2008-03-09

林田紀音夫全句集拾読 009 野口 裕


林田紀音夫
全句集拾読
009


野口 裕






火の咳を吐き水の咳溜めて反る

林田紀音夫は、胸の病であり、私は喘息と病気の種類は違うのだが、火の咳と水の咳があるとは、うまいこと言うなと感心した。身も蓋もない言い方をすれば、痰が出ない乾いた咳と痰をともなう湿った咳ということだろうが、咳く人間が何やら火や水の世界を背負っているアトラスのようだ。アトラスというよりシジフォスかな。

  

塗装の銀細部に亘り明日は七月

ペシミズムのかけらも見あたらない句。エンジニアらしく細部をきっちりと作り込まないと気のすまない性分があらわれている、と見た。日の長い頃は、じっくり仕事をするにはもってこいの季節だ。

また押流された土砂の量だけあきらめる

シジフォスの神話のようだが、実体験に基づいているのではないかと想像する。「また」が必要かどうか微妙だが、作者には「また」を言わしめるだけの何かが、句以前の時間の中にあったのだろう。単調な作業の報われない繰り返しではなく、ありとあらゆる手を尽くした後の悟りにも似たあきらめではないだろうか。


  

押しひしがれて七輪の火を育てる

ペーソス。

「屋根の上のバイオリン弾き」を一度だけ見たことがある。その時に目を引いたのが、益田喜頓の演技。七輪の火を育てている主人公は、益田喜頓で決まり。



  

その日が食えた明るさの乾いた陸橋

その日が食えたことへの喜びを表す句とも取れるが、喜びよりもとまどいがあるように感じる。喜びを表す物として「乾いた陸橋」を持ち出してきたとは考えにくい。

時代は、高度経済成長のまっただ中。それまで必死に生きてきたけれど、そんなに事はうまく運ばなかった。なのに、今頃なんでこんなにうまくいくのか。陸地を渡るのに橋が要る。何か変だ。そんな気分ではなかろうか。


  

倉庫の壁いっぱいに手垢日差しうすれ

実際に手垢が付いているかどうかは分からないが、壁の薄汚れた感じを、視覚的にではなく、触覚的に表すよう、「手垢」はよくはたらいている。だが、やはり視覚の句だろう。職場の一瞬を、一瞥でとらえた句のような印象がある。時の推移を示す「日差しうすれ」が、季語のようにもはたらく。


幼児のやわらかさで風がくる河の全面

自由律俳句にあるようなリズム。受け止めた風の感触を、眺めている河に返す。触覚から視覚へ。「河面」ではなく、「河の全面」でないと表せないものを作者はとらえている。しかし、その差は微妙で、私には書けない。


  

眼を閉じてなお在る倉庫夜と同色
手垢まみれの倉庫の四壁老いた海

ああ、また倉庫の句で、「手垢」があった。こちらの方が良かったかな。などと思っていると、いきなり次の句。


騎馬の青年帯電して夕空を負う

一瞬の幻想が現れる。句自体は旧知なのだが、句集の流れの中に出現するとびっくりする。林田紀音夫は、第一句集以前の作品、戦前の作品を残していない。何かその辺に根のあるような句ともとれるのだが、思い過ごしかもしれない。

余談ながら、「騎馬」の誤変換で「牙」が出てきたのも興味深い。




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