2008-02-17

スズキさん 第8回 ワイルドで行こう  中嶋憲武

スズキさん
第8回 ワイルドで行こう   中嶋憲武



このところ、滅法寒い日が続く。こう寒いと、みんなひとところに寄ってたかって、鮟鱇鍋で熱燗などを酌み交わしつつ、あれこれ人の噂話や、なかにはこんなところを知っている、あんなところを知っていると知ったかぶりをして、風聴してまわり、よくよくその場所を聴き正してみるに、昨日見た夢に出て来た場所を誠しやかに思いつきで、語り倒していただけだったという嘘の上塗りこの上無しという、ますます寒くなるようなお話も飛び出す始末。それじゃあよくないてんで、わざわざ話の種を仕込んでくれる人もあるくらいで。

「寒いですね」
「寒いねえ。手足の指先がつめたくってね」
「そうですねえ」

スズキさんと俺は、午前の遅い日を浴びて尾竹橋通りを走っていた。スズキさんの配達を手伝うように言われ、作業着の汚いジーンズを履いたまま助手席に坐ったのだ。

冬の日差しが、車内に斜めに直射してきてまぶしい。俺はこういう冬日を浴びると、オリビア・ニュートンジョンのある曲を思い出す。あれはたしかジョン・トラボルタの「グリース」という映画のなかで歌われていたナンバーだ。「愛すれど悲し」というタイトルだったか。

高校3年の卒業直前の冬の日。高校生活の想い出という事で、友人Fとその彼女と俺とつき合い始めたばかりの俺の彼女と、ダブルデートを試みたのだ。俺はまだ免許を持っていなかったので、 Fの運転でドライブした。

いまになって思えば、行った先が悪かった。当時、国道4号沿いに出来たばかりの「肉のハナマサ」の焼肉食べ放題に繰り出したのだ。俺とFはバレーボール部、Fの彼女は体操部、俺の彼女はバスケットボール部、4人とも体育会系なので、すごい量を食った。肉のほかに、果物も食べ放題だったので、デザートとして、大皿に果物の皮が山盛りになるほど食った。

映画「グリース」がヒットしていたので、帰りの車内のカセットテープは「グリース」のサントラ盤がかかっていた。俺は幾分食い過ぎたのか、腹が重苦しくなっていた。ぐるぐると言っている。Fが面白い話をするので、みんな爆笑。俺も爆笑。腹が苦しい。堪えきれなくなった俺は、大きな放屁を仕出かしてしまった。それも匂いのきつい奴を。

その途端、車内は微妙な空気に包まれ、俺はFに大声で「くっせえなー。窓をあけろよ」と言われて、「ああ」と返事すると、のろのろと窓を開けた。その時かかっていたオリビアの「愛すれど悲し」。このスローなラブバラッドが妙に耳に残っている。

俺はこのように、いまでも自分の仕出かしてしまったことに対しての処分に戸惑い、すぐに適切な対処の出来ない人間である。それで随分失敗もしてきた。そのつき合い始めた彼女とは、それが原因であったのかどうか、卒業を待たずして別れてしまった。

オレンジの断面まるで世田谷区みたような冬日を浴びて、淡い恋の思い出に浸っていると、スズキさんが甲高い声で言った。

「着いたよ」

俺に助手席で待っているように言うと、スズキさんは印刷用の用紙を持って、路地を入って行った。待っていると、前方から来た車の運転手が俺になにやら合図をしている。道の反対側のビルの駐車スペースへ入りたがっているようで、この車が妨げとなっているのだ。ちょっと車を後方へ動かさなければならない。

助手席から運転席へ身体をずらせると、俺は後退を開始した。後退を終えると、前方から来た車は、むすっと駐車スペースへ入っていった。作業用のジーンズで来てしまったので、俺は免許証を携帯していなかった。約2メートルほど、無免許運転を決行した事になる。ひょっこりスズキさんが「あ、車、動かした?」と言って戻ってきた。

ふたたび尾竹橋通りへ戻る。

スズキさんが、「この辺に北島康介の実家があるんだよね」と言った。俺は「北島って、あの平泳ぎのですか?」と聞くと、スズキさんは「そう。実家は肉屋やってんだよ」と言う。

「ちょっと、回り道になるけど、見て行く? こういうのが大切なんだよね」と、スズキさん。「大切なんすか」と、俺。

「なにか話題が出た時に、その話題に乗る事が出来るからね。実物を見ておくと、見たんだよと口火を切ることが出来るよ」
「そうっすね」
「広がるでしょ?話が。まわりもさ、ああ、知ってるんだなと思うから聞いてくるわけよ」
「そうっすね」

道灌山通りへ入り、しばらく走っていると、右手に北島康介の実家の肉屋が見えてきた。

「あっ、見えてきました」
「ねっ、あるでしょ」
「ええ、肉のきたじまって書いてありますね」

店の看板に肉という字が赤ペンキで、の、以下が黒いペンキで太々と書かれてある。肉のきたじまを、あっと言う間に通り過ぎた。

「わりと普通の肉屋ですね」
「オリンピックで有名になっても、敢えてでかくしたりしないところが、いいね。変にでかくしたりしちゃうと、金メダル取って、儲かったんだなと思われるからね。いいことないしね」
「肉屋は入りやすい雰囲気じゃないと、肉屋って感じしませんよね」
「肉屋と言ってもいろいろあるからね。ぼくはいろいろな肉屋を見てきたのでね」

スズキさんはこの仕事をする前は、肉の卸売業の外交をやっていたそうである。

「まあ、この辺では、いくらでも肉買えちゃうって雰囲気の店で、及第というところじゃあないでしょうか」
「及第か。まあ、下町っぽいところがいいよね」
「そうなんですよ、下町っぽいところがいいんですね」

俺は、必殺オウム返しの術で返答した。

もう一軒の配達のために、浅草へ戻ってきた。雷ゴロゴロ会館の裏の路地を走っていると、スズキさんが、「おっ、きれいどころだ」と言うので、前方を見ると、「御家人斬九郎」の若村麻由美を思わせる、粋な芸者がひとり歩いていた。

「この時間、お座敷なんてあるんですかね」と、俺が言うと、
「そうねえ、まだ11時だし。きっと、雷ゴロゴロ会館に出るんじゃないの」
「舞台ですか」
「舞台っつか、まあ、いろいろあるわけよ」
「この辺に置屋、あるんですかね」
「まあ、この辺はね、あるよね」
「こないだ、向島を歩いていたら、髪は日本髪結って、あとはコートにジーンズって女性が歩いてましたよ」
「へえ、かみい(髪結)さんでやってもらったばかりだったのかな」

配達を済ませ、商店街の通りへ出ると、スズキさんは薬屋の前に停めて、「ちょっと待っててね」と言って店内へ入っていった。

俺は、ラジオから流れてくる「ワイルドで行こう!」に合わせて低く、口ずさんでいた。

ボーン・トゥ・ビー・ワイルド
ボーン・トゥ・ビー・ワイルド

スズキさんは、箱を抱えて戻って来ると、「1本飲みなよ」と、その箱のなかから俺にリポビタンDを差し出した。「栄養つけなくっちゃね」と言うと、きゅっと栓を開け、飲んだ。

俺も飲んだ。ファイト一発である。


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