2008-03-30

『俳句界』2008年4月号を読む 舟倉雅史

【俳誌を読む】
『俳句界』2008年4月号を読む ……舟倉雅史




四季折々の自然の美しさを詩の言葉として定着させることは、季節の詩としての俳句の大切な役割の一つですが、季節そのものというより、季節の移ろいに感動を見出すこともまた俳句に課せられた大きな役割だと言えるでしょう。季節の推移に対する鋭敏な感覚が、日本人の美意識の根底をなしている以上、俳人もまた季節の移ろいに対して鋭敏なる人種であることは当然とも言えましょうが。

僕は、自然の小さな変化に眼を凝らした句、季節の移ろいを巧みにとらえた句に強く魅かれますし、また自分でもそのような句を作りたいと思います。そうした句としてすぐに思い出すのが、

  花の芯すでに苺のかたちなす    飴山実

であり、さらに探せば、

  てのひらに薄暑のけはい忍びゐる    鷲谷七菜子 
  ひまはりの上から枯れてゆく途中    正木ゆう子
  去る冬を拳ゆるめて送りけり    能村登四郎

のような秀句は、いくらでも見つかるのかもしれません。『俳句界』4月号の中からは、次のような句を見出すことができます。

寒鯉でありし呪縛の解けてをり    加藤国彦(作品7句「雲の白鬚」p18-より)

「寒鯉」そのものを見据えて作られた句はおそらくこの世に無数と言ってもいいくらい存在するにちがいありません。しかし、「寒鯉」であり続けたここ数ヶ月間の状態を「呪縛」と捉え、その「呪縛」から解き放たれた鯉の躍動感を現前させることで春の訪れとその喜びを表現しえた句は、今までにあったのでしょうか。春の到来を表わすことばとして、俳句には「水温む」という季語があります。「水温む」といえばそれだけで、「底にひそんでいた魚も動きはじめ、水草もはえてくる(山本健吉『基本季語500選』)といったイメージを膨らませることのできる、これはとても便利なことばであると言えます。「水温む○○○○○○○ ○○○○○」のように次に七五を加えれば、とりあえずは俳句の体を為すことになりますし、そうした方法で俳句を量産する中から面白い作品が生まれてくる可能性は否定できないでしょう。しかし、そうした便利な季語に安易に寄りかかる姿勢から最も遠いところから生まれてきたのが、上に掲げた加藤氏の作品であるように思われるのです。

俳句ボクシング(赤コーナー)のチャンピオンに輝いた次の句もまた、季節の移ろいを繊細な感覚で捉えることに成功した、印象深い句です。

珈琲の香の今朝強く雪来るか    三木蒼生

辻桃子氏の講評の最後には、「『雪来るか』の臨場感と強い語調も良い」とありますが、確かにこの句には、珈琲の香の小さな異変に冬の訪れを感じ取る鋭敏な感覚だけでなく、本格的な冬を前にして張り詰めた作者の心のありようまで読み取ることができるようです。そしてこの句もまた、「冬に入る」「冬ざるる」のような季語に安易にもたれかかる姿勢とは無縁です。(それにしてもこんな句といきなり初戦で当ってしまった対戦相手は、さながら1ラウンドKO負け、といったところでしょう…僕のことですが。)

ところで、詩人の久谷雉氏はそのエッセイ(「笑い」の時間 p20-)の中で、波多野爽波の「真白な大きな電気冷蔵庫」という句を取り上げ、

春の空をめがけて打たれたホームランのようなすこやかさをおぼえる。

と評しています。僕もファールフライばかり打っていないで、たまには外野手の頭上を高く越えていくような「すこやかな」句を得たいものだと思います。



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