林田紀音夫全句集拾読 012
野口 裕
川柳誌「MANO」の掲示板にて資料の提示をいただいた。
http://8616.teacup.com/ishibe/bbs/456
石田柊馬氏から、「川柳ジャーナル」の1970(昭和45年)4月号の招待作品十句。
影 絵 林田紀音夫 (海程)
塩田の沖暮れ戦死者が近づく
老婆は遠くから来る真昼鉛の海
白昼の鹿かなしみの影得て跳ぶ
流されて月明の影絵のひとり
来る日も雨のフエンスが墓場までつづく
鋸を使う後頭廃墟の余韻
コンクリートに棲み子の傷を舐めてやる
驢馬より無残に草へ倒れてながい戦後
ガーゼに血惨む暗さへ雷火立つ
抜糸後の胸つつむシャツ波濤の白
まだ十句すべては調べきれてはいないが、表題の「流されて…」は、昭和四十四年の未発表句の中にあった。
小池氏から、「川柳現代」15号(1964年1月)への寄稿を(山村祐著『続・短詩私論』についての論評特集)。以下引用すると…。
紀音夫の「共通の場に立って」には、こんなふうに書かれています。
先に結論を書けば、それほど身近に共通の問題をもち、共通の理解を示しあい ながら、その作品の上における断層が、俳句と川柳との理念の相違のように思えてならないことがぼくには大切であった。(中略) その差異を強く意識し、それぞれの場を確立した上で、それぞれの特質を認めあった共通の場がほしいという気持がぼくにはあった。
口語的発想、口語的構成、口語的表現、口語定型というものに彼の関心があったようです。「ぼくは、川柳に対して決して親切な読者ではない」とも書いていますから、交流があったとしても、どこまで親密なものだったのか分からないですが、 「共通の場」というのは魅力的な言葉ですね。
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家路の顔のいくつか戦死者を伴なう
遠い戦死者老いたポプラに声寄せる
「軍艦」の句ならこれまでたくさんあるのだが、第二句集の昭和四十二年に至り、初めて「戦死」の一語が登場する。句集収録外の句、未発表の句をまだ見ていないので、まったく作らなかったかどうかは保留せざるを得ないが、句集に登場しなかったのは確かだ。
句としては、「ポプラ」の方が良いようだ。空気の透明な感じが伝わる。しかし、すでに過去のこととしている気味のある「ポプラ」の句よりも、「家路」には古傷が痛むという感覚がある。
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薄日洩れ有刺鉄線身にはびこる
銀行が石となる夜の雨に濡れる
石田柊馬氏の句評を聞いているとしょっちゅう出てくるのが、口語表現での句末のバラエティの少なさの嘆き。名詞止めか、る止めがやたら多いとよく口にされる。今日取りあげた二句ともに無季のる止めなので、思い出した。それはともかく、どちらの句も他者と我の関係をよく表現し得ている。他者の侵入を拒む有刺鉄線、圧倒的な他者(と言うよりもこの場合は組織か?)に打ちひしがれる我。
東京オリンピック以降、日本の社会は安定した。しかし、それを支える人々の心の動きには、自分は一個の歯車という自己を矮小化してとらえてしまうところがあった。そうした意識を反映する風景を現出し得ているだろう。
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2008-03-30
林田紀音夫全句集拾読 012 野口 裕
Posted by wh at 0:15
Labels: 野口裕, 林田紀音夫, 林田紀音夫全句集拾読
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