2008-02-03

【週俳1月の俳句を読む】羽田野 令

週俳1月の俳句を読む】
繋ごうとして繋ぎきれない異質な部分
羽田野 令



恵方とは反対へ行くお父さん   峠谷清広

典型的な父親像の一つを描いて、なんとも言えぬおかしみがある。社会的には責任をきちんと果たしている男も家庭でひとり外れていたりするのは、日本の社会が忙しすぎる故なのだろうか。あら、またお父さんたら!と家族の誰かが言っているのが聞こえてきそうな句だ。あるいは、お父さん=作者なら、自分が今はその役回りをしているなぁということでもあるようだ。


父という絶海にいて年の酒    斉田 仁

これも父親像の一つが詠まれている。絶海という壮絶な語によって、この父は孤独なるものへと演出される。やはり大海原が浮かぶ。見わたす限りの濃い群青世界。何年もそういう中の父という役割に居るんだなあという感慨が込められている。


水鳥の群にまじりてゐはせぬか   対中いずみ

スニーカーズという映画があった。その中にカクテルパーティーという言葉があった。男が車のトランクに押し込められて悪者の本拠地へ一度連れて行かれたのだが、それがどこなのかわからない。仲間はその時に男が聞いた物音を手がかりにしてその場所を突き止めようとする。地図を見ながらどんな音がしたかを男から聞き出す。すると途中、男はカクテルパーティーの音がしていたと言うのだ。外の道を走っていたのにカクテルパーティーとは何のことだろうと仲間たちは困ってしまう。が、やがてそれが水鳥の群であることが判明して事は一挙に解決に向かう。

水鳥が池にもの凄くたくさん群がっていて、そのざわめきが人間のパーティーの音だというのは、何というアナロジーだろう。この句もそういうことなのではないかと思った。人が集まり、色々な言葉が、挨拶が、思惑が行き交う場。それをうんと楽しめる時はいいけれど、そうでない時は周りが限りなく水鳥の群めいて見えてくることもあるだろう。そういう時の作者のつぶやきのように思えた。


ふくろうの脂に濡れて寝台車    岡村知昭

梟の声はよく詠まれるが脂は知らない。食用でない鳥獣の脂が言われていることに少しぎょっとする。「ふくろう」と「寝台車」に通底する部分はあると思うのだが、脂で繋ごうとして繋ぎきれない異質な部分が一句の中でぶつかり合っているような微妙な齟齬がある。それが却って面白い。暗い夜の中の列車と動物的な生々しさと。あまたの眠りを詰め込んだ車輌は陸の奥の更なる闇へと続いていくのかも知れない、と想像は広がる。




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