スズキさん
第7回 写真 中嶋憲武
寒い朝だった。
雨は夜更けすぎに雪へと変る地域もあるらしい。娑婆駄馬陀とスキャットを口ずさみながら、職場へ向かう。
着替えるために、倉庫の鍵を開けていると、スズキさんが自転車に乗って出勤してきた。いつもこういう場合、スズキさんは右手を敬礼みたように、しゅたっと挙げて、「おはよう」と言う。爽やかな笑顔とともに。
スズキさんの乗ってくる自転車は、最寄りの駅に「置き自転車」しているらしい。阿佐ヶ谷から、職場のある駅まで電車できて、そこから「置き自転車」に乗って、職場まで漕いでくるのだ。
午前中、ぼくは印刷機を廻す。スズキさんは、ポケットのいっぱい付いた、紺色の作業用のジャンパーと、紺色のズボンに着替え、配達して廻る。印刷機を廻していると、帳場からスズキさんの、伝票を確認する甲高い声が聞こえてくる。
昼になって、配達からスズキさんが戻ってくる。12時を過ぎても、まだぼくが、印刷機を廻しているので、「めしだよ」とひと言声をかけてくれる。予定の枚数を刷ってしまってから、機械を止め、台所へ向かう。
お茶を右手に、中濃ソースの壜を左手に、箸を口で銜えて、茶の間に行くと、スズキさんはすでに牛乳をレンジで温め、卓袱台のうえに弁当箱の蓋を開けているところだった。
弁当のほかに、スズキさんは家からおかずを2、3品持ってきていて、薦めてくれるときもある。今日は、「胃下垂で、あまり食欲がなくてね」と言いながら、ウインナーの炒めたものを全部ぼくにくれた。ごはんの量も半分になっていて、弁当のおかずの玉子焼きと、とんかつがない。これは大方、お手伝いのナオちゃんに上げてしまったのだろう。
食事が終わって、お茶を啜りながら、スズキさんはNHKテレビジョンの土曜バラエティを観ている。スズキさんはレギュラーの上沼恵美子が好きらしく、上沼恵美子のギャグに「はははは」と声を立てず、息だけで笑っている。
いつだったか、上沼恵美子が出演せず、大阪の女性漫才師が代わりを勤めていたときに、スズキさんは「やっぱり、上沼恵美子じゃなくちゃ、つまらないね」と言っていた。
そのうち、スズキさんが「今日は、いいものを持ってきた」と言うので、「いいものすか」と言って何が出てくるのかと、手をねめつけていると、スズキさんは写真屋で配っているような、小さなアルバムを取り出した。
「これね、この間、六本木ヒルズへ行ったときに撮ったんだけどね」と言って、見せてくれた。クリスマスの青いイルミネーションが写っている。光りが十字型になっているので、「これ、フィルターすか」と聞くと、「そう、クロスフィルター」と言った。スズキさんは写真を趣味にしてるらしい。
使っているカメラはキャノンA-1だと言っていた。自分で露出や感度を調節するのが楽しいのだとか。
ほかに石神井の三宝寺池の写真もあった。構図がしっかりした写真だった。かわいい女の子の写真があったので聞いてみると、孫だと言う。なるほど、と納得した。スズキさんは、孫が一番可愛いくて仕方ないようで、いつも孫の話をする。そんなお孫さんとスズキさんの仲が、よく現れているようで、お孫さんの表情はとてもよかった。
連続ドラマ「ちりとてちん」が始まると、スズキさんは写真を仕舞い、黙って画面をみる。ぼくも、じーんとする場面があり、食い入るように観ていると、スズキさんは眼鏡を外し、涙を拭って鼻をかんだ。
ドラマが終り、1時のニュースが始まると、スズキさんは無理に元気を作ったような声で「さあ、ハッスルするか」と言った。
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2008-01-06
スズキさん 第7回 写真 中嶋憲武
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