『俳句界』2007年12月号を読む……五十嵐秀彦
●「佐高信の甘口でコンニチハ! 今月の客人・小沢昭一」 p78
正直言うと、このコーナーはいつも飛ばしてしまうのだけれど、今月は読みました。
だって小沢昭一ですから。
行く秋や紆余曲折を経し猫背 変哲
舌耕といふ生業(なりわい)の蜆汁
小沢昭一は役者でありながら、変哲という俳号を持つ立派な俳人。
それも素敵だけれど、なんといっても大道芸などの芸能史研究にすぐれた業績をあげていて、私が尊敬する数少ない人のひとり。
といってもここではそんなことは一言も出てこず、「やなぎ句会」のことなどをいつもの語り口で飄々と話しています。
●「俳句史へ、そして俳句史からの視座」 澤好摩 p86
今月号の特集は「2007年 俳句界回顧」で、この論考は総括回顧と銘打たれながら、筆者も言っているように内容は一年間の回顧にはなっていません。
澤好摩は『俳句界』に一年間「俳句界時評」を書いてきて、「現在の俳句総合誌は俳句初心者のためのマニュアルに類する入門記事、もしくはカラー写真を多用した歳時的な特集が多く、その一方で、現代俳句ならびに現在の俳句情況が内包する問題を正面から受け止めた評論が極めて少ないことに改めて気づいた。毎号、論評対象の選定に悩まされることになり、ついには論評対象を総合誌以外の、結社誌、同人誌、更には刊行された評論集をも対象とせざるを得なくなった。(中略)何を取り上げるかということに多くの神経を使っただけの期間を、いま改めて振り返ってみても、この一年の俳壇を総合的に捉えられるはずもない」と言う。
このことは納得できる正直な意見と思います。
「若い有望な書き手が登場したところで、総合誌の編集者がそれらに目配りし、そして重ねて登用してくれなければ何にもならないということがある。ここ暫くの俳壇が、見かけの隆盛とは裏腹に、俳句情況としては沈滞していたとしか見えないのは、そういう見識と先見の明ある秀れたエディターの不在に原因があったと言っても、決して過言ではないように思われる」のも、もう見かけの隆盛もなくなっているんじゃないかと思いながら、他は全くそのとおりと言いたくなります。
そして高柳重信と戦後派俳人を例に挙げて、「(戦後派俳人は)俳句史、とりわけ俳句作品史の高みを志す気概を感じただけでなく、俳句史の高みから現今の俳句、そして自らの作品をも検証しようとする厳しさがあった。現在の俳壇に欠けているものといえば、何を措いてもそのことではなかったかと思われる」と言わざるをえない思いこそ、確かにこの一年の回顧にふさわしい一言ではないでしょうか。
●橋本照嵩全撮影「昭和俳句・郷愁の肖像」 p151
名カメラマン橋本照嵩によって撮影された俳人たちのポートレート集で、文句なく永久保存版。
このためだけでも今月号を買う価値があります。
山口青邨が、永田耕衣が、桂信子が、佐藤鬼房が、飯島晴子が・・・。
必見です。
●「私のトピックス 日曜日の遊び場・週刊俳句」さいばら天気 p56
ここで説明するより、見ていただいたほうが話が早い。「週刊俳句」の四文字を入力して検索していただければ、すぐに見つかる
さいばら天気さん、ひたすら宣伝に徹してます。
あらためて思ったことは、ああ「週刊俳句」には思想がないんだ、ということ。
これはもちろんいい意味で言っている。
「新しい遊び場」であれば良しとする方針は分かりやすい。
それでいて「週刊だから、二十年経てば千号を超える」とは、なんと豪気な・・・。
無思想という野望がちらりと見えて愉快。
(それにしても「週間俳句」との誤植はいただけなかった)
●俳句作品
最後に今月号掲載の俳句の中から一部紹介しましょう。
櫂未知子 「来世のやうに」50句より
猫の目に枯野の電車ありにけり
水差しのなか木枯の匂ひあり
龍之介ごのみの海へ暖房車
純白の便箋散りて冬館
みづあかりしてクリスマスクリスマス
高山れおな 「農事と饗宴」10句より
古米(ひねごめ)やひそかに混じる霊と雲
酔夢あゝ醍醐と熟柿ふところに
満田春日 「パロール」10句より
いもうととひととせ会はず蛍草
蛇穴へ入るやパロール・ランガージュ
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2007-12-02
『俳句界』2007年12月号を読む 五十嵐秀彦
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1 comments:
岩淵喜代子さんの「極私的回顧2007」はいかがでしたか?
なかなか大事なところを衝いていると思いました。
俳句の志と言うと硬くなりますが。なぜ自分は俳句をやっているのかをいつも問うているなら、当然考えることかなあとも思いつつ。
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