2007-12-09

スズキさん 第3回 猛訓練 中嶋憲武

スズキさん
第3回 猛訓練   中嶋憲武



昼食は、仕事場に隣接している3畳の部屋で、仕出しの弁当を食べている。北側に面して大きな窓ガラス、東側に大きな仏壇、南側に押し入れ、西側は、ガラス戸があり、その向こうが台所になっている。

いつもスズキさんとテレヴィジョンを観ながら、二人で食べる。決まって、NHK第1だ。ごくたまに、第2を観ることもある。チャンネル権はスズキさんが握っている。

第2を観るのは、「趣味悠々」という番組があって、写真とか、ギターとか、その時々でテーマが変わるのであるが、スズキさんが「この番組面白いんだよ」と言って見せてくれた月は、おくのほそ道をテーマにした月で、俳優の榎木孝明と俳人の黛まどかが出ていた。スズキさんは、俳句は詠まないらしいが、おくのほそ道のファンらしい。「このルートいいよね」と言っていたことがある。

おくのほそ道が終わってしまってから、「近所の本屋に予約して、やっと手に入ったよ」と言って、「趣味悠々」のおくのほそ道のテキストを見せてくれたことがある。「ナカジマくんも欲しい?欲しかったら、予約しておいてあげるよ」と言われ、そのテキストをぱらぱらと眺めていて、読んでみたいと思ったのと、黛まどかって改めて、美人!と思ったので、痛烈に欲しいと思い、予約をお願いしてしまったのであるが、後日、国立駅前の本屋で、バックナンバーを見つけ、そのなかに、おくのほそ道のテキストもあったので、つい買ってしまった。

翌日、スズキさんに本屋で見つけたので、買ってしまいましたと言うと、スズキさんはなんだか哀しそうな目をしょぼしょぼさせて、「そう」と言った。「普通は予約しないと手に入らないんだけどね」と言うので、僕は、「大きな本屋さんなら、たいがいバックナンバーを置いてあったりするんですよ」と言った。スズキさんは、なんだか不得要領な顔をしていた。

スズキさんは、仕出し弁当のほかに自宅から、おかずを2、3品、小さなタッパウェアーに入れて持ってきていて、僕に玉子焼きだの、梅干しだの、唐揚げだの、いろいろと恵んでくれる。それを、電子レンジで温めた牛乳を飲みながら食べる。「牛乳を飲まないと、骨が丈夫にならないからね」とスズキさんは言う。僕にも薦めてくれたが、僕はごはんを食べながら牛乳を飲むことが出来ないので断ると、「そう」と言って、目をしょぼしょぼさせていた。

NHKニュースのあとに、ふるさとをルポする番組があって、今日は舞鶴の海上保安官の訓練所からだった。へえ、舞鶴に海上保安官の訓練所があるんだと思っていると、スズキさんが「ああいう人たちは、家へ帰ったとき、ただいま~なんて言って玄関をあがらないよ」(「ただいま~」と言う時、両手を前へぶらりとさせて、あしたのジョーのノーガード戦法のような格好をした)と言うので、「そんなもんですか」と言うと、スズキさんは「ただいま帰りましたッ!って言うよ」と、今にも立ち上がって敬礼しそうな勢いで言った。

僕はその勢いに驚いて、「どうしてわかるんですか」と聞くと、スズキさんは「むかし、40台のころに、以前に勤めていた会社で経営訓練というのを受けさせられてさ」と話しはじめた。いろんな会社から15人ほど、参加者があって、スズキさんも、そのなかに混じって、福岡県の、ある島へ行ったのだという。

「逃げられないようにするためにね、島へ行かせられるんだよね」とスズキさんが言うので、「どうして、経営訓練で逃げたりするんですか」と聞くと、「そりゃ、普通の訓練じゃないもの。朝4時に起きてさ、海へ向かって、並ばされて、自分の名前を大きな声で言ったり、そんで声が小さかったりすると、耳元でもう一回!って怒鳴られて、ぼくなんか50回くらい自分の名前、言ったかなあ」と言った。そのほかに砂浜を走らされたり、ラジオ体操をしたりしたのだと言う。

「とにかく、そこではてきぱきとした行動を求められてたね。講習室でも、大きな声ではっきり自分の役職を言わされたりしてんだけど、教官がさ、隣の部屋で炬燵に入って寝てんだよね。それで手を抜いて小さな声になったりすると、寝ていたと思ってた教官が、誰々、声が小さいって怒鳴るんだよ。あれ、寝てても、聞いてんだねえ。その教官は昼休みなんかにこにこしてて、きみ、ご両親は?どこから来たの?なんて離してんだけど、1時に訓練が始まると、顔つきが全然変ってて、目なんか、こう、吊り上がっちゃってて、ほら、あれだよ、大魔神ががらっと変るじゃない。あんな感じよ」

「へえ、なんだか座禅ですね。でも、なんでそれが経営訓練なんですか」と聞くと、「心構えというか、仕事に向かう姿勢とか、そういうことの訓練なんだね。訓練が終って、社長の前へ行って、ただいま帰りましたって、こっちは訓練されてるから、自然にそういう立ち居振る舞いが身に付いちゃっててさ、大きな声であいさつしたりしてたんだけど、なんつうか、廻りがさ、ほら、そういう厳しい雰囲気じゃないとだんだん元に戻っちゃうんだよね。僕も2週間くらいでもとに戻っちゃったから。役に立たないよね。ああいう訓練て」

そこで、ドラマ「ちりとてちん」が始まったので、ぼくとスズキさんは黙って最後まで観てしまい、終わると、スズキさんはほろりとしたりなんかしていて、「さあ、仕事だな」と言って立ち上がって、お茶を片付けたりしはじめた。



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