2024-03-03

中矢温・郡司和斗 「ブラジル俳句留学記」振り返り02 連載第23回を振り返る等

「ブラジル俳句留学記」振り返り02
連載第23回を振り返る等

中矢温・郡司和斗


郡司●具体的な連載記事を取り上げるとしたら、最近のやつだけど、第23回「悲観主義から生まれる希望:日本の少子化と世界の俳句を結ぶ私の価値観」で日記のノリが変わってちょっとウケましたね。

中矢●私のお気持ち表明が過ぎますよね(笑)。これはブラジルに暮らして長い中高年の日本人男性たちVS留学中の私一人という場で、少子化について聞かれるという結構苦しい場面があって、そこでの話を書いた記事ですね。

郡司●どういう流れで少子化と俳句が結びつく話になったのか聞きたいです。

中矢●私の思想が全面に出ますが、私はまず日本の少子化はそう簡単に止められるものではないと思っています。少子化が引き起こす各種問題のなかで絶対優先度は低いかもしれないけれど、日本語で書かれた俳句にアクセスする人や機会もまた減少します。で、日本語を解する人のなかでも、詩の解釈は難しいし、まして俳句は省略や前提が多いので特に敬遠されることが多いと思います。でも実はその俳句というものが、haikuやhaicai/haikaiという同じ名前で、一部接続しながら別途世界では展開しているんですよね。平たくいうと、各々の言語で同じく「俳句」を作る人が世界中にいるということです。このことが素直に嬉しいというか面白すぎる事実だと思うんですよね。この喜びや安心感というものがあるからこそ、あまり悲観的にならずに、日本語でしか書けない良さをもって、日本語で俳句を書きたいなと思えるんです。まあでも切り返し方としては変化球過ぎたと思うし、あまりおじ様たちには刺さらなかった感じがありましたね……。

郡司●漢字二文字の「俳句」が消えても世界にローマ字のhaikuが残っていることの安心感かあ。簡単に文化が消えない安心感ということでしょうか。

中矢●世界の俳句に興味があるというと、よく「何が日本の俳句と違うの?」って違いについて聞かれることが多いんですよね。寧ろ私は共通性を知りたいなというモチベーションがあります。あとは、これから世界の俳句プレイヤーが増加の一途を辿るなか、果たして一番「上手い」俳句は日本語なのかとかも興味がありますね。現時点では日本語の俳句の圧倒的蓄積があると思うんですが、いつか本家本元的なものをいい意味で越えていくのかなとか。そういうことはぼんやりとしか思っていなかったんですが、少子化という問いをいただいたときに初めて言語化できました。郡司さんに質問なのですが、我々(1999年生れ・1998年生れ)って、幼少期の頃からずっとニュースや社会科で、少子化問題を言われて来た世代じゃないですか。

郡司●それはそうですね。

中矢●少子化から二つくらいステップを踏むと、世界の俳句への理解に繋がる気がします。ただ、昼食会の場でも、「ブラジル俳句留学記」の記事でもかなり言葉足らずでしたね。

郡司●世界の「HAIKU」について具体的な俳人や作品を知らないので、私は何も言及できないんですが、二つだけ世界における「HAIKU」の受容の例を知っています。まず実体験としては、私がオーストラリアに留学したときに、趣味欄に「俳句・短歌」と書いたことによって、受入れを決めてくれたホストマザーがいたこと。

中矢●え?! そのお話、初耳です。面白すぎる(笑)。

郡司●ホストマザーが「私も俳句に興味あるのよね」と言って、主人公が俳句を書いているオーストラリア作製の映画を見せてくれました。こんなところで俳句が好きであることの効能があるんだなあと思いました。

中矢●映画のタイトルって思い出せますか。

郡司●いや、それが全く。少年が山のなかで俳句を書きながら、おじさんと仲良くなるみたいなストーリーだったと思います。

中矢●『老人と海』過ぎませんか(笑)。

郡司●オーストラリアでのリメイク版かもしれません(笑)。作中では俳句が肯定的に描かれていて、それこそ少年が「実作に救われ」る話でした。で、その映画をホストマザーと一緒に見たあとに、私がノートに俳句を英語と日本語で書いて、冷蔵庫に貼ってあげたりしてね。

中矢●その作品は覚えていますか。

郡司●いや、それも全く覚えてない(笑)。その場で三句くらい即興で詠みました。あともう一つの例は、否定的というか茶化されているという感じで、スパイダーマンシリーズの『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』だったか何かで、キャラが短い詩のような言葉を呟いたとき、「お前それ俳句かよ(笑)」っていうツッコミが入る場面がありました。アメリカの大衆向け作品の中で、そういう短くてよく分かんないポエムとして俳句が表象されるんだと思った記憶があります。馬鹿にされている感が少しあって、悲しくなりました(笑)。

中矢●なるほど。

郡司●でも裏を返せば、それくらい「HAIKU」が浸透しているんだなとも思いました。映画のフィクションにおいて、しかもスパイダーマンという超大作のなかで俳句という言葉がわざわざ採用されるのは、それだけ視聴者も俳句という言葉が何かを分かっているという信頼があってこそだから。俳句が伝わる層の規模感に驚きました。

中矢●すごく面白い例ですね。

郡司●でもそれでいうと、短歌の方が、歴史的な積み重ねがあって世界での認知度高そうな感じするんだけどね。俳句の方が皆知っているのかな。

中矢●俳句について書かれた19世紀末や20世紀初頭の欧米文献は勿論和歌にも言及しているんですが、俳句の方が多分短歌よりプレイヤーが多い印象です。やっぱり五七五の俳句は七七がない分短歌よりも短くて、こんなに短いのに詩なんだというインパクトが強いんだろうと思います。

郡司●短いって魅力なのね。

中矢●うーん、当時欧米の詩壇が新しい詩を模索するなかで、俳句という東洋の新しい短い詩形が一つの突破口としての刺激となったみたいな話は読んだことがありますね。ぱっと思いつくのだと、金子美都子先生の『フランス二〇世紀詩と俳句:ジャポニスムから前衛へ』とか。

郡司●なるほどね、ありがとうございました。最後に「ブラジル俳句留学記」を振り返りましょうか。

中矢●はい!引き続きよろしくお願いいたします。

~第三回に続く~

0 comments: