2008-04-20

林田紀音夫全句集拾読 014 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
014




野口 裕




屋根を重ねてみどりごがとろとろ煮え

第二句集の特徴として、子の句が頻繁に登場することが上げられるだろう。我が子かわいいという点は、通常の吾子俳句と同じだが、この幸せがいつ壊れても不思議ではないという危機感が底にあるために、句中に異常な幻想を孕む場合がしばしばある。「みどりごがとろとろ煮え」は、スウィフトのやたら長いタイトルの諷刺文「アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案」、略称「穏健なる提案」を連想させる。

  

父に幼女のオルゴール泣く水の夜
基本形を抜き出せば、「父に(対して)幼女の泣く夜」となるだろう。オルゴールが加わり、最後の隠し味に水が加わると、何と華麗なイメージに変身することか。

めくるめくようなメロディーに翻弄される父は、破滅の一歩手前まで行った時代を回想している。だが、これは読み過ぎだろう。残念ながら、句からそこまでは読みとれない。しかし、最後に加えた水は時間の連想を伴うように思える。

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ピアノに埋めて火のあかるさの幼女の指
似たような句が続くのだが、いっこうに飽きない。「ピアノ」が白骨、「火」が火葬を連想しつつの作句だろうなとこちらは自然に思ってしまう。自由律、特に短律は作者の名を付けることで句として成立している、という考え方があるが、この時期の林田紀音夫の句も作者名が同じ効果を引き起こしているのかもしれない。

単なる好みかもしれないが、「埋めて」は「うずめて」と読みたくなる。視界をぐっと狭め、指と鍵盤をクローズアップ。幼女の指に震えが走っているか。


薬莢の落ちていた砂乳児が掘る

作句時期は、昭和四五年ごろ。

私が卒業した小学校には、鉄線入りの頑丈なガラス窓のついた鉄の扉があった。ガラス窓にはところどころに穴があいていた。太平洋戦争時の機銃掃射であいた穴だ、と聞かされていた。小学校を卒業した昭和四十年三月にはまだあった。薬莢はさすがに落ちていなかった。その鉄の扉も昭和四五年までには取り替えられてなくなっていただろう。

「薬莢の落ちていた」が幻視であり、「砂を乳児が掘る」実景が重なる。抽象・概念に飛ばず、体験をあくまで反芻しようとしている。「幼女」とせず、「乳児」を選んだところ、彼が時間の旅の中にいることを示している。

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霧笛の夜の嬰児押しつけられて哭く執拗なヘリコプター死者の広場があり白骨累々とストーヴの火の部分

これは駄目だろうという句を並べてみた。どれも説明が過剰になっている。

話は変わるが、ストーブに取り付けられた素焼きの陶器をスケルトンという。この頃見かけなくなった。

秣の遠い匂い空から幼女還り

遠く曇る海域パンの耳殖えて
孔雀の夕ぐれ少女は消える影伴い

駄目だろうという句と同じ頁にある、これはオーケーという句。秣やパンの耳が面白い。三句目はどこで切るのだろうか、あるいは切らないのだろうか。

「孔雀の」「夕ぐれ少女は消える影伴い」
「孔雀の夕ぐれ」「少女は消える影伴い」
「孔雀の夕ぐれ少女は」「消える影伴い」
「孔雀の夕ぐれ少女は消える」「影伴い」

切れ目が一つだとしても、これだけのパターンがある。孔雀の、あるいは少女の幻影はさまざまに変化しつつ夕ぐれの中にある。あるいは消える。




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