2025-05-25

小野裕三 haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して

 haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して

小野裕三



元・ベルギー首相でありEU(ヨーロッパ連合)の初代大統領でもあるヘルマン・ファンロンパイ氏は、haikuの愛好家として知られる。彼は今年の五月に来日して日本政界の要人と次々と面会したが、多忙なスケジュールを縫って、千葉の御宿で開かれた句会に一日だけ参加した。国際俳句協会からの依頼で、僕が当日の通訳をすることとなり、彼に終日同行した。このエッセイはそのレポートである。


御宿行きの特急列車は、朝早くに東京駅を出発。僕は彼の隣の席に座り、句会の進行などを軽く打ち合わせ。ひととおりの手続的な確認が終わったあとで、雑談がてらに質問をしてみた。

「そもそも、どういうふうに俳句に出会ったんですか?」

「いやそれはね、まったくの偶然なんだよ」

曰く、あるパーティの席で、彼が卒業したルーヴェン・カトリック大学の同窓生と同じテーブルになった。その人がhaikuを作る人で、句集を手渡された。しかしそのときには興味もなく、自宅の本の山の上に積んでおくだけだった。それから数年して、その本を手に取って読み始めた。それが彼にとってのhaikuの始まりだったらしい。

「積まれた本の山の中から、そのときにその句集を手に取ったのは、何か理由があったんですか?」

「いや、それも何も理由はないんだよ。だから、ほんとうに偶然なんだ」

もともと詩には関心があったということだが、それからhaikuにのめり込んでいったのは、どこか彼の気質みたいなものにも合っていたのだろう。そのうちに彼がhaikuを作ることが日本のメディアにも知られるようになると、政治家としての記者会見の場でも「haikuを詠んでみてください」と言われることが出てきて、そこでhaikuを披露すると記者たちにも喜ばれた、という。そんなことも、彼がhaikuを続けることを後押ししたのかも知れない。

「俳句は頻繁に作ってますか?」

「いや、残念ながらあまり作れてないね。私はいろいろやらなきゃいけない仕事が多い。だから俳句を作る充分な時間もないし、それに、俳句を作るには心のゆとりみたいなものも必要だからね」

そんな我々を乗せた特急列車は御宿に到着し、待っていた御宿の俳句会「若菜会」の人たちから大歓迎を受ける。星野高士氏が講師を務めるその句会に、ファンロンパイ氏がゲスト講師として参加する形だ。ちなみに三年前の夏にも、氏は御宿を訪れている。ぜひ再訪して、という熱烈なラブコールを受けての今回の訪問となったようだ。


句会には約四十人の日本人が参加。事前投句された句は前もって僕が英訳して、あらかじめファンロンパイ氏にメールで送付済み。当日の句会では、星野氏、ファンロンパイ氏、がそれぞれに採った句を講評していく。ファンロンパイ氏は冒頭にこう語った。

「まず、自分がどのように採る句を選んでいったのかの方法論を説明します」

最初は、約七十句ある全句を読む。それから自分が「好き」と感じる十句を直感的に選びとり、その後で、なぜ自分がその句を「好き」と思ったのか、という基準(criteria)について考えた、という。

句会休憩時の歓談 ※写真は千葉日報から引用

「私にとっての基準は三つありました。簡潔さ(simplicity)、対照(contrast)、擬人化(personification)、の三点です」

簡潔さとは、言葉、観察、思考、などの点において簡潔であることだ、とする。対照についても、彼が例句として挙げたものは五感の対照であったり、社会的な出来事だったり、と幅広い視点が見られた。また擬人化については、蛙の表情を人間に喩えるなどいくぶんユーモラスな内容のものも含めて、彼は自身の気に入った例句を示した。

興味深いことに、ファンロンパイ氏の選んだ十句のうち、半数の五句が星野氏の選とも重なった。俳句的な美意識がそのように日欧の間で共有されたことは、ファンロンパイ氏にも印象的だったようだ。

句会の最後に、彼は自身の俳句観について語った。俳句の特徴として彼が以前から強調しているのは、自然などを観察して描くことで、意識の力点(attention)を自分ではなく自分の外に向けること。それは自分のエゴみたいなものに囚われない心を作る、と彼は力説する。

一方で彼は、長く俳句を作っているが「俳句は簡単ではない(not easy)」とも繰り返す。やはり訓練を重ねた上での高度なテクニックが必要だ、と捉える。


句会の中で、ウクライナを詠んだ句があり、彼がそれを講評する中で、ウクライナだけでなく、ガザ、スーダンなど世界の紛争地域の名を次々と挙げていったのには、まさに平和をテーマに尽力してきた実務者としての重みを感じた。二〇一二年、EUはノーベル平和賞を受賞したが、その授賞式に参列したEUのトップはまさにファンロンパイ氏だった。

その彼が、「俳句を作る心は、世界平和に貢献する」と繰り返し主張する。俳句がもたらす穏やかで澄んだ心のあり方、自分(彼は「エゴ」という言葉をよく使う)ではなく自分以外のものに心の焦点を向けるあり方、それらの特性は間違いなく平和な世界を作るために必要な条件だ、と彼は考える。

列車の中での雑談で印象的だったのは、彼が御宿で起きたある歴史的な事件をよく知っていて、そのことを熱く語ったことだ。今から約四百年前に、当時スペイン領だったフィリピンからメキシコに向かう帆船が、嵐のために御宿沖で座礁する。これを見た当時の御宿の人たちは、遭難者を救い介抱した。そのことを記念する塔も御宿には建てられている。そんな心温まる歴史を持つ御宿で句会をすることにも、氏は意義を感じていたのだろう。

俳句と世界平和、という繋がりは、突拍子もない夢想とも思える。だが、ノーベル平和賞をEU代表として受賞した経験を持つファンロンパイ氏が真顔でそのことを語る姿には、リアルな重みを感じた。そうやって彼と会話するうちに、この繋がりを夢想だと思わないことから何かが始まるのでは、とそんな気がしてきた。


句会終了後のスナップ


※本句会の概要については、下記のニュース記事もご参照ください。

 EU初代大統領、御宿で句会に参加「俳句の心は世界平和につながる」(産経新聞)



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小野裕三 おの・ゆうぞう

「海原」「豆の木」所属。英国王立芸術大学(Royal College of Art)修士課程修了。現在、国際俳句協会評議員および英国俳句協会(British Haiku Society)会員。

http://yuzo-ono.com



1 comments:

chiaki kawahara さんのコメント...

先の御宿の句会ではお世話になりました。過日鮮明に甦るエッセイに暫し満たされました。ありがとうございます。