2007-12-23

スズキさん 第5回 鼠取器 中嶋憲武

スズキさん
第5回 鼠取器   中嶋憲武



スズキさんが、車に荷物を詰め込んでいる。きっちりと七三に分けた、ロマンスグレイの髪が日にきらきらと輝いている。

ぼくが近づいて行くのに気づくと、甲高い声で「来たね」と言った。ぼくは、スズキさん、テンション上がってるなと思った。スズキさんは、ハッスルすると、声が甲高くなるのだ。ぼくは普段は印刷機を回しているが、たまに社長に言われて、スズキさんの配達を手伝う。

今日も、菓子折り50箱を仲見世の人形焼き屋さんへ納品しに行くのだ。

小さなワゴン車に、スズキさんはあれよあれよという間に50箱を収納してしまう。どんな小さな隙間も見逃さず、実に効率よく、手際よく、見事に収まってしまう。これが本当に、世に言う、お茶の子さいさいということなのだと思った。

表通りから、仲見世の裏通りへ入ってゆく。この裏通りは車一台がやっとの道だ。ただでさえ、道が狭いのに、かてて加えて韓国人、中国人、アメリカ人、ドイツ人、タイ人、メキシコ人などの観光客が右往左往していて、危ないことこの上ない。スズキさんはそろそろと車を走らす。「ちょうど、観光客が多い時間帯だね」などと言いながら。

人形焼き屋さんの裏口を開けると、威勢のいいお兄さんたちが立ち働いている。いつも、手前で餡子を詰めているお兄さんとは、文化五年辰年の冬に、江戸で一回会っていると思う。ぼくの古い記憶の深いところから、泡のように浮かびあがってくる記憶。

戸を開けると、すぐに狭い階段があって、そこから二階へ箱を運び込むのだ。階段の途中に、真新しい鼠取りがあった。

受領書を受け取って、スズキさんは車に乗り込む。ドアを閉めてから、「あの鼠取りじゃ、取れないね」と言った。「取れないすか」と、ぼく。「取れないよ。餌がだめだよ。鼠にわかっちゃうからね」と、スズキさんは鼻をうごめかした。スズキさんは、うちの会社の鼠取り締り役でもある。

いまの仕事場で最初びっくりしたのは、鼠取りの現場に出くわしたことであった。ぼくは、鼠が大の苦手なので、3メートルくらい離れたところから、その模様をこっそり見ていた。その時、スズキさんはこれまでに50匹取ったと豪語していた。

「うちみたいに、油揚げを小さく千切って撒いておいたりしないとね、なかなかつかまらないもんだよね」とハンドルを慎重に切りながら、スズキさんは言った。「油揚げ、撒いてるんすか」と、ぼく。「そう、油揚げ。手をかけるところは手をかけないと、成果は望めないからね」

鼠取り締り役面目躍如の発言と思った。

金竜小学校の交差点で、信号待ちしながら、スズキさんは今日はこのあと、麻布へ行かなきゃならないと、ぽつりと言った。麻布か、しばらく行ってないなとぼくは思った。


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