はあなたのことが好きで、そして私はあなたに似ています』と言った。」という文章になるが、なんとも不思議な文章ではないだろうか。「Like」は日常にあふれた言葉であり、その意味もまた至極普通のものである。しかしこうして改めて言葉にしてみると気づく面白さは、どことなく俳句の織りなす世界と重なり合うところがあるのではないだろうか。俳句は日頃あふれた日常を改めて捉えなおし、観察しなおして言葉として再現することで日常から「1㎜」でも浮いたところの面白さを感じる文芸であると聞くが、佐藤は日本語にとどまらず英語からもそういった面白味を見出しているのだ。佐藤は「英語には英語なりの愛おしさがある」という。俳句に英語を取り入れる斬新なスタイルでありつつも、その英語の特性、面白さゆえの「愛おしさ」を存分に生かした句をこの句集で披露している。
この句集で使われる語彙は一見突拍子もないように思えるかもしれない。しかし、その語彙や表記は、佐藤の織りなす一句には必要不可欠なものなのである。この書評では、英語表記を特筆すべき点として挙げたが、この句集には数えきれないほどの「異質」な語彙がちりばめられている。「異質」でありながらも、そこには確実に「佐藤ワールド」が広がっている。語彙を紐解いていくことで、佐藤の世界観に没頭できるだろう。
佐藤文香『菊は雪』 2021年7月/左右社
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