2008-02-10

【週俳1月の俳句を読む】さいばら天気

週俳1月の俳句を読む】
二点支持でぐるっと
さいばら天気


「世界で最も薄い、ノートブック」MacBook Air のトラックパッドは指2本でつまむように操作する。ぐるっと回せば、モニターの画像がぐるりと回転、指の幅を広げてゆくと、画像が拡大。実際に触ったことはないけれど、魅力的な道具だ。

トラックパッドはこれまで、指1本の操作だった。それを2本にすることで愉しいことが起きる。「二点支持」が新しい出来事を生み出すのだ。例えば、この句。

むささびやノート開きしまま眠る   青山茂根

「むささび」が一点、「開かれたノート」が一点。

あ、これ、俳句分野ではめずらしいことでもなんでもなくて、つまり「取り合わせ」とか「二物衝撃」。当たり前のことらしいんですが、世の中には、能書きばかりで効き目のない薬が多いことも事実。だから、実際に、目の前で、「二点」が提示され、あざやかな世界が生み出されると、気持ちがよくなる。高ぶる。

ところで、「むささび」と「開かれたノート」という二点でによって、何が起こるのか? それを言ってはじめて、私がこの句について何かを言う資格を得たということになるのかもしれないが、白状する。口で言うのはむずかしい。

読者が100人いれば、100の言い方になる。その共通項が「句評」の主成分を決定し、その句は「これこれこうだから、いい句」ということになるのかもしれない。ちょっと堅苦しくいえば、読者同士の「共感」が束になり、太いチャンネルで句とつながる。でも、そうしたある種社会的なことに関心が薄れていくときがある。100の読者は100の言い方のまま、句との関係を結べばいい、といった感じ。コンピュータ用語でいえば「スタンドアローン」な読者。そういう態度で句を読むことがあってもいいのではないかと考えるようになった。

読者間ネットワークを拒否するというのではなくて、「人それぞれの読みがある」というヌルい許容でもなく、それは、なんとなく流通している俳句批評言語に寄りかかることに対して、すこし反省的であろうとする態度のようなものだ。もちろんのこと、私ひとりの作業として。

以上は言い訳である。そのうえで、なんとも情けないことだが、この句の二点支持が私に与えてくれたこと、私が経験したことについて、ただ「絵がぱっと現れ、その絵がぐわっと動き、おお!と声をあげてしまった」としか言いようがない。MacBook Air のトラックパッドをはじめて触った小学生以下の反応だが、それをそのままにしておくことにする。ことばがもたらす出来事を、ことばであらわすのは、ときどききわめて困難で、私にとって不可能に近い。

この句にとっては、「おお!」としかことばを発しない拙い読者など、迷惑な話でしかないが、ご海容ください。その不可能性を安易に乗り越えないことこそが、出来の悪いスタンドアローンな読者としての私にとっての誠実なのだと、しかたがないので思うことにしたのだ。



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