2007-12-30

スズキさん 第6回 アルギンZ 中嶋憲武

スズキさん
第6回 アルギンZ   中嶋憲武



昼になっても、スズキさんは配達から帰ってこない。午前中で御用納めというところが多いので、大方、道が混んでいるのかもしれない。

めしを食い終わってしまって、茶も飲んでしまって、ひとり「ちりとてちん」を観ていると、店の方の扉が開いて、スズキさんが顔を出した。スズキさんは画面を見て、「年季明けね」と言うと、伝票を箱に入れて、扉を閉めて行ってしまった。

ドラマ「ちりとてちん」は、女性が若い身空で、ひょんなことから、落語家を目指し、散歩もすれば、恋もする、食事もする、といろいろな経験をし、見事落語家となるといった態のドラマで、今日の放映は、ちょうど年季明けのお祝いの場面だったのだ。

ドラマが終って、1時になっても、スズキさんは戻ってこないので、スズキさんの弁当をそのままに、座を立った。その時、足を卓袱台にぶつけてしまい、スズキさんの弁当の蓋に置いてある箸が、中央からすこし端っこへ転がった。俺は、箸の位置をもとに戻すと、部屋を出た。

夕方、印刷機を廻していると、スズキさんの配達を手伝うように言われる。時計をみると、5時半近かった。この時間からの配達は珍しい。今日も遅くなるのかなと思いながら、助手席に坐る。

配達先は、仲見世の人形焼屋さんである。人形焼を詰める箱が、15個ほど積み重なったものを、紐で縛り、1本と勘定する。それを50本、二階の倉庫へ入れるのだ。俺が車の荷台から下ろし、二階で待ち受けているスズキさんに、階段の途中で渡す。そういう作業の流れだ。

もうすぐ正月のためか、二階の倉庫は、かなりの量の段ボール箱ですでに、ほぼ満杯の様子である。下から見ると、積み上げられた箱の間にスズキさんが立って、さらに自分の居場所を狭くしているといったふうだ。

俺は、箱を手渡しながら、「まだまだ、だいぶありますけど、入りますかね」と聞いた。スズキさんは「大丈夫。なんとかやってるから」と言いながら、低い天井付近まで積み上げていた。

二階の倉庫は極々狭い。階下へ通じる階段のところが、ぽっかりと開いていて、剣呑である。何かの拍子で上げた足を、下ろす場所を間違えれば、階段の穴へ落ちてしまいかねない。はらはらしながら、箱を手渡す。

配達が終って、車に乗り込んだスズキさんが、ズボンの膝あたりを見せながら、「膝、着いちゃったよ」と言う。なにやら、水飴のようなものが貼り付いている。

「鼠取りのさ、ねばねばしてるの、気持ち悪いね。床に着いてた。誰か、鼠取りを踏んで、そのまま床、歩いたんだろうね」

俺には、思い当たる節があった。数日前、社長と配達に来た時、二階で俺が積み上げたのだが、その時、件の鼠取りを踏んでしまったのだ。狭いところに4つも5つも仕掛けてあるので、俺みたいな粗忽者は引っかかってしまうのである。

週刊誌ほどの大きさのボール紙に、水飴状のねばねばする液体が塗布してあって、もがけばもがくほど、くっつくように出来ている。俺は履いていたソックスをその場で脱いで、気持ちが悪いのであとで捨てた。

「まったく、誰だろうね」とスズキさんが言うので、俺は「俺です」と言った。

「ナカジマくんか」とスズキさんは言った。

仲見世の裏通りをのろのろ走り、浅草寺の山門の前で右に折れ、細い道をちょっと行った先の、神社の向かいのラブホテルの前で、スズキさんは車を停めた。

まさかスズキさん…と思っていると、スズキさんはおもむろに車を降り、ラブホテルの入口の隣に設置してある自動販売機の前に立った。

アルギンZを2本買って、スズキさんは戻ってきた。「喉、渇いちゃったからね。飲みなよ」と言って、俺に1本を渡してくれた。車内で栓をひねり、飲む。スズキさんは明日も一日びっしり配達があるのだと言う。

「遠いところがあるからね。行く順番を決めておかないと、予定が狂っちゃうよ」
「遠いところ、何処すか」
「新小岩」
「葛飾は遠いすね」
「それから麻布行って、品川行って」

アルギンZを飲み終わり、空き瓶を車内に据えてあるコンビニエンスストアーのなまっちろい袋へ入れてから、「こんなところにいつまでも居ると、怪しまれるからね」と、スズキさんは言って、ハンドブレーキのレバーを引き上げた。


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